3-6


「よいしょっと……」


 とりあえず、気絶したデモニカをベッドに運んで寝かせてみた。


 裸のままのデモニカは目の毒すぎたので、黒いシーツを上からかけてみたのだが、妙に扇情的せんじょうてきになってしまったのは、誤算だと言える。


「……この様子なら、大丈夫そうかな?」


 俺と頭をぶつけて気を失ってしまったデモニカだが、今はそのまま、静かな寝息を立てて眠っている……、ように見える。


 一応、脈を取ったり、呼吸を確認したりもしたが、特に異常は確認できないし、頭をぶつけたもう一人の張本人である、俺の頭部の痛みの方は、すでに引いている。俺の頭が異常に硬く、デモニカの頭蓋骨が異常に柔らかいとかでもなければ、まず大丈夫だろう。


 おそらく、打ちどころが悪かったと言うよりは、極度の興奮状態の時に、予想外の衝撃を受けたことが、気を失った原因だろう……、と、俺に押し付けられた時に感じた、デモニカの胸の奥で、早鐘のように脈動していた彼女の心臓を思い出す。というか、おっぱいの柔らかさを思い出す。


「……よし」


 取りあえず、この部屋から出なければ。


 気を取り直して、俺は当初の予定通り、この部屋で唯一の出入り口である玄関に向かう。特に障害があるわけでもなく、俺は玄関のドアの前まで、あっさりたどり着いたのだが……。


「なんだ? この扉?」


 通常、室内側の鍵はサムターン、つまみで施錠するタイプの扉が一般的だが、このドアは、室内側も鍵穴で閉めるタイプの扉だった。


 試しに一応、そのままガチャガチャと、無理矢理ドアを開けようとしてみるが、やはり鍵は閉まっており、開けることができない。 


 つまり、ここから出るには、鍵を見つけないとならないというわけだが……。


 落ち着け、落ち着くんだ俺。


 当然だが、鍵はデモニカが持っていた。

 そして、デモニカが、この部屋に入ってから取った行動は、そう多くない。

 特に、鍵を手放せるタイミングとなると、更に少なくなる。


 デモニカは、この部屋に入ってからすぐ、シャワーを浴びるためにバスルームへと向かった。その後は、もう裸である。ということは……。


 俺は、玄関を見渡す。

 すぐに、お洒落な棚に収まってる、小さな小物入れが目に入った。

 迷わず、開けてみる。


「……あった」


 その中には予想通り、この部屋の鍵だと思われるものが、二本入っていた。一本はスペアキーだろうか? なんにせよ都合がいい。早速見つけた鍵を使って、目の前の扉が開けられるか、試してみる。


 ……よし! 開いた!


 俺は見つけた鍵が二本とも、この扉の鍵を開けられることを確認すると、一本を小物入れに戻す。これで、俺が外から鍵をかけても、中からデモニカが、自分でこの扉を開けて、外に出ることができるはずである。


「すまない、デモニカ……!」


 そして、俺は素早くドアを開くと、部屋の外へに出ることに成功した。


 生還した……!


 という実感はともかく、俺は素早く外から鍵をかけなおし、ようやく一息ついた。


 流石に裸の女性を、鍵もかかっていない部屋に放置するのに抵抗があったので、外から扉を閉めてしまったが、結果として俺の手には、この部屋の鍵が握られたままになってしまった。


 後で、ちゃんと返さないとなあ……、というか、今度一体、どんな顔して会えばいいんだろう……。


「……行くか」


 などと思いながら、俺はこのプライベートルームから離れ、疲れた体を引きづりながら、家に帰ろうと歩き始める。



 と、その時だった。



統斗すみとちゃん!」


 疲れ切った俺を、背後から野太い声が呼び止めた。


 振り返れば、そこにいたのは、その声から想像した通り、ローズさんだ。

 なぜだか知らないが、この幹部専用プライベートルームの近くにいたようである。


「なんで」


 すか。

 と、言う暇も無かった。


 ローズさんは突然、素晴らしい加速でこちらにダッシュしてくると、そのまま流れるように、見事な低空タックルを俺に見舞う。


「チェストーーーーーーーーー!」

「ごべら!」


 少し前までの異常な状況で、精神的に疲れてしまったから……、というのも、あるもしれないが、それ以前に、完全に虚を突かれた俺は、ローズさんの巨体を、その勢いを、モロに受け止めることになり、そのままローズさんに抱えれるように、テイクダウンを決められてしまう。


