晴:身江子

「何? 入院してまで事件の事を考えてるの? えらいねー」

身江子が話しかけてくる。なんだろう。なんで私の周りにはこう、私を煽ってくる人ばっかりが集まるんだ。私だって必死に生きてるよ。私自身、それを楽しんでるというのは否定できない。なんと世知辛い性格になってしまったんだ私。

「警察官なんだから当然なの!」

「私だったらここぞとばかりに寝るわね。最近このあたりが物騒になってから不規則な生活送ってたんでしょ?」

「不規則って言っても、ほんと最近なんだけどね。数日前くらいだよ」

「いつの話でも、不規則は不規則なの! 仕事熱心なのはいいけど、たまにはぐっすり眠らないと頭まで回らなくなっちゃうよ?」

「それもそうか。まあ、ぼちぼち、今考えてることが終わったら寝るとするよ」

「絶対に寝ないやつだ。……それにしても、お互いに仕事やらなんやらで忙しかったけど、直接会ったのは久しぶりだね。なんか懐かしくなっちゃった」

「そうだね。あれがあってからずいぶん会えてなかったからね」

「はあ……あの頃の私は、ホントどうかしてたわよね。本当にごめんね? 今更すぎるけど」

「ふふ、いいよ。私ももう水に流したから」

「そう。それじゃ、行くね。お仕事頑張って」

「ありがと」

身江子と私は元々幼馴染であり、親友と断言できるほど仲がよかった。今ではすっかり元通りになったが、昔、ものすごい大喧嘩をしたことがあって、それ以来、お互いに気を遣うようになっていた。『一生直らない関係もあるかもしれないけど、一緒に過ごした時間が長ければ長いほど、きっと時間と共に許せるようになってくるよ』。誰の言葉だったか。そんな名言を放ってくれたあの人も、今では後輩とどちらが先に結婚するか競争しようとするオジサンとなってしまった。時間というものは本当に恐ろしいものだ。私はなんだかんだ本気で私を心配してくれている身江子の忠告に従ってベッドに横になった。だから、サヤカちゃんと延子さんも、きっと、仲直りできる日が来る。そう信じてるし、二人にもそう信じていて欲しい。


 目が覚めた頃には、病室の電気が点いて、外の風景は黒と黄色のネオンが広がっていた。ベッドから起き上がって病室を見渡してみると、上司が部屋の隅っこで婚活情報誌の山を半分ほど切り崩していた。この人、興味深々だな。一回、身江子を紹介してみるか。いや、身江子と上司も昔会ったことがあるんだっけ。その時の上司の姿を覚えていたらただのパワハラおじさんと化した今の上司を見たらそのギャップに失望しそうだからやめておこう。この人に恋人ができたりしたら、この人が恋人にいったいどんな態度をとるのか非常に気になる。私が見ていることに気付いて、本をバチンと閉じ、積み重なった本を再び山の形に戻し出した。

「競争するって話になったから見てただけだからな」

「はいはい、そうですか」

「どうだ? 最近、睡眠時間も削れてただろうし、よく寝れたか? 体調は?」

「まあ、睡眠不足は多少マシになった感じですね。もともと病気にはかかりにくかったんで調子はいつもと変わらないですね。お尻はまだ違和感というか痛みはありますけど」

「そうか、傷口から何か感染してないか心配だったが、こんだけピンピンしてたら大丈夫そうだな。安心した」

「とか言って外出ましたよね私。言ってることとやらせてることが剥離してますよ」

「なあに。そんなに心配されなくとも、歳をとるとこうなっていくんだよ」

「人の話聞いてます?」

「それより、今日もあっさり外へ出て行って、しれっと戻ってきて問題も発生してないしで、地上生活に支障が低そうってことで、明日の朝には退院させてくれるらしいぞ」

「そうなんですか。良かった。明日、サヤカちゃんと会うのに、外出許可が貰えなかったらどうしようと思ってたところなんですよ」

「そのことなんだが……」

「駄目とか言わないでしょうね。とりあえず、朝平さんの厚意に甘えさせてもらってサヤカちゃんの隣の部屋で過ごそうと色々準備をしようとしてたんですけど。水やりもしないといけないみたいだし」

