2-1


統斗すみとくん! 一緒に帰らない?」


  放課後、皆が帰り支度を始めた教室で、隣の席の桜田さくらだ桃花ももかが、俺に元気に話しかけてきた。


「ごめん、桜田……、今日は、これから用事があって……」


 クラスでも評判の美少女である桜田に誘われて、正直飛び上がるほど嬉しかったのだが、俺は泣く泣く断った。甘酸っぱい青春の一ページというやつは、こうして増えていくのだろうか?


 桜田桃花とは、高校一年の時からの付き合いだ。もちろん、色っぽい意味のではない。ただ単に、同じクラスのクラスメイトというだけの関係だ。


 桜田は非常に面倒見がよく、気さくで、親しみやすい性格をしている。男子相手でも気兼ねなく話しかけてくれるタイプで、その愛らしい容姿と相まって、彼女のファンは非常に多い。

 

 今も、彼女に下校のお誘いを受けた俺に向け、教室内から複数、しかもかなり本気の殺気がこもった視線が送られているのを、ビシビシと感じる。


 桜田とは最近まで、たまに世間話をする程度の仲だったのだが、俺たちが二年に上がる頃、正確に言えば、祖父が亡くなって、俺が色々と落ち込んでいた辺りから、彼女はなにかと、俺のことを気にかけてくれるようになった。


 面倒見のよい彼女にすれば、一年生の頃からの知り合いが、まるで世界の終わりみたいな顔してるのを、どうしても見過ごせなかったのだろう。


 桜田桃花の明るさに、俺は随分と助けられていた。



「そっか……、それじゃ、また今度ね!」


 桜田は、少しだけ残念そうな顔をしたものの、すぐさま持ち前の暖かい笑顔を見せてくれる。折角のお誘いを断ってしまった、こちらの心情までんでくれているのだろうか? その笑顔は、不作法な俺に対して、気にしないでいいと言ってくれているようだった。


 優しい子である。こちらに手を振りながら教室から出ていく桜田に、俺は手を振り返しながら、沈んだ気分で、すごすごと帰り支度をするのだった。




 採掘場での一件は、つい昨日の出来事だ。


 あの後、俺のこっ恥ずかしい総統宣言を聞いた祖父ロボが、なにやら高笑いを上げると共に、例のワープシステムとやらが発動し、俺たちは全員、組織の地下施設へと帰還した。


 今度は戦闘員たちも全員一緒に、である。


 どうやらワープによる本拠地への帰投は、本部から別の場所へとワープで向かうよりも、大分簡単な条件で可能らしい。


 まぁ、それはそれでいいのだが、採掘場に向かうために戦闘員が使ったという車やバイク、自転車などは、一体どうするのだろうかと、思わないでもなかった。後で、ちゃんと取りに戻るのだろうか。



 そこから後のことは、正直、よく覚えていない。


 地下本部の大ホールにみんなで移動して、そこで盛大な祝福を受けた。

 祝福というよりは、もはやうたげだった。宴会えんかいと言ってもいい。


 最高幹部の皆さんからは、熱烈なハグだの、キスだの、情熱的なスキンシップの嵐を受けまくり、戦闘員たちは喜びを爆発させ、俺に永遠の忠誠を誓い、めでたいめでたいと大騒ぎしている祖父ロボが先導して、みんなで乱痴気らんちき騒ぎを繰り広げる。


 そんな情景をぼんやりと思い出すが、記憶がはっきりとしたのは、その後、自分の家に無事に帰宅した後、正確には、家に帰るのがかなり遅くなったことを、母親に盛大に叱られている時だ。


 胸からこみあげてくる、よくわからない安堵の余り、思わず泣きそうになってしまったのは、俺だけの秘密である。



 そこからは普通に風呂に入って、普通に寝て、普通に朝起きて、普通に学校に行き、普通に授業を受けて、今は普通に放課後なのだが、俺は普通じゃない、かなり重たい気持ちを引きずりながら、トボトボと学校を出ると、ある場所へと向かう。



 そろそろ桜も散り始めた並木道を通り抜け、活気ある商店街を通りすぎ、小道の角を幾つか曲がると、閑静な高級住宅街へと到着する。そこから少し歩けば、実に立派な日本家屋が見えてきた。


 学校からもほど近いその場所は、俺には実に馴染み深い、見慣れた、そして来慣れた場所だ。


 俺にとっては、子供の頃の楽しい思い出が、沢山詰まった懐かしい場所。


 祖父、十文字統吉郎の住んでいた大邸宅である。


 祖父が亡くなったため、この家も本当なら整理しなければならなかったのだが、俺の親父は自らの忙しさと、この家の大きさを理由にして、あまり積極的に手をつけたがらなかっために、祖父の葬儀を終えてからしばらく経った今でも、全てそのままになっている。


