ヴィー

 ヴィヴァルディ・ロスペランサ・ヴィアトール。長ったらしい上に口にするのが面倒な名前だが、それが俺の名前だ。ヴィアトール家の二男として生まれた特権階級。つまりは貴族だ。後継ぎである兄に万が一があった場合に備えてそれなりの教育を受けてはいたがどうにも馴染まない。采配を揮うよりは体を動かすことが好きだったために、兄の補佐をするのはやめて王宮付きの兵士、すなわち騎士になることを決めた。


 我らが偉大なる王が支配するヴァンガルディス王国はここ百年ほど他国から【愛されし国】、と呼称されてもいる。理由は単純だ。【愛し子】の数が多いのだ。世界に愛された子、創世の女神に愛された子。正式な統計はないが、国民に対する愛し子の数が他国のおよそ倍。俺の所属する炎狼騎士団(重要人物の警護担当)の団長も愛し子だ。


 上司の顔を思い出すといつも不思議な気分になる。見事な金髪に、俺と似た金色の瞳。髪瞳同色、が愛し子の最大の特徴だが、際立つ美貌も見分ける基準になる。人とは思えない美貌、身体能力。団長はあまり勉強が好きじゃないらしく知識面では際立った功績をあげていないが頭の回転は速い。そして運が良い。俺はあいにくと他の愛し子と接するような立場ではないが、愛し子とはそういうものだ、とこの国の民なら知っている。


 他にもある。治癒能力の速さ、老化の遅さ。病になどめったにかからないし、自然に存在するものが愛し子を傷つけることなど魔物と人間以外には存在しない。食べ物がなくても、通常の人間よりははるかに長く生きることが出来る。いるだけでその土地が豊かになり名前を呼ぶだけで相手を癒すほどに力が強い愛し子さえかつてはいたとか。だいたいどこの国でも丁重に扱われるし、その能力を生かし重要な地位に就く。


 なぜ今さらそんなことをつらつらと思っているかと言うと、今回の任務がその愛し子である団長直々に言い渡されたものでありながら、良く分からないものだったからだ。アルゼン街道を通って、国境近くまで行って戻って来い、と言う。


 警邏、のようなものなのだろうが我らが炎狼騎士団は基本的に警護をするのであって、一般的な警備隊のような任務はほとんどない。理由を尋ねたらなんとなく、だった。ただの勘、とも言われた。非常に不本意というか、納得できない命令にはたとえ上司のものであっても従いたくないというのが本音ではあったが愛し子の勘、と言うのは無視して良いものではない、らしい。もちろん愛し子によって差はあるが、団長はかなり勘が鋭いほうらしく、今までその勘に散々助けられてきたので従うことにした。


 あやふやなものであっても正式な任務、貴族と平民の一組が騎士団の最小行動班なのでレンドリア・ファーレンハイトにもこの良く分からん任務を押し付けてやることにした。


 特筆すべきこともなく国境付近まで行き、帰路について王都まで残り数日。そんなところで野営の準備をしていて、水を汲み直そうかと思い立った。正直味の違いなど良く分からないが、ルクサ湖の水は名水として有名だ。平民のくせして俺より舌の肥えているレンなら喜んで茶でも淹れるだろう。そう思って革袋を持ち湖に向かって。



 人生最大の衝撃を受けた。




 人がいた。





 振り向いた顔を見たときに、息をするのを忘れた。夜の闇よりなお深い黒の髪と瞳。神が心をこめて手ずから作り上げたに違いないと思わせる顔。笑みを浮かべて欲しい、名を呼んで欲しいと強烈な欲求が湧きおこった後でようやく、髪瞳同色であることに気付いた。愛し子、と思わず声が出るが反応はない。駆け寄って肩をつかんだが無表情は変わらず、ただ怯えたように震えた。手を離してふれる許可を得ようとしたが、やはり答えはない。


 落ち着け。よく見ると服も来ていない。愛し子だと、真っ先に思わなかったのはその覇気のなさだ。人に強烈な印象を、圧倒的な印象を与える愛し子は大体において表情豊かだ。にもかかわらず彼は無表情。視線もこちらを向いているものの、本当に認識してくれているのか不安になるほどの茫洋さ。儚い、という言葉を思い浮かべてぞっとした。目を離したら消えそうな気がして狼狽する。いや、だから落ち着け俺。


 全裸と言うのも心もとないだろう、とマントだけはずして愛し子の体を覆う。何となく怯えているような気はするが表情がやはり読めない。



 「俺の名はヴィヴァルディ。連れと旅の途中で、水を汲みに来た。危害は加えない。とりあえず食べ物と服はあるので、来てくれないか?」



 声をかけたがゆるゆると視線が動くだけで言葉を理解してくれているのかがわからない。愛し子なら理解できないということもないはずだが、と思って手を差し伸べると自分から手を握ってきた。軽い勢いをつけて立ち上がらせ、濡れたマントを不快に思わなければ良いがと心配する。どうにも重心が定まっていない、というか歩くことに不慣れなような……?不思議に思うとやはり転びそうになった。あわてて抱きかかえるが舌うちがこぼれる。前に、似た事例を読んだ。保護された、愛し子。生まれてすぐ好事家に買われ、鎖につながれ教育も受けず育った愛し子。


 保護された後はさすが愛し子、と言われるだけの勢いで知識を身につけ、最終的には幸せに暮らしたらしいが……とりあえず団長の言ってた勘、ってのはこの愛し子の保護をしろってことだったんだろう。レンドリアは信心深いし、その分愛し子に傾倒してるからうるさく騒がなけりゃいいがな、と少し思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る