04
ヴィーが馬車に同乗していると、少し空気が明るくなったような気がする。きっと燃えるような真っ赤な髪の毛のせい、というかおかげなんじゃないだろうか。過去の任務の面白い話、などを聞いて笑ったりしていたのだが、どうにもこうにも、不快感が無視できなくなってくる。息を吸うたびに、のどにねばりつく何か。体を動かすたびに、肌にまとわりつく何か。実際に何かがあるわけでもないのにそこにあるように感じられる何か。
「ノーチェ」
「はい?」
「顔色がよくないぞ、少し横になっておけ。もう少しで村に着く」
平気だ、と言い返そうかと思ったが心配そうな目で見られると何とも言えない気分になって、おとなしくクッションを抱えてごろりと横になる。が落ち着かずにまた身を起こしてヴィーに近づいた。正直どうかと思うけど、温かい体温は安心するから座っているヴィーの足の上に頭を乗せてもう一度横になる。少しばかり妙な顔をした後、ヴィーは諦めたようなため息をついてから俺の頭を撫で始めた。
「ヴィー、この先の村はどんなところ?」
「ん?……名前はハームキア。いわゆる農村だ」
「この地域と地形なら麦の生産を?」
「その通り。街道に近いから店もそれなりにある。宿屋、店、麦を主にさまざまな畑が広がってるな。ナッサも良く狩るぞ」
今はもう食べる気がしないけど、でもあの楽しい屋台の空気を思い出すと自然と顔がほころぶ。
「一度訓練で寄ったことがある。宿屋の主人はなかなかにきっぷのいいおっさんでな。やることなすこと大雑把で豪快で、でも気持ちの良い人だった」
穏やかなヴィーの声と、一定の間隔で撫でてくる大きな手のひら。徐々に声が遠くなって、ん、ねむい……。
「ノーチェ、着きましたよ……おや」
「しーっ、寝てるからそのまま……」
「……着いた?」
「あ、起きちまったか」
レンの声に意識が浮かぶ。どうやら眠ってしまっていたらしいが、ちょっとすっきりした気分。
「ノーチェ、すみません起こしてしまって」
「大丈夫、むしろすっきりした。村に着いた?」
「ええ。宿も空いているそうですし、喜んで泊めてくださるそうですよ」
ふうん、と馬車の窓から外をうかがう。垣根の向こうが村なんだろうけど、あの妙な暗さは境目で消えて、すっきりと明るそうに見える。手前で騎士団の、あれはクラウスだな、と話をしている年配の男性はある程度の責任者なんだろう。
「よさそうなところだね」
「それは良かった。嫌な感じがしたらどうしようかと」
「しない」
「宿まで歩きますか?」
「うん」
馬車を降りて、軽く伸びをする。こちらです愛し子様と言われておとなしく後に続いた。驚くほど空気が軽い、というか。雨も止んでいてうっとおしくないし。なんだか人は少ないけど……いつもの村だと人が道の端に鈴なりになるけど、この村はそうでもないようだ。ある程度舞い上がらずにこっちをおもんばかれるだけの人が集まってるってことかな。
案内された宿屋はちょっとイースの実家に似ている。一階が食堂だから余計に、なんだろうけれど。さくらさんはあちこちを見て回りたいのか、飛んでどこかに行ってしまった。しばらくしたら帰ってくるだろう、と探しに行くかというヴィーの質問に答える。レンたちほかの騎士団員は馬車や馬の手入れ、泊まる場所の安全確認なんかをしに行ったので俺の散歩に付き合ってくれているのはヴィー一人だ。
お暇ならこちらへどうぞ、と言われた席に座ってきょろきょろと周りを見る。……人、少ないな。そして宿屋の主人は緑色の髪と茶色の眼をした青年だった。にこやかにいろいろな話をしながら、不都合がないか聞いてきてくれる。
「ありません、ありがとう」
「お礼などおっしゃらないでください、畏れ多い」
そういってにっこり笑うさまはとても好青年風だ。
「……。なぁ、数年前来た時はこの宿の主人、アドルフっていうおっさんだったが、あいつどうしたんだ?」
ヴィーの問いかけに主人はちょっと悲しそうな顔をした。
「一年ほど前に体調を崩してそのまま……僕が継いだんです」
