12-9


「ああ~ん! そ、そこ~! 統斗すみとちゃんの、すっご~い! 気持ち良い~!」


 マリーさんが、俺の指の動きに過敏に反応し、艶やかな嬌声を上げる。


 彼女の陶磁器のような真っ白い肌が、まるでバラの蕾がほころんだような、目にも鮮やかな朱に染まり、その手触りに、彼女の内から湧き出した、まるで密のように甘い感触が混じり出す。


 マリーさんの全身から立ち昇る、まるで触れているこちらを飲み込むような、貪欲なまでに妖艶な香りは、俺の鼻孔をくすぐり、そのまま直接、まるで脳髄をかき乱すように……。 


「って、ただ肩を揉んでるだけなんですから、変な声出さないでくださいよ」

「だって~、統斗ちゃんの指使い、とってもえっちなんだも~ん!」


 えっちて。

 まったく、ひどい風評被害である。


 俺はただ、マリーさんの日頃の疲れを、少しでも癒せればと思っただけなのに。


「統斗ちゃんてば~。イヤらしいんだ~」

「はいはい……」


 大人しく椅子に座って、俺に肩を揉まれた姿勢のままで、マリーさんが楽し気に笑っている。


 いやしかし、癒しとイヤらしいでは、えらい違いだった。




 ここは、インペリアルジャパン本社ビルにあるマリーさんの居城、開発主任室。


 本日はここで、マリーさんから地下本部についての調査報告を受け、その後いつものように、彼女の実験に付き合うことになっている。


 ひかりとの買い出しも終わり、クリスマスまではあと少し、この本社ビル内も、どこかそわそわとした、特別な空気が流れ始めていた。


 まぁ、この開発部は相変わらずの修羅場というか、むしろ地下本部の調査に加えて、年末という時期も加わって、なんだか地獄のような有様なんだけど。


 他の部屋から聞こえてくる呻き声が、もう亡者の断末魔って感じだし……。


 というわけで、この様々な試作品やらプロトタイプやらの山に囲まれて、足の踏み場もない主任室の真ん中で、ひたすら机仕事をして、疲れ果てていたマリーさんをねぎらおうと、マッサージでもしましょうかと、俺が提案したのが、ついさっきだ。


 一応断っておくが、あくまでも健全な意味でのマッサージであって、俺とマリーさんは、どちらもしっかり服だって着ている……、ということだけは、ここにハッキリと明言しておこう。



「まったく、そんなにふざけてばかりいると、もうやめちゃいますよ?」

「え~! それはやだ~! もっとワタシのこと、沢山揉んで~!」


 ちょっと大げさに拗ねてみせるマリーさんは、実に可愛らしかったが、主語はもう少しハッキリと言ってください。


「最近本当に忙しくて~、癒しが足りないの~! 癒しが~!」


 確かに、ここ最近の……、正確に言えば、アラン・スミシーが俺たちの地下本部に侵入してからの、マリーさんを筆頭として、開発部の皆さんは、毎日毎日、朝早くから夜遅くまで、非常に頑張ってくれていた。非常というか、もう非情なレベルで。


 一度でも敵の侵入を許してしまった以上、なにかされたかどうかを確認するために、地下本部全体のシステムチェックは、迅速かつ確実に行う必要があったために、開発部の人間は、まさに大車輪の活躍を見せてくれた。


