夢でみた洞窟
「夢?」
「そう。今朝の夢。ああ――思い出したよ。ほらおまえがプロレス技なんか掛けてくるから。全部忘れちまうところだった」
志津の作った朝食は、世でいうところの「お袋の味」がした。
その食事を胃袋に落としていきながら、おかわりを出す合間に、どうでもいい話を真琴としていた。
「どんな夢だったん?」
たくあんを丈夫な歯でバリボリと噛み砕きながら、真琴が訊いてくる。
「いや。たぶんここの裏山なんだろうけど。霧のなかに洞窟があってさ。――その洞窟の奥に向かって、ずっとずっと下りてゆくと、つきあたりのところに、女の子がいるんだよ」
「女の子、って……」
志津の声がする。
おかわりをよそう手が、空中で停止している。
「それって、えっちな夢……とかですか?」
「なっ――」
「なして? どうして? どんな理由で?」
「ばかっ――そんなんじゃねえって」
「だからどうしてエッチになるのさー? そこんとこの仕組みが、わかんないんですけどー」
「だからちがうって」
「教えてったらー」
否定を重ねるたびに志津の疑惑の眼差しは強くなり、真琴は「わかんね」という顔を増してゆく。
夏生は夢の続きを思い出し、それを話してみた。
「でも綺麗な子だったな。細くって、
「やっぱり」
「ニーニーのえっちぃ」
おかわりを差し出す小鉄が、志津と連合軍を組んで、目で責めてくる。
夏生は今度は否定も言い返しもせず、先を続けた。
「――その子が必死な顔で、おれに何か言ってきているんだけど、なに言ってるのか、ぜんぜん、わかんねーんだよ。そのうちに、その子がプロレス技を仕掛けてきて、それで目が覚めるって、そんなオチ」
「プロレス? なにそれ? その超展開いったいなに?」
「おまえのせいだろ」
「なんで?」
「ああこいつ忘れやがった。わかってるわかってるって。おまえはそーゆーやつだ」
「ああ。あれか。あれね。――夏生ってば、もーおかしくてー。きゃー、とか言って壁に背中張り付けて、驚いちゃって」
「言ってねえ」
夏生は憮然とした顔で言った。
驚いたのは事実だが、きゃー、は言ってないし、驚いたのも、真琴が思うのとは違う理由からだ。
「――で。その子、知ってる子? クラスの誰?」
「ぜんぜん見たことも会ったこともない子。歳は――高校生って感じじゃなかったなぁ。そもそもガイジンみたいだったし。それにあんな綺麗なの、テレビにだって出てこない」
「ま。夢だから」
「そ。夢だから」
そう片付けて、夏生は食事に戻った。
茶碗に半分残った白飯を一気に片付ける。
「おかわり」は有限の資源であり、先着順である。真琴と小鉄が二人して、夏生の資源を食い潰そうとしている。
「そもそも裏山に洞窟なんて、ねーしな」
「あるよー」
軽く言った言葉に、これまた小鉄が気軽に返してくる。
夏生はぴたりと、箸を止めた。
「いま、なんてった?」
「だから、あるよー。洞窟だよね。昨日できたのがあるよー」
「昨日? みつけた……、ってことか?」
小鉄は首を横に振ってくる。
「ううん。おとといはなくって、昨日、あったのー」
「なんだそりゃ。洞窟ってのは、ぽこぽこできたり、生えてきたりするもんじゃないだろ」
「いや。そうとも言えないな。地盤が崩れて、もともと地下にあった空洞が表に出てくるということもある」
秋津がぽそりと言う。
学校一の秀才は、すでに学校図書館の全蔵書を読破済みで、最近は県立図書館を制覇すべく、足を伸ばしていると――もっぱらの噂である。
「この近辺の地層では有り得ないがね。可能性があるとしたら……、遺跡か古墳か、そのあたりだろうか」
「遺跡?」
「だが遺跡だったとしても、この辺でなにかが発掘されたという記録はない。したがって新発見の遺跡ということになるかな」
一膳で食事を終えていた秋津は、湯飲みを両手で傾けながらそう言った。
物を知っている割には、さして興味もなさそうな口調だ。
