サヤカ:10時44分
よし、サヤカちゃんは私がちゃっかり二人分払ったことに気付いていないようだ。昔、上司に奢られた時は今のサヤカちゃんと同じような事を言って私が払ったが、結局、私が払ったぶんのお金がいつの間にか私の財布の中に帰ってきていた。今にして思えば人の財布を勝手に開くなという気持ちでいっぱいだが、とにかく嬉しかったのは覚えている。
ご飯も食べ終わったし、さてどうしたところかというところに、映画館の公告が張ってあった。 京成くんが主演の映画で、数日前に上司と話をしたあの刑事ドラマの映画版だ。上司がうっかりネタばらしをするより先に見る必要があったが、結局はここ数日間のドタバタのせいで全く見に行く暇ができなかったのだ。
(……やばい。見に行きたい。でも……)
サヤカちゃんがいるしなあ……と私から見て広告ポスターと逆方向にいた彼女のほうを向くと、私と同じくポスターを見ていたらしいサヤカちゃんと目が合う。
この瞬間、二人の心が通じあった。この子も くんファンだ……! 私はポスターを指して言った。
「行っちゃう?」
「行っちゃいましょう!」
決まりだ。そうとなれば、私が大人の映画鑑賞を教えてやらないとな。
──映画館──
私と同じく京成くんファンだと判明した晴さんの向かった先は映画館ではなくコインロッカーだった。大人の映画がどうこう言っていたが、それと関係があるのだろうか。
「じゃあ、ここにいらない荷物を入れて」
「え、荷物ですか?」
「そう。変に荷物を持って行ったりしたら荷物が気になって集中できないでしょ? だから、いつもこうやって必要最小限のものだけ持っていくようにしてるの」
なるほど。荷物が膝の上やら足元にあると当たったり重かったりで気に障るし、置くスペースがある席でも誰かに触られていないか気になる時がある。特に、映画に泥棒が出てきた時とか。私はスマートフォンと財布だけ持って、バッグはロッカーの中に放り込むことにした。これで必要なものをポケットに入れれば手ぶらになる。晴さんも同じようにしたのか、手ぶらで身軽そうなスタイルにしている。
「よし、これから我々は映画館に潜入します」
「あ、ドラマで言ってましたね、そのセリフ」
映画館は公開から何日も経っているというのに未だ満員御礼で、私たちはギリギリ、チケットを入手することができ、席で上映を待っている状態だ。
「いい? 携帯の電源は切るのよ。着信が来ても困るし、そもそも出ないから。だったら気にしないようにしまほうがいいし」
そこは大丈夫だ。私も毎回、変に音が鳴って周りに迷惑をかけないか心配で、着信音が鳴らない設定にして、機内モード設定をして通信を遮断した上で電源を切るようにしている。
相変わらず何のためなのかわからない、ギーコロコロ……という音が鳴り始め、私たちの座っていた席辺りは暗くなっていく。もうすぐ開幕だ。
なるほど。今回の映画は世界で騒がれている殺人犯が何故か国境を越えてわざわざ日本でなにかをしでかすらしい。京成くん演じる刑事――京成くんでいいか。京成くんは、海外旅行中に事件に遭遇し、捜査を任される。
物語が進むにつれ、犯人が日本に来た方法やら動機やらが明らかになっていく。この犯人、恋人を悪い組織から守るために大勢の人を殺して、その恋人に会うためにわざわざ国境を越えてまで日本に来ていたという。フィクションとはいえ愛のパワーとは恐ろしいものだ。この犯人、意外と悪いやつじゃないのかも知れない……と思わせておいて、日本に来た目的は恋人ではなく恋人の父親が持っていた巨大な資産を手に入れるつもりだったらしい。汚い動機でムシャクシャするが、愛のために死力を尽くした犯人を逮捕するというのも後味が悪くなりそうだったし、その面では犯人の性根が腐っていてよかったとホッとした。そして、幸か不幸か、ある時計店で時報の鐘を鳴らす時間や回数が複雑に変わる時計の規則を一緒に見つけたことで、その恋人と京成くんは互いに惹かれあっていく。……いや、あんたには彼氏がいるでしょ。犯人だけど。