「統斗ちゃん! ちょっと一緒に来てもらうわよん!」


 意識が朦朧もうろうとする俺をそのまま抱え込むと、突然現れたローズさんは、凄まじい勢いで、いずこかへと走り出してしまったのだった……。





「それで、一体なんなんですか……?」


 ローズさんに強制的に運ばれた先は、一般戦闘員たちの待機室だった。


 戦闘員の待機室と言っても、かなり広いスペースが確保された、明るく清潔な大部屋である。俺とローズさんの他にも、数人の戦闘員がいるので、ちょっと視線が痛いというか、注目されてる感じがして、なんとも居心地悪かった。


 今、俺はその部屋に常備されている休憩用のテーブルを挟んで、ローズさんと向かい合う形で座っている。


「まっ、とりあえず、ジュースでも飲む?」


 そう言うとローズさんは、俺に缶ジュースを差し出した。


「あっ、どうも」


 正直、つい先ほどまで緊張というか、興奮の極地を味わっていた俺の喉は、カラカラに渇き切っていた。ありがたくローズさんからジュースを受け取り、正直、行儀が悪いかとも思ったが、俺はその渇きには勝てず、すぐさまジュースを、自分の喉に流し込んでしまう。


 渇いた喉に、冷たく甘いジュースが染み渡り、口の中のネバつくような不快感を洗い流し、爽やかな清涼感が、疲れた身体を癒してくれる。


 美味い。まさに甘露かんろである。


「そ、れ、でぇ、デモニカ様とは、ちゃんとヤったのぉん?」

「ブハーーー!!」


 突然の不躾ぶしつけすぎる質問に、思わずジュースを吹きだしてしまう俺である。


 しかし、ローズさんは、俺の噴き出したジュースを見事に避けると共に、更に質問を重ねてきた。


「だ、か、らぁ! ちゃんとオ、ト、ナの関係になって来たの? もう、ズッコンバッコンと、獣のようにヤりまくってきちゃったのぉん?」

「ゲホッ! ガハッ! ゴホッ! ……ゴホッ! ゴホゴホ! ゴホン!!」


 卑猥なジェスチャーまでしながら、完全にストレートど真ん中すぎるセクハラな質問をしてくるローズさんに、俺はむせるしかない。


 こちらの様子を伺っている、戦闘員たちの目が痛い。

 あぁ……、今日はなぜかこの部屋には、女性の戦闘員しかいないのに……。


「あらん。その反応だと、やっぱりヤってないみたいねぇん。残念だわぁ……」


 顔を赤くしながら、むせた流れに任せて、咳き込むフリをするしかなかった俺の反応を見て、真実を悟ったのか、ローズさんは本当に残念そうに呟いた。


「まぁ、デモニカ様の部屋から出るくるの、かなり早かったし。部屋から出るときも妙にガチャガチャとドア揺らしたり、鍵回したりして、統斗ちゃん一人が慌てて出てきたから、ヤってないっていうのは、分かってたんだけねぇん」


 どうやらローズさんは、最初から全部知ってたらしい。


 というか、デモニカがあんなことしたのは、この人のせいな気がする。


「でも、統斗ちゃん危なかったわね。あのプライベートルームの鍵、登録した人間以外が使うと、電流が流れて、不法侵入者を退治しちゃうようになってたから。多分、デモニカ様が事前に、統斗ちゃんのこと登録してたんでしょうけど、それがなかったら統斗ちゃん、死んでたかもよ~?」


 どうやら、俺がなんの気なしに使った鍵は、相当な危険物だったらしい。

 まぁ、このくらいなら、もう慣れっこだけど。


「答えが分かってるなら、なぜ俺にタックルを……」


 かなり思い切り喰らったので、正直、まだ身体のあちこちが痛かったりする。


「んふふ! まぁちょっとした、――お、し、お、きよ!」

「お、おしおき?」


 ローズさんは、どこか冗談っぽく笑っているが、俺、そんなに悪いことをしたのだろうか……?


