晴:軽トラ

 4時起床、夜中パトロール2日目、夜中の出歩きは3日目だ。一応歳をとっている上司にあまり無理をさせるわけにはいかないので、今回は一人で行くことになった。上司には誰か連れていけとは言われたが、みんな忙しそうで声をかけるのをためらっていたら、こうなってしまった。念には念を入れて護身用の杖や催涙スプレーを装備しているので誘拐の危険度はそこそこ減ったと思う。たまに背後を気にしていれば突然襲われても対応できるはずだ。とはいえ、隣に誰もおらず独りぼっちで外を歩くのはなかなか寂しいし寒く感じる。できるだけ早く済ませよう。

「……」

40分は町中を歩いたけど、全く人影はなかった。時間が時間なので当たり前だが、これだと私が不審者じゃないか。時折後ろを振り返っているのがまさに不審者のそれだ。この姿が誰かに見られて何らかの噂が立ってしまったら私はもうこの町で生きていけないな。その時は引っ越しして、上司の給料と年金を奪い取って生活しよう。曲がり角を曲がったところで人影を見つけたので、電柱の裏に隠れて様子を見る。

「……なんだ、サラリーマンか」

鞄を持って、ピッチリとしたスーツを着てスタスタ歩く様は、見た目的には普通……よりちょっとデキる系のサラリーマンにしか見えない。一応、誘拐犯が変装しているという可能性も捨てきれない(ここまで行方がわからないということは変装して町をうろついている可能性も高い)ので、突撃職務質問に向かった。

「すいませーん」

「こんな時間に何でしょう?」

「私、こういう者なんですけど、少しお時間頂いてよろしいでしょうか?」

「なるほど。警察の方でしたか。どうぞ」

サラリーマンは少々驚きつつも余裕そうに答える。私の上司もデキる男といえばデキる男だとは思っているが、この人は上司とは違った方向でそういったオーラを放っている。上司は血みどろの現場を歩いていて、この人は……屈強な外国人を相手に重要なビジネスをやっていそう。

「まあ、単刀直入に聞くと、どうしてこんな時間に外を歩いておられるのか、という……」

「仕事ですよ。名刺も渡しておきますね」

「あ、どうも」

相手に気付かれない程度に電灯に照らして名刺を見てみると世界でもそこそこ有名な企業のロゴが付いてあった。朝平という名前らしい。朝平さんはそこの社員らしい。あそこに入社するには、相当の倍率の中争わないといけないという話を大学生の頃に耳にした覚えがあった。

「そんな凄い人が近所にいたんだ……」

「近所……というか、私のアパートがこの周辺にあって、実家に帰省し終わってアパートに帰っている最中なんですよ」

「実家」

「正直、私の会社は毎日尋常じゃないストレスを溜め込まないといけないので。たまには友達や親に会って気晴らしをしないと」

そうか。親か……。私の話は置いておいて、気になることが浮かんだ。

「……終電は過ぎていますよね? 車やタクシーで帰ったりしなかったんですか?」

「ええ、電車で帰ったんですがね……恥ずかしいことに、寝過ごしてしまって。出勤中にやってたら首が飛んでいるところでしたよ。で、お金も電車代を支払うので全部飛んでしまって、仕方なく徒歩で帰っているんですよ。何でしたら、財布の中身も見せましょうか?」