大きいビルの社長室で犯人は恋人を利用して巨額の資産を手に入れようとする。その直前で真の目的を京成くんに看破されるも、恋人の首にナイフを突きつけ人質に取って、銃と身代金と逮捕されない権利を要求してきた。京成くんのパートナーの婦警が銃を構え、京成くんは銃を渡し、犯人を確保しようと大金の入ったアタッシュケースを持って犯人に近づく。だが、犯人は受け取った銃で京成くんに銃を構えたことで誰も身動きが取れなくなり、膠着状態になったところで、しびれを切らした犯人が恋人を殺そうとした。そこから、恋人が突然自分語りを始めたかと思いきや、その中で京成くんへの合図を送ってから犯人を逮捕するまでの怒涛の流れは衝撃的だった。
「覚えてる? 私があの日刑事さんと一緒に見に行った時計」
「何を言ってるんだ、こんな時に!」
「聞いて。私、あの時計の謎が解けたら死んでもいいって思ってたの」
「これ以上不吉なことを……」
「死ぬなんて言わないで!」
パートナーの婦警が京成くんの言葉を遮った。邪魔をしないでください、と叫びかけた。これで声が出てたら完全に悪質なファンだった。
「でも、あの日あなたと一緒に過ごしてから、死にたくなくなったの」
「オイ、オマエ、コイツノコトガスキニナッテイタノカ!」
こんな感動のシーンで茶々を入れてくるな犯人め。思わず吹き出しかけた。
「4回」
女は続ける。
「あと4回だけでいい、あなたと一緒にいたかった」
ここで京成くんと、京成くんから時計の複雑な仕掛けについて聞いていたパートナーがハッとする。
(鐘が4回鳴る時、10時44分……! その時に……!)
時計の仕掛けについては難しい数式で説明されてよく意味がわからなかったし、ここで京成くんとパートナー2人ともが、4回鳴る時に……! とわかるっていう展開は都合が良すぎるんじゃないかな、脚本家さん?
10時43分59秒、恋人の人が突然暴れだす。次の瞬間、鐘が鳴り始め、婦警は構えていた銃を人質たちの後ろのガラスに向かって発砲し、警報やらガラスの割れる音やら叫び声やらで一気に騒がしくなる。それと同時に動き出した京成くんが犯人と恋人を引き剥がし、そのまま犯人を背負い投げして逮捕した。本当に、一瞬の出来事のようだった。他の人の邪魔にならないように、できるだけ笑い声をこらえる私でも、思わず驚きの声を上げてしまった。脚本の薄さを忘れるくらい、色んな出演者のアクションの濃度が凄くて、このシーンだけで満腹になってしまった。隣に座っている晴さんも、私と同じように興奮を隠しきれなかったようだった。
映画はハッピーエンドに終わり、エンディングが始まった。脚本が気になったが、肝心のアクションシーンは京成くんの若さを生かした渾身の出来だったのは間違いない。このドラマにしては珍しく観客の足が途切れるのが遅いとは思っていたが、最後の逮捕のシーンのためにリピーターになっている人が多いという事だろう。
隣の席に座っている晴さんが席を立った。私はエンディングの最後まで観るタイプの人間だし、どうしようかと思っていたら、
「気の済むまでそこで楽にしてていいよ。私もしばらく興奮しすぎて運転出来そうにないし。荷物は取っておくから、追い付いたら戻っておいで」
と残し、晴さんはおぼつかない足取りで劇場を後にした。すごく疲れてるな。大人の映画鑑賞法の影響もあるかもしれない。お言葉に甘えて、エンディングが終わっても少しゆっくりしてから帰ろう。
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