9-3


「それでは、今年の文化祭における、私たちのクラスの出し物は、演劇ということに決定いたしました」


 教壇に立った水月みつきさんの結果発表に、クラス中が湧きたった。

 ワーワー! キャーキャー! と、もう凄い騒ぎである。


「マジか……」


 そんな盛り上がるクラスの中で俺は一人、呆然とため息をつくのだった。




 マリーさんとの秘密のお茶会から次の日、俺たちのクラスは当初の予定通り、ロングホームルームを使って、今年の文化祭でなにを行うか、話し合っていた。


 最初の方は、模擬店だのお化け屋敷だのといった、定番の出し物がポツポツと提案されるだけで、特に盛り上がることもなく、そのまま多数決で決着……、となるはずだったのだが、演劇部に所属しているクラスメイトが、自信満々に手を上げた瞬間から、その流れは変わってしまった。


 演劇をやりたいと言い出した、そのクラスメイトの発言に、当初みんなは、それほど乗り気ではなかった。


 それも当然の話で、文化祭まで、まだ少し時間はあると言っても、実際にはもうギリギリ、残り一カ月あるかどうかなのだ。


 どう考えても、今から準備を始めて、演劇を行うのは、厳しい。


 まず台本の問題があるし、衣装や大道具、小道具を用意する問題もある。配役の問題もあるし、単純に演技の練習という問題もある。


 そもそも、今から言い出して、文化祭当日にステージを使える権利を取れるのか、という問題もある。


 問題は山積みだ。時間も足りないし、そもそも無理だろ?


 そんな空気がクラスに溢れる中、発案者である演劇部に所属している女の子は、見事な演説をぶち上げた。



 台本は問題ない。演劇部に代々ストックされている、文化祭用の脚本の中から、今年まだ使われる予定のない物を、借りればいい。


 衣装や美術的な問題もない。衣装は、演者が決まった後に寸法を合わせる必要はあるが、大道具も小道具も、過去の講演に使用したものが、演劇部に残っているから、それを使えばいいだけだ。


 ステージ使用についても、まだこの時期なら、今から申請すれば問題ないのは、すでに確認している。



 等々、まったく、見事な大演説だった。


 そもそも彼女は演劇部なのだから、部としての発表が文化祭であるはずなのだが、その上で更に、このクラスでも演劇をしたいのだろうか? 素晴らしい熱意である。


 しかし、まだこの段階では、演劇をやることは可能かもしれないと、聴衆に説明しただけであり、他の案と同じスタートラインに、立ったにすぎない。


 その演劇部員のクラスメイトが上手かったのは、この後だった。



 いわく、折角の文化祭だから、なにか特別なことをしよう!


 曰く、演劇なら、当日の舞台が終われば、後は自由時間だよ!


 曰く、劇の練習で色んな絆が深まって、なにか色々あるかもよ!



 この中でも、特別なことをしよう! というキャッチーな誘いに、火凜かりんが飛びついたのが、大きかった。


 クラス内でも人気のある火凜が、後ろ盾となったことで、状況は一気に演劇アリという雰囲気に傾いた。


 そこに、文化祭当日、自由時間が欲しい層と、気になるあの子とのに期待してしまう層が重なって、一瞬にして演劇推進派が、一代勢力となってしまった。


 後はもう、雪崩のような勢いで、クラスの雰囲気は変わり、演劇最高! むしろ演劇以外ありえなくない? となるまでに、それほどの時間はかからなかった。


 今から演劇って、やっぱり大変じゃない? と考える少数意見は、見事に封殺されてしまったのだ。まぁ、主に俺の意見なのだが。


 こうして気がつけば、もはや多数決の必要すらなく、仮初の満場一致という形で、我がクラスの今年の出し物は、演劇と言うことに相成あいなったのである。 


 数の暴力って、恐ろしい……。



「それでは、使用する台本も決まりましたので、続いて配役に移りたいと思います」

「えっ?」


 どうやら俺が、世の無常に思いをはせている間に、今度の演劇で、なにをやるかまで決まってしまったらしい。


 確かに、本気で文化祭に合わせるなら、今日のうちに台本と配役を決めるくらいはしないと、色々と厳しくなるだろうが、それにしても、手際が良すぎる。


 恐るべきは演劇を提案した女の子の熱意と下準備、そして、水月さんの議事進行能力と言ったところだろうか。


 気付けば俺の手元にも、演劇部から貸し出し可能な台本の一覧と、そのあらすじが書かれたプリントが配られているし。どうやら、これを使って決めたようだ。


 本当に準備がいい……、のはいいのだが、俺はこの一覧を元に、どの台本がやりたいのか選んだ覚えはないのだが、このクラスの民主主義は、死んだのだろうか?

