3-5
「……デモニカ?」
「申し訳ありません、
妙な雰囲気に、思わず後ろを振り返った俺だが、デモニカは、そんな俺の胸のざわつきには答えてくれず、それだけ告げると、このプラベートルームの奥へと向かっていった。
どうやら、この部屋には、シャワーも完備しているらしい。
なんてことを、ぼんやりと考える俺だったが、正直、状況に置いて行かれているような気がする。
見慣れない部屋に一人、という状況が、多少の緊張を俺にもたらしていた。
俺は座ることも忘れて、
全体的にシンプルな内装に、彼女の品の良さを感じらせる調度品が、機能的に配置されている。
しかし、その中に数点、この場にはそぐわない、まるで悪魔のような姿の不気味な置物や、禍々しい雰囲気を感じさせる年代物の書物、複雑な魔方陣が描かれたタペストリーなどがあることに気が付いた。
これらが、デモニカが言っていた
「あっ……」
部屋の中に視線を巡らせていると、自然とベッドが目に入った。
かなり大きめのベッドで、綺麗に整えられた、黒いシーツが目を引く。
ここでデモニカは寝たりするんだろうか、なんて考えて、一人でドキドキしていた俺だが、その時、驚愕の事実に気が付いた。
俺、生まれて初めて、女の人の部屋に入ってるじゃん!
魔術の訓練による興奮状態で、あんまり意識していなかったが、俺は人生初の体験に、先程までとは別の意味で、興奮してしまう。
やばい。
心臓がバクバク言い出した。
「お待たせしました……」
「い、いえ! そんな! 待ってなんか、いっいま、せ……せっ!」
完全に舞い上がってしまった俺だが、シャワー室から出てきたデモニカの姿を見て、今度は完全に固まってしまう。
シャワー室から出てきたデモニカは、バスタオルしか、身に着けて、いなかった。
「な……! なななななななな! なんっ? なっ!」
バスタオルを身体の前で軽く止めただけ、という
しっとりと水分を含んだバスタオルは、その見事なプロポーションに貼り付き、魅惑のボディラインを浮き立たせている。しかもそのタオルは微妙に短く、デモニカのその長い脚の付け根が、その秘所が、あられもなく見えてしまいそうだった。
「統斗様をお待たせするのも、悪いと思いまして……」
いや、別に悪くないですよ?
その姿の方が、目に悪いんですけど!
なんて思っても、俺はなにも言えない。思考とか、色々なモノが、突然固まってしまったようだ。
「それでは、
動けない石像になった俺を
そう、その本は、本棚の下の方に有ったので、デモニカは当然、しゃがみ込むことになった。……バスタオル姿で。
俺は慌てて目を
なんだか、見えてはいけないものが、見えてしまったような気がするが、茹だりきった頭では、判然としない。どうなんだ、俺の脳細胞!
「魔術道具とは、主に魔術を行使する際のサポートとして使用されます。用意した媒体に、予め魔術をかけておくことで効率を高め、それを使用することで、詠唱などの時間を短縮したり、効果を高めたりできます。広い意味では、統斗様の使っておられるカイザースーツも、魔術道具であると言えますね」
デモニカが本を手に取って、こちらに近づいてくる。
俺の硬直は、もっと硬くなった。
「他にも、幼い統斗様を魔術に目覚めさせるために使った、置物のような魔術道具のように、魔術を行使する時に使うのではなく、魔術道具そのものに、魔術的な効果を持たせた物などもあります」
至近距離に、バスタオル姿の美女がいるという状況に、俺の思考回路は、ショート寸前だった。
「魔術道具の種別、種類は多岐に渡りますので、基本的には、なんらかの魔術が施された道具は、全て魔術道具である、と思って頂ければ、大丈夫です」
なんとか理性を失わないように、俺はデモニカの話に集中することにする。
「そんな魔術道具の中でも、特殊な部類に入るものが、この
「と、特殊……?」
確かに、その書物はなんというか、非常に雰囲気があった。
パッと見ただけで、禍々しい空気というか、オーラを感じる、ような気がする。
「統斗様は、悪魔と聞かれて、どう思いますでしょうか?」
「悪魔って……、それは、その……、人間の悪を象徴してるとか、神と対立して天使と戦ってるとか、まぁ、そんな感じかな……」
急に悪魔と言われても、俺に思い浮かぶのは、そんな一般的というか、うすぼんやりとしたイメージくらいだった。
「結論から申し上げますと、悪魔は実在します」
「えっ?」
思わず、今の自分たちの状況すら忘れて、普通に聞き返してしまうくらい、あまりに突拍子のない発言だったが、デモニカの顔は、真剣そのものだ。
「しかし、私が実在すると申し上げるのは、決して宗教的な意味での、人間の悪性を抽象化したような、メタファーな意味での悪魔ではありません。私たちが生きるこの世界とは、別の位相に存在する、私たちの世界よりも、魔素がより深く世界の根幹に関わる、別世界に住む生き物のことです」
