晴:デジャヴ
「俺と晴は突入する! お前らはトラックの中に危険物がないか見ておけ! 連絡は無線で!」
上司が部下たちに指示している間に、私は真っ先にサヤカちゃんのところへ向かう。悠佑くんは鍵のかかった部屋の鍵を開けた。やっぱり、一連の騒動の黒幕で間違いなかった。満足してる場合じゃない。部屋の中に入った。そこには、包丁を持った悠佑くんと、縛られたサヤカちゃんが立っていた。
やっぱり、追跡の時にもうちょっとスピードを出しておくべきだっただろうか。束縛されたサヤカちゃんは人質となってしまった。後から追いかけて来た上司も、この部屋で何が起きているか瞬時にわかったらしい。
「あなたも、動かないでください」
悠佑くんに静止させられた上司は苦虫を噛んだ顔をする。
「悠佑くん、何が望みなの」
「望み? そうですねえ……。サヤカと僕が一緒にいられる権利と、僕が追いかけられない権利、あと、サヤカと一生一緒に過ごせるお金ですかね」
ふざけないで、と言いかけたが、この男、本気で言っているらしい。一方のサヤカちゃんは、聞いているのかいないのか、視線が宙に浮いていて何の反応もない。ただ、その体はぼろぼろで、誘拐されている間に想像を絶するような何かがあったことは理解できた。
「要するに、俺らはお前らに何もするな、って事か?」
「そういうことです」
上司は舌打ちをする。正直、私も悠佑くんを今すぐにでもぶん殴って逮捕したかった。それは抜きにしても、みすみす悠佑くんの言う事を聞いているわけにもいかない。形勢逆転の秘策はないものか。部屋の中を不自然にならない程度に物色するが、こまめに掃除した甲斐あってか、何もない。時計が2つあり、テレビやらベッドやらがあるが、武器になりそうなものはなかった。私たちから距離を取るためか、悠佑くんは後ろに下がり、窓際に近付く。その向こうにベランダが見えた。そこから誰か不意打ちしてくれないかな……と思った矢先、閃いた。朝平さんの部屋から、そこのベランダまで行くことができたら……!
「晴、お金の手配をして来い。”玄関から”外に出てな」
「……はい」
上司も気づいたのだろうか。私を見る眼差しには期待がこもっていたような、そんな気がした。私は外に出て、朝平さんの部屋に入る。できるだけ音を立てずに、こっそりと。トラックのほうを見てみると、サヤカちゃんのバッグを持った同僚たちが『なにしてるんだアイツは』みたいな顔をしながら私を見ていた。いいジェスチャーを思いつかなかったので、親指を立てる。同僚たちも、わけはわかっていなさそうだが、取りあえず頷いてくれた。とは言いつつ、無線ではひっきりなしに質問攻めにされている。下手に声を出して感づかれたらお終いだし、無視しておいた。
朝平さんの部屋の中に入ったら、力のない姿の観葉植物が置いてあった。なんだかんだ言いつつ水やりをやっていなかった。ごめんなさい。事件が終わったら水あげますんで。心の中で謝りつつ、ベランダへと繋がる窓へ手をかけようとした瞬間。
「……ハハハ!」
悠佑くんは突然高笑いをし始めたのが無線越しに聞こえた。もともと正気ではなかったようなものが、とうとう本格的に精神状態がまずい方向にいってしまったか?
「あなたたちの作戦がわかったんですよ! 隣の部屋からベランダに移動して、僕の後ろの窓から侵入するって!」
「!?」
無線越しで声を聞いているので隣の部屋の様子を確認する方法はないが、おそらく、今ノコノコとベランダに出てしまうとサヤカちゃんの身が危険だ。こういう時は上司の指示を仰ぐのが鉄則だが、その上司は悠佑くんと対峙しているのでそんな余裕はない。一度、玄関から外に出てみる。私の姿に気づいた同僚たちは腕でバツ印を作って「絶対に行くな」というポーズをとった。……こういうときはどうすればいいんだ。
しかし、なぜ作戦を読まれたんだ。我ながら単純な作戦だとは思ったが、朝平さんの部屋に入る前から物音をたてないように気を付けていたから、私が建てた物音のせいではない。この土壇場に来て、急に頭がさえてきたのだろうか。勘弁してもらいたいものだ。うかつに行動がとれずにやきもきしていると、
「晴さん、サヤカの部屋にきてください」
と悠佑くんに指示される。うわあ、いうまでもないが絶対何かされるな。これまでさんざん追っかけまわして邪魔してるから。
「聞こえたか? 作戦は失敗みたいだ。こっちに来てくれ」
「聞こえてます」
しぶしぶ朝平さんの部屋を出て、隣のサヤカちゃんの部屋にお邪魔する。銃を構えた上司、ぐるぐるに縛られたサヤカちゃん、その首に包丁を突き立てている悠佑くんの三人がこの部屋の中にいる。私が部屋に入っていくのを確認した悠佑くんはニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべている。前にも、誘拐犯にこんな顔をされたような覚えがあるし、もうだいぶ慣れた。サヤカちゃんの手前、怖気づかずに、あくまで自身を持った風に装って悠佑くんに近づく。
「……で、悠佑くん? 私を呼んだのにはわけがあるんでしょ?」