 

 なんて俺が考える間にも、水月さんが几帳面、かつ美しい文字で、黒板に劇の役名を書き出していく。最初に書かれた役名は、姫と王子なので、どうやらこれが、メインの役どころのようだ。



 まぁ、いいか、俺としては、この短期間で劇をやるのは大変だと思っただけで、別にやりたくないとかまで、考えていたわけではない。


 ここは裏方を担当して、せいぜい劇の成功に、貢献することにしよう。



「なお、今回の配役については、発案者の意向を反映して、主役から順番に、男女別のじゃんけんで決めることにします」

「えっ?」


 俺の戸惑いは無視して、周囲は再び、歓声と喝采に包まれた。

 どうやらみんな、この配役の方法は、すでに納得済みらしい。


 ま、まぁ、どうせ演技については、ズブの素人の集まりなのだから、こういう偶発性が絡んだ決め方をして、予測できない化学反応を求め、役を決めるというのは、悪くないとは思う。


 強制的に全員参加なのは、正直、どうかと思うが。


 割と本気でどうかと思うが、どうにもクラス全員がノリノリなので、俺としては、なにも言えなかった。


 いや、みんなお祭りみたいな騒ぎ方してるけど、本当にそれでいいのか? こういうノリだけで決めるには、舞台に上がるって、結構ハードル高いんじゃないのか?


 なんて思っても、もうこの流れは、俺一人では止められそうもない。


 教室内はすでに熱狂の渦に包まれ、その盛り上がり方は、異常と言ってもいい。

 いや、もはや異常と言うよりは、異様ですらあった。


 なんというか、正直恐い。


「それでは、まず最初に、王子役から決めますので、男子は全員ご起立下さい」


 そんな異様な空気をものともしない、水月さんの涼やかな声を受けて、男子全員が一斉に立ち上がる。


 その様子に圧倒されてしまった俺だが、一瞬遅れて、みんなに続くことにする。

 とりあえず、全員参加と言うなら仕方ない。悪目立ちは避けるべきだ。


 立ち上がった男子は全員、ギラギラとした目で主役を狙っている。

 女子は女子で、まるでなにかを祈るように、手を合わせている。


 そんなにも、この王子様の役は、魅力的な役なのだろうか?

 女子も女子で、一体なにを祈っているのだろうか?


「それでは、じゃん、けん……」


 なんて俺が呑気に考えてる間にも、水月さんの掛け声が始まってしまった。

 しょうがない。それじゃ適当に……。


「ぽん」


 俺は、水月さんの声に合わせて、なんとなくパーを出す。


 というか、これだけの人数がいるのに、同時にじゃんけんとかしても、そんなに簡単に決まらないんじゃないかな? 決める方法、間違えたんじゃない?


 なんて、俺の心配は、無用だった。


「あっ」


 勝負は、一発でついたのだから。


「それでは、王子役は十文字じゅうもんじさんということで、決定いたしました」


 そう、水月さんが言う通り、俺の勝利と言う形で。



 その瞬間、辺りは怒号どごうに包まれた。



 主役を逃した男子たちは、グーを突き出したままの体勢で、俺に殺気のこもった視線を送り、直接的な罵倒や、呪詛の言葉を浴びせかける者まで出る始末である


 それを見ていた女子は女子で、歓声のような、悲鳴のような、よく分からない叫び声を上げている。


 俺は俺で、まさかの展開に呆然としてしまい、教室は混沌に包まれたかのような状況に陥ってしまった。まさにカオスである。



「静粛に。続いて、姫役を決めますので、男子は着席を、女子はご起立下さい」


 そんな中でも聞こえてきた、水月さんの冷静な声に、みんな素直に従った。


 男子は相変わらず、怨嗟えんさの目で俺を睨みながら着席し、代わりに女子が、全員立ち上がる。


「負けないよ!」

「こっちこそ!」


 なんだか盛り上がっている女子の中でも、桃花ももかと火凜は別格だった。

 互いに激しい火花を散らすように、熱い視線を交わしている。


「それでは始めます。じゃん、けん……」


 あくまで冷静な水月さんは、そんな盛り上がりをぶった切るかのように、あっさりと勝負を切り出した。


「ぽん」


 そして今回もあっさり、本当にあっさりと、一発で勝負がついてしまった。


「うえーん!」

「ちくしょー!」


 桃花と火凜が、悔しそうな声を出して座り込んだ。

 そう、今回の勝者は彼女たちではない。


「それでは、姫役は私ということに決まりましたので、次の配役に移ります」


 ひたすら冷静にホームルームを進行している、水月あおいさんなのだ。



 なんだろうか、俺の相手役が水月さんに決まった瞬間、俺への殺意が、更に増したかのような悪寒が、俺を襲った。


 どうやら、本格的に、月の出ていない夜道には、気をつける必要がありそうだ。



 とにかくなんにしても、今年のうちのクラスの文化祭の出し物は演劇に決まり、その主役は、俺と水月さんということになってしまった。


 まぁ、今更決まったことに、文句を言うつもりはない。


「それでは、次の配役ですが……」


 せめて、精一杯頑張ろうと、どこまでも平静な水月さんを見ながら、心に誓う俺なのであった。


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