「別世界……」
少し前の俺なら、何をバカなことを……、と思っていたかもしれないが、散々異常なことを体験してきた今となっては、そういうこともあるかも……、と思えるようになってしまっていた。
特に、目の前に、まさしく美しい悪魔のような、青い肌の美女がいれば、尚更だ。
「その世界は、魔素で満ち溢れている代わりに、私たちの世界と比べると、それ以外のあらゆるものが、欠けた状態だそうです。ですので、その魔素に溢れた世界に住む住人は常に、魔素以外のモノに餓えているのです」
デモニカは、なにも知らない俺に。説明を始めてくれる。
その姿は実に専門家らしかった。パスタオル一丁だけど。
「餓えた異界の者たちは、その渇きを癒そうと、魔素の中に生きる彼らだからこそ持ちえた、強大な魔素を操る力を与えることと引き換えに、私たちの世界の人間を、時に誘惑し、時に支配し、時に堕落させます」
バスタオルオンリーのデモニカが、俺の瞳を見つめている
「そんな彼らのイメージが、神話や伝承の悪魔と重なり、その異界の者たちは、悪魔と呼ばれるようになったのです。……もしくは、それこそ神話の時代から、彼らはこちら世界に干渉していて、私たちは最初から、彼らのことこそを、悪魔と呼んていたのかもしれませんね」
そこまで一気に話すと、デモニカさんは一息入れ、その手に盛った書物を
「この悪魔偽典は、そんな彼らと能動的に、自ら契約を結ぶための書物です」
掲げれた書物は、デモニカの手の中で、薄くだが、輝いているように見えた。その色は、デモニカの肌の色と同じ、青だ。
「通常、悪魔にかどわかされた者の末路は、その身の破滅です。悪魔の底なしの
悪魔との契約は身を滅ぼす、というのは、よく聞く話で、イメージも
「しかし、この悪魔偽典を使うことによって、悪魔と正当な契約を結ぶことにより、その悪魔が要求するモノを供物として定期的に与えることで、悪魔の暴走を、ほぼ抑えることができます」
「ほぼ……」
強大な魔素を操る力を持つ、悪魔との契約。
確かに、魔術を扱うものなら、まさに
その危険性に目をつむれば、だが。
「この書物は、悪魔を召喚するための方法を書いたものであると同時に、悪魔との契約書そのものなのです」
「……その、デモニカも、悪魔と……?」
十中八九、答えの分かっている問いを、俺はあえて、デモニカに投げかけた。
幾ら悪魔偽書の契約によって、デメリットが緩和してると聞いても、悪魔との取引なんて、どう考えても物騒すぎると思えたからだ。いつ自分の命を、悪魔に喰い潰されるか分からないなんて、あまりにリスクが高すぎる、危険すぎる方法だ。
そんな危険に、できれば、この目の前の美しい女性が、関わっていて欲しくないと、俺は思った。思っていた。
「はい。本来ならば悪魔との契約は、その危険性から、
そう言いながらデモニカは、掲げてした悪魔偽典を、本棚の元の場所に戻した。
やはり、彼女の答えは、こちらの想像した通りのものだった。
彼女の、その青く染まった肌は、悪魔との契約の証なのだろうか?
デモニカが、本を置いてこちらへと戻ってくる。
俺は思わず、相手がバスタオル一枚という恰好なのも忘れて、目の前の女性に見入ってしまう。
「私が契約した悪魔は、
デモニカは、そう告げると、それだけ告げると、身体の前面にある、バスタオルの結び目に、手をかけた。
そしてそのまま、自然な仕草で、俺が止める間もなく、その結び目を解いてしまうと、ゆっくりと、ゆっくりと、バスタオルを開き、その布をふわりと、手放した。
彼女の裸身が、俺の目の前で、完全に露わとなる。
その胸の、張りがあって柔らかそうな膨らみの、宝石のような頂点。
美しいくびれから、お尻、そして足にかけての、流れるようなライン。
そして、彼女の中で、もっとも秘すべき花園。
その全てが、俺の眼前に、なににも隠されることなく、全てがありのまま、自然のままに、晒されている
「…………んがんぐ!」
思考回路はショート寸前……、なんて言ってる場合ではない。
俺の思考は完全にショート、そしてシャットダウンしてしまったようだ。
頭は、まるで桃色の
身体は、まるで雷に打たれたかのように、動かない
目の前の、裸のデモニカを、ただ阿呆のように見つめることしかできない。
「……失礼します」
そんな、マヌケに突っ立っているだけの俺に向かって、デモニカは……、裸のデモニカは、ゆっくりと、その裸体を見せつけるかのように、近づいてくる。
そして、そのままその歩みを止めず、俺を、思い切り、抱きしめた。
「淫魔とは、その名の通り、淫らな悪魔……、要求する供物は、人の精……」
完全に脳ミソが茹だった俺の耳元で、デモニカが妖しく呟く。
「私に、統斗様のお情けを、頂けませんか?」
お情けって、なんですか?
