晴:協力者

──サヤカの家──

 晴さんが返っていった後は、特にやることもなかったので苦手教科である古文の勉強をしていた。教科書の周りに古文単語リストや文法書を広げながら読み進めていくと、どうやら、身分違いの恋に落ちてしまったヒーローとヒロインが駆け落ちをする恋愛物語のようだ。

「はは、悔しいなあ」

晴さんの言葉を思い出す。ちょっと、悠佑と付き合うことになって浮かれてしまったせいか、言わなくてよかったことをベラベラと喋ってしまった。それ以降はちょっと重たい雰囲気になってしまったような気がする。晴さんは恋人を探している途中だったみたいだし、私のいらない自慢に気を悪くしたかもしれない。私がそば屋のトイレに行ってから帰るまでの間、晴さんは誰かと電話をしていたが、それ以降の晴さんの様子はいつもよりぎこちなかった。私がお店から出てきたら焦ったように電話を切っていたし。捜査のほうで何かがあったのかもしれない。

 物語を読み進めていく。物語の終盤、男女は価値観の違いで仲違いしてしまい、最終的には憎しみからの殺し合いに発展してしまい、その果てに2人は心中して幕を閉じた。なんて話だ。中盤までは2人の登場人物に私と悠佑を重ねて、度重なる嫌がらせから逃げて幸せな隠居生活を送る妄想を浮かべていたが、かなりヘビーな結末で終わってしまったせいで、物語そのものに感じていたモヤモヤが余計に強くなってしまった。机の上に散らばっていた色んな本を一気に閉じた。ハッピーエンドで終わりそうな物語を探してみてもいいが、運悪く悲惨な物語を引き当てたら立ち直れない。リモコンを手に取り、テレビを点けると、見たことのあるドラマの再放送がやっていた。他に見るものもないし、心がこの場にないような気分で見ていると、ちょうどドラマのエンディングが流れ始めたころに、玄関のチャイムが連打された。またイタズラか。朝平さんがいたら怒られていたぞ、と思いながら玄関の覗き窓を覗いてみたら、息を切らしてチャイムを何度も叩き鳴らす、半狂乱したような悠佑の姿があった。さっき読んだ古典の物語の結末を勝手に思いだそうとする頭の動きを抑えつつ、どうしたのだろうとドアと開けた。扉の間から冷たい風が入ってくるとともに、アパートの前に停めてあるのだろう車のエンジン音も聞こえた。



──晴の車──

 数人の住民からしか話は聞けなかったが、やはり、男の子が玄関の前で座っていたという証言がちらほらあった。

 最後に聞き込みをした中年の女性を見て、私がいつ黒塗りのトラックについて聞いたのかを思いだした。そうだ。私が合鍵男と遭遇する日の夕方、近所のおばちゃんが、私の家の前に黒いトラックが停まっていたという話をしていたのだ。サヤカちゃんのアパートにはそんな車を所持している人はいないようだった。すると、一つの仮説が生まれた。

「つまり、合鍵男が黒色のトラックで移動していたと」

「そうです。今のところは私とサヤカちゃん、合鍵を作られた人の住居にしか黒いトラックが停まっていたという話はありません。聞いてますか?」

「聞いてるよ」

私は上司と一緒にサヤカちゃんが服を買った店の監視カメラを見ている。上司によると、同じ女物の服を買った人で一人、高校生くらいの男子がいたという。この証言で悠佑くんへの疑いは決定的なものになったが、もしかしたら悠佑くんとは別の人が、彼女への贈り物に買っていったものかもしれないので、ついでにその男の子が現れたという日の録画映像を見せてもらうことにした。その日は、サヤカちゃんが遅刻する前日、朝平さんがサヤカちゃんの部屋の前で座り込んでいる高校生を目撃したあの日だ。この日この店でサヤカちゃんとお揃いの服を買っていたとすれば、その時に着ていた服装は……、

「おい、この男、アイツに似てないか? 黒い上着に、水色のズボン」

「はい。朝平さんが見た、合鍵を作っていそうな怪しい男子と服が同じです」

夕方を過ぎて閉店が近くなり、客のいないフロアを一人歩くその男子──悠佑くんにしか見えない男の子は店内を物色している。見ていたのは、男物ではなく女物だった。フラフラと歩いては立ち止まって服をじっと見て、またフラフラと歩きまわる。深夜に徘徊して町内の家を物色しているような動き方だなあ。悠佑くんは、陳列棚に掛かってあった衣服の一つに手をかけた。サヤカちゃんが持っていた服と同じものだ。それを手に持ち、もう一着も手に取った。

「先に取ったのが夢に出てきたほうで、後が学校のカメラに映っていたほうです」

「はは、確定だ。グレーどころじゃない。真っ黒だ」

今度はズボン売り場へ向かい、スカートとズボンを手に取って、裏返してみたりラベルを見たりしている。サヤカちゃんと同じものか確認したのだろうが、実際、同じものだった。