「ん、あぁ、お前あの時の坊主か」
「若輩者ですが、坊主はさすがにないでしょう騎士様」
情けなさそうな主人の声に思わず笑みがこぼれる。何をお召し上がりになりますか、と聞かれて果物と答えておいた。ではとっておきをお持ちしましょうと言って引っ込んだ彼が木の器に盛ってきたのはイグリッサの実。黄色っぽい、ところどころオレンジ色の艶やかな丸い果実があふれんばかりに盛られている。
「綺麗だね」
「裏の庭で今が盛りなんです。傷みやすいのであまり都にはないと聞いたことがありますよ」
「たしかに、本でしかみたことない」
どうぞ、と机に置かれるそれはさわやかに甘い香りを漂わせている。僕は仕事に戻りますが何かありましたらすぐに呼んでくださいね、という主人を見送ってからひょい、とヴィーの大きい手が一粒つまんで口に放り込む。咀嚼するたびに甘い香りが強くなった。
「あぁ、確かにうまいな。ノーチェ、お前も食ってみろ」
わくわくしながら口に一粒、イグリッサを入れる。少し弾力のある皮に歯を立てるとぷつりとはじけて、柔らかい果肉が口に広がった。んー……。
「ん?珍しいな。気に入らなかったのか?」
「……よく、わからない」
「味が?」
「香りはするし味もわかるけど……食べた気がしない」
もぐもぐと親指の爪ほどある種の周りの果肉を食べて種をつまんで取り出す。甘いし、酸味もあるし、香りは豊かだし、なのになんでこんなに食べた気がしないんだろう?微妙な気分でもう一粒、手を伸ばして口の中に放り込む。うん、味は良いよね、種は持ち帰って団長さんの家の庭に植えてもいいか聞こうかなと思うぐらいにはおいしい。
「……小さいからか?」
「かな?」
何となく釈然としないながらごちそうさま。この果物だけかと思っていたらその日の夕食にどうぞと出されるこの村の果物、すべてが妙にすかすかだった。
そろそろ寝ようかな、なんて。それなりに果物を食べたのにまったく満足感がないという微妙な気分で考えていると、団員の一人が奇妙な顔で近づいてきた。ヴィーの近くでよろしいですか、と声をかける。
「なんだ、報告か?」
「は、周囲の見回り終了しました。異常ありません」
「クラウス、ありがとう」
報告に来るのも当番制なのか、日によって違う人なのでねぎらいの意味もかねて名前を呼んで声をかける。丁寧にこちらに頭を下げたクラウスはまたヴィーに向き直った。
「一つ問題が」
「なんだ」
「水鳥が飛ばせません」
「……ん?失敗したのか?」
「は、イスミが飛ばそうとしたのですが……」
「その口ぶりからすると今日はもう飛ばせないのか」
「ええ、消耗していましたので。いかがしましょう、本日の団長への報告は見送りますか?それともほかのものに再度行わせますか?」
水鳥の魔法は結構高度なものらしく、俺の旅についてきた炎狼騎士団の人たちでも三人しか使えない。うち一人はレンで、レンはすごいんだなーと思ったが連日飛ばすもの無理で一回使ったら一週間は疲れてしまって使えないらしい。レンを除く二人が交代で、村に泊まるたびに団長さんに報告を入れていたらしいんだけど。
「……ノーチェ」
「はい?」
「嫌な感じはするか?」
「……馬車で感じていたような暗さは、ない」
「……。質問を少し変える。何か、いやじゃなくても変な感じは、するか?」
その質問に軽くため息をつく。嫌な感じはしない。違和感というほどのものもない。ただ、釈然としない感覚は、ある。落ち着かない。言葉にするほどの何かもないのだけどね。
「……なにか、おかしい。暗くはない。嫌でもない。でも、何か、が違う……ような……」
「……わかった。なんとしても今晩中に団長に連絡を取るぞ。シュヴィルに水鳥を飛ばす準備をさせろ。いけるか」
「は、もうすでに数日経ちましたし力の補充は十分かと。伝えてまいります」
「頼んだ。……ノーチェ、悪いが水鳥を飛ばすのを見ていてくれ。寝るのはそのあとだ」
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