……今日、水やりに行っていなかったが大丈夫だろうか。これで枯れていたりしたら面目がなくなるぞ。どうか生き残っていてください。

「いや、行くのは問題ない。ただ、ちょっと頼まれたいことがあってな」

「何ですか? ……なんか、頼まれごとばっかりですね」

「言うな。それでだな、ちょっと、サヤカちゃんの家にある服のブランド、というか、買った店を調べて欲しい。事件に関係ありそうなのは特に入念にな」

「服ですか? 今日の昼に言っていた、気になることと関係があるんですか?」

「まあ、そんなところだ。内容についてはその結果が出てから言うことにする。あんまり余計な事を言って、可能性を限定してしまったり場を無駄にかき回すことになったら心が痛むしな。それか、お前の考えが俺と一致したら、だな」

「とにかく真犯人が誰か考えろってことですか」

「そういうことだ。もちろん、お前を攫おうとした誘拐犯じゃない方についてもだな」

「それなんですが、その、私の家の前で待ち伏せしてた人って、サヤカちゃんの部屋に侵入した人がいたとすれば、それと同一人物っていう気がします」

「それは俺やら警察全体やらと同じだな。どのみち、捜査が進めばお前を襲うのに関与した奴はそのうち見つかるだろ。麻痺ガスなんて足の付きやすいものを残してくれたおかげでだいぶ犯人を絞り込むのが楽になってるらしい。まあ、まだ情報収集の段階だから特定するには時間がかかりそうだが」

「ですよね。サヤカちゃんを犯人にしたい人がいたとすれば、意地でもサヤカちゃんを庇おうとする私は邪魔者以外の何者でもないでしょうし。問題は、いつ私の家が特定されたのかっていう話ですよね、もしサヤカちゃんまで誰かに見張られているとしたらかなりヤバいですよ」

「確かに。誰か護衛に回れるようにちょっと本部に言ってみるか。誘拐犯逮捕で気分良くなってるだろうし、ガミガミ怒られずに済む今がチャンスだ」

「そんなに褒めなくても」

「無謀なことやって怪我をしたことは今後もボロクソに言うつもりだから覚悟しとけよ。あと、俺から言わせてみれば、誘拐犯がどうやってお前の家の場所を知ったのかってのも気になってるんだがな。あと、なんで他の誰でもなくピンポイントでお前を狙ったのかもな」

「言われてみればそうですね。夜中に出歩いた時も、できるだけ追跡を撒くつもりで動いてたつもりなんですけどね。ピンポイントで私を狙ったのは、私が最初に誘拐犯の車を見つけたからじゃないですか? あの男も『よくも俺のベースキャンプを奪ってくれたな』とかなんとか言ってましたし」

「さすがのお前でも、そんなヘマはしないと思ってるんだがな。それだったら、お前が最初にあの車を見つけたって知ってるのは俺ら警察官しかいないんだから、この中に協力者がいることになってしまうが、あんまり考えたくないな。あの男は『たまたま見つけた』って言ってて、心理学的な分析だと嘘の可能性が十分にあるらしいが、あんまり重要な話じゃなさそうだし、これで良いか、みたいな空気になっていたな」

「ちょっと、それじゃ私がポンコツ警官みたいじゃないですか! せっかく誘拐犯を捕まえたのに、その名誉をなんかこう、もっと、してくださいよ」

「まさに名誉挽回ならぬ汚名挽回だな」

「……ふと思いついたんですけど、誘拐犯に協力者がいてもおかしくないですよね」

「確かに……考えられなくはないが、少し話が複雑になってきたぞ。今のお前の話では、誘拐犯と、お前の家から出てきたのにビビって逃げた合鍵男と、他に誘拐犯の協力者がいるってことか?」

「私はそうですね。合鍵を作った男が協力者って可能性もあるんですけどね」

「いろんな可能性を模索するのはいいが、頭が痛くなってくるな。とりあえず、複数犯の可能性について報告しておくか。誘拐犯を逮捕したと思ったのにまた誰か誘拐されましたなんてことになったら昨日までの殺伐とした現場に逆戻りだ」

上司は携帯電話を取り出してどこかへ行った。ロビーに行って、部下に電話をするのだろう。もし誘拐犯に協力者がいたとしたら、どうやって私の家を見つけたんだろう。例えば、私が逃げる女子高生を追いかけている最中に誘拐犯を見つけたとき、その協力者の近くにいたとか? その時はまだ警戒は緩めだったから後を付けられていたというのは十分に考えられる。あの場には誘拐犯しか見当たらなかった気がするんだけどなあ。

