01
……困ったな。あぁ、本当に困ってしまった。
現在地がさっぱりわからないのはこの際おいておこう。周りの植物に見知った物が全くないのも嫌な予感はするが今はまだ考えない。全裸なのは仕方がない。でも男性になったのはいただけない。いくら可愛い女の子が好きだと言っても恋愛の対象は男性にすると決めているのだ。自分は自分を女性と思っていて女性の体をしているんだから男性が一番感覚的に楽だし、と思ったところで男性だなぁ、と水面に映る顔を見る。
見知らぬ男性が私と同じ動きをするたびに現実感が薄れていく。右手をグーパー。左手をグーパー。うん、距離や自分の位置を把握しなくても良い動きは割と差し障りなくできるな。これ私の手じゃないけど。
さて、唐突な話をすると私はナルシストだ。心理学的な厳密な定義とかでいうナルシズムじゃなくて、一般的な会話とかで軽く使うぐらいのものだとは思うけど。
自分が好き。
自分の見た目だって、もう少しダイエットしようかなー、とか。ほくろちょっと減ったらいいのに、とか。そう思うことはあっても整形したいとかモデルさんや芸能人みたいな顔や体になりたいとは全く思わない。誰かを尊敬したことはあっても、憧れたことなんてここしばらくはない。それくらいには、自分の事が好きだ。
なのに今の私の体は私が好きな私じゃない。イケメンは嫌いじゃないけど私の好みはどちらかというとダンディなおじさまだし、それだって鑑賞するのが好きなだけでなりたいわけじゃないのだ。一番抵抗なく見ることのできる自分の手をしげしげと眺めてみる。イメージとしてピアニストの手、だろうか。ピアニストの手なんて見たことないけどね。ささくれ一つなく、肌は荒れてないし爪の形は綺麗。関節部分が太くなっているなんて事もないし……。綺麗、ではあるんだよな。忸怩たる、というと大げさかもしれないが不本意ながら二十代半ば、OLである私よりは綺麗だ。格好良いに近い、綺麗さ。
手のひらと甲だけをまじまじと見ていても何にもならないので、そのまま腕に視線をやる。股間はまだ直視する気はない。男性経験はあるからきゃー、みられなーい、なんてウブな反応はしないが、他人にくっついているものを見るのと自分がぶら下げているのだと精神的なダメージが違う。目をそらせる限りそらし続ける所存。
腕はやはり私の知る私の腕じゃない。しっかりと記憶しているわけじゃないが、ここまで筋張っているものではなかったと思うんだよ。体毛は薄い。殆ど産毛みたいなものしか生えていない。くっと二の腕に力を入れてみるとうっすらと筋肉が盛り上がった。マッチョってほどじゃないがもう少しで細マッチョ?多分もともとの私よりは腕力があるんだろうな。
もう一度、水面を覗き込む。……ふむ、いくら私じゃないと拒絶しようが今現在私はこの姿でここにあるわけか。
さて。もう一度確認すると私はナルシストだ。見た目については先ほど述べたが、もちろん肉体的な観点からだけではなく、私は自分の自我も好きだ。肉体も、精神も、好きだ。肉体と精神は分かつことが出来ないからひっくるめて好きだというのが持論だったのだが、今のところ精神面に私が認識できる変容は起こっていない。
ん?今何か引っかかったな……あー。そうか。精神は良くも悪くも他人とのかかわり、摩擦によって成立する。この体に対しての他者の反応を受け取ったことはないのだから、もちろん精神は元の私のままだ。ふむ。
自分の意思で性転換して、その上で精神が他者によって変容するならともかく。気がつけば男になっていましたなんてふざけたノリで私が変わるのは自尊心が許さん。かといって自分一人で素っ裸でここで暮らす気もない。人は自分一人だけでは生きていけないのだ。おそらく一年たたない内に発狂して終わりだし、そうでなくても全く見たことのない植物だらけな時点でサバイバルには不利だ。餓死する。というか発狂するまで生きていける自信はないな。そこそこ重かった中二病の時代の産物で身近な毒草には詳しいんだが。残念だなぁ、まったく役に立たない知識だよ。……。
……。
考えないようにしてたんだが。やっぱりおかしいよねぇ。全く知らない植物しか、生えていないっていうのは。確実に日本じゃないな、ここ。まったく知らない植物が周りにあるってだけならまだ自分を騙せたかもしれないけど。体が男性になってるってだけならまだ自分を騙せたかもしれないけど。たとえば外科的な処置で私が男性になったとしよう。一度の手術でここまで完璧に出来るものではないし、お金だってかかる。私は自分の事が大好きだが、だからと言って社会的に価値が大きいとは思っていない。よくいる一般人、有象無象の一人。ドッキリを体験させるような対象ではないし、略取誘拐だとしても労力に見合わない。それよりは。
何か超常的な現象に巻き込まれた、ってほうが可能性が高い。参ったな……超常現象なんて存在しないと思ってる、科学万能主義者なんだけど。
仕方ない。ぐだぐだするのは私の趣味じゃない。現状認識に時間をかけるのも、私の趣味じゃない。醜態をさらすのも、私の趣味じゃない。人を探そう。この見た目を裏切らない人格を演じよう。この顔でニヤニヤはしたくないから表情の練習が必要だな。まずは歩くのに不自由しないように体を動かせるようにして。水面を見つつ表情の練習。水があれば最悪一カ月はもつはずだから、その二つをしつつ湖畔を起点として人の形跡を探す。
まったく。たったこれだけの事を決めるのに、私は一体どれだけの時間をかければ気が済むのか。流石に狼狽していたのかな。よし、うろたえるのはここまでだ。これからはとりあえず生存、最終的には元の体で家族とともに生活するのを目標として行動しよう。
いくら気候が良くても汗ばむ陽気じゃないのだ、ずっと下半身を水につけていると寒い。冷えた。女の子でなければお腹を冷やしても問題ないんだろうか。わからない。知らなくてはいけないことはたくさんありそうだ、と思ったところで後ろから足音。二足歩行の音。しまった、自衛手段は考えていなかった。いきなり殺されたりしませんように、と振り返る。私はナルシストだが小心者でもあるんだ!今宣言しとく!
