2-2


「……到着しましたね」

「……そうですね」


 目的地に到着して、リムジンが静かに止まる。



 俺とけいさんは、超至近距離で見つめ合ったまま、言葉を交わす。

 しかし、最後までなにも起こりませんでした。


 正直、俺の中で渦巻いた葛藤は、それはそれは凄まじいものだったのだが、結局、身動きひとつ、とれませんでした。自分の中のチキンが憎い。



 俺と契さんはリムジンから降りると、この国有数の複合企業であると同時に、悪の組織ヴァイスインペリアルの隠れ蓑、インペルアルジャパン本社ビルへと、堂々と正面から足を踏み入れる。


 ビルの中では昨日と同じく、大勢の社員が忙しそうに働いていた。


 本当に忙しそうだ。

 その勤勉さには、頭が下がる思いである。


 俺を見つける度に、どんなに距離が離れていても仕事の手を止めて、こちらに向かい非常に丁寧な最敬礼ををするのだけは、本当に、やめていただきたかったが。


 向こうの方が、俺に頭を下げている。


 どうやら俺が自ら総統と名乗った件は、すでに組織中に知れ渡っているらしい。

 見事な忠誠心である。見事すぎて、勘弁して欲しい。


 俺は契さんに連れられて、非常に居心地悪い思いをしながら、社長室へと向かうのであった。




「おう。よう来たの、統斗すみと


 社長室では相変わらずの様子で、祖父ロボが俺を待っていた。

 ニコニコとブラウン管の中で笑い、大分機嫌が良さそうだ。


「それでは、私は秘書課の方におりますので」


 契さんはそう告げて深々とお辞儀をすると、社長室から出て行ってしまった。

 室内には、俺と祖父ロボだけが、取り残されたことになる。


 いや、正確には俺と祖父ロボの他に、社長室の片隅で無造作に転がっている、完全かんぜん人間にんげん擬態ぎたい人形にんぎょうのマリオ君もいるのだが、俺には完全に、ただ死体が転がってるようにしか見えないので、正直恐い。

 

「どうじゃ? 疲れはとれたかの?」

「いや、流石に昨日の今日じゃ、無理だよ……」

「そうじゃろう! そうじゃろう! ワシも初陣の後は、興奮が収まらず、なかなか寝付けなかったもんじゃわい!」


 ガハハ! と豪快に笑う祖父ロボに、そういうことじゃないんだけどなぁ……、と内心思ったが、俺はなにも言わなかった。


 言いたいことは、別にあった。


「まぁ、お前も疲れが残っとるようじゃし、今日は正式に、我が組織の総統へと就任したお前への説明タイムとするかの。お前の方からも、なにか聞きたいことがあるなら、ドンドン聞いてええぞ」


 そして、その言いたいことを言うチャンスは、いきなり訪れた。


「それじゃ、その、聞きたいんだけど……」

「おう! なんじゃ?」


 昨日から……、いや、正確には一昨日、俺が拉致されてからずっと、内心ずっと思っていたことだ。


 俺は勇気を出して祖父ロボに尋ねる。


「……なんで、俺なの?」


 それは、どうして俺がこんな目に! という恨み言にも近い疑問だった。


「なんで、とは?」

「いや、今まで俺は、なんにも知らなかったわけだし。突然こんなよく分からないことに巻き込まれて、その、迷惑というか……」

「突然じゃないぞい。お前が生まれた時から、ワシはお前を後継者にすると、決めておったからな」


 祖父ロボが再び、無責任なくらい豪快に、ガハハと笑う。

 まるで俺の恨み言など、吹き飛ばしてしまいそうな笑い方だった。


「まぁ、本当なら、もっと時間をかけてゆっくりと、お前をこちらの世界に引き込みたかったんじゃがな。なにせ、ワシが死んでしまったもんでの! そうも言ってられなくなってしまった。なので、色々と突然になってしまったことに関しては、ワシもすまんかったと、思っておるよ」


 祖父ロボがこちらに向かい頭……、というかブラウン管を下げる。祖父が生きていた時でえ、そんなこと、されたことないので、正直困惑してしまう。いや、相手はロボなんだけども。


「しかし、安心しろ統斗! こうなってしまった以上、ワシらが全力でサポートするからな! なに、お前の素質はワシが保障する! ちょっと鍛えてやれば、それはそれは立派な悪の総統になれることじゃろう!」

「いや、自分が立派な総統になれるかどうかを心配してるわけじゃねーよ!」


 しかも、その保障する資質って、俺が赤ん坊のころから、知らない内に行われていた、謎の人体実験の賜物たまものですよね?


