サヤカ:ゴミ袋

 悠佑を帰らせた後は、晴さんが家に上がるということで片付けをしていた。そもそも、最初にあの夢を見て以降、いっぱいになったゴミ袋をくくっていたものの、なかなか捨てる時間と気力がなかったせいで満タンのゴミ袋が3つくらい出来上がっていた。私の部屋の玄関周辺がゴミ捨て場と化しているせいで、いっぱいいっぱいのゴミ袋はもう2つ増えた。おかげで、部屋から本物のゴミ捨て場まで2往復することになった。早く私に嫌がらせするのを飽きるよう願っておこう。部屋のホコリを掃除機で吸って準備完了。掃除機の音について隣人が何も言ってこないのを気にしつつ、コンビニで買った朝ごはんを食べて晴さんを待った。

 休日に晴さんと会うのは初めてだが、意外とあんまり緊張しなかった。というか、晴さんが目の下にクマを作って、うちまで走ってきたのか、冬の寒い朝とは思えないほどの汗と息切れをしているのを見て、不謹慎ながら笑いが込み上げてきた。

「ごめんねサヤカちゃん。ちょっといろいろあって……」

「ふふ。いいですよ。お水、出しましょうか?」

「お願いします」

冷蔵庫からオレンジジュースの容器を取り出してコップに注ぐ。ついでにコップをもう一個増やして私の分も注いだ。

「ありがとう」

晴さんは出されたオレンジジュースを一気飲みした。なんとも女性らしさのかけらもない豪快な姿だ。そういう女性は苦手というよりは好きな部類に入る。私も真似して一気飲みしようとしたが、息が続かなくてむせてしまった。

「で、まず、何から聞いていこうかな……」

私の咳が収まったところで、早速本題に入る。警察での取り調べに比べたら穏やか、というか、少し間抜けな空気になっているのでリラックスして話ができそうだ。晴さんはノートを取り出して、ペラペラとページをめくり出した。

「事件に巻き込まれた理由になりそうなトラブルみたいなのってある? 延子ちゃんに関係なくてもいいから。思いだしてみて」

「特に思いつかないんですよね。担任も同じことを言っていたと思うんですけど、あの日までは普通に授業を受けて家に帰ってテレビを見ていただけなんで」

「そうだね。先生も、今までは至って真面目な生徒だったって言ってたよ。じゃあ、あの日──最初に学校を遅刻した日から後に起きたことで、まだ誰にも言ってないような変な事は?」

「心当たりみたいなのは特にありません。夢の中で私がもう一人出てきて、起きてみれば私が変な事をしていたことになってる、みたいな。」

「夢の中か。その中で何が起きていたとか、具体的な説明とかはできる? そんなに覚えてないかな? 夢の中で起きたことってすぐ忘れやすいってよく言われてるけど」

「よくわからないですけど、かなり鮮明に覚えてますよ。ほとんどが私の部屋をうろついている、といった感じなんですけど。……そういえば、一回だけ、話しかけられたことがあります」

「どんな話だったの?」

「……『私は一人では何もできない』」

「私は、一人では、何もできない。ねぇ……」

自分の夢の話をする恥ずかしさには若干慣れてきたが、その中で指摘された自分の弱みのようなものを話すのはかなり恥ずかしかった。晴さんは、その言葉を何度もつぶやいて反芻しているようだ。

「ちなみに、自分自身でそんなことを考えたことはあった?」

「その言葉を言われた後には考えることもあったんですけど、その前にそんな事を考えた覚えはないですね」

晴さんは胸ポケットからペンを取り出して、ノートに何かを書き込んでいく。警察官のこういう姿は、できる大人、みたいな感じがしてカッコいいと思う。晴さんは私が見とれているのに気付いているのかいないのか、ノートにペンを走らせながら続ける。

「その他で、思いだせることはないかな? 小さなことでもいいよ。例えば……サヤカちゃんを嫌っている人の機嫌が最近良くなったとか」

残念ながら、あの日以前で私を嫌っている人がいるとかの類の噂は聞いたことがない。陰では何か言われているのかもしれないが、気にしてもしょうがないし正直なところ聞きたくないので、あまり関わらないようにして生きてきた。もちろん、今では学校の大体の人にはネガティブな感情を持たれているみたいだが。学校について考えていたら、学校以外の人物で私を嫌っていそうな人が一人いたのを思い出した。

