13-15
「ゴードン・
ポーカーフェイスを崩し、破顔した悪魔の独白は続く。
俺は動けない。動くことができない。
この時間を利用して、自らの傷を癒し、この悪魔と万全で闘えるようになることを優先したい……、というのは建前だ。言い訳だ。
俺はただ、この目の前の悪魔が恐ろしくて、一歩も動けない。髪の毛一本すらも、動かすことができない。
「一族の復興だの、虐げられた過去への復讐だのなんだの言っていたが、実際は、ただ自らの欲望を満たしたいだけ……、そのためなら、友情も信頼も、愛も情も、ゴミのように裏切ることすら
これまでの無表情が嘘のように、ゴードンは……、いや、悪魔マモンは、本当に嬉しそうに、楽しそうに、自らの物語を語りだす。
その様子に、俺の背筋は震えあがった。
魂の芯まで凍り付き、少しの衝撃で砕け散ってしまいそうだ。
それだけの力を、それだけの異様を、それだけの虚無を、俺の本能が、直感が、超感覚が、嫌というほど感じ取っている。
「だから、契約した。奴自身の魔術の資質は、お世辞にも上等とは言えなかったが、そんなことは関係無い。その
楽し気に、昔を懐かしむような表情を浮かべる悪魔を前に、俺は言葉も出ない。
本能は警告している。直感が忠告している。超感覚は宣告している。
確実な死を。逃れられない敗北を。
「そこからは順調だったよ。私の力で、地位を、名誉を、金を、女を、あらゆるものを手に入れる度に、ゴードンは満たされ、そして即座に渇望した。次を、次を、また次を、もっともっともっと……! とな」
まるで見えない欲望を掴もうとするかのように、中空を掻き
ふざけているように見えても、相手に隙が無いからではない。
もっと根本的な、もっと根源的な部分のせいで、俺はただ、馬鹿みたいに立っていることしかできない。
「充足が渇きを呼び、その渇きを満たすために更なる充足を望む。一度は満たされたはずの欲求も、慣れてしまえば、それまでと同じ量では満足できなくなる。麻薬と同じだな。ゴードン・真門の魂が、自らの強欲に耐えきれなくなるまでには、それほど時間はかからなかった」
そして告げた。あっさりと、なんの
「そこを
ゴードン・真門という人間を、自分が殺したのだと、そう告げた。
まるで思い出の中の美食を、再び味わうかのように、うっとりと。
「満足だったが……、それも一瞬だ。私自身が強欲の悪魔なのだから、当然だがな」
だが、そんな満足気な表情も一瞬……、本当に一瞬で引っ込めてしまうと、マモンと名乗った悪魔は、真顔に戻って、吐き捨てた。
「なので私は、私自身の渇きを癒すため、この世界に
肉の塊……、とは、間違いなく魂を失ったゴードン・真門の身体のことだろうが、自ら契約し、どれだけの時間かは知らないが、共に歩んできた相手を指すには、あまりに冷たい物言いだ。
それが悪魔だと言われれば、それまでなのだが。
「通常、契約を果たした悪魔は、即座に自分の世界に帰らなければならないのだが、これは
自らの生態を解説しつつ、マモンはこちらに向けて手を広げ、挑発するように笑ってみせる。
俺から動くことを誘っているのかもしれないが、残念ながら期待に
今動いても、ただ俺が、あっけなく殺されるだけだ。
「私は私自身の力……、強欲の力で、強引に魔素を掻き集め、なんとかこの世界にしがみついたが、やはりどうにも、調子が悪い。酸素の薄い高山に、無理矢理居座ったようなものだから、当然と言えば当然だったが」
悪魔には、個体によって全く違う、固有の特殊な能力というものが存在する。
例えば、デモニカが契約している悪魔……、淫魔リリーは、人間の性欲を自在に操る力を持っているが、それと同じように、この強欲を自称する悪魔には、それ相応の能力があるということなのだろう。
つまり、殺した相手の全てを、自らのものとするというのは、その強欲の力の一端であって、本質はもっとシンプルで、強烈だという話になる。
正直、そんなことが分かったところで……、という思いの方が強いが、今はなんだっていいから、敵に関する情報が欲しい。
少しでも、この悪夢のような状況に、変化をもたらす情報が。
「そこで私は、ゴードンと
マモンはこちらのことを、まるで太った七面鳥でも吟味するように眺めまわしてるが、まだ手を出してはこない。その事実に、どこか安心している自分が、嫌だった。
「本当なら、独りで好き勝手に食事を楽しみたかったのだがな。こればかりは、仕方ない。なかなか歯痒い時間だったが……、ふっ、おかげで、焦らされれば焦らされるほどに、その後の食事が美味くなるということに気付けたのだから、まあ、そう悪くもなかったか」
俺が動かない……、いや、動けないことが、分かっているのだろう。
悪魔は再び、不気味に笑った。
「中でも格別だったのは、やはりこの、
レオリアの兄……、
その顔を見た瞬間、俺の腹の底に、黒く、熱く、苦い、恐らく怒りだとか、殺意と呼ばれる
「ふふふっ、いや、失礼。しかし、あれは胸が躍った……。まさか、いくら調子が悪いとはいえ、この私があそこまで苦労するなど、初めての経験だったからな。まったく、貴重な体験と言わざるをえない」
まるで子供の頃の失敗を、恥ずかし気に語るような気安さで、悪魔は笑う。笑い続ける。笑いながら、ただ続ける。
「大きな傷を負ったせいで、しばらく動けなくなったのは誤算だったが、その分、見返りも大きくてな。命気がそのまま魔素の代替品になるわけではないが、それでも十分、十二分に、私の身体を軽くしてくれた」
魔素と命気は、共に超常的な事象だが、決して同一ではない……、なんてことは、まだまだ駆け出しの俺ですら分かっていることだが、魔素のエキスパートである悪魔から言わせれば、それでもどこかに、通じるものでもあるのだろうか。
自らの渇きを、少しでも癒す術を見つけたという事実は、強欲の悪魔にとって、それだけ
「そこからは、すっかり命気集めに執心してしまってね。いやはや、自分自身で命気を生み出せればよかったのだろうが、こうして人間の身体を使っていても、どうやら悪魔には、それが難しいらしくてな」
命気とは、この世界に生きる命の奥底から湧き出る、魂の力だ。
ゴードンが死んで、その命が尽きてしまったのなら、異世界の住民である悪魔だけでは、その力を引き出せなくなったとしても、当然と言えるかもしれない。
命気が欲しい。
しかし、悪魔には命気を生み出せない。
ならば、どうするか?
