6-9


「はぁ……」


 俺は、誰もいない夜のビーチで一人、月明かりに照らされた海を眺めながら、ため息を吐いていた。


 プライベートプールでの大騒ぎをなんとか切り抜け、その場を収めた俺は、みんなで夕食を一緒に食べた後、こうして一人、ビーチを散策している。


 プールでの謎の勝負の結果は、結局、最後までドロー、引き分け、ということで、お茶を濁した。


 そして、俺の憂鬱の原因は、そのお茶を濁してしまったことにこそある、ということを、俺は、すでに自覚していた。



 一体、誰を選ぶのか。



 俺はその答えを出すことから、情けなくも逃げ出したのだ。



「はぁ……」


 俺は再び、深く、深く、ため息を吐く。


 俺はあの三人から、けいさんから、千尋ちひろさんから、マリーさんから、それぞれ好意を向けられている。


 なんてことは、もうとっくに気が付いている。


 というか、直接愛を告白されてたりもしているのだから、これで気が付いていないとは、口が裂けても言えないだろう。


 それなのに俺は、その場その場で都合のいい対応をしながらも、明確に誰のことが好きなのか、口にするのを避けてきた。


 そして、俺は彼女たちの好意を利用して、玉虫色の返事で誤魔化しながら、彼女たちの肉体に溺れている、というわけだ。


 おお! 素晴らしきかな、享楽きょうらくの日々よ! 

 肉欲の宴よ! 俺はまさに、快楽の王だ!


 自分の妄想に、自分でドン引きである。


「俺って、最低かもしれない……」

「なにが最低なんじゃ」


 再びため息を吐こうとした俺に、突然、聞き馴染みのある声がかけられた。


「じっ、じいちゃん!」

「なんじゃい、鳩が豆鉄砲を食いすぎた、みたいな顔して」


 ビーチで一人、自己嫌悪に苛まれていた俺に、突然後ろから声をかけてきたのは、祖父ロボだった。


「じ、じいちゃんが、どうしてここに?」

「ワシは、ちょっと昔を懐かしんで、そこら辺を散歩してただけじゃが。お前こそ、こんなところで、一人でどうしたんじゃ?」


 祖父ロボの背後を見ると、キャタピラの痕跡が海岸線に沿って、はっきりとビーチに残っている。どうやら、散歩していたというのは、本当らしい。


「お、俺はちょっと、考え事があって」

「考え事なら、お前のコテージでも、ベッドの上でも、できるじゃろうが」

「うっ……」


 そう言われると、弱い。


 コテージにいるとどうしても、プールでの痴態を思い出してしまい、悶々とするので外に出たのだが、それを祖父ロボに言うわけにもいかなかった。


「どうせ、一人でいたらエロいことでも考えて、悶々とするから外に出て、海でも眺めに来たんじゃろうが」

「ひどい誹謗ひぼう中傷ちゅうしょうだ!」


 まぁ、大体正解なんだが。


「でも、昔を懐かしむって、じいちゃん、この辺に、なにか思い出でもあるのか?」


 俺は矛先を変えようと、姑息に話題を変えることにする。


「あぁ、お前には言っとらんかったか。ここら辺は、ワシと婆さんが、新婚旅行で訪れた思い出の場所なんじゃよ」

「婆ちゃんと?」

「と言っても、お前は婆さんと会ったことないから、ピンとこないかもしれんな」


 祖母は、俺が生まれる前に亡くなっている。


 祖父の家に飾ってある写真などで、顔だけは見たことがあるが、穏やかな顔の、優しそうな人だと思ったのは、覚えていた。


「いやぁ、あの時はワシも若かったのう。将来の野望に燃えて、婆さんと、この夜の海を見ながら、夜が明けるまで語り合ったもんじゃわい」

「へぇ……」


 祖父にもやっぱり若い時というのはあって、愛する人とそんなロマンチックなことをしてたなんて知ると、なんだか妙な気分に……。


 ……妙な気分に?


「婆ちゃんと語り合ってたって、なにを?」

「なにって、世界征服の話に決まっとるじゃろうが。婆さん、うちの組織の初期メンバーで、初代最高幹部じゃし。ワシら、職場結婚じゃし」


 いきなり、衝撃の事実を告げられてしまった。


「……へぇー。婆ちゃんも、悪の組織の幹部だったんだ」

「おう、そうじゃぞ。いやー、あいつは、そりゃあもう、もの凄い悪の幹部で……」


 祖父ロボによる祖母自慢を聞きながら、俺の脳内はやんわりと、この衝撃の事実への処理を開始する。


 そうか、俺の祖父と祖母は、両方とも悪の組織の人間だったのか。

 悪の総帥なんてやってたら、お相手は自然と、似たような職業になるのかもな。


 でも、その方が良いのかもな……。

 相手に変に嘘を吐くこともないしな……。


 よし、受け止め完了。

 お婆ちゃん、会ったことないけど、凄い人だったんだなぁ。


「……と、ワシの話は別にええじゃろ。それで、お前はなにを悩んで、自分のことを最低かも、なんて言ってるんじゃ」


 別にいいと言いながら、長々と語っていた祖父ロボが、本題に戻ろうとする。


 でもなぁ、こんなこと、家族に相談とかするのはなぁ……。


「まぁどうせ、お前くらいの年頃男子の悩みなんて、女絡みと昔から相場は決まっとるんじゃが」

「ひどい決めつけだ!」


 まぁ、大体正解なんだが。


「ええから話してみい。一人で悩んで、答えが出せる程の人生経験なんて、お前は、まだ積んどらんじゃろうが。今のお前じゃ、散々悩んだ果てに、どうしようもない独りよがりな、アホみたいな結論を出して、これが俺の答えだ! 俺が正しい! と勘違いするのが、オチじゃぞ」