 ……のだが、その反動で現在、我が組織の開発部は壊滅状態……、まるで墓場のような状態になってしまっているのだった。


 地下本部のシステムチェック、なんて簡単に言ってしまったが、この国最大級の悪の組織が貯蔵しているデータ量は、それはもう、尋常ではないくらい膨大なのだ。


 その気の遠くなるようなデータの海を、突貫工事で、まさに馬車馬のように働いて、わずか数日で全て洗い出したというのだから、正直、頭が下がる思いである。


 本当に、そういう方面にまったく明るくない俺なんかには、その本当の苦労なんて分からないのだけれど、それでも、心から感謝せずにはいられない。


 だから俺は、こうして地獄の行軍の先頭を率いていたマリーさんに、少しでも感謝を伝えようと、まずはこうして、肩なんて揉んでいるわけなのだが……。


「それでそれで~、肩を揉んでもらった後は~、統斗ちゃんの指が段々下がってきて~、ワタシの敏感なところを~、それはもう、ねちっこく~」

「さて、それじゃ、そろそろ報告の方、お願いしますね」


 流石に、話が大きく脱線してしまいそうなので、俺は本来の目的に戻るために、マリーさんの肩から手を離した。


 このままでは、脱線した上に大事故が起きて、とてもじゃないが、他人様には言えないような、激しいマッサージに移行していまいそうだ。


「あ~ん! 統斗ちゃんのいけず~! ワタシのこと、嫌いなの~?」

「はいはい、大好きですよ。後でちゃんと、この続きはしますから……」

「むう~! 絶対だからね~! 約束よ~!」


 可愛らしく頬を膨らませたマリーさんが、それでも手元のコンソールを操作して、主任室のモニターに、様々な情報を提示する。


 どうやら、ちゃんと報告を行ってくれそうで、俺はとりあえず、胸を撫で下ろす。


 もちろん撫で下ろしたのは、自分の胸であるということだけは、ここに再び、キッパリと明言しておく。

 


「それじゃ、総統に報告しま~す! 地下本部のシステムは~、全てチェックしたけれど~、コンピューターウィルス的な悪性プログラムは見つからず~。ついでに~、地下本部全体の空気中も測定したけど~、こちらも~、病原体的なものは発見されませんでした~」


 拗ねた様子でマリーさんが報告してくれた内容は、これまで調べ上げたアランの行動を考えれば、すでにある程度、予測できた内容ではあった。


 万が一、一瞬の隙を付かれた時のことを考えて、念には念をいれて、マリーさんたち開発部に、こうして徹底的に調べてもらったのだが、どうやら、無駄足を踏ませてしまったようだ。


 いや、安全を確認できたという意味では、決して無駄ではないのだけれど。


 しかし、これで本当に、アランはこの地下本部に侵入して、一体なにをしたかったのか、本当に分からなくなってしまったことになる。


 この前、千尋さんから報告を受けてから、相手はすでに目的を達成してしまったのだと、警戒するようにはしていたのだが、ここまで徹底的に調べ尽くして、微塵もその痕跡を発見できないとなると、正直、お手上げである。


「残された可能性は~、敵が仕込んだのが~、こちらに検知できないたぐいのものってことだけど~、魔術的なものならけいちゃんが気付くだろうし~、科学的なものならワタシたちの調査で出てくるだろうし~、もっと直接的に危ないものなら千尋ちひろちゃんが見逃すはずないから~、これ以上の調査は~、なかなか難しのよね~」


 自分で言うのもなんだが、我が組織ヴァイスインペリアルの力は、あらゆる面で、並ではない。群を抜いているとさえ言ってもいい。


 そんな俺たちが全力で調べて、未だになにも分からないとなると、確かにこれは、困った事態だ。


「なんらかの超常能力が関わってる可能性は~、最後まで否定できないけど~。今はこのまま調べ続けても~、多分もう、なにも出ないと思うわ~」


 確かに、魔素を扱う魔術とは、まったく別のアプローチであると同時に、その多様性と特異性から、一概に科学では観測できない超常能力なら、ここまで調べても発見できないかもしれない。


 だが、それはつまり、この件に超常能力が関係しているとしても、現時点では、その詳細どころか、本当に関わっているのかの真偽すら、今は知る術がない、ということになってしまう。


「現時点での調査報告としては~、地下本部の再使用は問題無し、ってところになるのかしらね~。なんだか~、釈然とはしないけど~」


 マリーさんも俺と同じように、今の状況に違和感というか、漠然とした不安のようなものを感じているようだが、しかし現状では、これ以上、打つ手がない。


「まぁ~、気には留めておくべきだと思うけど~、だからって気に病んでも~、今は仕方ないと思うから~、統斗ちゃん、元気出して~!」


 ……確かに、マリーさんの言う通り、この状況であれこれ考えても、思考がドツボにはまるだけで、このままではただ闇雲に相手を警戒するのが精一杯になり、自分から動くことすら、できなくなってしまいそうだ。