悪魔の出した答えは、至極単純だった。
「そこで私は、またも自分の力を使って、今度は他者から、命気そのものを吸い出すことを思いついたというわけだ。手近には、ワールドイーターという丁度いい、烏合の衆もいたことだしな。どうだ? なかなか名案だったろう?」
他の誰かから、奪えばいい。
その命ごと。
あぁ……、本当に、吐き気がする。
「命気を吸い尽くした相手は、まさに残骸と成り果てるわけだが……、そのゴミも、
ゴードンが全てを奪った相手は、まるでミイラのような外見と化していた。
そして、そんな姿の兵器を、俺は知っている。分かってしまえば、単純な話だ。
本当に、どうしようもなく単純で、胸糞の悪い話だ。
松戸博士の開発した兵器である
悪魔マモンが、その欲望のままに喰い散らかし、狂気の博士が、その残りカスを使って実験を行っていたという、ただそれだけの話……。
ただそれだけの、聞くに堪えない、まるで地獄のように、最悪の話だった。
「海良の持っていた超常能力は有用だが、奴自身は、ただの無能だった。少し餌を与えてやってさえいれば、私がなにをしているのかすら気付けない
狂っている。
目先の利益に目がくらみ、部下になにが起こっているかすら把握しないトップ。
自らの研究のためなら、どんな非道も、外道もいとわない、狂った博士。
そして、全てを貪ることしか考えていない悪魔に、憐れにも文字通り、奴の腹を少しでも満たすためだけに喰われてしまった、人の群れ。
そんなもの、組織ではない。
そんなもの、断じて組織などでは、ありえない。
悪の組織ワールドイーターは、とっくの昔に、崩壊していたのだ。
たった一人の、悪魔によって。
「まあ、どうでもいい話だったな。なんにせよ、本質的な問題が軽くなったことで、どうせならこの肉塊も、もう少し便利にしようという欲が生まれてな、こうして松戸による改造を受けたわけだが……」
ワールドイーターを食い潰したことなど、この悪魔にとっては、本当に、心底どうでもいいことなのだろう。後悔や悔恨どころか、思い入れすら感じさせない薄情な表情を浮かべながら、マモンは笑う。
「そちらの方は、まあまあといったところか。奴は最高傑作だなんだと、大袈裟に
必ずや吾輩の最高傑作が、至高の発明が! 貴様を地獄に叩き落とすことだろう!
松戸博士が放った断末魔の叫びが、今更俺の脳内に
まったく、ふざけている。
これのどこが、最高傑作なんだ。
これのなにが、至高の発明なんだ。
この強大で、凶悪な悪魔のために、その持てる技術の全てを注ぎ込んだのだとしても、一体それが、その貢献が、どれほどの意味を持つというのか。どれだけの価値があるというのか。どれくらいの証明になるというのか。
狂気の博士が、その全てを捧げたとしても、捧げなかったとしても、この悪魔が元から持っている強大さには、凶悪さには、微塵も関係なかっただろうに。
……いや、もしかしたら、松戸本人にだって、そんなことは、分かっていたのかもしれない。だからこそ奴は、不可逆の、もう戻れない、狂気の世界に、自ら堕ちてしまったのだろうか?
分からない。
分からないが、それは分かる必要もないことだ。
俺が今、考えるべきことは、別にある。
「……さて、お前の目論見通り、時間はたっぷりと与えてやったわけだが、十分に回復はできたかな? シュバルカイザー」
その瞬間、空気が、時間が、凍り付く。
一瞬……、本当に一瞬で、これまでの芝居ががった仕草も、不気味な笑みも、全てが消え去り、元の無表情に戻ったマモンが、つまらなそうに、ボソボソと呟いた。
それだけで、耐え難い絶望が、不可避の死が、目を背けたくなる現実が、この世界に
俺が今、早急に、火急に、この刹那にでも、考えるべきことは、たった一つ。
絶望に抗い、死を切り抜け、現実を覆すために……。
この目の前に佇む悪魔を、世界を喰らう者を、どうすれば倒せるか。
ただ、それだけだ!
「それでは……、存分に絶望してくれ」
そして、最後の死闘が、始まった。
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