サヤカ:いじめ

 夜、私が帰ってすぐ悠佑が来た。どこかで私が帰ってくるのを待ってたのか。不安と寂しさを感じていたのでこのタイミングで来てくれたのは嬉しかった。

「大丈夫だった? 何か怖い目にはあってない? 恫喝とか」

「大丈夫だったよ」

「なら良かった。延子の話は聞いた?」

「うん、命に別状はないって聞いたよ」

悠佑は少し言葉に詰まった。違うのだろうか? 晴さんが嘘をついていたようには見えなかったが。

「え、合ってるんだよね?」

「……うん。合ってるよ。ところで、向こうで何を聞かれたの?」

「今までの話、だいたい全部かな。話しやすい人もいたし、ドッペルゲンガーのことも一応言っちゃった」

「それ、大丈夫なの? そんなこと言ったら最後、結構変な病院に連れて行かれそうなんだけど」

「うん、話は聞いてくれたよ。まあ、信じてるかはわかんないけど」

「そうだ。それで、明日は学校くるの?」

そもそも、自分の寝ている姿を録画したのは学校で怒られる原因を探るためだったのに、ここまで大きな事態になると学校の存在すらすっぽ抜けたように忘れていた。今の状況はそれくらい真に迫っていることを再認識した。

「どうしよう、明日については何も言われなかったな」

「そうか。まあ、気が向いたら来なよ」

悠佑もそう言っていることだし、気分が悪くなってたりしなければ学校へ行こうかな。そうなると、そろそろお風呂に入らないと睡眠時間が足りなくてまた怒られることになるかもしれない。

「そこまで言うなら行こうかな。じゃあ私はお風呂に入ろうかな」

「……」

悠佑はその場で硬直する。帰って、って言わないといけないのか。わざわざ心配して来てもらったのに帰らせる感じがして嫌だけど。しょうがないか。

「いやいや。悠佑も帰らないと明日遅刻するんじゃない?」

「あっ……うん」

それを聞いて、悠佑が動き出した。スイッチを押さないと動けないロボットか。とツッコんでみる。口にはださないけど。

「うん。まあ、でも……ありがとうね。来てくれて。ちょっと、気持ちの整理ができたよ」

悠佑のしていた変な顔も、私の言葉で笑顔に変わった。

「そう。なら良かった」

「また今度、何か奢るよ」

それを聞いた悠佑は上機嫌で帰っていった。嫌な思いをさせずに済んでよかった。ただでさえ延子が、たぶん、私のせいでひどい目に会っているのに、これ以上、友達を不快な気分にはさせたくなかった。

「延子……」

延子は病院でなにをやっているのだろう。いつも通りにスマートフォンでゲームをしているだろうか。何かに目覚めて勉強をやっているかもしれない。向こうでも、私の無実を晴らそうと頑張ってくれてたら嬉しいな。近いうちに病院にお見舞いに行こう。お風呂の沸いた浴室は温かかった。当たり前だが。

 夜中、何回か目が覚めたが、その間に例の変な夢を見た覚えはなかった。あの夢を見なくなったというのはいい事だとは思うのだが、それが延子が刺された日から、というのがなんとなく嫌な感じがする。

 目覚ましが鳴る。ここ最近ずっと隣人が何の反応もしなくなったのが気になる。こちらとしては嬉しいことこの上ないのだが、隣人が壁を殴る音と共に一日が始まる日もあったりするし、なかったらなかったで何故か寂しい気持ちになる。これは一時的な気の迷いで、何か音を鳴らすたびに壁を殴られる日々が始まるとまた鬱陶しく思うのは間違いない。私が毎日いわれのない罪でひどい目にあってる中、隣人にはなにかいいことでもあったのだろうか。なんか、今日の夜中に時々変な臭いがして目が覚めた覚えがあるが、気にしないことにした。とは言っても生きているかどうかは本当に不安なので暇なときに壁に聞き耳を立ててみよう。とか思いながら朝食のパンをむさぼる。

