サヤカ:世代

 私は晴さんに連れられ、警察庁の近くのそば屋に来た。いつもコンビニで済ませていたし、外食を食べるのは久しぶりだ。奢ってくれるのならなおさらだ。晴さんは店に着いてからしばらくの間、携帯で誰かにメールを送っていたようだ。そして、何も注文してこない私たちに若い店員が近寄ってきた。

「かき揚げそば定食ですか?」

「ここの蕎麦、ホント美味しいよ。私の上司と外食するときはいつもここに食べに来てるんだ。あ、私は大を一つ。サヤカちゃんは何にするか決めた?」

「私は……同じのを小で、1つ」

「ほらほら、遠慮しなくていいんだよ。私に奢らせてよ」

「……じゃあ、中で」

「かしこまり! カ、大中イチでーす!」

まず、かき揚げそば定食ですか、と聞かれた時点で委縮してしまったが、それより、カ、って何だ。略されすぎてない? 8文字を1文字で表現して伝わるものなのか? とか指折りしながら考えているのを、さっき店員にかき揚げそば定食をカ、と呼ばれていたのを聞いてすらいなかったような晴さんはニヤニヤしながら見ていた。

「私たちがかき揚げそば定食しか食べないもんだから、面倒くさくなって略して言おうって言ってるうちに、一文字でいっか、ってなったんだって」

「どれだけ食べに来てるんですか」

私が以前やっていたバイトは、普通のチェーン店だった。出てくる紙の通り料理をしていただけだったので、こういう、個人経営特有の風習を見るのは新鮮で、面白かった。たまには外食もするべきかなあ、とも思った。高いのさえ何とかしてくれれば……。店の奥から、いかにも店長といった感じの、いかつい男性が大きいお盆を持って出てきた。この時期に合ってない半袖の服から出ている腕の筋肉はしなやかで鋭いうえに、盛り上がっていて堅そうだった。悠佑もこれくらい鍛えればいいのに。

「はい、かき揚げそば定食の大と中1つずつ。おう晴ちゃん、今日は別の子が来てるね。もう後輩を持てたのかい?」

「いやいや、私の友人ですよ。せっかくだから、食べに来ようと思って」

「サヤカって言います」

「そうかい。俺はこの店の店長だ。店長さんと呼んでくれ。じゃあサヤカちゃん、晴ちゃんと仲良くな。この店もごひいきに。おい! 大根おろしのおろし方甘いだろ! 手ぇ抜くな!」

店長さんは店の奥に戻ってそうそう怒鳴り声をあげた。まあ、怒鳴られるのは慣れてるから、そう驚きもしなかった。むしろ、あの筋肉もりもりの店長さんに劣らないほど怒鳴ることができる朝平さんこそ何者なんだ。そばも届いたことだし、早速食べた。なるほど。確かにおいしい。コンビニで売ってるのも悪くはないが、やはり店で食べるのとでは違いがはっきりしている。孤独なままではなく、晴さんと食べに来ているわけだし、食べながら何か話をしようかと思っていたが、箸はそばを全て平らげるまで止まろうとしなかった。私が食べ終わる頃には、晴さんはとっくに食事を済ませていたようだ。さすが店長さんに顔を覚えられているだけあって食べ慣れている。

「どう? お口に合いました?」

「はい。おいしかったです」

「なら良かった。機会があったら、また食べに来ようね」

「それにしても、晴さんも、よくこんなおいしい店を見つけましたね」

「まあ、もともと警察庁から近かったからなんだけどね。私がここに初めて来たのは私の上司に連れていかれてだったんだ。その私の上司も、さらにその上司の人に奢ってくれるって言われて初めて来たんだって」

「はあ。すごいですね。世代を渡って食べさせてくれる、みたいな」

「そうなんだよね。十年前の苦しんでた時期に初めて食べたこの味が忘れられなくてさ。あ、お金は私が出すからね。財布出さなくていいよ」

「でも、私が自分で払いたいです。そのくらい美味しかったです」

「ハハ、偉いなサヤカちゃん。特別に無料にしてやるよ。晴ちゃんはちゃんと払えよ」

「いいんですか?」

「おうとも。常連さんが増えるのが俺の何よりの楽しみだからな」

「ありがとうございます。また食べに行きます」

「こちらこそな。食ってくれてありがとうよ」

店を出ると、ちょうどいい気温の中、さわやかな太陽が私たちを照らしていた。

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