「いや、まぁ、そこまで言われると、逆に気持ちいいけども」


 だがしかし、祖父の言ってることも一理ある、と思う。


 自分の都合だけで、自分以外も関係している悩みを隠すのは、確かに間違っているとも考えられる。


 こんなこと、絶対に家族には話せないと思ったけど、逆に、家族にしか話せないような気もするし……。


「じゃあ、その、笑わないで聞いてくれるか?」

「安心しろ、笑わんから。馬鹿にはするかもしれんが」


 なんだか相談するのが不安になる物言いだったが、仕方ない、ここは祖父ロボに、その豊富な人生経験に、頼ることにしよう。


「実は……」

「ふむふむ」


 俺は意を決して、祖父ロボに俺の悩みを打ち明けた。




「はぁ? 散々乳繰り合ったはええが、誰を選べばいいのか分からないくて、困ってるじゃと?」


 俺の話を聞いた祖父ロボが、心底呆れたといった表情をモニターに浮かべた。


「そう言われと、身も蓋もないな……」


 というか、まぁ、それが俺の悩みを客観的に捉えた、一般的な反応というものなのかもしれない。


 俺としてはもう少し、真剣なつもりなんだが。


「誰か選びたいなら、お前が一番気に入っとるのを選べばええだけじゃろうが」

「だから、それが分からないから困ってるんだよ……」


 そう、そしてそれこそが、俺が自分のことを、最低だと思う理由でもある。


 正直に、誰かに最低と思われるのを覚悟して、俺の心情を暴露してしまうならば。


 俺は、あの三人全員に、心惹かれてしまっている。


 契さんの、その俺への献身ぶりに、年上らしからぬ可愛らしさに惹かれている。

 千尋さんの、その天真爛漫さに、そして美しい戦士としての姿に惹かれている。

 マリーさんの、その小悪魔のような振る舞いに、傍若無人ぶりに惹かれている。


 彼女たちの心に、彼女たちの身体に、彼女たちの俺への気持ちに、どうしようもなく惹かれている。


 誰か一人を選んだことで、残りの二人を傷付けてしまうならば、俺には、どうしてもそんなことはできない。それを考えただけで、俺の心は張り裂けそうだ。


 だから自分は、どうしようもなく卑怯で、どうしようもなく最低だ、と俺は思う。

 思ってしまう。


「なんじゃそれは、まったく、しょうもないことで悩んどるのう」

「うぅ……」


 本当に情けない、自分勝手な悩みだというのは自覚してるので、祖父ロボからどんな非難の言葉を投げかけられても、耐えなくてはならない。


 その上で、俺はこの人生の先輩から、なにかヒントを貰わないと、もう自分では答えを出せそうになかった。


 自分の情けなさに涙が出そうだが、俺は静かに、耐えて待つ。


 そして遂に、呆れた顔で俺をなじっていた祖父ロボが、助言をくれた。


「そんなもん、全員選べばええじゃろうが」

「……うん?」


 それは、えっと、はい?


