3-3


 あの衝撃の魔術講義から一夜明け、俺は謎の疲労感を引きずりながらも、不屈の精神を持って、きちんと学校に来ていた。


 今はもう学生の憩いの時間、昼休みである。


「ここにするか」

「そうだね。うーん! いいお天気!」


 学校の屋上に備え付けられたベンチに並んで座ると、桜田さくらだは気持ちよさそうに空を見上げた。


 俺たちは今からここで、一緒にお昼を食べることになっている。昼休みのチャイムが鳴った瞬間、即座に教室でお弁当を広げようとしていた俺を、桜田が誘ってくれたのだ。


 桜田はいつも、赤峰あかみね水月みつきさんと一緒なので、この二人も一緒かと思ったのだが、桜田が俺に声をかけている最中、赤峰がこちらの様子を見てニヤニヤと笑いながら、水月さんを強引に引っ張って、食堂の方へ行ってしまった。


 こうして、晴れの日の屋上で、可愛い女子と二人きりの昼食会という、男子垂涎すいぜんな状況が生まれたのだった。


 ……またクラスの男子から睨まれる気がするが、まぁいいだろう。



 というわけで、俺と桜田は互いの弁当のおかずを交換したりつつ、のんびりと昼休みを満喫することなったのだった。


「わっ! このハンバーグ美味しい!」


 俺の弁当は、朝から母が作ってくれたものなので、そのハンバーグは、いわゆる、うちの味というやつなのだが、家族以外にそれを褒められるというのは、そんなに悪いものではなかった。


 というか、正直、少し嬉しい。


 なんだか照れてしまった俺は、ハンバーグと交換に、桜田から貰った、焼き目も綺麗な卵焼きを口に放り込む。


「おっ! この卵焼き、凄く美味いな」


 うちの味を褒められたから……、というわけではなく、本当に美味しいと思ったので、気付けば、なんとも素直な感想が口をついていた。


「えっ……、ほ、本当に?」

「あぁ、なんていうか、俺の好きな味付けだ」


 卵焼きの好みは、人によってまさに千差万別。しょっぱいのが好きだったり、甘いのが好きだったり、卵焼きにこだわりを持つ人も多いだろう。


 ちなみに俺は、かなり甘めのものが好みである。


 桜田から貰った卵焼きは、まさに俺の好みにジャストフィットだった。

 ふわりと香る卵の風味、舌を優しく包み込む、柔らかい甘さ。


 実に美味しい。

 何個でも食べられる。というか、食べたい。


「そっか、そうなんだ……、えへへ! 嬉しいな!」


 俺の賛辞に、桜田が照れたような笑顔を見せてくれる。非常に可愛らしい。


 しかし、なんというか、親の作った料理を褒められたから、というには、その喜び方は少し大げさに思える。もっとこう……、自分のことを直接褒められたような照れ具合に見えた。


「もしかして、これ作ったの、桜田か?」

「う、うん……、一応……」


 恥ずかしそうに教えてくれる桜田は、正直、可愛すぎた。

 クラスの桜田ファンの気持ちも、よく分かるというものだ。


「ってことは、他のおかずも?」

「えっと、うん。お弁当、自分で作ってるの……」

「へぇ、桜田って料理上手いんだな」

「そ、そんなことないよ! わたしなんか、まだまだ全然で!」


 顔を赤くしながら、慌てたような口調で否定する桜田だったが、現に俺が食べた卵焼きは絶品だったし、その小さなお弁当箱に詰まった色とりどりのおかずも、その全てが、実に美味そうだ。


「いや、これだけ作れれば十分……、というか、最高だろう。桜田、お前、良いお嫁さんになれるって」

「……へっ?」


 桜田が、料理以外の家事をどれだけできるのかは知らないが、少なくとも料理がこれだけ上手なら、例え他が壊滅的でも、全て許せてしまえそうだ。


 男心を胃袋から掴む、本当にお見事な料理である。


「そうか、桜田と付き合える男は、お前の手料理をを好きなだけ食べられるのか。それはちょっと、羨ましいなぁ」

「お、お嫁さっ! つ、付き合うって……!」


 彼氏に手料理を振る舞おうとキッチンに立つ、エプロン姿の桜田を想像して、俺はほっこりとした気持ちになった。


 桜田が、愛情込めて作る手料理を食べられるなんて、その彼氏はとんだ幸せ者だ。想像しただけでも、少し妬けてしまう。


「ほっ、他のおかずも……、食べる?」

「いいのか? それじゃもっと、おかず交換しようぜ」

「……うん!」


 正直、卵焼き以外の桜田の作ったおかずも、食べたくなっていた俺には、非常に嬉しい提案だ。


 俺と桜田は、お互いのお弁当箱からおかずを分け合い、会話を楽しみながら、お昼休みを満喫するのだった。




「ふー、ごちそうさまでした。美味しかったよ、桜田」

「はい、おそまつさまでした。ありがとう、統斗すみと君」


 結局、お弁当を食べ終えた頃には、俺と桜田は、殆どのおかずを交換してしまっていた。桜田の手料理は、卵焼き以外も非常に美味で、その全てが、俺の好みにぴったりだったのだ。