 もう少し、余裕を持って、今の状況を受け入れるべきなのかもしれない。


「そうですね……。確かに、マリーさんの言う通りです。それじゃ、地下本部の調査はこれで終了、今後はワールドイーターの動向に、より注意を向ける、って方向で」

「そうね~、ワタシも~、それがいいと思うわ~」


 悪の組織ヴァイスリンペリアルには、最高幹部のみんなを筆頭に、俺なんかより、余程頼りになるスペシャリストが揃っているのだ。


 ここは、俺一人で不安に振り回されるよりも、周りのみんなと協力して、今後の状況の変化に、素早く対応できるように備えておいた方が、建設的だと判断しよう。


「よーし! そうと決めたら、なんだか、気分も軽くなってきた! これから頑張るぞー! おー!」

「お~! ワタシも頑張るわよ~!」


 自らを鼓舞するために、努めて元気に振る舞う俺に、マリーさんもノリノリで付き合ってくれる。


 こういう風に、さりげなく気を使い、俺を盛り立ててくれる心遣いは、本当にありがたいものだった。流石に年上というか、大人の女性の余裕というか、包容力のようなものを感じてしまう。


「というわけで~、これからもっと頑張るために~、これからは~、英気を養う~、癒しの時間よ~! お~!」

「おー! ……おー?」


 ニコニコ笑顔で拳を振り上げるマリーさんにつられて、俺も思わず同意の声を上げてしまったのだが、いやしかし、待ってくれ。


 ……癒しの時間って、なんだ?


「それじゃ~、ポチっとな~」

「……あれ?」


 そして、満面の笑顔でマリーさんが、なにやら手元のボタンを押した瞬間、この様々な機械で埋まっている主任室のあちこちから、銀色の触手が飛び出してきて、あっという間に俺のことを、拘束してしまった。


 ……あれ?


「えーっと、マリーさん、これは……?」

「うふふ~、だから~、癒しの時間よ~。統斗ちゃんがワタシを癒して~、ワタシが統斗ちゃんを癒しちゃう~、と~っても気持ち良い~、癒しの時間~」


 眼鏡の奥の瞳を、妖しく光らせたマリーさんが、舌なめずりなんてしながら、スルっと白衣を脱いでしまった。


 その下は、もう当たり前みたいに、上半身は裸で、下半身にはホットパンツだけの、殆ど裸な姿だった。


 あっ、今ホットパンツも脱いだから、もうただの全裸か。いやぁ、素早い。


 ……もう季節もすっかり冬だと言うのに、寒くないんだろうか、あんな格好で。


「えっ、え~っと、マリーさん? ちょっと展開が、急すぎやしませんか?」

「え~! 統斗ちゃんさっき、続きは後でするって言ったじゃな~い!」


 マリーさんは、俺があまり乗り気じゃないと気付いてか、頬を膨らませて、可愛らしくこちらを睨む。


 どうでもいいけど、全裸でそういうことされると、本当に色んな意味で、ドキドキしちゃうな。


「……あの、確かに、後でって言いましたけど、流石に速すぎません?」

「後でって~、今よ~」


 謎の鼻歌を歌いながら、マリーさんが、楽しそうに俺に近づく。


 そもそも、俺が後でと言ったのは、あくまでマッサージの件のつもりだったのだが、どうやら、マリーさんの中では既に、それは別の意味でのマッサージにシフトしているようで、その上で、俺の意思はひとまず脇に置いて、その癒しの時間とやらを、強行しようとしているようだ。


 もしくは、強行さえしてしまえば、俺がなし崩し的に、全部受け入れると思っているのかもしれない。


 それは、まぁ、実際その通りなので、特に思うところはないというか、むしろバッチこい! って感じだったりするのだが……。


 ……まぁ、いいか。


 元々、マリーさんを癒したいと思って、俺が始めたことなので、彼女が望んで、その方が良いというのなら、目的的な意味でいうのなら、俺にそれを拒む理由は無い。


 確かに、場所を考えると、少し恥ずかしい気がするが、この前の契さんや、千尋さんの時と比べれば、この開発主任室は、格段にセキュリティがしっかりしていると言える。誰かに覗かれる心配はないし、防音対策だって完璧だ。そういう意味で言うのなら、むしろこの状況は、これまでと比べて、楽勝であるとすら言えるだろう。


 ふっ、俺だって、成長するのだ! 