「今、なんて?」

「だから、全員選んで、全員自分のものにすればええじゃろうが、って話じゃ」


 あぁ、なるほど。

 つまり誰か一人を選べないなら、全員選べばいいじゃないってことか。


 まさに発想の逆転、コロンブスの卵、コペルニクス的発想の転換である。 

 いやぁ、それで全部解決だなぁ。ははは。


 なんて、笑うわけにもいかなかった。


「いや、でも、それはまずいんじゃ……」

「まずいって、だから、なにがまずいんじゃ?」


 俺の一応の反論に、祖父ロボは心底不思議そうな顔をしている。


「そりゃ、その、常識とか……、倫理とか……」

「なんじゃそりゃ、くだらん」


 俺がオドオドと持ちだした正論を、祖父ロボは一笑に付した。


「常識だの倫理だのなんてものは、その時代によって変わるもんじゃろうが」

「時代って」


 軽く使うには、重すぎる言葉だと思うぞ、時代って。


「この国にも、ちょっと前まで側室なんてもんがあったし、世界中探したら、妻以外の女を山ほど抱えた王様の話なんて、それこそ腐るほどあるじゃろうよ」

「いや、それは……、ちょっと前ってレベルじゃないんじゃないかな……」


 それこそ、一時代前どころの話じゃないんじゃないのか、そういう倫理観って。


「お前のう、自分が今、どんな組織で、どんなことしとるのか、忘れたのか?」

「はぁ?」


 突然なにを言い出すのだろうか、このポンコツロボットは。


「お前は今、世界征服を目論む、悪の組織のトップ、悪の総統じゃろうが」

「はぁ……」


 それは、一応自覚している事実だ。納得している現実では、ないけれど。


「世界を征服して、お前が新たな常識を、新たな倫理を、新たな秩序を決めてしまえば、お前が幾ら女を囲ってようが、文句言う奴もおらんじゃろうが」

「……それって、暴論って言うんじゃないですかね?」


 というか、誰かに文句を言われるから、全員を同時に選ぶことはできない、って話でもないと思うのだけれども……。


 もっと、こう、俺の心の問題というか……。


「常識だからダメというのは、お前が常識から外れるのが恐いだけじゃろうが! 倫理がそれを許されないというのは、倫理を理由にした、お前の言い訳じゃろうが!」

「うぐっ」


 俺の心の内側を抉るような祖父ロボの気迫に、俺は言葉もない。

 情けなく呻くので、精一杯だ。


「大事なのは、お前がどうしたいのじゃろうが! 悪の総統のお前が、常識や倫理観で自分のやりたいことを縛ってどうする! 自分のやりたいことをやるための悪の組織であり、悪の総統じゃろうが!」

「ぐうっ!」


 見た目はただのポンコツロボットなのに、こうして俺に説教をする姿は、まさしく生前の祖父を思わせる。


 俺は、なんだか感動してしまう。

 生きていたころの祖父を、痛烈に思い出したからかもしれない。


「世間が許さないなら、許されるようにしてしまえ! 立ちはだかるものは、全て排除して、自分の望む世界を作る! そのための悪の組織! そのための世界征服じゃろうが!」


 なんという暴論。

 なんという極論。

 まさしく悪の総統らしい、自分勝手な理屈である。


 だが、その理屈こそが、今の俺には必要なのだろうか。


 新たな悪の総統となってしまった、俺には。


「じゃ、じゃあ、……じいちゃんはそういう、側室とかいたのかよ?」


 祖父ロボの演説に、なんだか感銘を受けてしまったような気がしてしまった俺は、自分の気持ちを誤魔化すように、祖父ロボに尋ねた。


「はぁ? ワシは婆さん一筋じゃったが?」

「それちょっとズルくないか!」


 俺の感銘がぶっ飛ぶほどにあっさりと、祖父ロボは当たり前みたいな顔で答えてくれやがった。


「ワシは婆さんのことを世界で一番愛しとったし、婆さんもワシのことを愛してくれておった。ワシが他の女のところに行けば、婆さんは悲しむ。ワシは婆さんの悲しむところなんて見たくないから、そういうことはせん。ただそれだけの話じゃろうが」


 ただそれだけ、と言われると、俺にはもう、なにも言えない。


 愛する者を選ぶことすらできない俺には、祖父ロボの祖母への想いに、なにかを言うだけの資格が、ない気がした。


「そもそもお前、あやつらに、誰か一人を選んで欲しい、とか言われたのか?」

「……えっ?」


 祖父ロボの突然の質問に、俺は固まってしまう。



 ……そういえば、そんなこと彼女たちからは、一言も言われていない。


 俺が誰かを選ばないといけないと思っただけで、張本人の彼女たちからは、そういう話をされたことは、一切なかった。


 まぁ、さっきは最初に初めてを貰ってもらう人を決めるとか、そういう突拍子もない冗談は言ってたけど。


「それは、言われてないけど……」

「だったら、そういうことじゃろうが」


 祖父ロボが、やはり呆れたように、その機械の腕で俺の肩を叩いた。


「あいつらは別に、この中から誰か一人だけを選んで貰って、残りは身を引く、なんてことは考えておらんってことじゃ」


 ……そうなのだろうか? そういうことなのだろうか?


 今はまだ、それを口に出さないだけで、みんな心の中では、誰か一人を選んで欲しいと、そう思っているんじゃないだろうか?


 俺には、分からない。

 まったくもって、分からなかった。


「というか、お前が選べないと言うなら、素直に、自分には選べませんと、あやつらに言えばええだけの話じゃろうが。なにモテ男を気取って、悩んでるフリなんてしとるんじゃ、アホらしい」

「返す言葉もないです……」


 祖父ロボの出した最終結論は、まったくもって正論だった。



 要するに、俺は怖いのだ。



 まだ選べません。この関係が心地良いです。

 なんて彼女たちに言うことで、彼女たちから呆れられたり、嫌われることが、ただただ怖かっただけなのだ。


 なんとも卑怯で、情けない、俺の結論なのであった。


「まぁ、お前が選べないとか、選んだ相手以外とは付き合えませんとか、言ってみたところで、あやつらが諦めるとも思えんがな」

「……えっ?」


 祖父ロボの呟きは、海風に紛れて、俺の耳には届かなかった。

 

 俺は、海に移った綺麗な月を眺めながら、今度はもう少し覚悟を決めて、俺の今後を考えるのだった。



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