 そういえば、私の身代わりになって刺さってくれたメモがバッグの中に入ってるって言ってたな。ナイフで刺されて破れてる上に血まみれで文字が読めないかと思ったが、なんとか読める程度ではあった。夜行性の人間ばっかりなのかは知らないが、正体不明の人間が多すぎて私自身も混乱してきたので、ここでちょっとおさらいしてみよう。

 サヤカちゃんの夢に出てきた、サヤカちゃんの顔をした人物は、私が夜中に見た女子高生の格好で家を一軒一軒見ながら徘徊する人物と同じだろう。正体はわからないし、家を見て回っていた理由もわかっていない。この人がサヤカちゃんのフリをして延子さんを刺したのだろう。今のところは誘拐事件の方に関わっている様子はない。

 そして、何日か前の夜、私が家から出ようとしたところで出くわした謎の人影。誘拐犯の話によると男だったみたいだ。なので、とりあえずは女子高生ではないはずだ。私の家を知っていて、私の家の前で不審な行動をしていたことから、この人物が私の家の合鍵を作って、麻痺ガスを私の寝室に充満させた可能性は充分にある。なので、私たちはこの人物のことを合鍵男と呼ぶようにしている。そして、朝平さんの『サヤカちゃんが変な夢を見た日の夜中に鍵とドアの開く音がした』という証言が正しければ、この合鍵男がサヤカちゃんの家の合鍵を作っていた可能性もあるかもしれない。サヤカちゃんの部屋の合鍵を作っていそうな行動をしている人がいなかったか朝平さんとサヤカちゃんに聞いてみよう。

 あとは、今さっきの会話に出てきた、誘拐犯の協力者だ。まず、この人物に至っては存在するかすらわからない。ただ、本当にいたとしたら、非常にまずい状況に逆戻りする。なぜなら、誘拐犯が私の家を知っていたということは、その協力者も私の家を知っている可能性は高いし、パートナーである誘拐犯も逮捕したので、何か行動を起こすかもしれない。私が思うに、誘拐犯に協力者がいたとしたら、この人物が私の家を特定したのではないだろうか。私自身は誘拐犯に身元が割られないように行動していたつもりだし、誘拐犯が直接私の家を見つけようにも、彼が私の名前すら知らなかっただろう事に対し、私は彼の顔も名前も知っていた。私に見つかるリスクがあるにも関わらずわざわざ私の家を探して、そして見つけるのに成功した、というのは出来が良すぎる話だ。協力者がいたとしても、ノーヒントで私の家を特定するのは至難の業だと思うが。何か秘策でも持っていたのだろうか。

 正体不明で言えば、私の近所のおばちゃんが言っていた黒色の軽トラというのも気になる。そのくせ、留守にしているときにポストに入ってあるはずの不在届も見当たらなかった。これについては関係があるかはっきりしない。ただ、その車が来ていた日の夜に合鍵男が来たので、合鍵男とは何か関係があるかもしれない。それにしても、この軽トラは何がしたかったのだろう。

 言ってしまえば、朝平さんもサヤカちゃんの隣人なのでいくらでも情報は入手できただろうし、私に軽トラのことを教えてくれた近所のおばちゃんも、都合の良いタイミングで出てきたり夜中に出歩くようなアルバイトをやっているというし、疑えば疑うほどキリがなくなってきた。

「帰ったぞ。なんだ、梅干しを食べたみたいな顔しやがって」

「いろんな情報を整理してたら、皆が怪しく見えてきちゃって」

「そんなモンよくあることだ。この事件はとりわけその傾向が強いようだがな」

「それで、協力者についてはどうでしたか?」

「かなり怪しい。突然話を振ってやったらものすごく動揺してたぞ。その後にお前の家をどうやって見つけたか聞いてみたら『たまたま』でも何でもなくノーコメントになりやがった。巷を騒がせた誘拐犯も、捕まってしまえばただのマヌケ人間だな」

