ヴィー

 炎狼騎士団は10の小隊で構成された団になっている。小隊一つにつき30名が所属し、小隊長は10名のうち3名が平民、7名が貴族と定められている。常に3の隊が王族の警護にあたり、5の隊が王宮の警護に当たる。2の隊は休暇や訓練を行う。現在、俺の所属する第7小隊は訓練期に当たっているため、三日の訓練の後に一日の休みを取る生活が続いている。これが警護であったら五日から九日に一度の休みになるからありがたい。いや、休暇じゃないことを残念がるべきかねぇ?

 いずれにせよ、俺は非番になるたびにノーチェのところに顔を出している。


 「ノーチェ、寝てるのか?」


 木陰で座り、本を片手に目を閉じているノーチェを見て微笑ましい気持ちになる。あるかなしかの風に揺れる髪。地味だが仕立ての良いシャツとズボンから覗く真珠色の肌。見た目だけならどこか恐ろしさを感じるほどだが、


 「ヴィー……今起きた」


 瞬きをしながら答える動作は人間らしい。出会った当初の浮世離れした人形らしさはだいぶ消えて、名前で人に呼び掛けることが多くなった。名前を、省略形であれ呼ばれた時の心地よさは変わらないどころか増しているような気がする。自分が肯定されている感覚。悩みは消え、泣きたくなるような幸せが胸を震わせる。

 心配なことがあるとすれば、一度倒れたと聞いたことだろうか。過去について聞かない事、とその後団長に言われた。従姉のエスターに話を聞いたときにはらわたが煮えくりかえったが、あいにくと広域犯罪の捜査は風蛇騎士団の担当であり俺の仕事では、ない。まぁ仮にノーチェを虐げていた人間が見つかった暁には兄に頼んでヴィアトール家の権力を最大限使って苦しめてやるつもりだが。

 あとは、そうだな。自分から人に話しかけることがほとんどない。そして自分を主語にして話すことも、ない気がする。ノーチェは自分の事をどう思っているんだろうな?私、俺、僕……団長に懐いているようだから私、と言うようになるんだろうか。

 好奇心はあるようだが、俺やレン、団長が時たま与えている土産は使用人に聞いたところ部屋に飾っているようだが扱いに差はないようだ。食事以外で何かを好むのを見たことがない。ああ、読書はしているか。手に持っている本の題名を見ると、俺が苦労して、ついでにエスターに罵倒されながらどうにかこうにか読み終えた本だった。もちろんその時頭に叩き込まれた知識や注釈はほとんど消え去っている。

 ノーチェはどうなんだろうな。興味深いと思っているんだろうか。退屈だから読んでいる、という嫌々さは感じられないんだが……もうちょっと自己主張とか。そう言ったものを育てて欲しい。

 俺、レン、エスターと団長もそう思っていたらしく、この間相談したらお金を持たせて街を歩かせてみることになった。

 自分で気に入ったモノを選ばせて買わせれば、良いんじゃないかなと。






 というわけで馬車でゆられている際に金を渡す。計算が早いのは流石というか、エスターも家から一歩も出さない状態で良く満遍なく知識を網羅させているものだ。我が従姉ながら優秀だ。……貴族の女性としての評価はさておいて。従姉殿も、何事もなければ今頃はどこぞに嫁いで子供を育てる幸せを味わっても良い年頃なんだが。むしろ行き遅れ……は目の前で言ったら殺される。

 表情はよく分からないが少しばかり嬉しそうな空気を漂わせていたノーチェは、思いがけない言葉を発した。いや、お前。ナッサ焼きって。

 記憶力がいいことをほめるべきなのか選択の微妙さにがっかりしたらいいのかわかんねぇよ。ナッサは街中には流石にめったに出ないが、王都を少し出たら草原で巣を作っている草食の動物だ。攻撃の手段を持たない上に特徴的な跳ね方をするので捕獲も容易い。繁殖力が強いから狩られつくすことはないが、ありふれすぎていて正直値が余りつかない。屋台で売っていたのはおそらく捕獲しすぎてしまった農民が軽く木貨を稼ごうとしたもんだと思うんだがな。ナッサ焼きだけで生計を立てるにはよほど調理をうまくやらなきゃならんだろう。

