6-6


「海だー!」


 千尋ちひろさんが、駅から飛び出した先に広がる風景は、確かに海だ。


 もうこれ以上ないほどに、海だった。



 列車に揺られて数時間、俺たちは遂に、目的地へとたどり着いた。

 まだ、日も高い。太陽にきらめく海が、なんとも印象的だ。


 というか、俺の人生初の、本物の海だった。


「どうやら、ローズたちを乗せたバスは、渋滞に捕まって遅れているようです。統斗すみと様、あちらにお車を用意しております」

「ほれ、お前ら行くぞ。まずはホテルにチェックインじゃ」


 けいさんと祖父ロボに促され、俺は見惚れていた海から、目を離す。


「ほら~、行くわよ~、千尋ちゃ~ん」

「うおおー! 海がオレを呼んでるぜー!」

「千尋さん! 海なら後で、たっぷり楽しめますから!」


 なにやら雄叫びを上げている千尋さんを、マリーさんが必死に引っ張っている。


 俺もそれを手伝いながら、契さんが用意してくれたワンボックスタイプの黒いリムジンへと、千尋さんを引きずって行く。


 全員が後部座席に座ると、車が自動で動き出した。

 どうやら、このリムジンも自動運転のようだ。


「ここからホテルまでって、どのくらいなんだ?」

「そんなに時間はかからんぞ。この海岸線に沿って走ったら、すぐじゃよ」


 祖父ロボは、どこか懐かしむような表情で、窓の外の海を眺めていた。


「いやー! 海は広いなー! 大きいなー!」

「千尋ちゃんって~、なんか大きいモノ見ると~、テンション上がるわよね~」

「千尋、私の身体を押しのけるのは、やめてください」


 本当に子供みたいに車の窓にへばりついている千尋さんの様子に、マリーさんと契さんは呆れ顔だ。


 相変わらず騒がしい一行を乗せたリムジンは、海岸線沿いの道路を快走する。


 そうしてしばらく海辺のドライブを楽しんでいると、少しづつ、でも確実に、周囲の風景が、雰囲気が、変わっていった。


「ほれ、見えてきたぞい」

「おぉ……!」


 祖父ロボの指す方を見た瞬間、俺の口から思わず、感嘆の声が漏れる。


 ビーチだ。

 白いビーチが、目の前に広がっている。


 これまで、テレビとかで見たことのある海のイメージと比べると、かなり綺麗だというのが、俺の素直な第一印象だ。


 もっとごちゃごちゃしているのかと思ったが、大勢の人で賑わってはいるけど、混雑と言うほどではなく、みんな上品に、海を楽しんでいる。


 海もビーチも非常に綺麗で、海外の高級リゾートを思わせる。

 それもまた、テレビとかでしか、見たことないのだけれど。


「ここら辺は、割と穴場じゃからな。地元の者も、この浜を大切にしとるし」

「いやー、懐かしいなー! ほら、見てみろよ統斗! あそこの山がちょっと削れてるだろ? あれってマリーがやったんだぜ?」

「それは千尋ちゃんでしょ~。ワタシは~、あそこの岬を~、ほんのちょっぴり削っちゃっただけよ~」

「それは、地元の人も災難でしたね……」


 千尋さんとマリーさんが過去に残した破壊痕は、今でもハッキリと確認することができる。本当に、よく隠蔽できたな……。


 というか、過去にこんな大規模破壊があったから、ここら辺の海は、そんなに混まなくなったんじゃないだろうか……。


「うん? なんか建物が見えてきたけど、あれが俺たちの泊まるホテル?」


 車が走る先、小高い丘の上に、なんだか非常に懐かしい感じの、昭和家屋風な宿泊施設が見えてきた。


「あれはただの、国営の国民宿舎じゃわい」


 そう言うと祖父ロボは、腕の代わりの金属製のホースみたいなパーツを伸ばし、その先のマジックハンドみたいな手で、ビーチの先を指し示した。


「あそこが、ワシらのホテルじゃぞい」

「……あのバカでかいのが? マジで?」

「マジで、じゃ」


 そこに見えたのは、どう見ても、高級リゾートホテルだった。


 辺りの風景を壊さないようにと、調和を考えられて建てられた、まるで白亜の王宮を思わせる巨大ホテルは、果たしてどれだけの人間が、あの中で一度に泊まることができるのか、一目見ただけでは、想像もつかない。