「いえ、そこまではなさらなくても……」

「ああ、いいんですか? なら良いんですが。ところで、あなたはなんでこんな時間に?」

そうだ。本題を聞き忘れていた。

「この町も色々と物騒になってきているので、その対応みたいな感じですかね」

「誘拐犯と、女子高生殺害未遂事件」

「そうです」

なるほど……と男性は腕を組みながら、私……の肩の向こう側を見ている気がする。何か心当たりでもあるのだろうか。

「それが、その容疑者が両方夜中に出没していて」

「誘拐犯の方は心当たりがありませんね」

「女子高生の方は?」

「犯人につながる情報はありませんね。ただ……」

「ただ?」

「私の部屋の隣に女子高生が住んでいるんですけど、夜中に玄関が開閉する音は一度聞こえたことはあるんですけど。私が出て行く前……4日ほど前ですね。」

サヤカちゃんが学校に遅刻した日? そもそも、この人がサヤカちゃんの隣の部屋とも限った話ではないが。

「その人の名前ってわからないですか?」

「確か……苗字はわからないですけど、なんちゃらサヤカって名前だった覚えが」

ビンゴだ。こんな偶然があるものなのか。

「当たりですね」

「はは、こんな偶然があるものなんですね。あの子、目覚ましの音が大きくて毎日イライラしてたんですけど、まさかここで繋がるとは」

「本当ですよ」

「まあ、それ以外では気になることはありませんでしたね。目覚ましの音以外は。そうだ、その日の昼くらいまで目覚ましが鳴ってましたが」

「昼までですか。あと、今帰ってる間で、不審な人物は見かけませんでしたか?」

「ええ、今はまだ」

今までキッパリした話し方だったのに、急に謎めいた表現になった。

「そろそろ、帰らせてもらっていいですか? 明日も早いので失礼したいのですが」

「そうですね。こんな時間にありがとうございます」

「また何かありましたら名刺の番号に電話をかけてください。……最後に、」

彼はお辞儀をして、その去り際、

「あなたの背後、さっきからあなたを見ている人がいます。どうか気をつけて」

その小声が私の全身を震えあがらせた。私を見ている人。誘拐犯だろうか。さっき彼が私の肩の向こうを見ていたのはその存在に気づいたからだろう。どうするべきか。そこで、杖をすぐ取り出せる状態にして、催涙スプレーを持ったまま彼の目線の先に全力ダッシュする。すると、そこから人影がゴソゴソ動いて私から逃げだした。

「待て!」

そのダッシュを継続したまま走れたが、その人影は角を曲がるとすぐに消えてしまった。

「くそ、また取り逃がした!」

とにかく疲れた。早く寝たい。ベッドに倒れて、意識が途切れるまで1分もかからなかった。

 目覚ましを止めて、またベッドに転ぶ。正直、朝は起きたくない。誘拐犯が突如この町に現れるまでの、何もない平和な日は毎日退屈でしょうがなかった。今になってそのツケが来たのか知らないが、睡眠不足と相まって、今までで一番辛い日々と化している。誘拐犯の逮捕と殺人未遂事件。そのどちらかでも解決すれば少しは楽になるのだが。

「目にクマができてるぞ」

「誰のせいですか」

「誘拐犯と殺人容疑の犯人だろ」

「それでもありますけど」

とりあえず、上司に深夜パトロールの成果を報告した。誘拐犯らしき人を取り逃したことも含めて報告。サヤカちゃんの隣の部屋の朝平さんが偶然通りかかったのは大きい。

「取り逃したのは残念だが、よくやった。今日は担任の人にサヤカちゃんと延子さんの日々の生活態度、トラブルの有無とかを確認しにいくぞ。お前は疲れてるだろうから車に乗ってる間は寝ていていいぞ」

こういう心遣い。こういうのもデキる男の必須条件だ。


「じゃあ、まず、延子さんの日常について聞いていきます」

「どうぞ」

「今までの、全体的な生活態度はどうでしたか?」

「延子は、遅刻はたまにありますが、特に悪いことに手を出したという話は聞いたことないですね。サヤカも同じような感じで、問題が起きるまでは無遅刻無欠席だったし、授業も真面目に受けていたようなので、ここ最近の素行不良には驚いています」

「サヤカさんの素行不良って、具体的になにがあったんですか?」

「まずは遅刻ですね。警察に電話した日です。次にあったのは夜中の出歩きです。刑事さんが僕に教えてくださった件ですね。それもやってないということで。遅刻に関しては証拠になるものがあったらしいですけどこっちはやってない証拠がないみたいで」

そういえば、この事件で私とサヤカちゃんは出会ったんだ。いや、この時点では私が一方的に会っただけなのか。結局、あのサヤカちゃんの顔をした女子高生がサヤカちゃんでなければ、一体、誰なんだろう?

