9-2
「文化祭か~、なんだか懐かしいわね~」
そう言いながらマリーさんは、冷蔵庫から冷たい牛乳を取り出すと、俺の方に振り向いた。
「今日は~、ミルクティーでいい~?」
「あっ、はい。大丈夫です。気をつけてくださいね?」
「はぁ~い」
心配する俺をよそに、マリーさんは軽い足取りでキッチンを動き回り、茶葉を取り出したり、ティーセット持ってきたりしている。
この様子なら大丈夫かと、俺は安心して、リビングに戻った。
学校が終わった俺は、雨の降る中、ヴァイスインペリアル地下本部へと
その実験のノルマが、予定よりも早く完了したので、俺たちは地下本部から直接繋がっている、社員寮として使っている超高層マンションの最上階にある、マリーさんの住居で、ゆっくりと休憩しているという状況だ。
最初にここを訪れた時は、一体何部屋あるのかすら分からなかったのだが、今は、まるで自分の家のようにくつろぐことができる。というか、快適にくつろぐために、俺がこの部屋の掃除をしたりしている。
そこでの雑談の流れで、俺が、今日の昼休みに出た話題を口に出したことを受けての、冒頭のマリーさんの発言……、というわけである。
「そう言えば~、
「なんですか?」
ソファーに座っている俺に、後ろから抱きついてきたマリーさんが、俺の耳元で囁いた。
「っと、紅茶の方は、大丈夫なんですか?」
「今は~、ミルクを常温に戻してるところだから~、平気~」
そのままソファーを乗り越えて来たマリーさんを、俺の膝の上に受け止める。
「うふふ~」
「それで、一体なんの話なんです?」
俺の首元に、嬉しそうに顔を埋めるマリーさんの頭を撫でながら、俺は尋ね直す。
「う~ん? ……あぁ、そうそう~、そうだった~」
マリーさんは俺の首から顔を離すと、超至近距離で俺と目を合わせながら、のんびりと話し出した。
「この前~、統斗ちゃんが言ってた~、
「あぁー、やっぱりですか……」
ある程度分かっていたこととはいえ、こうして直接失敗を告げられると、少し悲しいものがあるのも、事実だった。
「統斗ちゃん可哀想~! お姉さんが慰めてあげる~! チュッ!」
「んむ、……ありがとうございます」
俺は、マリーさんのキスを顔中に受けながら、八咫竜について思考を巡らせる。
この国最古の悪の組織である八咫竜は、非常に保守的であると事前に聞いていたので、今回の協定は、あくまでもワールドイーターを相手にする際の協力の件だけであり、しかも、かなり相手に譲歩……、というか、相手に有利な条件も色々と付けた上での提案だったのだが、それでも跳ね除けられてしまったようだ。
今回の協定の件には、
「今はまだ、ワールドイーターの動きがそれほど活発でないのが、救いかな……」
「そうね~。あれから殆ど、動きがないものね~」
マリーさんが体重をかけてきたので、俺は素直にそれに従って、横向きに倒れ、ソファーに寝転がる格好になる。
仰向けになった俺の上に覆いかぶさり、密着したマリーさんから、彼女の低めの体温が伝わってきた。
「やっぱり、今はまだ、本格的に動く気はないってことなんですかね?」
俺の胸板に、その小さな顔を乗せているマリーさんの頭を、ゆっくりと撫でる。
前回の改造
動きがない、というよりは、動きが見えないといった不気味な感じだったが。
「普通に考えたら~、この前の改造
とても気持ち良さそうなマリーさんの顔を見ながら、俺は、改造稲光の様子を思い返していた。
「マリーさんは、あの改造超常者って、どう思います?」
「ん~? 単純に技術としてみたら~、革新的かもね~」
革新的と言いながらもマリーさんの口調からは、特にその技術に対する憧れだとか興奮は、感じれなかった。
「元々強い超常者を~、更に強化できるっていうなら~、確かに有効性は高いと思うわよ~? それが確実に成功して、その後のリスクもないというなら、だけど~」