「つまり……協力者が何らかの方法で私の家を見つけたと?」

「あの男の様子を見た限りはな。演技だったらまんまと引っかかってるわけだが」

「もう。頭がこんがらがるので余計なこと言わないでください」

「推測でものを語るよりは証拠で語るほうが数倍、確実で手っ取り早いからな。俺らには情報が足りなさすぎるってことだ。証拠と言えば、サヤカちゃんの家のゴミ袋から出てきた凶器、あれについても彼女に聞いておけよ。もちろん、言ったらヤバそうなところはオブラートに包んでな」

「そうですね。あそこから凶器が出てきた以上、どこか誰かに入れられたという証明ができないと、圧倒的にサヤカちゃんが不利な立場に立たされますからね。延子さんが襲われた原因になりそうなものはまだ見つかってないんですか?」

「ああ。色々聞き込みはやってるんだが、今だにトラブルにあったって証言は出てこない。むしろ逆にトラブルがなさすぎて疑われそうなくらいだ」

「そうですか……。動機を持っている人が見つからないと犯人を絞り込むのも一苦労ですからね。一人ひとりアリバイをチェックしていかないといけないですし」

「そうなんだよ。人員を割けるようになったから良かったが、こればっかりは人海戦術でも時間がかかるからな。もう一つわからないのが、延子さんがあんな時間に外を歩き回っていた理由なんだよな」

「延子さんは話してくれないんですか?」

「今の彼女にはサヤカちゃんの話は禁句になっているんだが、この話をするとサヤカちゃんを思い出すらしくて、また喚き散らすんだ」

「つまり、サヤカちゃんが関係していると?」

「そういうことだ」

「なんか、ここまでやることが増えていくと、覚えきれなくてフラフラしてきますね。ちょっと、ボーッとしてきました」

「もう疲れてるんだろ。一回寝て頭をリフレッシュしたほうがいいんじゃないか? 明日はサヤカちゃんと約束があるんだろ。考えすぎて寝坊なんかしたら最悪だからな」

「とは言っても、さっきまで寝てたんですけど」

「正直言うと、俺が寝たいんだよ。そろそろ引き上げていいか?」

「無理してお見舞いしてくれなくてもよかったんですよ」

「愛しの部下が事件に巻き込まれて心配しない奴がいないわけないだろ。ああ、俺もう帰るから、サヤカちゃんの服を確認するのを忘れるなよ」

あ、自分で言っておいて照れたな。そうであるということはもちろん知っていたが、悪態をつきながらでも部下の事は大切にしてくれる上司なのだ。理想の上司と呼べるかは微妙なラインだが、一緒にいて楽しいし、学べる事もある。尊敬する上司には入れておいてあげよう。上司が帰ってからしばらく寝転んでいたら、子供の騒ぐ声やら看護師の走り回る足音や患者が点滴のローラーを回して歩く音も消え、病院内はすっかり静まりかえってしまった。十分に睡眠は取ったつもりだが、寝溜めはできる時にやっておくべきだな。病室の電気を消し、色々考えている間に、意識はベッドの中へ落ちて行った。


 ドアが開く音で目を覚ました。身江子が朝ごはんを持ってきてくれたらしい。ありがたいが、わざわざ持ってこなくても取りに行けるのに。

「おはよう、もう退院なんだってね」

「私、回復の早さが驚異的だったらしいよ」

「うん。私もこんなに早く退院できる人は初めて見たよ。お尻を縫った糸を切られると思うんだけど、かなり痛いらしいから覚悟しときなよ」

「ふーん。でも私だってそれくらいの痛みを体験しちゃってるから、案外楽勝かなって思ってるんだけど」

「どうだか。朝イチで回してくれるみたいだから、早めにご飯食べてね。お見舞いも誰か競うなら前もって言っておいたほうがいいよー」

「了解。というか、私、上司以外の人にお見舞いされてないんじゃない?」

「いや、一応は警察官っぽい人が何人か来てたよ。手術が終わって無事だって言ったらそれぞれどこか行ったけど。そういや晴、昨日の昼くらいに誰か女の人が来てたよ? 部屋の前でボーッとしてたから、私が話しかけたらそそくさと帰って行っちゃった」

「え、女の子? この前、喧嘩に巻き込まれてた」

「ううん。なんか、そこそこ綺麗なお姉さんって感じだった」

女の人? 心当たりはあんまりない。身江子が知らないということは私の同級生でもないだろうし。おばちゃんなら私の病室くらいどこかで聞いて知っていそうだが、さすがにお姉さんと呼ぶには……