「その次、学校への進入ですね。これは監視カメラの映像もあって、彼女であるという証拠があるのに否定していました」

「で、最後に、延子さんを刺した、と。」

「そうです」

「延子さんについては不審な行動というのはありませんでしたか?」

「心当たりはないです。悠佑と一緒にサヤカを擁護していたというくらいですかね。その時にドッペルゲンガーがどうこう言っていたのが気になりますが、友達想いで、トラブルがあったという話は聞いたことがないです」

ドッペルゲンガーの件は、確か前にも聞いた気がする。確かに、私が会った不気味な女子高生がドッペルゲンガーなら、私の見たものとサヤカちゃんの話が食い違うのも合点がいく。でも、幽霊とか、そのあたりのオカルトなものは存在しない。少なくとも、私たちの周りに存在してはいけない。悠佑という人は、たぶんサヤカちゃんを庇っていた男の子だろう。彼はドッペルゲンガーの存在をどう思っているのだろうか。

「そういえば、彼もサヤカさんとは仲がいいんですか?」

「そうですね。あの3人は特に仲が良くて、一緒に話をしているのはちょくちょく見かけます」

「彼についてもトラブルは? 例えば……恋愛とか」

「あー。生徒のプライベートは噂程度のことしか耳にしないんで……噂だと、とりあえずあの3人の仲で付き合ってはいないそうで、それぞれも恋人とかはいない、という風な噂は。本人に聞いていないんでなんとも言えないですが」

「そうですか。ありがとうございます」

「悠佑も誰かと喧嘩したとかは聞いていないですね。誰にも言ってないだけかもしれないですが」

「なるほど。最後に、サヤカさんの周囲でトラブルというのは」

「さあ。学校ではあの日まで平穏に暮らしてたと思うんですけどね。なので、プライベートで何かあったかもしれないとしか考えていませんでした」

「そうですか……」

「サヤカと悠佑は今日の朝、一瞬だけ学校来てたのに帰ってしまったみたいです。ちょっと彼女に対するいじめをするという雰囲気がクラスで出てきてしまって悠佑がそれと争ったようで。僕も対応策を考えているんですが……」

さすがだ。悠佑という子とはサヤカちゃんを警察に連れて行った日以降には見ていないので、一度話をしてみたいものだ。生まれるのが遅かったら彼氏にしたかった。

「そうなんですか。私からも、彼女に連絡を取るようにしてみます」

「ありがとうございます」


 警察庁へ帰ってきた。相変わらず皆忙しそうに机と机の間を走り回っている。情報らしい情報は出てきたものの、真犯人に繋がるような情報は出てこなかった。やっぱり、学校も色々厳しくなってきているので、生徒たちのプライベートにはあまり首を突っ込まなくなってしまったのだろう。生徒間での問題の有無は本人たちに直接聞くしかないか。あの年頃の子たちって、恥ずかしがって自分の内側をあんまり出そうとしないからな。特に、事件にまで発展しそうなトラブルだったらなおさらだろう。

「その顔を見るに、良さげな情報は出てこなかったみたいだな」

「当たりです。生徒間のトラブルにはあんまり干渉しないという情報だけですね」

「延子さんについても変わらずみたいだ。どんだけ言ってもサヤカちゃんがやったんだって聞かないんだと」

担任の先生の話によると、延子さんはサヤカちゃんとはかなり仲が良いという話だった。しかも、彼女はサヤカちゃんのドッペルゲンガーが悪さをしているという話を言いふらしまわった張本人のはずだ。それなのに、彼女はドッペルゲンガーではなくサヤカちゃん本人がやったと言っているのか。なんでだ?

「考えられるのは、気が動転して書き換えられた記憶がそのまま冷静になっても残り続けているか、本当にサヤカちゃんがやったとわかる理由があったか、だろうな」

あの時は電柱以外の光源がないため暗くてピンポイントの特徴なんてわかるものなのか? と、あの深夜パトロール中に叫び声が聞こえてからの出来事を思い返していたら、

「……そういえば、あの、延子さんを刺したって女子高生、私たちが目撃した時、何か喋ってませんでしたか?」

「あれ、お前、『私を信じるなんてバカねー。私の邪魔をしないでよー』って言ってたって、聞いてなかったか?」

ああ。言われてみれば、延子さんの病室に言ってた時、そんなことをわめいていた気がする。睡眠不足に体が慣れていなくてなんだかんだ言いつつ寝ぼけてしまっていたのだろうか。