 なんだかもっと、悪の総統としてとか、そういう方面で成長しろよ、と自分で思わないでもないけども!


「……はぁ、分かりましたよ、マリーさん。それじゃ、この拘束を外してください。別に逃げたりしませんか……」


 というわけで、俺は余裕を持って、わざと嘆息なんてしてみせながら、目の前のマリーさんと向き合い、受け入れようとしたのだが……。


 その瞬間、なんだか見慣れない……、予想外の物が、俺の視界に入ってきた。


「……えーっと、マリーさん? これ、なんですか?」

「ん~? これ~? うふふ~、これはね~、ビデオカメラ~」


 ……ふーん、カメラか。


 カメラなのか、この機械の触手の先っぽに、まるで眼みたいについてるレンズ。


 なるほどなー、カメラかー、ビデオカメラなんだー。


 つまり、これからここで起こることが、全部録画されちゃうんだー。


「って、なんでですか! なんでビデオカメラ! ビデオカメラなんで!」

「なんでって~、ビデオカメラなんだから~、目的は~、録画するために決まってるじゃな~い」


 分かってるよ! そんなことは、もう分かってるよ!


「だから、なんで録画するんですか! ってことですよ!」

「なんでって~、それはもちろん、二人の愛の記念っていうか~、一人でも寂しくないためにというか~、いやん、統斗ちゃんのえっち~」


 いえ、えっちなのは、マリーさんの方だと思います。

 なんて、冷静を装ってる場合ではない!


「あと~、契ちゃんと千尋ちゃんに見せたりして~、自慢とかしちゃおうかな~」

「なぜ、なぜ他人に見せようとするんです!」


 いやもう、待ってくれ。そういうコトを録画されるってだけでも、超絶的に落ち着かないというか恥ずかしいのに、それを他人に見せるとか、それどんな拷問ですか?


「大丈夫よ~。契ちゃんと千尋ちゃん以外には~、絶対に見せないように~、厳重なロックをかけて~、宝物として保管するから~」

「そういう問題じゃありませんよ!」


 やばい。

 マリーさんのこの目は、本気だ。


「に、逃げないと……!」


 俺は先ほどの余裕ぶった態度をかなぐり捨てて、当然、この場から逃亡しようと、まずはこの機械の拘束を解こうと暴れるのだが、ちくしょう! やっぱり、全然逃げられやしない!


「うふふ~。無駄よ~。その拘束は~、今の統斗ちゃんのスペックを緻密に計算して作ったから~。絶対に逃げれないわよ~」


 やっぱり! やっぱりか!

 クソ! こうなったらカイザースーツで……!


「それと~、統斗ちゃんのスーツも~、今はメンテ中にしてあるから~、いくら呼んでも~、ここには来ないわよ~」


 いきなり万策尽きた! 用意周到すぎるぞ、マリーさん! 


 なんて考えている間にも、俺を拘束している。この銀色で無機質な触手は、俺の動きを完璧に封じたままで、異様に蠢き、俺の着ていた服を、あっという間に、全て剥ぎ取ってしまった。


 俺、全裸である。


「それでは~、至高の癒しタイム、開始~!」

「いや~! 堪忍して~!」


 裸の女が、裸の男に抱きついて、一つになった裸の男女は、どったんばったんと、激しく暴れ始める。



 果たして今、この場でなにが起きているのか?



 その真実を知っているのは、ただ無機質に、この痴態を録画し続けている、マリーさんお手製のビデオカメラだけなのだった……。



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