08

 足元が崩れたのは困ったが、そんなに深い穴が開いていたわけでは無さそうだ。空中でひょいと姿勢を正して足から着地した。しっかりしゃがめば衝撃もそこまで無い。周りに視線を向けるとイースを抱えて転がっている団員や、転びかけ、しっかり立っている人間など様々。さすがにみんな剣は持ってるね。



 「怪我した人は言って。早めに治しておいたほうがよさそうだから」



 パラパラと問題ありません、の声が上がる。ヴィーを見るとさすがにこれくらいの高さで怪我するような奴は騎士団には居ないだろ、とだけ言った。手を伸ばしてわしゃわしゃと頭を撫でてくれる。手袋をはめ直すことはせずに、でも手に持っているのも邪魔なので床に投げ捨てた。



 「ご丁寧に囲んでくれてるなぁ……人間じゃないみたいだが」



 上を見る。大人二人分よりちょっと高いぐらいのところにポッカリと穴が開いて星が見える。そして、覗きこむ村人……人じゃないけど、の顔がずらり。



 「肩を踏み台にすれば届く高さではありますが……」



 どうすべきか、の算段を立て始めたヴィーとレンは放って、パタパタと自分の服についた埃を払いはじめたイースに声をかける。



 「イース、大丈夫?」

 「はい、大丈夫です!」



 いきなり姿勢正しくきらっきらした笑顔になるよね。え、なに、これくらい普通の出来事だったりするの?



 「ノーチェ様、今思ったんですけどやっぱり音楽って心地良いだけじゃダメですよね!耳障りの良いメロディの中に少しテンポをずらした音を入れたり、不協和音をちょっとだけ混ぜてみたらこう、緩急ついた面白い音ができるんじゃないかと思って……!」

 「新しい曲?楽しみだね」



 微妙な気分。そりゃ、怖がっていて欲しいわけじゃないけどなんかこう……いいんだけど。周りに気をつけて、騎士のそばを絶対に離れないでねとだけ言って、またヴィーとレンのそばに戻る。やっぱりここが一番落ち着くし。



 「どうするの?」

 「上に戻ってもあの、モノたちが居ますから、正直どうしたものかと」

 「……お腹は減りそうだけど、多分上にいる村人避けながら逃げられると思う。攻撃されたら攻撃し返して」

 「どこまで行けば良いのか、という問題があるな。馬に乗って村から離れるとして、どの程度離れれば逃げられるか……そもそも、馬が無事かどうかもわからない」

 「悪い案ではないのですが……ノーチェ、気分は大丈夫ですか?」



 レンが案じるようにこちらを見つめる。ん、珍しく攻撃的な気分になっているせいかな、何も気にならない。



 「大丈夫。ヴィーもレンも大丈夫?痛かったりする?」

 「大丈夫ですよ。動きそのものは訓練を受けていないただの人間でしたから」

 「切りつけなければただの人間だから……刃物を使わずに取り押さえたらいけるのかもしれん」

 「自分でのどを切り裂くような人もいたけどね」



 俺の返事にヴィーがしょっぱい顔になった。ため息をついてがりがりと頭をかく。

どうするか決めかねてるんだろうな、護衛対象の俺しか村人たちに対して致命的な攻撃ができない状況は流石に想定外なんだろう。

 見上げれば飽きもせずこちらを見ている顔がたくさん。落ちてきたここはそれなりの広さがあって、暗いながらも奥に続く道があるのがわかる。と、言うか行き止まりの通路に落ちてきたのだろう。目を凝らせば床の土にはそれなりに踏み固めたような跡が残っている。



「普通は警護する相手をとにかく安全な場所に移すのが鉄則なんだが……炎狼騎士団としては」

「ヴィヴァルディ、貴方まさかノーチェに」

「いや、流石に上の強行突破をするわけにはいかん。この道がどこまで続いてるか確かめたい」

「俺が行く」



 せっかくだし役に立ちたいよね、と思い、勢い込んで立候補したのに2人とも渋い顔をした。

 いや、どう考えても俺が行くべきだろ。



「俺なら夜目がきくから暗くてもそこまで不自由しない。仮に村人が待ち構えていてこちらを害そうとしても攻撃手段がある」



 逆に言えば唯人のみんなには無理なわけで……団長さんやカルサーならどうなんだろうな。俺と騎士団の人たちとの一番の違いは唯人か愛し子か、だから……彼らならきっと俺と同様、黒いもやに攻撃できるんだろう。

 ぐっぱーぐっぱー、片手をにぎにぎしつつヴィーを見ているとゆらりと彼の瞳が揺れる。怯んだように目をそらされた。



 「ヴィー?」

 「……あ、ああ、そうだな。レン、夜が明けるまでに俺たちが戻ってこなかったら探そうとはせずに脱出を図れ。方法は一任する。目的はこの状況を王都へ伝えることだ。その時最善だと思われる手段を取れ」

