サヤカ:延子

 晴さんは真っ青な顔をして部屋を後にした。まだ話したいことは沢山あったが、それは次の機会にするしかなさそうだ。晴さんは何も言わなかった。私のドッペルゲンガーがまた何か悪さをしたのだろうか。状況がなお悪い方向に進んでいることは、冷や汗を垂らしながら言葉を出すのを抑えようとしている晴さんの顔を見ただけで察することができた。


「延子……」

晴さんが帰った後、私はベッドで仰向けに倒れたままボーっとしていた。私の顔をした誰かが存在していて、延子はそいつに刺された。延子に会いたいが、どこの病院にいるのかは晴さんは教えてくれなかった。晴さんが私を信じていても、警察全体には容疑者として扱われているのだろうから仕方ないが、悠佑なら知っているかもしれない。私が今こうして呆けている間にも、私にビデオを録るように勧めてくれて結果的には私が逮捕されそうな首の皮を一枚繋げてくれた延子なら、この状況を打破するようなアイデアを思いついているかもしれない。居場所を聞くために悠佑に電話しようとしたところで、玄関のベルが鳴った。イタズラかとのぞき穴を覗いてみると、悠佑がドアの前に立っていた。さすが悠佑だ。ちょうどいいタイミングで来てくれた。

「悠佑! ナイスタイミングだよ」

「そうなんだ。さっき、このへんでパトカーが何台か走ってて、心配になっちゃって」

「パトカー?」

晴さんが帰っていったのと何か関係があるのだろうか。もしかしたら、私の事件じゃなくて、このあたりに出没している誘拐犯が出てきたのかもしれないな。また私の顔をしたヤツが人を刺したとか、そういう事件じゃないことを祈ろう。

「うん。本当に、サヤカのアパートの近くにいたからさ。まさかと思って来てみたんだけど、無事でよかったよ」

「うちの近くなんだ」

これ以上、私の不利な状況に進んでいたら……と考えるだけで、ストレスで全身の毛が抜け落ちそうなので、関係ないことを思い浮かべて気を紛らわせることにした。

「そうだ、悠佑、延子がどこの病院の何号室にいるとかって、聞いたりしてる?」

「……知ってるよ。むしろ、聞かされなかったの?」

「私も一応は容疑者だしね」

「やっぱりまだそんな扱いされてるのか。サヤカが犯人じゃないって証拠も探さないとだね」

「別に、私のためにそんなに無理しなくていいんだよ、悠佑」

「駄目だって。俺はサヤカの味方だからさ。頼ってくれって。サヤカへのイジメもどうするかとか考えてるんだから」

「どうするかなんて、私の疑いが晴れれば皆止めてくれるって」

「この世界はサヤカが一人で耐えられるほどやさしいもんじゃないって。目には目を、歯には歯を、イジメにはイジメを」

「……予想はついたけど、一体、どうやって嫌がらせを止めようとしてるの」

「サヤカに嫌がらせしてきた奴を僕が代わりに仕返しをするんだよ」

「そんなの駄目だって!」

「向こうだってやっちゃ駄目な事をサヤカにやってるのに、僕は見てるだけなんてできないよ」

「そんなこと言ったって……」

「それに、容疑が晴れると言ったって、サヤカの容疑、かけられたままじゃん。警察なんて仕事してるフリだけして何もしてくれないよ。逮捕されそうになっても、今度こそ僕が守るから」

「それなんだけどさ。私、延子なら何か良いアイデアを思いついてくれてる気がするんだ。というか、延子なら悠佑が無理をしなくても、私がやってないって事を証明してくれると思うんだ」

「……」

「私の一生のお願い。私に延子がどこにいるか教えて」

「……いいよ。教えてあげる。そのかわり、俺にもついて行かせて。俺もあの日以来会ってないからさ」

「わかった! 準備するから、ちょっと待ってて!」

私が延子に会えるとワクワクしてはしゃいだのに驚いたのか、悠佑は何も喋らなかった。そんなことはいい。やっと、久しぶりに延子に会える。私は自分が容疑者であることも忘れて、準備している間や悠佑の車に乗って病院に向かっている間にも世間話とか、何を話そうか考えていた。


 私は延子を信じ切っていた。というより、ほぼ妄信の域に近かった。そもそも、延子が私が犯人じゃないと言ってくれていたら、私が容疑者として、学校から帰ってきてからではなく、緊急で学校から警察署まで連れて行かれるなんてことは起きるはずがなかったことを考えもしなかった。私の期待を裏切られるのが怖くて考えようとしなかったのかもしれない。どのみち考えざるを得なくなるのだが。


 悠佑の、黒い軽トラに乗って、延子と何を話そうか考えていたが、ふと気になってしまった。よく考えたら、悠佑が車を運転しているのだ。私たちは高校生のはずだが、高校生って車を運転していいものだっけ。私は急に焦り出す。延子に早く会いたいから絶対に車からは降りないが。

