03

 ゆらりゆらり。旅に出て一週間。今日初めて雨が降った。久しぶりすぎて朝目を覚ました時に何の音だろう、と思ってしまった。さぁさぁとうるさくはないのに途切れず続く音。騎士団の人たちが張ってくれた天幕に、水滴が落ちる音だったようだ。レンが顔を洗ったり着替えたりするのを手伝ってくれて、その時に雨が降っていますと言ってくれたので気が付いた。



 「雨……」

 「ええ、小雨といいますか」



 しっかりと身支度をして、さくらさんにもきちんと水を用意して外を覗いてみるとうっすらと靄がかかっていた。霧に近いんじゃないかな、この雨。いつもより甘く感じる空気を吸って、雨の中変わらない鍛錬を(一応水除けの布はかぶっている)している騎士団の人たちを眺める。しばらく体を温めた後は素振りや馬の手入れ。格好良いけどなんだか先に進みたくないな、と思ってしまった。



 「……」

 「ノーチェ?」



 水色の髪を揺らしながらレンが訪ねてくる。朝ごはんにお気に入りのアカシャの実はいかがです、昨日立ち寄った農村で分けてもらったんですと言われて気分が一気に上向いた。



 「おいしいから好き。レンはお気に入りの果物とかないの?」

 「私ですか?お茶に合うさっぱりとした風味のものでしたらなんでも」



 水に濡れて体を冷やすとよくないから、と今日の朝食は馬車の中。教えてもらっていた乗馬も今日はお休みだ。まぁ、ちょっと尻が痛くなってきてたからちょうど良いと思おう。





 イースが音を確かめるように鳴らす。少し考えた後、調を変えて同じメロディを奏でた。さらに首をかしげて、いくつか符の長さを変える。おしゃべりをしたり、たまに暇になったレンに勉強を教えてもらっている時以外は、イースは音楽について考えている。本当に好きなんだろうな、ってわかる顔をして。今だって表情は険しいくらいに真剣だけど紫色の眼がきらきら輝いている。

 ふんふんふん、と同じメロディを口ずさんで、納得したらしいイースは布にインクで楽譜を書いていく。水でよく洗うと落ちるらしく、紙は高級品だから完成した楽譜を人に見せるときに書き写すのだとか。なるほど、繰り返し使えるならそのほうが効率的だな。



 「イース、次の曲?」

 「はい。せっかくなので優しい雨と休まる植物の曲でも作ってみようかと思って」

 「ふぅん」



 ちょっとしっとりした流れの曲だと思ったら今日の天気がテーマか。確かに上へ上へと太陽の光を浴びて精いっぱい成長を続ける植物の、ほっとした一日の休みって感じの天気だもんな。うっとおしいほどの雨じゃないし。あと、俺が雨止めてたんじゃないか疑惑も無事払拭されたわけだ、めでたい。

 そう、うっとおしいような雨じゃないんだけどなんだかな、と顔を進行方向に向けてみる。何となく、眉間が重いような。明るさや雲の重さは変わらないのになぜか正面だけ少し暗いような。はぁ、と軽くため息をつくと馬車の窓からヴィーが顔をひょこりとのぞかせた。雨除けの布で隠れてるからいつもの真っ赤な髪は少ししか見えないけどきらきらと太陽のような瞳はしっかりとこちらを見ている。



 「ノーチェ、どうした。退屈か?」

 「いいえ」



 実際、イースの作曲風景を見ていると楽しいし。さくらさんだって俺を退屈させないようにいう配慮なのか本人が退屈したくないからなのか、俺のまわりをひょこひょこ飛んだり跳ねたり囀ったりしている。