 しかもよく見れば、宿泊施設はそれだけでなく、その更に奥には、幾つかの高級そうな、コテージのようなものまで見えている。


 とんでもなく広い敷地の中で、全ての建物が余裕を持った距離を保って建てられているために、ゆったりとした、快適な空間を作り出していた。


 まさしく、最高級ホテルの風格十分な、規格外のホテルだ。


「あそこは元々、我々の組織が所有していた保養地だったのですが、慰安旅行以外では殆ど使われなかったので、統吉郎とうきちろう様のご英断で、ホテルとして改築し、一般に解放されたのです」


 一般に解放されたのです……、と言われても、あんなホテルに泊まれるような人間は、それはもはや一般ではなく、富裕層とか、セレブとか言われる人種なのではないでしょうか?


「一般客を泊める部屋以外にも、この時期には常に、ワシらが泊まれるだけの部屋は確保させておったからな。こんな夏休みのバカンス真っ只中でも、簡単に全員分の宿泊施設を用意できた、いうわけじゃな」


 契さんの説明に、祖父ロボがなにやら補足しているが、俺の脳ミソには正直、そんな情報は、まったく入ってこなかった。


 本当に、最近までただの一般市民だった俺には、想像すらできない世界だ。


 呆然としている俺を乗せたまま、高級なボックスタイプの黒塗りリムジンは、このホテルのやたらと豪華な門を通り抜け、王宮の入り口のようなホテルのロビーを目指すのだった……。




「……落ち着かない」


 俺は、大人五人が一緒に寝ても、まだ余裕がありそうな巨大ベッドに寝転がりながら、一人でため息を吐いていた。


 ホテルにチエックインを済ませたら、そのまま、この巨大なホテルのどこか一室に通されるのだと、思っていた。


 正直、こんな高級ホテルに泊まれるという時点で、俺はかなり浮足立っていたのだが、事態は更に、俺の想像の斜め上を行ってしまった。


 フロントからホテルコンセルジュに案内されたのは、この最高級ホテルの広大な敷地内に存在する、巨大な宿泊施設から少し離れた場所に用意された、完全に独立したプライベート空間。


 いかにも高級リゾートと言わんばかりの、お洒落なコテージだった。


「いや、コテージと言うよりは、ヴィラとかになるのかな……」


 俺は携帯で色々と検索をかけながら、自分が今いる場所の情報を確認する。


 古代ローマの王様が使っていた別荘、といった風情の、白く美しい建物だ。

 全体的に開放感に溢れ、外光を上手く取り入れた、快適な空間になっている。


 海はもう目の前なのだが、大きなプライベートプールが屋外に用意され、室内からそのまま、そのプールへと向かえるようなっている。少し遠くを眺めれば、そこには眩いばかりの、完璧なオーシャンビューが広がっていた。


 当然、風呂トイレシャワーは完備。ベッドルームも複数。バスルームなんて、大人が何人も同時に入れそうな大きさだったし、キッチンやバーカウンター、それとビリヤードルームに、シアタールームなんてのもある。


 まさに極楽。

 この世の栄華、ここに極まれり。


「……はあぁぁぁ」


 大きすぎる天蓋てんがい付きのベッドに寝転びながら、俺はもう一度、大きな、大きなため息を吐いた。


 

 完全に、持て余している。



 どう考えてもこの場所は、一人で泊まるには広すぎる。


 一応、持ってきた荷物を広げたりしたのだが、俺の手荷物と、この場所のギャップの前に、ただただ恐縮してしまう。ぶっちゃけ、寂しい。


「……これから、どうしよう」


 祖父ロボも契さんたちも、ここにはいない。

 ここに泊まるのは、俺一人だ。みんなはそれぞれ、別の場所に泊まるらしい。


 先程までの騒がしさが、まるで嘘のようだった。


 俺はボンヤリと、天井で回っている巨大な扇風機の羽のようなものを眺める。

 ……シーリングファンって言うんだっけ、あれ?