「おい。それもし本当だったとしたら、大変じゃんかよ」
「うん。すごいよねー。遺跡だって」
みそ汁をすする真琴は、気軽な顔で言ってくる。そこへ夏生は突っこんだ。
「違うだろ。――早く見に行かなきゃさ。文化庁だかなんとかが出てきて、柵なんか張られて、入れなくされちまうぜ?」
「もしも本当に遺跡だったら、あまり薦めないがね。現場の保護が発掘作業の第一優先だ」
かたいことを言ってくる秋津に、夏生は片目をつぶってみせた。
「おれは――、行くぜ?」
「無論。私もだ」
「あーっ、あたしもあたしもー」
「ニーニー、ヘビぃー」
「ヘビのかわりに洞窟つかまえてやるから」
「わーい」
小鉄は素直に喜んだ。
この妹的存在は、ヘビそのものが欲しいわけではなく、夏生になにかをしてもらいたいだけなのだと――夏生は知りたくもないが知っている。
大鉄に決定権はないから、これで五人の意見がまとまったわけだ。
「あのっ――!」
つい大声をあげて皆の注目を集めてしまった志津は、うつむき加減になりながらも、片手をあげてきた。
「私も。……お邪魔で、なかったら」
静かだが、はっきりした声で、言ってくる。
野球ではなく、ヘビでもなく――本日の予定は、これで決まりのようだった。
◇
緩やかに下る一本道が、どこまでも続いていた。
手にした懐中電灯で壁面を照らしつつ、夏生は洞窟の中を進んでいた。
腰をかがめないでも、人ひとりが歩けるだけの広さがある。
ただし並んで歩けるほどではなく、全員で一列となって進まざるをえない。
先頭を行きたがる小鉄と真琴とを抑えて、大鉄と秋津のふたりが前に出ていた。
そして夏生自身は、最後尾のひとつ手前を歩いている。
夏生は手にしたライトで壁面を照らしてみた。
くり抜かれたような断面を見せる土は、まだ半乾きの状態だ。
天井には木の根の切断された断面が見えていたりする。
まるでくり抜いたばかりのような光景に、昨日になって突然できた洞窟――という信じられない話を、だんだんと信じてもいい気分になってきていた。
各自、壁や足下を照らしながら、黙々と下りてゆく。
裏山を登っている最中はにぎやかだった真琴と小鉄の二人も、洞窟を下りはじめてからは口を閉ざし、大鉄の巨大な背中を見つめながら足を進めている。
「きゃっ」
最後尾の志津が、なにかにまたつまずいて、バランスを崩す。
もうわかっていた夏生は、志津が転ぶよりも早く手を伸ばしていた。
腕をつかまえて、ぐいっと引き起こす。
「ご……。ごめんなさい……」
「いいって」
何度目かの謝罪をしてくる志津に、夏生はそう返した。
はじめの何回かは、とろい女の子だなと思った。
その後に続いた何回かで、夏生は考えを改めた。
彼女がつまずくのは仕方のないことだった。大きすぎる胸が邪魔となって、足下が見えないのだ。
「あ、あのっ……」
握った手はそのままに、夏生は皆に追いついていった。
志津がどんな顔をしているか。その顔を見れない。自分もどんな顔をしているのか。暗くて見られないことが幸いだ。
夏生は夢のことを思い出していた。
朝食の時までは鮮明に残っていた記憶も、一時間以上経つうちに、だいぶ薄らいできていた。
だが洞窟の中を歩いていたときの印象は、いま現実に起きている体験と等質のものだった。
デジャヴといってしまうには、あまりに生々しすぎる。
「久我君――」
「夏生でいいよ」
志津の手を引きながら、夏生はそう言った。
「じ、じゃあ……。な、夏生君……。あの、さっき言ってた話のことなんですけど……」
「さっき?」
「あ。ごはんの時。夢の話」
ぜんぜんさっきではなかったが、とりあえず黙って聞いておく。
「ここに入ってから、だんだんはっきり思い出してきたんですけど……」
と、言葉を区切り、志津は続けた。
「わたしも、その夢……、みたことあるような気がして……。やっぱりここ、覚えがあるような……」
「え?」