 「は、かしこまりました」



 レンは一礼して顔を曇らせる。曇らせるけど、異を唱えたりはしないのだ。



 「聞いていたな!?こちらからの攻撃手段がなく、身を守る方法もないからとりあえず俺と愛し子で奥まで行き様子を見てくる。レンドリアの指示に従うように!」



 俺は俺で、直接体に触れて祝福しておく。特にイースには念入りに。イースはついてきただけの子供だからさ、ちょっと申し訳ない気分になってくる。怪我なんてしてしまったらご両親に申し訳ない。



 「イース、気をつけて」

 「ありがとうございます、ノーチェ様。あの、ノーチェ様もお気をつけて」

 「みなさんも…あと、イースをよろしくお願いします」




 騎士団の人たちはみな一斉に頭を下げた。お願いは、聞いてくれようとするからね。命令はヴィーからしか受け付けないけど。そのあたりすごいな、と思う。ちゃんと命令系統が定まってる感じ。練度が高い、っていうんだろうか。

 なーんて思ってる場合じゃない。それじゃ、この道を進んでみようか。







 暗いけど、相変わらず俺は夜目がきく。特に足を取られることもなく道を歩ける。ヴィーの方はちょっと不確かなようだったので、左の手を握ってみた。ほんのりと暖かく、俺の手より大きくて、そして手のひらが硬い。働く人の手だ。




 「っ、ノーチェ」

 「邪魔だった?」

 「……、いや、大丈夫だがなんで急に」

 「んー、ちょっと試してみたくて。見えるようになった?」




 ヴィーの手をとって、その手にゆっくりと、でも密度濃く練り上げた力を流し込む。




 「見える……な」

 「良かった。じゃまになりそうだったら言って、多分手を離してもしばらくは保つから」




 愛し子が力を多く持つ人間なんだったら、唯人に力流し込めばある程度似た能力を持つことができるんじゃないかと思ったんだよな。正しかったみたいで何より。

 すこしでこぼこしているが真っ直ぐな洞窟のような道。ヒカリゴケのような何かが所々で光っているため、完全な暗闇にはならない。

 しばらく道を歩くと行き止まり。そして、壁の中央に扉がひとつ。たいした扉ではない。木の板を幾つか重ねあわせて作ったような粗末なものだ。その先に何かあるのだろうかと意識を向けた瞬間、ダメだ、と思った。




 「ドア……?人がいるのか?」

 「ヴィー、だめ、帰ろう」

 「ノーチェ、急になにが」

 「だめだ、だめ、あれはだめ。ドア開けちゃいけない」




 怖い、怖い、意識して呼吸しないと浅く早くなっていく。声が喉で詰まりそうになる。暖かい、と感じたヴィーの手を握り直して、それでも手の先から冷えていく。怖い。手足が震える、寒くて、冷たくて、怖くて。見てはいけない、聞いてはいけない、感じてはいけない何かが、あの扉の先にある。



 「わかった、戻るぞ。歩けるな?運ぼうか」



 大丈夫、と答えた所で、耳が音を拾った。ドアのむこう。何かが地面を這いずるような音。走って逃げたいのに怖くて怖くて、目をそらしたいのに逸らせない、走れない。がり、と木材を引っかく音がして、蝶番が軋む音と共にドアがゆっくりとこちらに向かって開く。


 隙間から叩きつけるように流れてくるのは恐怖と、憤怒と、悲哀と、苦痛と、嫉妬。これはこの世界生きとし生ける物全てに対する呪詛であり冒涜だ。こんなものが存在して良いはずがない。

 ドアを、開けた人はいないように見えた。人がいるだろうと無意識に思った高さには。見たくない、見たくないが見ないと対処はできない。視線を下にやるとズルリ、と何かが蠢いた。


 人の、なりそこない。粘土で精巧に作った人形を、踏みつぶしてちぎったような。顔の半分と、首、腕はしっかりと見える。だが、顔の残り半分と肩から背中にかけてまるで流れるように歪み、そして下半身は存在しない。人が、こんな状態で生きているはずが無い。人では無いのだ、実際に。潰れた先からは色がついておらず、肌色は徐々に消えて黒い粘土のようになっている。靄ではなく、粘土のような。コールタールのようなドロリとした、黒い。

 目が、合う。口が開く。言葉は出ない。音は出せないのだ、だが口の動きは見て取れる。ここに、いてください。


 それを言うためだけに片手だけで上半身だけの状態で這いずり扉をあけて……!


 めまいが酷い、耳鳴りがする、頭がいたい、吐きそう、苦しい、嫌だ、見たくない、聞きたくない。どうしたら良いのかわからずに、目をつぶってしゃがみそうになったら掬いげられた。そして揺れる。




 「悪い、連れて来るべきじゃなかった」




 力を込めて抱きしめられているのがわかる。ヴィーの身体が暖かいのが、わかる。音もちゃんと聞こえる。ほ、とすこし息を吐いて、でも震えが止まらないから甘えてヴィーの服にしがみつく。泣きそうだ。

 ヴィーは俺を抱えてても、走るのが速い。扉から、あの恐ろしい場所から遠ざかっているはずなのにそんな気は全くしなくて、どこまでもあの黒い感情と出来損ないの人が追いかけている気がして、レンたちが待っている場所についたのがわかっても怖いという言葉だけが頭の中をぐるぐると回っていた。

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