「ということは、声から判断できた可能性がありますね」

「それ、サヤカちゃんに相当不利にならないか?」

「で、でも、声真似とか……」

「延子さんとサヤカちゃんって相当長い付き合いだろ? ありえなくはないが似せようと思ったら犯人も相当なことやってるぞ」

「やっぱりドッペルゲンガーなのかな……」

「なんだそれ。なんちゃら症候群か?」

「延子さんがサヤカちゃんを擁護する時に言ってた、オカルトな存在です。同じ人間が二人いる、みたいな」

「くっだらねえ。忘れたか? 幽霊だのなんだのが存在してたら……」

「警察は商売あがったりだ」

「覚えてるじゃないか」

「だったら、この事件はどういうことなんでしょうか。今の段階だったら容疑者はサヤカちゃんしかありえなくなるんですけど。でも、サヤカちゃんにはアリバイがある」

「今の段階では、だろ」

「ですか」

「サヤカちゃん信じる派の警察官なら黙って真犯人を探してろ。俺も心の支えになってやれとか言ってたが、サヤカちゃんの絶対的無実の証明をするのは、お前が一番優先するべきで唯一お前にしかできないことなんだからな」

返す言葉もなかった。そうだ。こんなところで弱音を吐いている場合じゃない。

「もしドッペルゲンガーが真犯人でしたーなんて言ってみろ。間違いなく俺より先にお前の首がちょん切られるぞ。ただでさえ注目されてる事件なのに、下手すれば一生太陽の下を歩けなくなるな」

「すいませんでした」

「わかればいいんだよ。もう日も落ちた。俺は帰って寝る」

嘘つけ。この人が家に帰ってからも大量の資料を漁っているのをずっと前から知っている。

 学校でサヤカちゃんと悠佑くんが早退したという話を聞いて電話すると言っていたものの、すっぽり抜け落ちていた。もしいじめが起きていたなら精神状態がおかしくなっていてもおかしくない。家に到着したら早く電話をかけようとしたところ、以前、夜中に私を起こしてくれたおばちゃんが私の家の前に立っていた。

「どうしたんですか?」

「何時間か前に晴ちゃんの家に変な軽トラが停まっててさ、しばらくしたら帰っていったんだけど、晴ちゃん最近忙しそうだし、気づいてないかもねーって思って、待っていたのよ」

変な軽トラ? 身内や知り合いに軽トラックを持っている人は知らないけど……。

「どんな車でした?」

「全部を真っ黒に塗った、いかにもって感じだったわ」

「黒塗りの軽トラですか……。そんな事のためにわざわざこんな時間まで?」

「まあ、正直に言うと例の事件は解決するのか聞く役目を任されちゃったんだよね。近所だし」

「はあ」

「あ、でも軽トラは本当に晴ちゃん家の前に止まってたわよ!」

「あの、聞く役目ってのはどこの……?」

「井戸端会議に決まってるじゃない」

「……必ず解決します。って言っておいてください、というかそうとしか言えませんよ」

「だよね。最近も夜中に家から出てる姿見かけるし、頑張ってるからね。おばちゃん応援してる」

この人、また夜中の屋外をうろついてるのか。誘拐されても知らないぞ。昨日、朝平さんと話していた私を見てたの、おばちゃんじゃないだろうな。そういえば、ずっと気になっていたことがあったんだっけ。

「あ、そうだ。夜中に出歩いて、何やってるんですか? ずっと気になってたんですけど」

「夜のお仕事よ……もちろんヤバいことじゃないわよ?」

「ちなみに、どんな内容なんですか……」

「ふふ、晴ちゃんは安定したお仕事があるからいいじゃないのよ。警官辞めるまでは黙秘するわよ。黙秘権よ」

……まあ、ヤバい仕事じゃないって言ってるから、そういう事にしよう。私はサヤカちゃんに電話をかけないといけないのだ。

「わかりました。気になるんで、いずれ教えてくださいよ」

「とは言っても、決まった時間に言われた場所を歩くだけなんだけどね。何かの実験らしいわ」

言うのかよ! 実験のせいで私はあんな時間に叩き起こされたのか! 夜中を彷徨う女子高生を事件が起きる前に目撃できたのはありがたいけど、はた迷惑な話だ。

「じゃあね! さっさと解決しなさいよ!」

「はーい」

なんか、帰る前に上司に叱責されたばかりなのに、緊張感が途切れてしまった。サヤカちゃんに電話だ。

 黒塗りの軽トラか。おばちゃんが冗談でも言ったのかとも思ったが、それは今までの付き合いの中での経験上信じられないし、あまり考えたくない。おばちゃんは秘密でもなんでもベラベラ喋るけど、それで騙すことはない。ベッドに座り、バッグから携帯電話を取り出した。

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