マリーさんは、つまらなそうに続ける。
「この前の~、あの改造超常者を分析した限りでは~、まだまだ完成には程遠い技術に見えたから~、それを更に進めるとか~、狂気の沙汰だと思うけどね~」
確かに、あの改造稲光の様子を見る限りでは、あれだけ偉そうに自慢していた
というか、パワーが上がる代わりに、自我を失った上に、その上がったパワーに肉体が耐えられないって、相当の欠陥だと思った。
「あの技術を進歩させるには~、ただでさえ貴重な超常者を~、高いリスクに
奇跡的な確率でしか生まれてこない超常者を、まるでモルモットのように使い捨てでもしない限りは、確かにあの実験は進まないだろう。
原理が未だ掴めていない超常者に、外から手を加えると言うことは、能力そのものを失ってしまう可能性があるということは、松戸博士本人も言及していた。
マリーさんが言うように、リスクとリターンが釣り合っているようには、とても思えないが、それでも強行して、自らの理論を実証しようとするのが、松戸博士がマッドサイテンティストと呼ばれる
呼ばれるというか、自称してるけど。
「まぁ~、実は統斗ちゃんも~、広義的な意味では~、改造超常者なのかもしれないんだけどね~」
「えっ?」
突然のマリーさんのビックリ発言に、思わず固まってしまった。
すっかり忘れ去っていたが、俺は赤子の時から、様々な干渉を受けて、
正直、忘れていたというか、忘れようとしていたんだけど。
「え、えーっと、それは、一般人を改造したら、超常者になったという意味で? それとも、超常者を改造したという意味で?」
「そろそろ~、ミルクは大丈夫かな~?」
マリーさんは、俺の質問には答えず、起き上り、キッチンへと戻ってしまった。
俺は、それを少しだけ寂しいなんて思いながら、天井を見上げる。
「……まっ、いっか」
もう起こってしまったことを、今更考えても仕方ない。
むしろそのおかげで、今こうしてみんなと一緒にいられるのだと考えたら、むしろ幸運だったのかもしれない。いや幸運だった、幸運だった。うんうん。
俺は納得して、安心した。
いやー、実に安心である。安心だなぁ。
俺はソファーに寝転んだまま、大きく身体を伸ばして、意識的にリラックスする。
俺が自分の家に帰らなければならない時間までは、まだかなり余裕がある。
もう少しマリーさんと一緒に、のんびりすることにしよう。
俺はソファーに寝転んだまま手を伸ばして、以前この部屋に来たときに置いておいた雑誌を、手に取った
「え~い!」
「ぐえー」
少しだけ雑誌を読んでいたら、マリーさんが突然、俺の腹の上に腰を下ろしてきたので、特に重いとは感じなかったが、なんとなくノリで声を上げてみた俺である。
「マリーさん、どうしたんですか?」
「お湯を沸かしてるから~、その時間潰し~」
随分と早くマリーさんが戻ってきたと思ったら、どうやら、俺と暇つぶしがしたいようだ。
マリーさんは、俺から雑誌を取り上げると、それを片付けるついでに、なにやら本棚を探索し始めた。
本棚の下の方を調べるためにしゃがみ込んだ彼女の可愛らしいお尻が、俺に向かって突き出されている。
「えっと~、確かここに~、……あ~、あったあった~!」
かなり乱雑に本が突っ込まれた本棚から、どうやら目当てのものを見つけることができたようで、マリーさんが嬉しそうに、俺の方に戻ってきた。
俺は
「じゃじゃ~ん! 卒業アルバム~!」
「おぉ!」
マリーさんが高々と
「統斗ちゃんから文化祭の話聞いたら~、なんか懐かしくなっちゃった~」
マリーさんは、楽しそうにそのアルバムを開き、俺が見やすいように、近づけてくれる。俺はマリーさんに密着するようにしながら、その中身を覗きこんだ。
高校の卒業アルバムなのだろうか?