夏生は立ち止まった。弾力のある感触が背中にぶつかってくる。
「きゃっ」
「いま。なんてった?」
「きゃっ、――って」
「じゃなくて」
振り返り、ライトの光の中に志津の顔を入れる。
不安そうな顔が思ったよりも間近にあって、夏生はどきりとする。
「わたしだけじゃなくて、たぶん……、真琴ちゃんとか、秋津君たちも……」
立ち止まっていた夏生たちは、他の四人に置いて行かれつつあった。
握ったままの手を引いて、夏生は皆の背中を追いかけていった。
「夢、見たのか? 冬野も?」
「はい。わたしのみたのは、えっちなやつじゃなかったですけど」
「おれのだってちげーよ!」
「ご、ごめんなさい……」
洞窟に行ってみようという夏生の提案がすんなり受け入れられたのも、全員が同じ夢を見ていたからだろうか。
「ここの先に、いるんだよな」
「はい。緑色の髪をした女の子でした」
夏生は聞いた。志津もうなずいてくる。
「まさかな」
「はい。まさか」
夏生は黙りこんだ。志津も黙る。
朝食の時、洞窟と女の子の話はしていたが、髪の色は話していない。
だが志津は「緑色の髪」と、いまたしかにそう言った。
そして夏生の見た女の子も、緑の髪をしていた。
ほどなくして、夏生と志津は皆に追いついた。
皆は立ち止まっていた。大鉄の大きな背中が道を塞いで、前はよく見えない。
「どうした?」
「地面と壁、へんじゃないかって……、秋津君が」
声を掛けると、真琴がそう答えてくる。
「変?」
「土でもない。岩石でもない」
秋津は壁面に手で触れていた。
その隣に並んで、夏生もライトで照らしてみる。
手で触れて確かめてみるまでもなく、壁面の変化は見て取れた。
むきだしの土の壁面が、別のものにかわっていた。
明るい茶色をした、なにかつるりとした材質だった。
なんとも言いようのない物体で、しいていうならば――。
「なんだか……、生き物みたいで……」
「カニの殻? ほらっ。食べ放題でたくさん余るやつ」
不安げな志津の声と、楽しげな真琴の声とが対照的に響く。
「どうする? 戻る?」
挑むような目を真琴に向けられる。
「ばか言うなよ」
夏生は立ち上がった。
大鉄と秋津。ふたりの男の背中を抜けて、先頭に立つ。
「い。いくぞ」
足を踏み出す。
つるりとした感触が足下から伝わってくる。
巨大な生物の体内にでも飲みこまれてしまった気分である。
壁の材質が変わってから、そう進まないうちに、不意に空間が開けた。
ライトの光が突き抜けて、遠くへ落ちる。
縦横数メートルほどの開けた空間だった。
普通の部屋とは違って、壁と天井の区別のない巨大な泡のような部屋だ。
壁から天井へと境目なく続いてゆく壁面は、微妙に凹凸があって平面ではなかった。
懐中電灯の光をあてると、壁は薄いブルーの輝きを返してきた。
「洞窟……にしちゃ不自然だけど。しかし遺跡っつーにも、なんにも……、ねーよな」
「ハニワがないよね」
「なんだよそれ。おまえなに期待してんだよ、真琴」
「夏生こそ。なにがあるって思ったの?」
「そりゃ……。洞窟だったら、鍾乳石とか、地底湖だとか。遺跡とか古墳なら、石の棺とか――」
「ハニワとか」
夏生は真琴と軽口を叩きながら、部屋の中程まで進み出ていった。
本当になにもなかった。
不自然なまでに。
こうして夏生たちが見つけるまで、何十年か、それとも何百年になるのか、地の底に埋もれていたはずの場所なのに、たったいま掃除を済ませたばかりのように綺麗なものだった。
砂も溜まっていなければ、埃さえ見あたらない。
微妙なうねりのついた床を、夏生は歩いた。
平らでない床の上を歩くことが、これほど居心地の悪いものだと、初めて知る。
「夏生」
秋津の声がした。
半球状の部屋の内側をぐるりと回っていた秋津が、足を止め、壁の一面を見つめていた。
「なにかあったのか?」
「いや」
ライトを消せ、と、手で合図される。
夏生はライトを消した。