 興味を示していたがまさかあの時から食べてみたいと思っていたのか……?団長の家で食べられるものは簡単であっても一級品だろうに……。

 ノーチェの着ている服を見る。一応、今日の俺は炎狼騎士団の制服を着ている。悪い奴よけ、というか。んでもってノーチェの服は貴族もどきだ。団長は公務についているからそうではないが、愛し子と言うのはそもそもあまり人前に肌を晒さないものだ。大体の愛し子は貴族以上に肌を隠す。現に、ノーチェも長いズボンに靴、詰襟が首を覆った上着は膝ぐらいまでの長さ、袖は手首まであるし手袋だってしている。そして豪華だ。髪と目の色に合わせて黒の布を使っているが、金と銀の糸で刺繍がしてあるあたり、買った団長と意匠を任された店の意気込みが表れている。どんだけだよ。絶対高いぞ。まぁ俺が贈った服も似たり寄ったりの価格なんだろうが。

 貴族には貴族らしい装いと言うものがあり、愛し子には愛し子らしい装いがあるってことだ。んでもってノーチェは遠目で目の色が確認できなかったとしても愛し子だとわかる程度の服装。傍らには自分で言うのもなんだがエリートな騎士団所属の人間。さらに荷物持ちだけをするには、洗練されすぎた動作の使用人。目立つだろうなぁ、下町だと。


 一応言わせてもらえば下町だからと言って治安が悪いわけではない。もちろん何の犯罪も起きないなんてことはないが…だがノーチェはその、知識面の教育はしたがそれ以外は何もしていないわけで……まぁ、めったにないノーチェの願い事だからな!行くか!もしがっかりさせたりしたら嫌だし、がっかりさせたことがレンドリアに知られたら恐ろしいことになりそうだからな!







 ……顔には全然出てなかったが。楽しみにしてたんだな……。どうしたもんか、と俺より一歩下がったところを歩くアルドを見る。頭が良いし礼儀作法も完璧だし突発的な事柄にも対処できるから、執事長という身分でありながらも今回の「お出かけ」についてきた奴ではあるが。

 そりゃあ呆然としてしまうよなぁ。

 ……石畳で舗装されてはいるが、もちろん隙間は存在している。好きな店から入ってみろと言ったらノーチェは少しうろうろしたわけだが。


 「ヴィアトール様」

 「なんだアルド」

 「見違いではありませんね?」

 「だなぁ……」


 足を下ろしたところから草がするすると生えていく。特に名前もないような雑草だし、石畳を割るほど勢いがあるわけでもない。足を下ろしたところがたまたま隙間だったらその土から少しばかり生えていくだけのものなんだが。


 「あれ、生えてるよな」

 「そうですね」

 「……庭に出たときはそんなことはなかったな?」

 「ええ、さすがに。少しばかり花の持ちが良い気がすると庭師は申しておりましたが」

 「感情が高ぶると力が増大すると聞いたことがあるような……楽しんでくれてるのがわかるのはいいが、ちょっとやりすぎ……あ、入る店を決めたみたいだな。一緒に入るか」





 「……ロザリアの花ね」

 「良い花ではありますが」

 「あれ、一切の力の行使を受け付けない花だよな」

 「ですから取引価格も高いのです。栽培に魔法を使えませんし、時魔法を使って開花時期を調節することもできませんから……」

 「咲く準備が出来たつぼみじゃなかったよな」

 「ですね」

 「ノーチェが団長に言う前に、俺たちのほうから伝えておいた方がいいかもしれないな……いくら団長でも驚くだろうけど、あの人ノーチェの前だと格好つけてるし」

 「ヴィアトール様、そのおっしゃりようは……」

 「事実だろう。それに団長が驚くと不安がるかもしれん」

 「左様でございますね、では申し伝えておきましょう」

 「……。歩いた距離のわりに疲れないと思わないか」

 「……疲れませんね。実はわたくし、荷物の量の割に軽いなと感じているところです」

 「ノーチェ多分、買い物をすげぇ楽しんでるよな。無差別に祝福してる状態だろうこれ」

 「ですね……楽しんでいただけているというのは実にありがたいことですし喜ばしいのですが……」

 「下町が怖いと思ったのは生まれて初めてだ……」

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