イース

 愛し子様。女神に愛された美しい人たち。田舎町に住んでいると愛し子様に一度も会わずに一生を終える事が多いらしい。それを考えると、僕はとても運が良い。金の愛し子様は三十年ぐらい前、平民上がりの炎狼騎士団の人が宴会を僕の家の酒場でやるようになってから定期的に騎士団を連れて来てくださる。そして今日。僕が小遣い稼ぎに弾いていたバイオリンが縁で、黒の愛し子様が来てくださった。

 僕は、夢中になるとちょっと周りに気を配れないところがある。だから曲を弾き終わるまで愛し子様が聞いていたことに気付かなかった。もちろん、弾き終わったら気付いたけれど。少し短めの、艶やかな黒髪。ひたとこちらを見据える黒い瞳。無表情にもかかわらず、心奪われるような作りの顔。何か圧倒的な存在が、こちらを注視しているという、快感に近い震えが背筋を走った。

 親しく付き合ってみると、ノーチェ様は気さくな方だった。無邪気、と言っても良いと思う。初めてあったときのあの異常なまでの吸心力は、ないけれども。多分僕の方がノーチェ様の存在に慣れたんだろう。時々酒場にやってきて、食べ物と飲み物を注文して、僕の音楽を聴いて、帰っていく。来るたびに違う音楽を聞かせて差し上げたかったんだけど、僕が知っている曲は少ないし、一から新しい曲を作るのは結構大変だ。でも、がっかりさせたくない。ちょっと悩んでいるとイグザ様から音楽をきちんと勉強してみないかとのお誘いがあったので受けることにした。

 体系的に学ぶ音楽というのはとても面白いものだった。楽譜という、音楽用の文字の読み方を教えてもらうと、聞いた事のない音楽でも楽譜さえあれば演奏できる。もちろん、こめる感情や音の響かせ方は色々だから試行錯誤したり師匠に教えを請うたりしている。そして、この間教えるより国を回って自分で勝手に腕を磨け、とほっぽり出されてしまった。おかげで今、ノーチェ様と同じ馬車で旅することが出来るので感謝している。





 手が、黒い髪をかきあげる仕草。揺れる髪と覗く白い肌が対象的な色でずっと見ていたい。おやつ、と称してつまみ始めた果物が赤い色を添えて、きっと今なら重厚な音が似合うだろうな、と思った。うん、低い音を重ねる、一人じゃなくて四重奏ぐらいが良いかな。頭の中で音をとっかえひっかえ。後で時間が空いたら、師匠が持たせてくれた紙に記してみよう。今なら良い曲が出来そうだ。

 楽しんでもらえるのであれば色々な曲を作りたい。彼を見ていると、次から次へと音があふれだす。動作一つ一つが美しく、時々笑顔を見せてくれる時は軽快な音を思わせる。すべてが曲として完成するわけではないのだけれど、ノーチェ様をイメージして作る曲はどれも師匠がほめてくれる。

 この旅を通じてまた何曲か完成させたいなぁ。




 一日目、火が落ち始めたところで野宿の準備が始まった。腕によりをかけて、と思って折角頑張ったのにノーチェ様は果物だけ。酒場に来るたびにあんなに食べてたのに!おやつだって、結局果物を少々だったし、いつもならパンに肉や野菜を挟ませた料理ぐらい軽く平らげて……具合が良くないとか。でもヴィヴァルディ様もレンドリア様も何も言わないし……いや、料理がおいしいと僕の事をほめてくださったりはした。



 「あ、あの、ノーチェ様」

 「ん?」

 「……お腹空いてませんか」

 「空いてないよ。十分」

 「……」

 「あ、ごめんねさくらさん。今用意するから」



 意を決して尋ねてみたんだけど、途中でなんか、変な鳥に邪魔された……。えっ、何あの鳥!?鳥、だよね!?






 「おーい、イース」



 うーん。僕の料理が美味しくなさそうだったのだろうか。別段具合が悪いというわけでもなさそうだしな、ノーチェ様。今は騎士団の人たちと雑談をしている。時々あの妙な鳥が髪の毛を引っ張ったり……なんてことを。あのつややかな髪が痛んだらどうするつもりだ。さくらさん?かな、名前。さくらさんめ。



 「おーい。イース!」

 「うえっ!?あ、ヴィヴァルディ様!申しわけございません!」

 「いやいや。ノーチェに見惚れてたんなら仕方ねぇ」



 にやり、とヴィヴァルディ様が僕の目の前で笑う。旅の始まりにあらためて挨拶をされて腰が抜けるかと思った。七貴族のヴィアトール家、それも分家とかではなく本家の出身。もし万が一……ありえないとは思うが、万が一お兄様に何かがあったならばヴィアトール家を継ぐのは目の前に立つ彼なのだ。



 「で、ノーチェが心配か?」

 「……料理がお気に召さなかったんでしょうか」

 「いやいや、お前さんよく手伝ってくれたぜ。一応俺たちは全員野営に備えて料理できるけどな。いつもよりうまかった」

 「そう言っていただけると嬉しいです!でも、ノーチェ様……いつもたくさん召し上がるのに……」

 「あー、それなんだがな。……どう説明したもんか、愛し子ってのはたまにたくさん食べる事もあるけどな。普段はほとんど食物を必要としないんだよ」

 「……はい?」

 「だから、あまり食べ物が必要ないんだ。どっちかというと今の状態が正常。あまり気にすんな」




 ……愛し子様って大食漢だとばかり思っていたのに!

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