「心当たり、ないの?」

「うーん。わかんないなあ」

「何だったんだろうね。ちょっと怖い目をして立ってたんだけど」

「……これまでの経験で言うと、そういうのって、明らかにヤバいやつなんだけど」

ここ最近、ずっとストーキングされたり待ち伏せされたりしていたせいで、こういう情報を聞くと夜も不安で眠れなくなる。もうすぐ退院なので言うほど問題ないが。私の病室の前で立ち止まっている綺麗なお姉さん。何か覚えはある気がするんだけど……。

「まあ、深い事は考えずに、ご飯食べちゃってね。冷めるとなかなかキツいものがあるから」

「はーい。ありがとね。わざわざ」

「いえいえ、私たちは友達なんだし、これくらい良いでしょ」

「うわ、照れる」

「ハイハイ、食った食った。時間になったら呼びに来るからね。それまでには食べときなさいよ」

「いただきます」

朝ごはんは、なんというか病院という感じの、体に良さそうな味付けだった。冷める前に食べておいてよかった。


「よし。食い終わってる」

私がご飯を食べ終わって、上司に退院の報告を入れた後、暇すぎて二度寝に入ろうというところに身江子がやってきた。そのまま、先生のところへ連れていかれた。

「いやー。晴さん、ホント治りが早いよ。警察官ってのは、これくらい生命力がなきゃあな」

「そんなになんですか?」

「そうとも。これから肌と肌をくっつけてた糸を抜いたら、無事、退院だよ」

ということで、糸を昔の爪切りのような小さなハサミで切って、その糸を抜いていった。糸を抜くだけで駐車と変わらないようなものと舐めてかかっていたが、正直、かなり痛かった。

「はい。おしまい。特に異常もないし、退院できそうだね」

「ありがとうございました。……あ、そうだ、ついでに、延子さんの最近の様子はどうなんですか?」

「うん。刺された傷のほうは徐々に回復に向かってるよ。ただ、精神的な面に関してはもう少し時間がかかりそうだねえ。うちの病院、そっちの方面の専門医はいないからさ。色々本を読み漁りつつなんとかやっていってるよ」

聞きたいことも聞けたので、病室に帰ってきた。短い間だったけど、このベッドともお別れか。

「しんみりするならベッドじゃなくて私にやりなさいよ」

「身江子」

「お互い忙しくて、こういう時でしか会えないなんて、皮肉なものよね。次に会う時は私が何かの事件の容疑者になってるかもね」

「縁起でもないなあ」

「晴が大怪我するっていうほうが縁起悪いかなっと思って遠慮したのに。ところで、この本の山、どうするの?」

「あー……」

上司め。なんという面倒くさい置き土産を残していきやがった。

「適当に貰っちゃっていいよ、身江子」

「いやいや、私は要らないって。結婚するのはもう少し後でいいや」

「そんなこと言ってたらどんどん歳とっていっちゃうよ? 私の知り合いに、結婚を後回しにしてたらそのままオジサンになった人もいるし」

「上司さんね。散々な言われよう」

「いつもは私が言われてるからね。こうやって陰で仕返ししてる」

「はあ。もうあんたら結婚しなさいよ……」

「冗談がお上手」

そうこう話し更けているうちに、時報が鳴る。その音が止んだら、部屋は静まり返り、しんみりとしたムードになってきた。

「……じゃあ、そろそろ行こうかな」

「そうね。なるべく無茶はしないでね。無茶をするのは無茶をしてでもやらなければならないことがある時と、私に会いたい時だけだからね」

「この婚活情報の山も、邪魔だったら捨てていいからね」

「まあ、ロビーに放置してれば誰かが読むでしょ」

「そんなもんか。……じゃあね。また機会があったら連絡するよ」

「私こそ。結婚パーティには呼んであげるから、絶対に呼びなさいよ。祝儀は出さないけど」

「ケチ」

「……じゃあね。私たちなら、また、どこかでバッタリ会うでしょ」

「それもそうだね。また、次に会うのを楽しみにしてるよ」

タクシーを拾って、病院を後にした。身江子が手を振っているのを、車の窓の向こうから振り返した。短い間だったが、楽しかったし、良い息抜きができた。これからは気持ちを切り替えて、事件をキッチリ解決しよう。サヤカちゃんの家へと向かった。

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