なんて思っても、声には出せない。
今の俺は、初めて感じる裸の女性の柔らかさというものに、完全にヤレれていた。
「統斗様の精を、私の中に放って頂くだけでいいんです……」
俺の耳に、熱い吐息を吹きかけながら、デモニカは
まるで、そのまま俺と一つになろうと、するかのように。
押し付けられた彼女の胸の奥から、早鐘のように脈打つ鼓動が聞こえてくる。
それは、彼女も興奮しているからなのだろうか?
それとも、彼女も緊張しているのだろうか?
などと、まるで他人事のように考えている場合ではない!
状況は切迫している。
俺は今、まさに、人生の岐路に立っていると言っていい。
普通の男なら、この状況だったら、迷わずゴーサインだろう。
行くところまで、イクのだろう。
しかし、こういった経験が皆無、かつチキンな俺としては、正直、この急展開に全然ついていけない!
「いやでもそのほら! 俺、初めてだし!」
よく分からない、かつ身を切りすぎた発言だったが、パニック状態の俺から出てきたのは、その程度の言葉だった。我ながら、情けない。
「大丈夫です。私も、初めてですから」
……へー、……デモニカも、初めてなんだー……。
そっかー……、初めてなんだー……。
「それ、大丈夫ってことになるんですか?」
「大丈夫です」
デモニカは、妙に強い口調で断言すると、
その大きな胸を、俺の胸板に押し付けながら、のの字を描くようにするのは、やめてください!
というか、まずい。
デモニカの口調から、余裕がなくなっている気がする。
「こっ、こういうのは、すっ、好きな人同士が、やるべきだと思うのですが!」
同じく余裕のない俺の口から出た言葉は、小学生レベルのこの場から逃れるための理由だった。つくづく、自分が情けない。
「私は、統斗様のこと、好きですよ……」
「……えっ?」
自分の不甲斐なさに泣きたい気分だった俺の耳に、デモニカの静かな声が響いた。
「好きです。大好きです」
「す、好きって、なんで?」
告白に対して、その理由を問い返すというのは、かなり悪いことだとは思う。
しかし、俺は聞かずにはいられない。
本当に、俺が彼女に好かれる理由が、分からないからだ。
そう言えば。告白なんてされたのも初めてだ……。
「ずっと、ずっと、見てきました。あなたが笑うのを、怒るのを、泣くのを、喜ぶのを、楽しむのを、悲しむのを……、ずっと、ずっと、見てきたんです」
……そうか、すっかり忘れていた。
彼女は……、いや、彼女たち、この組織の人間は、俺が赤ん坊の頃から、俺のことを見ていたのだった。
「あなたの成長を、あなたの歩みを、あなたが生きるのを、あなたのことを見ているうちに、思ったんです。あぁ、私はこの人のことが好きだと、愛おしいと。特別な理由なんて、必要ありません。私は、あなたのことを見ていて、思ったんです。ただ、そう思ったんですよ……?」
裸で抱きしめられながら、俺の耳元で
少なくとも、俺は、そう感じたのだ。
「統斗様……、好きです……、好き、愛しています……」
デモニカは、俺に愛を囁きながら、更に強く、俺を抱きしめる。
「統斗様……、統斗様は、私のことが、お嫌いですか……?」
彼女の好意に、彼女の気持ちに、俺は、なんらかの返答をするべきだろう。
しかし、しかし今、彼女のことを好きか嫌いからと問われても、分からないと言うしかない。
まだ出会って、数日である。
彼女は俺を、産まれた時から知っていたのだとしても、俺が彼女のことを知ったのは、僅か数日前のことなのだ。
デモニカのような美女に、好きだと言われて、嬉しくないわけがない。
好きか嫌いかの二択しかないならば、好きだとも言えるだろう。
でも、だからこそ、ここで、この場面で、彼女の好意に、そのまま同意してしまうのは、なにかが違う気がする。
自分の気持ちもよく分からないのに、彼女の好意に甘えて、もう戻れない一線を越えてしまうのは、なにかが違う気がする。
特に、こんな大切なことを、悪魔の契約を理由にしてしまうのは。
「…………!」
デモニカさん! と言おうと思ったのだが、俺の口は動かなかった、
別に緊張のあまり声が出ないとか、喉が引きつけを起こしたとか、そういうことではない。
もっと単純に、動けない。
「だから、統斗様は、なにもしなくてよいのです……。私に全て、お任せ下さい!」
デモニカがそう言いながら、俺の背中に回した手で、俺の身体をなで回す。
しかし、俺は動けない。
動揺してとか、頭の中が真っ白になってとか、そういうことじゃない。
もっと単純に動けない。というか、動けない。まったくこれっぽっちも、動かない
というか、魔術のせいだ、これ。
「あぁ! 統斗様! 統斗様! 統斗様!」
デモニカが鼻息荒く、俺の全身を触り、撫で、揉み、俺の耳まで舐めてくる。
しかし、俺は抵抗できない。
まったく気が付かなかったが、いつの間にかデモニカの魔方陣が展開して、俺の身体を縛っている。対象に微塵も悟らせない、その見事なお手並みは、流石悪魔元帥と言えるだろう。
なんて言ってる場合じゃねーよ! やばいよこれ!