「女に自分から、あそこまでさせて、それでも手を出さないなんて、どれだけ相手に恥かかせるのって話よ!」

「うぐぅ」


 つい先ほどまで俺の目にしっかりと映っていた、デモニカの恥ずかしい姿が、脳裏にフラッシュバックする。


 俺はもう、なにも言えなくなってしまった。


「据え膳喰わぬは男の恥、って言うでしょ! 草食系も行き過ぎると、下手な肉食系より相手を傷つけちゃんだからねん! んもう!」


 プリプリと怒って見せるローズさんだが、それに反論できるだけの人生経験を積んでいない俺は、無様ぶざまに黙るしかなかった。童貞ですみません……。


 状況の悪化を感じた俺は、話の流れを変えるという姑息な手段に出ることにする。


「……デモニカにあんなことするようにそそのかしたの、ローズさんなんですね」

「あらん。唆したっていうのは人聞きが悪いわねん。あたしはただ、デモニカ様の相談に乗っただけよぉん」


 ジト目で睨んで見ても、ローズさんは余裕の態度を崩さなかった。完全に経験の差が出ている。


 まったく、これでは、どちらが上役か分からないくらいの余裕っぷりだった。


「できれば昨日、統斗ちゃんがデモニカ様のこと襲ってくれれば、話は早かったんだけどね~ん」


 どうやら、昨日の魔術講義で、デモニカがあんな刺激的なことしたのも、全てはローズさんの策略だったようである。いわゆる、ハニートラップだったようだ。


「どうして、その、あんなことを」

「あんなことって言うのは、ちょっと酷いんじゃないかしらん? あれはあれで、デモニカ様から統斗ちゃんへの、精一杯のアピールなのよ~ん?」

「…………」


 そう言われると、俺は本当になにも言えない。

 つい先ほど、デモニカから直接、告白されてしまった、俺には。

 

「まぁ、デモニカ様から統斗ちゃんと、ああいうことシタいって相談受けたのは本当だけどぉ、アタシとしてもデモニカ様と統斗ちゃんには、早くそういう関係になって欲しいのよねぇん……」


 黙り込んだ俺に、ローズさんが少しだけ口調を変えて続ける。

 ふざけた空気が引っこんで、少しだけ真面目な口調で。


「統斗ちゃん、デモニカ様から悪魔との契約についての話は、ちゃんと聞いた?」

「……一応」


 だから俺も、少しだけ真面目に、その話を聞くことにした。


「だったら、分かってるわね。悪魔と契約した者は、その悪魔が求めるを、供物として与え続けなければならないの」


 それは、先程デモニカから聞いたのと、同じ内容の話だった。


「デモニカ様が契約したのは、淫魔いんま、いわゆるサキュバスってやつね。求める供物は当然、人間の精なのよ」


 悪魔は、契約した者に絶大な力を与える代わりに、見返りを求める。

 それを与え続けることが唯一、悪魔の力を、人の身で行使する方法である。


「でもね、デモニカ様は統斗ちゃんにみさおを立ててるから、契約してから一度も、悪魔に供物を捧げたことはないの」

「――えっ?」


 ローズさんは、今、確かに、こう言ったのだ。


 デモニカは、悪魔との契約を、あなたのために、破り続けている、と。


「ねぇ、統斗ちゃん? 悪魔に供物を捧げないとどうなるか、分かる?」


 ローズさんの口調が、一段と暗くなる。


、らしいわ。心が、身体が、どうしもなく渇いて、悪魔が求めるものを、求めるだけ捧げるまで、それはドンドン大きく、深くなって、永遠に渇き続けるの……」

「渇く……」


 俺は思わず、まだ手に持っていた缶ジュースを見つめる。


 渇く。


 言葉にすれば、それは簡単だ。


 だが、その辛さは、苦しさは、きっと誰もが、すぐに理解し、そして、味わうことができる。


 喉が渇いたと思っても、少しだけ、水を飲むのやめればいい。例えそれが、短い時間であっても、一度渇いてしまえば、その苦しみは、耐えがたいものになるだろう。


「それに、悪魔が暴走する危険だって高まるわ。契約を守らない者に、悪魔は容赦しないのよん?」


 確かに、わざわざ契約までして力を与えているのに、その契約に従わず、悪魔の力だけ行使し続けると言うのなら、悪魔は当然、怒るだろう。


 少しでもその飢えを満たそうと、契約者のその身を焼き尽くし、魂すらもむさぼろうとするだろう。


「デモニカ様は、もう十年以上も、その渇きに、暴走の危険に、耐え続けるのよん。ただ、あなたのことだけ、想いながらね……」


 それを十年、十年以上もの間、デモニカは耐えたと言う。

 悪魔の求める、想像もできない渇きを……、ただ、俺のために。


 そして悪魔の怒りに、文字通り、その身を滅ぼしかねない危険に、その身をさらし続けている。


 俺のことを、想って。


「…………」


 俺は、やはり黙るしかなかった。

 なにも、言えなかった。


「だ、か、ら! デモニカ様の忠実な部下であるアタシとしては~、せめてキスだけでも、こう、ブチュ~! っと決めてあげて欲しいのよん!」


 そんな俺の暗い顔を見て、ローズさんがいつもの調子に戻って、明るく振る舞う。


「キスって……、キスでもいいの?」

「いいらしいわよん? なんでも、粘液交換が重要らしいからん!」


 ローズさんは、笑って、冗談めかしてそう言うが、その目は、ただただ渇きに、苦痛に耐えてきた上司を思って、少し悲しい色をしていた。


 俺は、先程までのデモニカの姿を、その様子を思い浮かべながら、再び自らの渇いた喉に、缶ジュースの残りを流し込む。


 渇いた喉に染み込むジュースは、妙に甘く、そして苦かった。



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