開かれたページには、制服姿の女子が沢山映った写真が、いくつも並んでいる。
男子の姿は、確認できない。どうやら女子高のようだった。
「卒業アルバムって言っても~、ワタシたちの学校は、エスカレーター式で~、殆どみんな、
そう言いながら、懐かしそうにページをめくっていたマリーさんの指が、あるページで止まった。
「わぁ~、みんな若~い!」
マリーさんが指差した写真には、なんだか非常に見覚えある美少女が三人、とても仲が良さそうに並んで映っていた。みんな、実に良い笑顔をしている。
その三人の笑顔に、俺は見覚えがあった。
「へぇー、契さんと
「そういえば言ってなかったっけ~、ワタシたちは、中学校からずっと一緒なの~」
写真の中には、背筋を美しくピンと伸ばした契さんを中心に、今より少しだけ髪が短いマリーさんと、逆に少し長めの千尋さんがいた。
流石に、みんな今と比べると若く感じるが、それよりも俺が新鮮に感じたのは、その格好だった。格好というか、制服なんだけど。
契さんは大人っぽいビジネススーツ、千尋さんは安っぽいジャージ、マリーさんは白衣のイメージが強いので、こういう、如何にもお嬢様学校といった雰囲気の清楚な制服を着ている姿は、本当に新鮮だった。
「な~に? 統斗ちゃん、この制服が気になるの~?」
「き、気になったというか、その、みんな可愛いなって……」
思わず見入ってしまった俺の様子に気が付いたマリーさんが、いつもの悪戯っぽい顔で笑いながら、俺の頬を突く。
「そんなに気になるなら~、今度これ着て~、色々楽しんじゃう~?」
「この制服、まだあるんですか!」
しまった。
俺の耳元で色っぽく囁くマリーさんに、思いっきり食いついてしまった。
別に制服フェチとかそういうのではなく、俺はただ、見慣れないマリーさんたちの制服姿という、普段とのギャップに興奮してしまっただけだということを、ここに弁明させて頂きたい。
……あまり弁明になっていない気がするが、気のせいということにしよう。
「多分~、このマンションか~、主任室か~、地下のプライベートルームのどこかにはあると思うから~、今度手が空いたら、探してみるわね~」
「……期待しないで、待ってます」
このマンションならともかく、あの魔窟と言っても差し支えない主任室か、プライベートルームにあるというなら、発見はおそらく、絶望的だろう。
俺は心底無念に思いながら、制服を、断腸の思いで諦めることにする。
いや、待てよ? 俺が超感覚を使って、全力で探せば、あのガレキの悪夢の中からでも、見つけることは可能じゃないのか?
いや、むしろ契さんか千尋さんに聞いてみれば、案外この二人も、当時の制服を持っているんじゃないのか? それを借りれば、色々と……!
「統斗ちゃん、目がこわ~い!」
「……すいません」
思わず熱くなってしまった俺の頬をマリーさんが優しく
危ない危ない。自分の中の、新しい扉を開いてしまうところだった。
「それにしても、中学から一緒って、なんだか凄いですね」
俺は気持ちを切り替えて、話を変える。
「ワタシたち三人は~、初めからヴァイスインペリアルの幹部になるために集められたから~、その時から~、ずっと一緒だったのよね~」
「へぇ、そうだっだんですか」
どうやら、将来の幹部候補生を中学生の時から育成していたらしいのだが、随分と気の長い話だ……、と思ったが、そもそも俺なんかは、生まれた時から育成されていたのだから、どうやらヴァイスインペリアルの方針として、将来に期待をかけた相手は、じっくり時間をかけて育てていくようだ。
「そうなのよ~。この時はワタシたちも~、今の統斗ちゃんみたいに~、将来悪の幹部として頑張るために~、一生懸命、努力してたのよ~」
「努力、ですか?」
今の俺と同じように、と言われても、今の俺には、実はそれほどピンと来ない。
確かに、悪の総統として活動を始めてから、俺は色々と新しいことを覚えるために頑張ってはいる。それは必死だと言ってもいい。
しかし、本当に必死すぎて、この頑張りが、将来を見据えた意味での努力かと言われると、そういった自覚は、殆どないのだ。
言うなれば、現状を維持するために、死に物狂いで状況にしがみついているだけ、みたいな感じなので、正直、意識して努力しているという感覚には、乏しかった。
「統斗ちゃん、ひどい~! ワタシも契ちゃんも千尋ちゃんも~、悪の総統になった統斗ちゃんに~、きちんとお仕えするために頑張ってたのに~!」
努力と言われて疑問に思ったのは、今の俺自身のことだったのだが、どうやら自分たちの努力を疑われたと勘違いしてしまったらしいマリーさんが、可愛らしく俺の腕を叩く。