 それを持ってレジへ向かう。それをレジに通している店員さんの苦笑いはカメラに映っていたが、悠佑くんの表情は見ることができなかった。

「どんな気持ちでこんな服を買ってたんだろうな。その表情が見てみたかった。でも、顔は映っているし、買った服も同じってことがわかれば立証には十分だ。この映像、しばらく貸してもらおう」

店員を呼んで、映像を貸してくれるよう頼んだ。ディスクに焼いているものがあったので、それをコピーしたものをもらう事ができた。悠佑くんが犯人だとは考えたくなかったが、こうも証拠が出てきてはしょうがない。とはいえ、動機が不明だし、サヤカちゃんみたいにドッペルゲンガー、というか、なりすましの可能性だってないこともない。一回、話を聞いてみて、それから彼を信じるか信じないか決めよう。

 それぞれ別の車に乗って店に来ていたので、車に乗ってから警察署までは悠佑くんが犯行を行った動機について考えていた。

 延子さんが刺されたのは、私やサヤカちゃんが知らない2人の間だけの問題があったかもしれないので知る由もないが、サヤカちゃんの服を買ってまで変装して一連の事件の犯人に仕立て上げておいて、わざわざ彼女を庇う理由がわからない。サヤカちゃんは庇うのに、同じく彼女を庇おうとしていた私を襲おうとした。今にして思えば、彼にはそこそこ悪態をつかれていたような気がしてきた。私が気に入らないから殺そうとしたとか? そんな動機で殺されかけてお尻に何十針も縫われることになったなんてことを聞いたら怒りで気が狂いそうだ。

 あと残っている問題は、どうやってサヤカちゃんの顔になっていたかということと、その動機。そういえば、サヤカちゃんが遅刻した日の朝、延子さんと例のドッペルゲンガーが話していたなんて話もあったな。男の子が女の子の声、しかも、その子の親友を騙すほどそっくりにするなんて、並大抵ではない練習をしないとできないだろう。そうなると、延子さんも共犯なのか? じゃあサヤカちゃんを犯人にしようとした理由は? と思考のループに陥って同じ単語が頭の中でぐるぐるしていった30ループ目くらいで警察署の建物が見えてきて、はっと我に返った。


 警察署内がやけに暑かったし、考えすぎで頭も熱くなってきたので着ていた黒のトレンチコートを椅子に放り投げる。服の間から、ぬるめの風が入ってくる。さわやかではないが、冷たさは感じるし、窓を開けても怒られそうなのでこれで妥協することにした。

「はー疲れた。事件のことを考えるだけで頭が痛くなってきちゃいましたよ」

「黒の人間がわかっても、他のわからないことが多すぎるからな。お前が早めに知らせてくれたから、その分、真犯人の逮捕も早くはなるだろ」

ここぞという時に着るようにしているトレンチコートは、一応はサヤカちゃんに私の過去を話そうということで着ていたのだが、その後に行った服屋でも大当たりの情報が手に入ったし、ちょっと前には誘拐犯が使っていた車も見つけられた。この服はもしかしたら幸運か何かを運んでくれる服かもしれないな。わざわざ割高な服を買ったご利益だな。とか温まりきった頭をクールダウンするために変な妄想を繰り広げていたら、上司が耳をやたら触っているのが気になった。今まで気づかなかったが、耳には無線のヘッドセットではない何かの機械が装着されていた。

「耳、どうかしたんですか?」

「いや、実は昨日補聴器を買ったから付けてみてるんだが、どうもさっきから耳鳴りがしてな」

「耳、悪かったんですか?」

「若干な。やっと歳相応の聴覚になってきたようだったから、その記念に奮発して高めのやつを買ってみたんだが」

「それ、補聴器の不具合とかではないんですか?」

「どうだろうな。車に乗っている間は気にならなかったのに。というか、お前が来てから補聴器が変になったんだ。お前、体から変な電波出してないだろうな。電波法違反の罪で逮捕するぞ」

「そんなわけないじゃないですか! 私の上着のポケットに携帯した綿棒を入れてると思うんで、使ってくれていいですよ。たばこの箱みたいな救急箱の中に入ってるので、勝手に取ってください」

「お前、救急セットならまだしも綿棒まで持ち歩いてるのか」

「傷口に消毒液とか塗るときに意外と重宝するんですよ」

「なるほどな。……おいおい、これ、何だ?」

「ちょっと! 勝手に別のポケットの中を漁らないで……なんですか? それ」

上司が何か変なものを見つけたのかと振り向いてみると、救急箱を入れておいた方のポケットを探したらしい上司は、救急箱とはまた違う、すこし大きいサイコロのような立方体で銀色の外装に赤色のランプが点滅している箱を持っていた。なんだこれ。私もそんな箱に覚えがないぞ。上司はその中を外身の隙間から覗いたり、覚えている情報を頭からひねりだそうと上を向いたりして、その末に言った。