 ただ、何となく気分が重いだけで。はぁ、とまた無意識のうちにため息をついてしまったらしく、今度はイース少年までが構えていたバイオリンを下ろしてこちらを見た。



 「ノーチェ様?」

 「……軽く休憩でも入れるか。雨除けの布あるからかぶって外の空気吸ってみろ」



 止まれ、とヴィーが鋭く言って、わずかにきしむ音を立てて馬車が止まる。揺れを感じさせない動きはさすがとしか言いようがない。そんな気遣わなくても平気なんだけどな、と思いながら御者にありがとう、と声をかけた。







 さくり、と足が草を踏む。空気は湿り気を帯びて甘く、さくらさんは喜んで飛び出してぱたぱたと戻ってきた。肩に泊まってちゅるるるる、と楽しげに囀るのを聞くと自分まで楽しい気分になる。薄い灰色の空は、灰色だけれど明るさがあって、雲の向こうには太陽があるのがちゃーんとわかるな。

 布が邪魔だからと外して頭を振ると乱暴に別の布がかぶせられた。おうふ。



 「こーら、ノーチェ」

 「ヴィー?」

 「濡れるぞ」

 「でも、邪魔だ。視界が」



 口をとがらせながら言うと布越しに頭を乱暴に撫でられる。その手を頭の上に乗せたまま、ヴィーが顔を覗き込んできた。



 「どうした、ノーチェ?ため息が多いぞ、今日」



 聞かれて改めて考えてみると確かに憂鬱なのだ。



 「……」

 「ノーチェ、言ってくれないとわからないぞ?」

 「……でも、よくわからない」

 「ん?じゃあわかる処だけ言ってみてくれないか?」



 なだめるような、あやすような……。子供じゃないのにと思ったけど、まぁ社会知識の欠如具合からして子供みたいなものか。



 「ヴィー、あっちと、こっち。明るさに違いはあるように見える?」



 来た道と行く道を指さしてみる。来た道は明るく、進む方向は暗く感じる……。そう、暗く感じるだけなんだよ。見え方に違いはないのに、暗いような気がする。微妙。



 「俺には同じに見えるが……ノーチェは違う、のか」

 「……暗いんだ」

 「暗い?」

 「進む、先が。暗くて……なんか」

 「何か?」

 「それ、だけ。それだけなんだけど、でも、祝福はしないといけないし」



 そうか、とだけ呟いてヴィーはくしゃくしゃと頭を撫でる。そのまま背中を押して馬車に誘導される。ふかふかの絨毯に座って、クッションを抱える。どうも落ち着かないのでぎゅうぎゅうクッションを抱きしめる腕に力を入れたらさくらさんに髪の毛を引っ張られた。さくらさんを撫でるとやめてくれたけど今度は甘えたようにすり寄ってくる。慰めてくれてるのかな?イースは相変わらず楽譜とにらめっこしていたがお話でもしますか、というようにこちらをうかがった。どうしようかなと思っていると外でヴィーとレンがこそこそ話し始めた。



 「おい、レン。愛し子の感覚ってどれくらい鋭い?」

 「私よりむしろあなたのほうが詳しいでしょう?私はただの平民ですよ」

 「だよな……」

 「ノーチェはなんと?体調が悪いというわけではなさそうですが」

 「ああ、なんか暗い、らしい。進む先が」

 「暗い、ですか?」

 「ただ暗いだけなら何とも思わないだろ、あいつは別に暗闇が怖いとかないみたいだから。進みたくないと思わせる暗さだと思うぞ」

 「……そうですか。団長の嫌な勘って当たりますよね」

 「結構当たるな。だが愛し子によりけりらしいぞ、あの勘って」

 「そうですか……たしか、あと数刻進んだところに村がありましたね?」

 「あったな。そこで今日は泊まって鳥を飛ばして指示を仰ぐか。今の時期、農作業の手伝いはないかもしれんがニ三日の滞在ぐらいは無理させなくてもできるだろう」



 んー、何かあるかもしれないって警戒してるのか。村に泊まるのっていろんな人がいるしイースは張り切って音楽演奏するし、で結構好きなんだよね。楽しみだな。

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