っていうか、なんだよこれ!
さっきまでの、なんかちょっと甘酸っぱい感じとか、台無しじゃん!
俺、ザ・貞操の危機。
「さぁ! 統斗様も、さっさと服なんて、全部脱いでしまいましょうね! そして、そして! あぁ! 二人は、遂に一つに……!」
俺の耳から口を離して、デモニカが、なんともイイ笑顔を見せてくれる。
久しぶりに見たデモニカの眼は、なんというか、完全にキマっていた。
本気だ。ヤバい。犯される。
しかし逃げようにも、カイザースーツを着ていない今の俺では、魔術に対して抵抗ができない。
まぁ、着ていたからといって、なんとかなるとも思えないのだが。
魔術に関しては、俺はまだまだ、ド素人で、デモニカは天才の上に、達人なのだ。
しかし、絶体絶命のピンチこそ、冷静でいなければならない。
死中で活路を見出すには、むしろ普段よりも落ち着いた、冷静な心が大切なのだ。
そう、明鏡止水である。
「……あれ? あれ? あれ?」
そして今、デモニカは慌てている。
俺の服が、なかなか脱がせられないのだ。
当然と言えば、当然である。
俺の身体はマヌケな姿勢で、デモニカに抱きしめられるままの姿で、デモニカ自身の魔術によって、硬直している。
最初から着せたり脱がせたりを想定してポーズを付けられた、マネキンじゃないのだから、そんな状態の人間の服を脱がすなど、簡単にできることではない。
しかし、デモニカがその事実に気が付くのに、そう時間はかからないだろう。
「……あっ!」
魔術を解きさえすればいいと、デモニカが気が付くまでには。
「……もう少しだけ、待ってくださいね! 統斗様!」
そしてその瞬間、魔術が解かれる。
そのほんの一瞬こそが、俺が掴むべき活路である。
俺は、神経を集中させる。
確かに、カイザースーツを装着してない今の俺に、魔術は扱えないし、抵抗することもできないだろう。
だが、魔術が、魔方陣が発動する瞬間を見極めることくらいは、可能なはずだ。
「……ふ、ふふふっ!」
そして、俺の服を脱がそうと苦心していたデモニカの視線が、一瞬……、本当に一瞬だけ、チラりと輝いたのを、俺は、見逃さなかった。
今だ!
「ぐえ!」
「きゃあ!」
結論から言おう。
タイミングは完璧だった。
俺は見事に、魔術が解かれるその瞬間を掴むことに成功し、素早くこの部屋から脱出しようと、玄関に向かって駈け出した。
しかし、タイミングが良すぎた。
魔術を解いたまさにその瞬間、今度こそ俺を脱がそうと、デモニカもまた素早く、俺に向かって飛び掛かっていたのだ。
結果、俺が横に振った頭部と、こちらに突っ込んできたデモニカの頭部が、見事に、そして思い切りぶつかってしまった。
しかし、予定とは大分違う形になったが、状況は好転したと言ってもいい。
「きゅう……」
どうやら、頭の硬度比べは俺の方が上だったらしい。
頭部にクリーンヒットを受けることになったデモニカは、その衝撃から、どうやら気絶してしまったようだ。
「はぁ……」
俺は、全裸で床に倒れている美女を前に、生還の安堵と、これからどうしようかという困惑を胸に、とりあえず、なんだかよく分からない気持ちを吐き出すように、深い深い、ため息をつくのだった。
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