上司がこの状況を打破する策を持っているのか確認したかったが、悠佑くんにガン見されているし、変に目線を送ることも表情を確認することもできなかった。私の中ではもう隙を見て強引にサヤカちゃんを奪い返す、いわゆる強行突破くらいしか思いつかない。
「オマエは僕の計画を台無しにされたしね。サヤカともう一人、保険の人質がほしいんですよ。サヤカはできるだけ殺したくないですが、あなたなら容赦なく殺せる」
……サヤカちゃんはあんまり殺したくない? 何かの復讐をしたいとか、そういうのではないのか。この子が何を思って事件を引き起こしたのかがいまだに読めない。それより、この私が彼に近づいた瞬間に私かサヤカちゃんが殺されそうな状況、どうやって抜け出そう。
「あと何人か警察の人がいますよね? その中から一人だけ、ロープを持ってきてください」
「……聞こえたか? 待機してる連中から一人、ロープを持ってこいとさ」
上司の諦めのような、ため息交じりのぶっきらぼうな声が無縁と私の耳の両方から聞こえる。いや、ちょっと。ここで諦めないでくださいよ。かわいい後輩がどうなってもいいんですか、と思う余裕もいい加減なくなってきた。悠佑くんは今のところ隙を見せそうなそぶりはない、というか、一歩も、心臓すら動いてないんじゃないのかというくらい微動だにしない。このまま隙を見せられずに、縄で縛られてしまうと一巻の終わり。一切のチャンスが巡ってくることはないだろう。それまでになんとかしなければ……。
自分でも顔が引きつっているのがわかる。一方、包丁で脅されているサヤカちゃんは、恐れとは違う、別の表情を浮かべていたが、悠佑くんはそれに気付かなかった。
「……ロープがなくて、早急に買ってくるそうだ」
「早くしろ」
上司は悠佑くんの横暴な態度に小さく舌打ちを打つ。頼むからこんな時に彼を刺激するのはやめてくれ。
何分経っただろうか。ヒモを買ってくる警官がまだ帰ってきていないようだった。私の命に関わるわけだし、できるだけ時間は稼ぎたいが、そうすると今度はサヤカちゃんの命が危うくなる。このアパートのまわりにパトカーやらいろんな野次馬ならぬ野次車が見物に来ている音が聞こえた。安全なところから呑気に見ている場合か、と心の中で悪態をつく。それは、この場にいた全員が思ったようで、上司はため息をつき、悠佑くんも私たちを見ながらも眉間にしわを寄せている。ただ、肝心のサヤカちゃんはこれに気づいていないようだった。どうにも様子がおかしい。私たちがいない間にひどい目にあわされていたのはその顔にできたアザやら泥やら、服に飛び散っている地を見ればわかる。とは言っても、それで心を閉ざしているとか、そういうことでもなさそうだった。ただ、単純に何かを考えている、……待っているのか? そんな様子だった。それを見ている私と上司は、何もできることはなく、ただ時間が過ぎて、ロープがこの場へ届けられるのを待った。
私たちの背後から、廊下を走る足音が聞こえた。その音が近づくにつれ、包丁を持つ悠佑くんの右手に力が入っていくのがわかった。
「買ってきました」
背後からとぎれとぎれの声が聞こえる。この声は私と同じ年度に警察官になった、いわば同期の声だな。
「遅いですよ。では晴さんの体を縛ってください。緩めとか、すぐ解けるように結んでいたら、どうなるかはわかりますよね」
「テレビ局のカメラとかも来てて、道路が混んでいたんで、勘弁してください」
同期が近づく足音が聞こえた、そう思ったとき、
「晴さん、覚えてますか? あの日、私と一緒に見に行った映画」
「は?」
同期が間抜けな声を上げる。私もつい上げそうになってしまったが。映画というのは、『バディ警官』のことだろう。それがどうかしたのか。
「私、正直に言うと、あの映画を観終わったらもう逮捕されてもいいかなって思ったの」
「犯人じゃないのに、逮捕されるだなんて言うな!」
上司が急に叫びだし、サヤカちゃんは少し驚いたような顔をするが、笑みをこぼした。笑うところか。急に自己主張してきた上司も上司だ。どうしたんだ一体……。私の後ろにいるからどんな顔をしているのかはわからないが、サヤカちゃんではなく私が怒られているような気分になる。当のサヤカちゃんは視線を私に戻し、話を続ける。
「でも、あの日、晴さんと一緒にあの映画を観てから、逮捕されたくなくなったの」
逮捕されたくない動機、滅茶苦茶すぎないか? 普通、「晴さんが真犯人を逮捕するって言ってくれたときから~」じゃないの? ……あれ、なんか、この変な自分語り、以前にも聞いた覚えが。
「オイ、イミノワカラナイコトヲイウナ、サヤカ!」
悠佑くんがカタコトみたいな早口でサヤカちゃんを責めたてる、その瞬間、サヤカちゃん(と上司)が何をしたいのかが理解できた。サヤカちゃんと悠佑くんの後ろに置いてあった時計を見る。夜の10時42分。もう、これしか思いつかない。
「これ以上、不吉なことを言わないで……?」
確認を取るような声を発したら、サヤカちゃんの目に光が宿った。マジですか、本当にやる気ですか、アレを?
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