「いやいや! だから、なんで俺なんだよ! 家族に自分の組織継がせたいなら、親父とかじゃダメだったのかよ!」


 などど、感情に任せて叫んでしまってから、俺はと思う。


「……隼斗はやとじゃダメだったのかじゃと~?」


 親父の話を持ち出した途端、祖父ロボの機嫌が一気に悪くなる。

 それはまさに、生前の祖父と、まったく同じ反応だった。


「ダメに決まっとるじゃろうが!」


 祖父ロボが、叫ぶ。

 その気迫は本当に、生きていた頃の祖父そのままだ。


「あの馬鹿息子めが! ワシに断りもなく、よりにもよって、あんなしょうもない仕事しよってからに! 生まれた時から反抗期続けよって! 婆さんも、草葉の陰で泣いとるわ! 就職も結婚も、ワシらになんにも言わず、勝手に決めおって!」


 ちなみに、祖父ロボがしょうもないと言い放った俺の親父の仕事は、ただの地方公務員である。


「あー、つまり、親父には悪の組織を継ぐように言ったけど、断られたと?」

「そんな話する前に、勝手に家を出ていきおったわい!」


 俺は知らなかったが、どうやら俺の家族には、まるで昭和のドラマのような、熱い家族の物語が隠されていたらしい。


「……なんじゃ? まさかお前……、今更うちの組織を継ぎたくないとか、そんな馬鹿なことを、言い出すつもりじゃなかろうな……?」


 ひとしきりわめき終えた祖父ロボが、凄まじい形相でこちら睨む。


 まさしく、その馬鹿なことを言い出そうとしていたはずの俺は、それだけでもう、口を開けない。蛇に睨まれた蛙でも、もう少し抵抗できる気がするくらいだ。


「……じゃが、もうすでに、自らが新しい総統であると宣言してしまったおぬしに、今更そんなこと、言えるのかのう~?」

「な、なんだよ……、あんなのは、その場のノリで、つい言っちゃっただけで……」

「つい、の割りには随分とノリノリじゃったと思うがな。なんて、こっ恥ずかしい名前、自分で考えおってからに」

「いや、それは言わないでくれよ……」


 盛大にテンパった挙句、咄嗟に飛び出てしまっただけなのだが、後から冷静に考えてみると、自分でもちょっと格好つけすぎたかもしれないと思ってる名称に言及されてしまうと、俺も弱い。


「ワシ的には、ネオゲルカイザーの方が良かったんじゃがな」

「いや、それは無いから」


 なんだゲルって。

 しかもネオって。


「それにな……、お前には今更、あれは嘘ですー、総統なんてやりませんー、なんて絶対に言えんよ」

「な、なんでだよ! 暴力や脅しには、屈しないぞ!」


 憤慨ふんがいから一転、祖父ロボはニヤニヤと、意地悪そうに笑っている。

 これまた生前の祖父を思わせる、なんだか嫌な予感がほとばしる笑みだった。


「あーあ! 今更お前が、あれは全部嘘でした! 本当は総統なんて、やりたくありませんでした! なんて言い出したら、あの三人、とっても悲しむじゃろうなー!」

「むぐぅ!」


 あの三人とは言わずもがな、最高幹部の美女三人のことだろう。


 俺の脳裏に昨日、地下施設に戻って来てからの、彼女たちの物凄い喜びようが思い返される。


「三人とも、お前が赤ん坊の頃から、お前が組織にやってきて、自分たちの主人となるのを、指折り数えて待っておったからのう。それなのに、一度はあんなに喜ばせておいて、実は嘘でしたなんて言ったら、物凄い傷つくんじゃないかのう? まさに天国から地獄へってやつか! お前もなかなか、鬼畜じゃな!」


 赤ん坊に奇妙な実験繰り返して、勝手に改造するのは、鬼畜じゃないのか?