 なんて、俺が完全に時間を、そしてこの部屋を持て余していた、その時だった。


「統斗ちゃ~ん! いる~?」

「おーい統斗! 海行こうぜ! 海!」


 エントランスから大きな、聞き慣れた声が聞こえてくる。


 俺は慌ててベッドから飛び起きると、その声がした方へと向かう。

 そこには、刺激的な私服姿の、騒がしい美女三人組が、俺を待っていた。


「お騒がせしてしまって、申し訳ありません、統斗様。お休み中でしたか?」

「いえ! そんな、暇してただけですから!」


 こちらを気遣ってくれる契さんの優しさが嬉しかったが、本当にただ暇だっただけの俺は、なんだか慌ててしまう。


「暇なら丁度いいよな! 海、行こうぜー!」

「海って、これから泳ぐんですか?」


 夏の太陽に負けないくらいの笑顔で、千尋さんは笑っている。


「今日来たばっかりだし、時間も中途半端だから~、今日は泳ぐのお預け~」


 黄色いサングラスを頭の上に乗せながら、マリーさんはのんびりと伸びをした。


「統斗様は、海は初めてとうかがったので、少し散策でもと思いまして」


 契さんが、麦わら帽子を手で押さえながら、優しく微笑んでくれる。



 なんというか、騒がしいみんなの姿を見た瞬間、俺は心底、安心していた。



「それじゃ、行こうぜ!」

「行こう、行こう~!」

「うわっと!」


 千尋さんとマリーさんに、それぞれ左右の腕を取られ、俺は、みんなに引っ張られるように、人生初めての海へと、向かうのだった。




「じゃ~ん! 統斗ちゃん、これがビーチよ~!」

「おぉー!」


 海を背景に、仰々ぎょうぎょうしく腕を広げるマリーさんの後ろには、確かに先程車から見た、白いビーチが広がっている。


 俺は思わず、感嘆の声を漏らした。


 俺たちが泊まっているホテルから、この白い砂浜までは、本当に少し歩くだけで到着できてしまう。立地条件も最高のホテルなのだ、あそこは。


 美しく白いビーチと、透き通るような青い海のコントラストは、本当に、ただそれだけで素晴らしい。


 老若男女、様々な人がこのビーチで、思い思いに海を楽しんでいる。

 友達同士で、恋人同士で、家族同士で、みんな笑顔で、この海を満喫していた。


「あちらが、更衣室とシャワールームになりますね」


 契さんが指差した方向には、随分と立派な建物が、幾つも並んでいた。

 なんだか、ちょっとした複合商業施設のような様相ようそうだ。


 ビーチの更衣室やシャワーと言ったら、なんというか、微妙に貧層なイメージがあったので、かなりの驚きだった。


「あそこには、レストランとか、売店とか、色々あるんだぜー!」


 千尋さんが楽しそうに笑いながら、俺に教えてくれる。 


 どうやらあそこは、更衣室やシャワー以外の施設も色々と集まった場所らしい。

 実にリゾートらしい雰囲気の、上品なスポットだった。


「あっちに見える島は、なんですか?」


 俺はこのビーチから見える、海に浮かんだ小島を指差す。


 ここから見た感じでは、あの小島とこのビーチ……、というか、こちら側の陸地は繋がっていない。完全に、海上で孤立した島だった。


「あれは、国が管理している島で、一般人の立ち入りは禁止されてます。一応、海で泳ぐ際には、お気を付けください」

「なるほど……、分かりました。気を付けます」


 国が管理してる上に、立ち入り禁止なら、無理に上陸する必要はない。

 一応こちらは、悪の組織なんだから、無駄なリスクはおかさない方がいいだろう。


 それに、確かに小島は、このビーチからでも見えるけど、実際の距離は、随分と遠そうだった。あそこまで遠泳するのは、なかなかに大変そうだ。


「うーん! 潮風って、気持ち良いんですね!」


 みんなに色々と案内してもらいながら、俺は人生初の砂浜を満喫する。


 目にするもの全てが、新鮮だ。

 砂浜の感触と、波の音と、海の香りが、俺の五感を刺激した。

 果てしなく広がる海を眺めていると、なにかに感謝したいような気持ちになる。


 非日常に没頭して、日常を忘れる。

 あぁ……、これが旅行の醍醐味か、なんて思った、そんな時だった。  


「あれ? 統斗くん?」


 俺に突然、非常に聞き覚えのある声がかけられた。




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