「……これ、GPSの発信機じゃないのか」

上司の言葉に、その周囲の空気が4秒ほど静止する。私たちの周りで資料を漁ったり話し合いをしたりしていた部下も、一斉に上司と私のほうを向いた。静止が終わり時が動き始めた瞬間、上司が立ち上がり、その周りにいた部下たちに大声で指示を出す。周囲にいたその部下も一気に騒がしくなった。この発信機について私が知らない時点で何かの事件に関係があるのは明白だった。

「おい、誘拐犯が出て以降でこの服はいつ何する時に着ていた! 最後にポケットを確認したのはいつだ!」

「最後に確認したのは誘拐犯が出る前でしたが、その後は私が誘拐犯の車を見つけて一旦こっちに帰ってきた時、久しぶりに着るまでは着ていませんでした」

「車を見つけた日か……」

「それ以外だと、朝平さんの会社に乗り込んだ時、それと、今さっきまでです」

「くそ、どれも微妙に怪しいぞ」

「とは言っても、私のポケットにそんなものを入れさせる隙は与えた覚えはないですけどね。特に朝平さんは彼自身がプライベートゾーンに入ってくるな、って雰囲気全開でしたし。サヤカちゃんと会っている時の隙も、強いて言えば車の運転中くらいですけどバックミラーで彼女の顔色をちょくちょく窺ってた限りではそんなそぶりはなかったですけどね。あとは……そば屋」

「事件の関係者がたまたま同じそば屋にいたとは思えない。となると、誘拐犯の車を見つけた時くらいだが、俺や俺の部下がお前に発信機を付けるメリットは無いはずだ。あったら非常に面倒くさい話になるから当然違うと思いたい。じゃあ逆に、お前は最近の中で、誰に一番体を近付けた? 何だったら、もうそのトレンチコートを着てないときでもいいから、順番に思いだしてくれ」

次々と質問攻めにしてくる上司の顔からは、呆れ半分喜び半分といった顔が見て取れた。私の服から発信機が出てきたことで、事件の謎を解き明かせそうな段階に近付いていけているのだが、逆に、警察官である私の服からそんなものが出てきたということは、色んな情報が外部に漏れている可能性が高いのだ。下手をしたら沈静化してきていたここの警察への風当たりが更にひどくなっていくだろう。私もそのことは重々承知している。焦って混乱してしまわないように、ゆっくり最初から考えて行こうとした。

「じゃあ、最初に誘拐犯の車を見つけた時だな。あの時は、学校に行こうとして、引き返したところでその車を見つけたんだったな」

「そうです。皆で確認しに行こうという時にこれを着て、出て行きました」

「それで、ポケットにあの箱を入れることができるほど接近したのは俺含む警察官だけだったよな。犯人はその時いなかったはずだし」

「あ、あと、誘拐されていた被害者の黒田玲穂玖さんの体を……温めるのに……」

「……押し競饅頭をした、って、言ってたよな……?」

が、答えはあっさりと出てきてしまった。この時以上に誰かと密着したことはなかったのに、すっかり忘れてしまっていた。まさか、被害者が協力者だなんて……と思ったところに、私が夜中に寝室で襲われた日の誘拐犯との会話を思い出した。


「誘拐されて社内に監禁されてる人がいたら持っていく以外ないでしょうが」

「その時は誰も……」

「いたでしょうが! あの人かなり怯えて震えてたんですけど!」

「そうだった。お勤めご苦労様なことで」


念のため、その会話について上司に伝えると、呆れかえった顔をされる。

「……まあ、もっと前に言われてもピンとくるかはわからないし、むしろ今わかって良かったかもな。盗聴までされていたのかは知らないが、協力者は見つかるまでまだ時間があると油断してるだろ、きっと。そういうことにしといてやる」

「私の失敗でもありますし、手は早めに打つべきですね。行きましょう」

私は椅子でしぼんでいたトレンチコートを広げ、袖を通す。そして、車まで走る。

「……あーあ。晴も新人卒業かな。とうとう」

上司の声は署内の喧騒に紛れてよく聞こえなかったが、こう聞こえたので、こう言ったことにしよう。後ろを振り向くと、嬉しそうな顔をしながら走っている上司がうつむいた。

 ……ただ、この時。マナーモードにしておいた携帯電話が震えているのに、予想外の上司の褒め言葉に舞い上がって走っていた私は、気づくことができなかった。日が落ちるのも早くなってきていて、時間的には夕方のはずの外は夜に近いくらい真っ黒に染まっていた。

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