4-10
「……うっ、うぅん」
暗闇を漂っていた俺の意識は、突然覚醒した。
どうやら、まだ生きているらしい。
右腕と左胸、そして頭の痛みが、俺に自らの生存を教えてくれる。
死なないために、傷を塞いで、動くために、骨を繋いだだけだ。
完治には程遠い……、というか、この痛みでもう一度気絶しそう……。
命気を使えれば、この痛みも和らぐのだろうが、今の俺には、もう欠片も絞り出せそうにない。
最初から無理をしすぎたのか、それでも少し休めば、なんとかなりそうな感触はあるが、少なくとも今は、もう無理。限界だ。残量ゼロ、ガス欠、空っぽである。
「どこだ……、ここ……?」
身体がバラバラになりそうな痛みと、生気が抜けたような倦怠感を抱えながら、俺は一応、今の自分の状況を確認しようと、視線を巡らせる。
最初に目に入ったのは、天井だった。知らない天井だ。
少なくとも俺の記憶にはない。一応、祖父の実家の和室に近い印象を受けた。
俺はなにやら、何処か柔らかい場所で、仰向けに寝転んでいるようだ。
身体を起こすのすら辛いために、俺はそのままの姿勢で、周囲を確認する。
どうやら、俺は布団に寝ているらしい。
身体の上には、柔らかい掛け布団がかけられている。
俺が普段寝ているベッドと比べると、かなり低い位置から周りを見渡せるために、全体的な部屋の様子が、そのままの姿勢でも、かなり分かった。
和室だろうか、かなり広い。
ちゃぶ台や箪笥が置かれて、どこか懐かしい雰囲気を感じさせる。
なんともモダンな部屋だ。畳み特有の、良い香りがする。
きちんと整理整頓されているが、なんとも暖かい生活感がある。
だが、この部屋には窓がない。
おそらく、地下施設のプライベートルームの一室だろう。
つまり、さっきまでの状況を考慮して考えると、この部屋は……。
「
「そうだよー」
布団の中から、千尋さんの声が聞こえる。俺が寝ている、布団の中から。
まぁ、最初から、布団の中になにかいるのは、分かっていたんだけども。
さっきから、なんとも柔らかい感触を、全身に感じてたし。
ただ、色々と目を逸らしたかっただけで。
「ねぇ、千尋さん?」
「なーに?」
俺の質問の声に、千尋さんが答えて、布団から顔を出してくれる。
近い。俺の顔のすぐ横だ。
千尋さんはすでに、破壊王獣レオリアから、元の姿に戻っている。
まぁ、俺に触れる肌の感触で、分かってはいたことだけど。
めっちゃすべすべしてるし。
「なんで俺は、千尋さんの部屋で寝てるんですか?」
「
なろほど、それはありがたい。
医務室にでも運んでくれた方が良いんじゃないかな、と思ったが、その心意気は、実に嬉しい。
いやぁ、実にありがたい。
「なんで俺たち、一緒の布団に入ってるんですか?」
「オレも疲れたから、一緒に寝ようかと思って」
なるほど、どうやら流石の千尋さんも、本気を出すと疲れるらしい。
疲れたから、寝る。実に正しい。
しかも、ここは千尋さんの部屋なんだから、その行動の正当性は疑うまでもない。
納得である。
「なんて俺たち、二人とも裸なんですか?」
「いやだなー! オレと統斗の仲じゃないか!」
答えになって、いなかった。
そう、今まさに俺と千尋さんは、一人用の布団の中で、二人とも生まれたままの姿で抱き合ってるという、大変ハレンチな状況だった。
千尋さんの身体は、ぴったりと俺に密着している。
色々、凄い。狭い布団の中は、異様な熱気に包まれている。
「なぁ、統斗。お前はこんな話を知ってるか? 夕焼けの中、川原で殴り合った敵対していたはずの二人が、なぜか喧嘩した後に、その場に寝転がって、友情を育んでしまうという、素晴らしい話を……」
「なんですか、そのベタすぎる話」
ベタというか、
こういうイメージの原典って、一体なんなんだろうか?