「あれ、今更だけど悠佑って車の運転していいの?」

「ホントに今更だなあ。18歳の誕生日が来てからすぐに免許取りに行ったんだよ。誰にも教えてなかったけど。ちなみに、僕の車に乗ったのは僕以外だとサヤカが初めてだよ。」

「そうなんだ」

「ちょっと。反応薄いよ。もっと、すごいとか偉いとか言う事あるでしょ。初めて乗せてあげてるんだから光栄に思ってよ」

「事故、起こさないでよ。延子と私と悠佑で3人仲良く同じ病室なんて……悪くはないけど、勘弁してほしいな」

「……しないよ」

「はっきり答えてよ。溜めずにさ」

とか、そんなくだらない話をしているうちに、前方にひときわ大きな建物が見えてきた。どうやら、その建物に延子が入院しているようだ。

 病室に入ると、延子は目をつむっていた。だが、すぐに目を開けたので寝ているわけではなさそうだった。病室には、今入ってきた私たち以外には誰もいなかった。誰かが置いて行ったであろうメロンを見て、お見舞いを買い忘れたと思う前に延子が声を上げた。

「何しに来たの」

「何しにって……」

延子の口調には明らかに怒りのような意味合いがこもっていた。お見舞いに行くのが遅くて怒っているのだろうか。私も、私が延子を刺したことにされてて色々大変だったんだよ。

「今度こそ私を殺しに来たの? 悠佑、早くこいつを追い出してよ!」

「え……」

予想外の言葉が帰ってきた。私はもちろん延子が『サヤカが犯人じゃないってことくらい、わかってるよ』と言ってくれるつもりでいたから、驚きのあまり、全身が固まってしまった。何が起きているかを理解したくなかった。放心している私をよそに、延子は追い打ちをかけてくる。

「早くこの女を追い出してよ! こいつが私を刺したのよ!」

その瞬間、私は停電を食らったデスクトップパソコンのように、延子に話しかける言葉を探すという思考を停止した。私が信じていた延子は、私のことを信じていなかった? 裏切られたという感情なのか何かわからないが、視界は滲んできていた。

「延子……」

「うっさいわね! 二度と私の名前を口にしないでよ裏切り者! 信じてたのに!」

その言葉で、私の、何かはわからないが、芯の部分がポキリと折れてしまったようだ。頬に縦方向の生ぬるい感触を感じる。私の視界には、ぼやけていても怒っているのが伝わってくる延子の顔と真っ白な服しか映っていなかった。その横から、見慣れた男の姿も映った。

「延子、いい加減にしろよ。サヤカが泣いてるじゃないか」

「はあ? 悠佑、あんたもこいつの味方ってわけ? この人殺しの!?」

延子が私を罵る言葉を一回口にするたびに、私の体に小さな穴が開いていく気分になってくる。痛みを伴わず、ただ、その部分に空白の空間が生まれるような。その穴が空気を通していく。私の視界にはもう何も見えず、ほぼ真っ暗になった。あとは2人の大声が聞こえるだけだった。

「サヤカは人殺しじゃない!」

「そうね、私が死んでないんだから人殺し予備軍か。どっちでも変わらないよ!」

「違う! サヤカはお前を刺してないって言ってるんだよ!」

「あんた、そんなこと言ってるけど、現場にいたの? いないよね? 私は見たよ。私を刺したのは間違いなくこいつだったわよ」

「延子!」

「わかった。あんたもグルなんだ! もう2人とも帰ってよ! そんでもう2度と私に近寄らないで!」

穴はどこまで広がっただろう。もう私はすでに生首になっていて、鼻水は吸っているのか吹いているのかわからなくなっているし、口から吸っている息も肺を通さず喉からこの病室という空間に排出されているような感覚になってきている。

「すいません、病室ではお静かにお願いできませんか!」

私の後ろからも女性──おそらく看護師だろう。の声がして、目が回ってきた。心臓が口から飛び出そうになる。だが、延子と悠佑の言い合いにその声が届くことはなかった。

「なんでサヤカが延子を刺す必要があるんだよ!」

「私に聞かないでよ! 隣に私を刺した張本人がいるじゃん!」

「だからサヤカがじゃないって!」

「じゃあ誰なの!? サヤカのドッペルゲンガーが私を刺したとでも言うの? バカじゃないの!? ドッペルゲンガーなんかいるわけないじゃん! 私が庇ってあげたからって調子に乗らないでよ!」

この時には私は既に声をあげて号泣していた。私の後ろにいる看護師は2人の件かを止めようとするし、騒ぎを聞きつけた野次馬も集まってきて、この病室は大混乱を引き起こした。

「そこの2人! 一旦外に出てもらうよ!」

何十分か経った後、聞いた事のある声も聞こえ始め、私と悠佑は外に引っ張りだされたようだ。

真っ暗だった視界に色が戻ると、私と悠佑はベンチに座らされて、晴さんがその真正面で立っていた。

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