 学校に行く支度も完了して、玄関のドアを開ける。開けようとする。だが、微妙にいつもより開き方が鈍い、重いように感じた。そこそこ強めに力を入れてドアを押して外へ出てみれば、鈍くて当然のひどい有り様になっていた。

「うわ……ひっどいな……」

『死ね』、『犯罪者』、『人殺し』。ドアには落書きがされていて、その周りにも生ごみのようなものが散らばっていた。私が持っている学生鞄くらいの大きい石もあった。これが扉が重かった原因だろう。ここに殺人未遂事件の容疑者がいるという噂が出てしまったのだろう。一晩でこんなにひどいことになってしまうものなのか。容疑者になっているのは事実だからしかたない部分もあるが、正直精神に堪える。

 玄関を出た時点で既に嫌な予感しかしていなかったが、恐る恐る学校へ行ってみると、予感通り、クラスの黒板には私の名前と『人殺し』という文字が大きく書かれていた。廊下を通ってもちょくちょく肩をぶつけられていたし、登校中にも町行く大人からは不審な目で見られていた。こうなる覚悟はしておいたので、ある程度は耐えられた。でも、信じていたのに裏切られたという気持ちは正直強くあった。悠佑には悪いが、これは早く帰ったほうが両方のためだと思った。悠佑が私と一緒にいると、悠佑にまで迷惑がかかることは間違いなかった。これは俗に言う、イジメなんだ。そう思って、すぐに教室の外へ引き返した。

「ひっとごーろし! ひっとごーろし!」

教室内でもコールが始まって、私の足は速く遠ざかろうとして走っていた。そこに、教室のドアを思いっきり開ける音が聞こえ、

「お前ら、いい加減にしろよ!」

という声がした。間違いなく、悠佑の声だった。

「サヤカがどんな苦しい思いしてるか、わかってるのか!」

この騒ぎを聞きつけた先生たちが続々と教室のあたりに集まってくるが、その視線の先はクラス中を怒鳴りつけている悠佑ではなく、むしろ私だった。

「なにカッコつけてんだよ」

クラス中から悠佑を冷やかす声が溢れた。私は、それをよそに逃げてしまっていた。本当は私もクラスに入って潔白を訴えればよかったのに、体がそうすることを拒んだ。走りながらでもわかる。地震かと勘違いするくらい全身が震えていた。強がって嫌がらせなんか気にしてないふりを装っていたが、実際にその恐怖に直面してしまうと、恐くて恐くて仕方がなかった。思えば、悠佑は昨日も警察の人々に対して私を庇ってくれていた。それなのに私は自分の身の安全ばかり考えてしまっていたのを痛感した。悠佑には謝っても謝り切れない。

 鼻を塞ぎたくなる臭い。気が付いたら、私は私の部屋の前まで来てしまっていた。ドアの前に新たに増えたゴミたちを足で蹴り飛ばしてどかし、部屋に入り、すぐに鍵とチェーンをかけた。ポストからもゴミが投げられていて、それに足を取られそうになる。そいつもドアの方まで蹴とばして、すぐさま私のベッドの中に潜り込んだ。今日は特に雨が降っているわけでも雪が降っているわけでもないが、とにかく寒かった。それから数時間はずっとこのままでいたと思う。その間に何回か私の部屋の前が騒がしくなったが、全て無視した。

 起きた頃には外はもう暗くなっていた。昼も夜も食べていないが、食欲も何もなかった。むしろ今すぐにでも嘔吐しそうな気持ち悪さしか感じなかった。玄関のチャイムが鳴った。もしかしたら、この音で目覚めたのかもしれない。もちろん無視を決め込むつもりだったが、

「サヤカー。大丈夫かー?」

悠佑……! その声を認識した私は走って玄関に向かい、さらに増えたゴミは新聞紙を敷いてごまかし、すぐにドアを開けた。

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