「ただの喧嘩で、それだぞ? つまり、命を賭けて殴り合ったオレたちは、こうして布団に寝転がりながら、愛情を確かめ合うのが、むしろ必然ってことだ!」
「いや、その理屈はおかしい」
しかも、裸の説明になってない。
川原で殴り合った二人は、その場に裸で寝転がったりしないだろう。普通。
なんて、この状況に色々と思うところはあったが、疲れ切った上に、命気も出ない今の俺には、それを指摘することすらしんどかった。いわゆる賢者タイムである。
「まぁ、本当のこというと、ちょっと治療しようかと思って」
「治療?」
「うん。動くなよ。……ぺろっ!」
ぼんやりしていた俺の右腕を、千尋さんが、突然舐めた。
「うひゃん!」
思わず、変な声を出してしまった俺である。
「いっ、いっいい、一体、なにを!」
「オレの命気を、お前に送り込んでるんだよ」
「おっ、送り込むって?」
「いいからー、いいからー」
動揺する俺に笑いかけながら、千尋さんは、俺の右腕を手に取ると、本格的に舐め回し始めてしまった。
「んっ、ぺろ、ぺろ、えろ、じゅる、あむ、……んむ」
正直、くすぐったい。
というか、エロい。チラチラと見える千尋さんの舌が、なんとも言えない。
それに、なんだかとても気持ち良くて、舐められてる部分がポカポカと暖かくなるような……。
「あっ、あれ?」
なんとも言えない心地よさに、完全に気を抜いて、身を任せてしまった俺だったが、少ししてから、ある異変に気が付いた。
「腕の痛みが、引いた?」
「ぶはっ! なっ? オレの命気は効くだろ?」
俺の腕から口を離して、千尋さんが得意げに笑う。
「命気ってさ、本当なら誰ても持ってるものだから、こうして、他の人から送ってやれば、身体が自然と反応して、傷とかも癒せるんだよ。命気を使いこなせる奴なら、こうやって、自分の命気を相手に与えることも、できるし」
どうやら他人の命気でも、こうして分け与えられれば、身体の方が勝手に反応して、自らの傷を治そうとしてくれるらしい。
なんとも便利というか、まぁ、ありがたい話だと思った。
特に、もうすでにボロボロで、身体を動かすことすら難しい、今の俺には。
「……でも、これって舐める必要ってあるんですか」
「ないよ? これはオレが統斗に、やりたいからやってるだけ」
「おいおい……」
別に命気を相手に送れればなんでもいいだろうに、千尋さんはそのまま俺の胸を舐め始めた。
「んっ、ぺろっ……。ここは、特に念入りにやらないとなー」
胸は、つい先ほど致命傷を受けた場所だ。
一応、俺自身の、まさしく死力を尽くした命気によって、傷自体は塞がってこそいたが、肝心の中身は、突貫工事というか、とりあえず無理矢理動けるようにしただけなので、正直、かなり辛い状態だった。
そのため俺は、黙って千尋さんの、治療を受けることにする。
しばらく布団の中に、千尋さんが俺の胸を舐める音だけが響いた。
「えろっ、ぺろ、ぺろ。んっ、はぁ……、じゅぷ、ぺろ……、ぺろ……」
千尋さんから、なにか暖かいものが、俺へと流れ込んでくるのが分かる。
ジワジワと、俺の中で熱が高まり、ゆっくりと癒されていくという実感。
天にも昇るような感覚に、俺はすっかり夢見心地だ。
実際、呼吸するのさえ苦しかったのだが、千尋さんに舐められる度に、どんどんと癒されていく実感がある。
命気すげぇ。命気万歳。
俺は千尋さんに全てを委ねて、この心地良さを、じっくりと堪能する。
「んあ……、っと、まぁ、こんなもんかな?」
千尋さんが俺の胸から口を離すと、さっきまでと比べて、格段に楽になった。
身体を動かすのも、息をするのも、辛くない。
「あっ、あの、ありがとうございます。千尋さん」
「へへっ! このくらいなら、お安い御用さー!」
胸を舐めてくれたこと……、ではなく、傷を癒してくれたことに、感謝の言葉を送った俺に、千尋さんがいつもの、太陽のような笑顔を見せてくれた。
なんだか、非常にドキドキする。千尋さんの顔も、なんだか赤い気がする。
「そうだ! はい統斗! これやるよ!」
どこか照れたような千尋さんは、布団の横に手を伸ばすと、あらかじめそこに置いて置いてあったなにかを掴み、そのまま、俺の手を握った。
まるで恋人のように、全ての指を絡ませて離さないため、俺は肝心のそれが、一体なんなのか、まったく確認できないが、手の中の感触で、想像はできた。
「これは……、鍵、ですか?」
「おう! この部屋の鍵だぜ! これからは、気軽に来てくれていいからさ! ここで色んなことを、色々しちゃおうぜ?」
千尋さんは、冗談めかして笑っているが、その顔はやっぱり、どこか恥ずかしそうだった。
彼女は、その手に力を込めて、もっともっと強く、俺の手を握りしめる。
互いに繋げた手の中の鍵が、より強く、俺に押し付けられた。
「さぁ! 残りは統斗の顔だけだな! いやー、俺の本気パンチが、見事にカウンターヒットしたからなー! これはもう、より入念にやらないとなー!」
千尋さんの顔が、ゆっくりと俺に迫る。
俺は、動かない。
身体の方は大分楽になったし、自分の中から再び、ジワジワと命気が溢れだすのを感じていたが、動かない。
俺たちは、布団の中で、裸で抱き合いながら、見つめ合う。
「なぁ、統斗……」
「なんですか?」
千尋さんが、彼女らしくない、どこか不安そうな、か細い声で呟いた。
「その……、なんだ、これから、よろしくお願いします……」
千尋さんが再び、ぎゅっと、繋いだ指に力を込める。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
俺は、そんな彼女を可愛いな、なんと思いながら、その指をしっかりと絡めとる。
真っ赤になった二人の顔が、ゆっくりと重なり合った。
「んっ……ちゅ……」
こうして、命を賭けた殴り合いを経て、俺と千尋さんは、もう少しだけ、仲良くなったのだった。
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