 俺の父と祖父は、実の親子なのに、妙に折り合いが悪いのだ。


 そのため現在は会社の人間……、いや、組織の人間がこの家のメンテナンスをしているらしい。祖父が亡くなって、もう一か月が経つが、この豪華な純和風の家屋は、美しい景観を保ち続けている。


 この家に近づこうともしない父には、知るよしもないだろうけど。



 そして、その相変わらず立派な日本家屋に相応しい、巨大な木製の門の前で、昨日の放課後、俺を悪の組織へと送り届けてくれた、妙に長い黒塗りのリムジンが、再び俺を待っていた。


 昨日の夜、へとへとになった俺を自宅へと送り届けてくれたのと同じ車だ……、と思う。多分。おそらく。


 俺は正直、昨日の夜のことを、はっきりとは覚えていない。


 覚えてはいないが、帰りの車中で、意識が朦朧もうろうとしてる俺に付き添って同乗してくれたけいさんが……。


「明日も、学校が終わりましたらお迎えに上がりますが、本日と同じように、校門前でお待ちすると、悪い意味で目立ってしまうかと思われます。ですので、明日は統吉郎様のご邸宅前で、統斗様をお待ちしておりますので、面倒ではございますが、どうかご足労頂けますでしょうか?」


 そういう風に、実に丁寧に、俺にお願いしてきたような気が、しないでもない。


 そして俺も……。


「はい」


 と思わず素直に頷いてしまったような記憶があるような気がして、本当はこれは夢ではないかと思ったけれど、もし現実なら、契さんになんだか悪いので、その記憶を頼りに、今日ここに来てみたのだが、どうやら、その判断は正しかったようだ。


 いやしかし、十中八九、あれは夢だと思ってたんだけどなぁ……。


 だって、記憶の中の俺は、あの妙に長いリムジンの車内で、契さんにたっぷりと膝枕してもらいながら、夢見心地で約束していたのだから。


 いやぁ、あれ、現実だったんだ。

 ……実に柔らかかった。


「お待ちしておりました。統斗様」


 のこのことやってきた俺に、契さんが丁寧にお辞儀をしてくれる。


 しかし俺は、これができれば夢であって欲しかったりもした。

 というか、今までのこと全部、夢でも構わないような気持ちだった。


 これからまた、あの悪の組織ヴァイスインペリアルに、今度は総統という立場で、自らの意思で向かうというのが、なんだかとてつもなく、堪らなく憂鬱だったから。



「どうぞ」


 契さんが昨日と同じように、優雅に車のドアを開けてくれる。

 俺は素直にそれに従い、昨日と同じように、黒塗りのリムジンへと乗り込む。


 そして、俺に続いて車に乗り込んだ契さんが、やはり昨日と同じように、俺のすぐ隣に座る。


 というか、昨日よりも近い。

 なんというか。凄く近かった。

 いや、本当に近い。


 ちょっと近すぎない?


 肩が触れ合ってる、どころか彼女のむっちりと魅惑的な太ももが、俺の脚にぴったりと張り付いてしまっている。明らかに、尋常な近さではない。


「どうしました?」


 しかし、間近に感じる年上の女性の艶めかしい体温に、内心凄まじく動揺している俺に向かって、契さんは、別に不自然なことはなにも起きてないみたいな表情で、こちらを見つめながら、尋ねてくる。


 というか、その顔すらも、物凄く近い。


 俺が少しでも自分の顔を前に突き出せば、そのまま契さんの、その艶々と色っぽく輝く唇と、キスしてしまいそうな距離だった。


 俺が思わず、ゴクリ、と生唾を飲み込んでしまうのも、仕方がないことだと思う。


「い、いえ、別に……」

「そうですか」


 完全に舞い上がり、身体中の血液が暴走し、顔をこれでもかと赤くして、しどろもどろに答える俺を見つめたまま、契さんが黙り込む。


 彼女はこちらから目を離さない。

 その美しい瞳に、俺の理性が吸い込まれそうになる。


 俺は、目を逸らすことすらできず、ただただ、契さんと見つめ合ってしまう。


「…………」

「…………」


 べらぼうに広い車内の、非常に狭い一角に、実に甘ったるい沈黙が訪れた。



 契さんの吐息すら聞こえる距離で、彼女の柔らかさを、彼女の体温を、彼女の美しさをこれでもかと感じ、俺は先程までの憂鬱さなどかなぐり捨てて、これが夢ではなく、現実であるようにと、祈るばかりなのだった。



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