「そういえば、私の隣の部屋に住んでいる人なんですけどね、最近、というかあの夢を見た日以降、全然生活音が聞こえなくなったのが気になりますね。その前までは壁越しに毎日文句を言われていたんですが、最近は全然」

そこで、晴さんの持つペンが止まり、ハッとした顔になる。その後、さっきまでより早いスピードでノートに殴り書きを始めた。晴さんが書き終わるまで何も質問してこなかったので、私も邪魔しないように黙っておいた。

「……あーごめんね。ちょっと、その隣人の人に会ったかもしれなかったから」

「え。そうなんですか?」

「その人、何の仕事をやってるとか、聞いたことはある?」

「聞いた事ないですね。実際に会って話をしたことがない薄い関係なんで。ただ、たまに電話か何かで、英語で怒鳴り声を出したりしているのはときどきありましたね」

「オッケー。ありがとう。次なんだけど、最近でも、ちょっと前からでも、延子さんの周りで変わったことみたいなのはなかった?」

「延子の全てを知っているわけじゃないですけど、特に、誰かと喧嘩したとか、変な事をやっているとかは聞いたことがないですね。せいぜい、『サヤカのドッペルゲンガーに会った』とかいうことを言っていたくらいで」

「そういえば、そのドッペルゲンガーってのは、延子さんが最初に言い出したことなんだっけ?」

「そうです。最初は何言ってんだって感じだったんですけど、ああ何日も私が変な出来事に遭遇してしまうと私もそれを徐々に信じ始めてしまって」

「それで、試しに自分の寝ている姿を撮影してみた」

「ですね。これも延子が思いついてやってみたんですけど。……あ、そうだ。変な事に入るかはわからないんですけど、一回、録画に失敗したことはありました」

「録画に失敗した? 変なのが映ったとかじゃなく?」

「はい。ただ単に録画がされてなかっただけなんですけど、私は録画ボタンを押したつもりだったけど押せてなかった、みたいな。これ何でもない話ですね」

「つまり、ビデオを録ったつもりだけど、何のデータも残っていなかった、と」

「そんな感じですね。残るデータすらない状態で」

ノートに何かを書いていく。こんなつまらない失敗まで残されるのもむず痒いし、それに晴さんの時間を使わせるのも申し訳ない気持ちになった。

「こういうところから何か出てくるってこともあるだろうし、迷惑とか気にせずにその調子でバンバン喋っていってね。むしろ私はこういう話の方が聞きたいし」

「そうなんですか?」

「事件に関係ある話なんて、向こうでだいぶ搾り取られてきてるでしょ? 私はサヤカちゃんを信じていいのか、そういう人間性みたいなのを知りたいから」

なら、今の話からいくと私はおっちょこちょいな人になってしまうぞ。

「それを気にして話をでっちあげるとかしないでね。今日は捜査ってのもあるのは否定しないけど、純粋にサヤカちゃんに興味があるだけだから」

なんだ。すごいストーカーみたいな事を言われたぞ。そういう私も晴さんに親近感がわいて、もっと知りたいと思っているのだが。

「晴さんって、私のどこにそこまで興味がわいたんですか?」

「うーん、初めて見た時は学生証の写真の笑顔だったんだけどね」

「……私の姿を見たって警官の人、晴さんだったんですか」

「そうよ。真夜中に知り合いに叩き起こされて、見に行かないといけなくなったの」

「本当に同じ顔をしていたんですか?」

「うん。気味の悪い話だけど、顔の形は間違いなくサヤカちゃんだった」

「……」

「ただ、それがサヤカちゃん本人だったとはあんまり思えないんだよね。今のサヤカちゃんの顔からは想像できないくらい不気味な、なんか人間じゃないような表情でね。それは学生証でサヤカちゃんの顔を見た時からずっと変わらないよ」

驚きはしたが、それで不信感を持ったりはしなかった。なぜかはわからないけど、この人は本当に私を信じてくれていると思えた。

「さっきの話の続きだけど、実際にサヤカちゃんと会って話してみたら親近感、というか、なんか、私と似てるなーと思って」

「私も同じ事を思いましたね。何かが似てるんでしょうね」

「ちょっとサヤカちゃんの過去とかも調べさせて貰ったんだけど、私たち、何個か共通点があったんだ」

私の過去のエピソードの中での大きな出来事にはには心当たりがある。それを言おうとしたところに、晴さんの携帯電話が鳴った。それに応答した晴さんの顔は徐々に険しくなっていって、その顔は少しずつ私の方を振り向いていく。

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