 なんて思わないこともないのだが、それよりも俺は脳内で、あの美女三人が、俺の言葉で酷く傷ついた様子を想像してしまい、一気に重苦しい気分になってしまう。


 なんというか、胃の辺りがジワジワと重い……。


「まぁ、お前にとっては? つい最近出会ったばかりの女じゃし? 向こうは十年以上お前のことを待っておったとしても? そんなこと関係ないんじゃろうけど?」

「むぐぐ!」


 俺の脳内で、確かについ最近出会ったばかりで、しかもまだ、相手のことをなにも知らないと言ってもいい彼女たちの、それでも、その短い間に見てきた、様々な顔が浮かんでは消えていく。


 契さんの凜とした佇まい。クールな表情。

 千尋さんの豪快で人懐っこい性格。可愛らしい笑顔。

 マリーさんの甘えるような声。知性溢れる瞳。


「まぁ、それでもお前が、どうしてもやりたくないと言うなら、自分で皆に言って回ることじゃな。相手に面と向かって、あれは実は嘘で、私はあなたを騙して、ぬか喜びさせましたと、全部、自分でな」

「むぐぐぐぐぐ!」


 祖父ロボの言葉に導かれるように、俺の脳ミソの中では、あの三人が泣きながらこちらを見ている様子が、かなりリアルに浮かんでは消えていき、もうまともに言葉も出ない俺だった。



 俺は、ただの小市民である。

 一般市民である。

 俺には悪の総統なんて、土台無理な話である。


 俺には、誰かを傷つけてまで貫きたい信念も、相手を押しのけてまで成し遂げたい野望も無い。


 誰にも傷つけられず、誰も傷つけることなく、静かに生きていきたい。

 ただの事なかれ主義者である。


 そう、俺は、誰にも傷ついて欲しくない。

 

 なんて言うと偉そうだが、単純な話、自分のせいで相手が傷つくということに、自分の心の方が、嫌な気分になるというだけの話だ。


 相手を傷つけてでも、相手に嫌われてでも、自分を通す強さを、押し通せるだけの自分を、今の俺は、持ち合わせていないのだ。


 あぁ……、しかし、落ち着け俺! よく考えるんだ、俺!


 契さんに、そして千尋さんに、更にマリーさんに、俺のせいで泣いて欲しくないからと言って、じゃあ俺、やります! なんて言ってしまっていいのか?

 

 だって悪の総統だぞ? 悪の総統!


 人生の分水嶺ぶんすいれいってやつじゃないのか? 

 この決断で俺の未来が、将来が、色々と決まってしまうんじゃないのか?


「だが、だがしかし、じゃ。逆に、お前が悪の総統をやると言えば、どうかのう? これから一緒に頑張ろうと、そう言ってやれば、どうなるのかのう?」


 これまでの人生で、最も苦悩している俺に、祖父ロボが優しく諭す。


「あやつら、それはそれは喜ぶじゃろうなぁ。なにせ、ずっと待ち望んだ夢が、ようやく叶ったんじゃからなぁ……」


 それはまさに、悪魔の誘惑だった。

 ……いや、正確には、悪の組織の誘惑か。


「これまで長年貯め込んできたものが、爆発してしまうんじゃろうなぁ。それこそ思いっきり、喜びに任せて、解放されるんじゃないかのう……」

「か、解放……? 一体、一体なにが……」

「もちろん、お前への気持ちが、じゃよ」


 祖父ロボが、どこかイヤらしい表情でそう囁いた瞬間、俺の脳内に再び、あの美しい最高幹部三人の姿が、浮かんでは消えていく。


 契さんの肉感的なセクシーボディ、脳髄を蕩けされるような蠱惑的な香り。

 悪魔元帥デモニカとなったの、青い肌と挑発的なボンテージとが織りなす、こぼれるようなエロス。


 千尋さんの素晴らしく引き締まりながらも、女性的に柔らかい肉体。

 破壊獣王レオリアとして、獣と人両方の魅力を兼ね備えた、奇跡のような肢体。


 マリーさんのスラリと伸びた美脚。殆ど白衣一丁みたいな、ハラスメントな服装。

 無限博士ジーニアとなり、無機質な機械と一体化した、退廃的なコントラスト。



 千尋さんに思い切り抱きしめられたこと。

 マリーさんに雨のようにキスされたこと。


 そしてつい先ほどまで、リムジン内で繰り広げられていた契さんとの甘酸っぱい沈黙が、俺の脳内でグルグルと周りだす。


 いかん。思考がピンクに染まっていく。


 落ち着け俺! 

 

 これは俺の一生を左右する、重要な選択だぞ! 


 余計な煩悩は捨てるんだ! 未来を見据えて、ちゃんと考えるんだ!



「それで、お前は悪の総統やるのか? やらんのか?」

「やります」


 即答だった。


 肉欲に負けたのではない、ということだけは、どうか分かって頂きたい。



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