皆も従う。懐中電灯の灯りが、次々と消えてゆき、部屋のなかは真っ暗に――ならなかった。
壁が内側から発光していた。
淡い光をはなつ発光体が、壁のなかにいくつも埋まっていた。
菱形のものと、丸いものと、そして光らない陰の部分とがあった。
光は脈動するように明るさを変え、まるで葉脈か血管を透かして見ているような気がした。
「夏生君――」
志津が隣にやって来て、夏生の手を握ってくる。
小さく震えるその手を軽く握り返してやりながら、他の二人の姿を探す。
真琴と小鉄の二人のほうは、怖がっている様子がまるでなく――部屋の中程まで歩み出して見物をはじめている。
「夏生っ――これー、なんだと思う?」
真琴が部屋の中央でぴょんぴょんと跳ねた。
見ているうちに小鉄も加わって、ふたりして遊びはじめる。
「ニーニー、おもしろいよー、これー」
床に浮かびあがった光の円が、足で踏もうとすると、すいっと逃げてゆくのだ。
真琴と小鉄とが追いかけている他にも、光の円はいくつかあった。
「我々は六人。光の円は六つ」
秋津がそう言ってくる。
数えてみると、数はたしかに六つあるようだ。
逃げ回っていた光の円は、やがてあるところまで移動すると、そこで落ち着いた。
床にあった窪みにすっぽりとはまりこんで、誘いをかけるように、脈打つ明滅を繰り返している。
床の窪みは、はじめからその場所にあったのか、それとも夏生たちがこの部屋に入ってきてからできたものなのか――。
「あたし、ここみたい……」
逃げない光を見つけたのか、真琴が光の一つに乗る。
「ボク、ここー」
つぎに小鉄も自分の場所を見つける。
「どうする? 夏生?」
秋津が振り返り、夏生に訊いてくる。
「いや――。でも。――なっ?」
「私はとどのつまり、退屈の対極にあるものを求めている。少々怪しかろうが、乗ってみないという手はない」
と、そう言いながら、秋津は自分の光を探していって、その上に乗る。
真琴と小鉄と秋津と――これで六つのうちの三つが埋まったことになる。
「いや。でも……、なんか起きたら……。いや……、ぜってー、なんか起きる気がするんだけど……。六人乗ったときにさ」
「皆の夢に出てきたアレがなんなのか、知りたくはないのかね?」
「それは知りたい」
てゆうかあの娘に会いたい。
――と、そっちの本音は、いま別な女の子の手を握っている手前、言わないでおく。
「冬野……は、どうする?」
大鉄のほうは、どうせ拒否権はないのだろうし――夏生は手を握っている相手に、そう訊いてみた。
「志津――です」
「へ?」
「真琴ちゃんも名前で呼ばれてるのに、わたしだけ名字でなんて」
「いやそうじゃなくて……。あー、じゃあ冬……、じゃなくて、志津……は、どうする?」
「乗ります」
毅然とした声で言い、志津は夏生の手を離れていった。
近くの光の上に立つ。
そこで正解だったらしく、光は逃げずに、彼女の運動靴を下から照らしあげた。
無理やり探険に連れてきてしまったかもしれないと、そう心配していた相手が、さっさと光のなかに立ってしまって、夏生は肩すかしを食らった気分であった。
自分ひとりであったなら、まっさきに試していただろう。
大鉄もいつのまにか光の一つを踏んでいて、夏生はひとり、取り残されてしまっていた。
「なんだよ。なんなんだよ」
「ほらー夏生っ」
「ニーニー。はやくぅ~」
「夏生。早くしたまえ」
「夏生君。わたしは勝手についてきただけですから。気にしないでいいですから」
夏生の光は、ぐるりと回った向こう側にあった。
回って行くあいだに、皆に囃したてられる。
「行くぞ? 乗るぞ? 乗るからなっ?」
期待する顔で急かされつつ、夏生は言った。
「せーの、で乗るぞ?」
最後は、皆で声を合わせて――。
「せーの!」
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