「あぁ、違いますって! みんなが俺のために頑張ってくれたってことは、分かってますし、本当に感謝してるんですから!」
「本当に~?」
マリーさんは、
なにせ、俺が生まれた時から、俺のためだけに、自らの人生を捧げてくれたような人たちなのだ。
そんなみんなのことを、今更、俺が疑うなんて、本当に、ありえない話だった。
「だったら証明して~!」
「んむっ」
マリーさんが突然、自分の唇を、俺の唇に押し付けてきたので、俺は素直に受け入れる。
俺たちは、そのまましばらく、柔らかい時間を過ごす。
「……うふふ」
「どうしたんですか?」
唇を離したマリーさんが、なんだか可笑しそうに笑って、俺を見つめている。
「本当は別に~、統斗ちゃんがワタシたちの努力のことどう思ってても~、どうでもいいなって思って~、こうして、本当に統斗ちゃんと一緒にいられるようになったから~、それで十分だな~って」
マリーさんが、とろけるような笑顔を見せながら、俺を抱きしめる。
「ワタシ、今、すご~く幸せだなって~」
「マリーさん……」
俺も彼女を抱きしめ返しながら、彼女と同じことを考える。
確かに、今この瞬間、俺も物凄く、幸せだった。
「そろそろお湯沸いたかな~」
しばらくそうして抱き合った後、マリーさんはどこか照れたように頬を染め、俺から離れると、キッチンへと戻って行ってしまった。
急に体温が下がってしまったような、冷たい寂しさが、俺を襲う。
というか、実際少し、寒くなってきたような気がする。
「お待たせ~!」
「おぉ! 美味しそうですね!」
ちょっと腕なんか
俺のすぐそばに座りながら、マリーさんがいそいそと、ティータイムの準備をしてくれる。今日の紅茶は宣言通り、温かそうなミルクティーだ。
琥珀色の紅茶に、優しい乳白色が合わさった、まさしくミルクティーの色としか言いようのない、優しい色が目に嬉しい。
「それじゃあ、いただきます」
「どうぞどうぞ~。ワタシもいただきま~す」
俺は目の前に置かれたティーカップを手に取り、早速一口、味わってみる。
マリーさんの入れてくれてミルクティーを口に含んだ瞬間、ふくよかな紅茶の香りが鼻を抜け、柔らかいミルクの味が、舌を楽しませてくれる。
鼻腔と口内に幸福を感じながら、じんわりと身体の芯が温まるのを感じる。
なんとも心地よい瞬間だった。
「美味しい……。けど変な気分です」
「統斗ちゃんも~? 実は、ワタシもなの~」
幸せな紅茶の時間を楽しみながら、俺たちは顔を見合わせて、笑ってしまう。
「実は俺、裸で紅茶を飲むのって、初めてなんですよ」
「ワタシも~、裸で紅茶をいれたのは、初めてだわ~」
俺たちは、お互いの裸身を眺めながら、再び美味しいミルクティーに口を付ける。
そう、俺たちは先程から、二人とも裸、生まれたままの姿だったのである。
いやー、やっぱりエアコンが効いてるとはいえ、裸じゃ寒いね。
もうすぐ十月だし。
本日の実験が早く終わったために、このマンションの寝室で、たっぷりと休憩していた俺たち二人は、ねっとりたっぷりと休憩したというのに、なんだか非常に
いやしかし、ずっと裸のままというのは、ちょっとだらしなかったかな?
反省反省。
「こぼしちゃったら、凄い熱そうだから、気をつけないとですね」
「お湯でティーポットや茶葉を蒸してる時から~、結構ドキドキしちゃったわ~」
俺たちは生まれたままの姿で、しばらく談笑を楽しみながら、ゆっくりとミルクティーを味わうのだった。
「ねぇ~、統斗ちゃん?」
そろそろカップの中身が空になりそうな、そんな時、マリーさんがもじもじとしながら、どこか恥ずかしそうに、俺に目配せする。
俺はそれを見つめ返しながら、マリーさんに近づいて、彼女のその細い腰に、優しく手を回した。
「そろそろ寝室に戻って、また休憩します?」
「ううん……」
俺の精一杯のお誘いに、しかし、彼女は首を横に振ってしまう。
そしてそのまま、顔を真っ赤にして俯きながら、恥ずかしそうに、小声で呟く。
「ここで~、していいよ~……」
まるでマリーさんはおねだりするように、上目遣いで、俺を見つめた。
そのあまりの可愛らしさに、ドキリとしてしまった俺は、マリーさんの腰に回した手に力を込めて、彼女を強く引き寄せる。
俺が家に帰らなけらばならない時間まで、まだまだ時間に余裕があった。
「分かりました……」
「んっ」
お互いを求めるような口付けは、柔らかいミルクティーの味がした。
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