振り返って見るとそこにいたのは人間だった。いや、たぶん、人間だった。人間でいいんだろう。でも、人間なんだったら異世界決定。だってこいつ目が金色だ。人間の!瞳の色は!茶、青、緑、灰、レアケースとして紫と赤。もちろん濃淡による差はあるがそれだけ。金色はあり得ない。それに髪!燃えるような赤。赤毛は存在するがこんな紅に近い赤は存在しない。染めてるならともかく。でもって、多分染めてない。眉毛も、まつ毛も、そり残しの髭も、多少濃淡の差はあれ赤く見えるからだ。
着ている服はまぁ私が服だと思うものだ。素材は天然系なんだろうけど、ズボン、シャツ、ブーツ。ちょっと不思議な気はするがマント。どれもとてもしっかりしているように見えるが、現代文明人が着るものではない。異世界要素その二、だな。
そして。腰にぶら下がっているそれはおそらく剣。異世界要素その三。帯剣が許されている国なんて地球上にほとんどない。
そこはかとなく野性味を感じさせる、結構なイケメン……おっさんと呼んだらそこまで年じゃないギリギリ怒ることが許されるくらいの年齢(割と私好みだ。是非観察したい)の彼は私を見て呆けた顔をして手に持っていた革袋を落とした。よし。とりあえずとっさに切りかかられることはないようだ。
「愛し子……?」
呆けた顔のまま彼は呟く。ウィスリーチェ?愛し子?音として聞こえるのはウィスリーチェなんだけど。同時に【愛し子】という意味が漢字とともに伝わってくる。意味がわからないが悪いことではなさそうだ。記憶喪失でも装って保護してもらえればいいんだが……。というか、相手の言っていることはわかるが私が話す日本語は相手に理解できるんだろうか。ちょっと一人の時に単語を呟いて実験したほうが良いな、しばらく言葉は口にしないでおこう。
軽く首をかしげる。表情はできるだけ作らない。ボディランゲージも、地域によって侮蔑的な意味を持つことがあるからあまり使わないつもりだったんだけど首を傾げるくらいならセーフ、じゃないかな。
私が動いたことで硬直が解けたっぽい赤い人はいきなり近づいて手を伸ばして大丈夫か、と言いながら肩をつかんだ。よし。即座に敵対するつもらいはないらしい。が、私の意識はまだ女性だ。それが全裸の時にいきなり男性に肩を掴まれたら怖いだろう?びくり、と震えてしまっても仕方がない。が、助けようとしているらしい人に怯えた態度をとるのは不誠実な気がするのでそのままじっとする。赤い人はあわてたように手を離した。
「その、すまない。……触れても良いだろうか、愛し子よ」
やはり音からして日本語ではない。のに、意味は理解できる。しかし愛し子、というのがわからない。いとしご。愛しい子供?だーりん、はにー、運命の相手、みたいなものだろうか。初対面相手にそれは流石にないか。でも触れることに許可をもらおうとしてるってことはもしかしたらそっち系の意味が……って、私は今、見た目は綺麗でも男だ。ないな。
ぼんやりと顔を見ながらそんなことを考えていたら赤い人は顔をしかめながら自分のマントをはずして私を包むようにかけた。
「俺の名はヴィヴァルディ。連れと旅の途中で、水を汲みに来た。危害は加えない。とりあえず食べ物と服はあるので、来てくれないか?」
悪い人では、なさそうだな。赤い人あらためヴィヴァルディ。初対面の男の手を握るのは抵抗があるが、しかしここで手を取るのが一番手っ取り早い現状把握の方法だろう。旅の最中に帯剣するような治安では、次に私が出会う存在が肉食獣だったりするかも知れないし。保護してくれるみたいだし。
ひっぱりあげられて手を引かれる。支えがある分歩きやすいな、と気を緩めたところで転びそうになって抱きとめられた。くそう、女だったらドキドキするシーンだぞ!ちょっとテンションが上がったが軽い舌うちが聞こえた。
流石にいらっとしたのかと思ったが、丁寧に抱きかかえられた。お姫様だっこ体勢だなぁ。顔を見上げるとなかなかに険しい表情。怒ってそう……だけどこれは私に対してなのかな?わからん……まぁ、いいか。
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