 今、俺の胃袋には、桜田の手料理が詰まっている。

 満足である。とても満足である。


「そういえば、統斗くん、新しい塾って、どんな感じなの?」


 弁当箱を片付けながら、ふと、といった感じで、桜田が俺に尋ねてくる。


「あ、あぁ。えぇーっと……」


 そう、実は桜田たちには先日から、俺はこれから塾に通うことになったので、放課後忙しくなってしまうと言ってあるのだった。


 彼女たちに嘘を吐くことになってしまうのは、大変心苦しかったが、実は俺、放課後は悪の総統やってます! なんて他の誰かに言えるはずもない。


 特に、正義の味方をしている桜田たちには。


 それに今の俺は、悪の総統と言っても研修中の身なので、、ということには、違いないのである。


 なんて、俺は嘘をつく理由を無理矢理見つけて、自分を正当化していた。

 

「……うん、なんというか、塾の雰囲気自体はそんなに悪くないんだけどさ、俺が今までやってきたことより、内容が大分進んでる感じで、今は、そのギャップを埋めるのに苦労してる……、って感じかな」


 これは、嘘ではない。


 今までの日常と、悪の組織という非日常とのギャップを埋めるのに、俺は四苦八苦、そして七転八倒を、毎日毎日繰り返している。


「そうなんだ……、でも、急に塾通いだなんて、大変だね。無理しないでね」

「まぁ、うん、大丈夫……、無理はしないよ」


 無理、はしてない、と自分では思っている。


 だが、それでも突然放り込まれた、これまでの自分では想像すらしていなかった異常な状況に、疲れていないと言えば、それこそ嘘になるだろう。


 自分が、悪の総統なんてやることになったことも。

 自分の知り合いが、正義の味方なんてやってることを、知ってしまったことも。


「……はぁ」


 自分の現状を再確認してしまい、多少、気分が落ち込むのを感じる。


 特に、正義の味方の桜田たちに、自分の正体を隠しながらも、それでも、これまで通り、なにも無かったかのように接しようとしてる、過度の変化を望まない自分自身の心の弱さに、嫌気が刺さないこともなかった。


「本当に大丈夫……? 最近は毎日、放課後は塾に行ってるし、疲れてない? 帰りも遅くなったりするんでしょ?」


 暗い表情の俺を心配するように、桜田は優しく声をかけてくれる。

 その優しさに、チクリと心が痛んだ気がする。


「……まぁ、帰りは遅くなっちゃってるかな」


 確かに、昨日も結局、帰るのは随分と遅くなってしまった。


 そう考えると同時に、昨日たっぷりと見てしまった、けいさんのあられもない姿が、脳裏に鮮明に蘇り、俺の暗い気分も、少しは晴れるのだった。


 本当、男って嫌になるわ。


「最近は、この辺りも物騒だし、ちょっと心配だよ……」

「物騒って、例の、幼稚園バスが襲われてるって噂か?」


 最近うちの高校、というより、ここら辺一体の住宅街では、ある噂が流れていた。


 夕方、幼稚園の送り迎えに使われる中型バスが、人気の少ない道を通った時、人ならざる化物が現れてそれを襲う……、みたいな感じのものだ。


 正直、眉唾まゆつばものの都市伝説みたいな噂である。


 実際に被害にあった幼稚園バスは、確認されていないし、もちろん被害者が出たなんて話も聞かない。そんなことが実際に起きているのなら、こんな胡散臭い噂話では収まらず、もっと大騒ぎになっているだろう。


 何者かが、その事件を、意図的に隠蔽いんぺいしていなければ……、の話だが。


「うん。わたしも噂で聞いただけなんだけど、なんだか本当に、幼稚園の送迎バスが襲われてるみたいなんだよね……」


 噂で聞いただけ、と桜田は言うが、本当に正義の味方なんてしている桜田が、そこまで言うということは、どうやら実際に、幼稚園のバスが襲われるような事件が起きているのかもしれない。


 そして、桜田たちが関わっているのなら、やっぱりそれは、悪の組織の仕業なのだろうか?


 ……まさか、うちの組織じゃないだろうな。


「俺なら大丈夫だよ。幼稚園バスには、乗らないようにするから」

「もう! そういう問題じゃないよ!」


 頬を膨らませながら、俺を心配してくれる桜田に感謝と謝罪の気持ちを抱きながら、俺の昼休みはゆっくりと過ぎていくのだった……。




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