晴:元親友

「あれ、見当たらないなあ……」

「いないんだったら、その子を見たっていうそのヤバいおばちゃんに話を聞いてみてもいいかもな。こんな時間に出歩いてる時点で若干不審なんだが。……おい」

上司は突然押し黙って、口元に指を当てて喋るなという合図を送った。何か聞こえたのだろうか。寒さでかじかんだ耳を澄ませてみると、

「キャー!」

金切り声がした。若い女性の声だった。声がしたと思われる方向へ走る。もしかして、例の女子高生だろうか。

「いいか、犯人にバレないように、静かに動けよ。それっぽいのがいたらお前に頼んだ。絶対に深追いはするなよ」

「了解!」

「あそこか」

上司が走りながら指を指す。その方向にある家の2階で電気が点いている。声が聞こえるまではどこにも電気を点けている家はなかった。おそらく、さっきの声に気付いた人々、声を出した人が近いところにいる人が電気を点けたんだろう。そこへ向かっているうちに、二つの人影を見つけた。

「見つけた! あそこです」

「いいか、基本はさっき言った通り動け。事態によっては臨機応変で」

倒れている人と、その人に何か言っている様子の人。暗くて距離もあるためよく見えないが、両方とも女性のように見える。そして、立っている方——加害者側の方の人は走ってくる私たちに気付いて、逃げだした。その輪郭や体には見覚えがあった。

「立っている子! あの子が例の寝坊の子です!」

「オッケー。倒れてる子は救急車呼んで見張っとく。お前は鬼ごっこリベンジだ」

「言ってる場合ですか! 頼みましたよ!」

そう言って私と息の切れ切れな上司は二手に別れた。上司の声が少しだけ聞こえた。

「そっちもな……この子、刺されてるじゃないか」

とうとう、傷害事件にまで発展してしまった。昨日のうちに捕まえておけばこうはならなかったかもしれない。今日こそは捕まえなければ。相変わらず逃げ足の速い。だが、今日はその準備も万端で、ランニングシューズを履いて来ておいた。人影との距離は徐々に近くなっていく。人影が道の角を右に曲がった。もちろん私も右に曲がる。その先の道には、私と上司が集合したのとは別の小さな公園があるのだが、そこに、前を走っている女子高生とは別の人影が見えたが、気にせずに追いかけるつもりだった。私が見たことのある顔が私を見てニタニタと笑っていなければ。

「……あ!」

思わず立ち止まりそうになる。その顔が、例の誘拐犯の似顔絵と酷似していたからだ。そして、その男は私を見ている。たぶん、その前を走っている女の子もそうやって見ていたのだろう。

(これ、かなりヤバい事態だよね……!)

止まらずに走りながら携帯電話を開き、上司に電話をかける。

「どうだった?」

ベテランとは思えない気の抜けた声が返ってくる。

「大変です! まだ女の子を追ってるんですけど、例の誘拐犯まで出てきました!」

「嘘だろ!? どこだ!」

一瞬で威厳のあるピリついた声に変わる。その公園の場所を伝える。

「その女子には追い付けそうか?」

「誘拐犯のせいでちょっと距離を離されました……」

「その公園が近いなら誘拐犯を優先してくれ! 俺も応援呼んでそっちに向かう! 危ないと思ったら逃げろ!」

「了解! 誘拐犯を追います!」

すぐさま踵を返し、誘拐犯のいた公園に戻る。公園には誰もいなかったが、ジャリジャリと石を踏みつけながら走っている音は聞こえる。民家の敷地に侵入したのだろう。この場合って、私も住居侵入になるんだったっけ?

「ええい、ままよ!」

できるだけ敷地に入らないように追いかけるが、距離はどんどん開いてしまっていく。いくら若いとは言っても、何十分間も走っていると本当につらくなってくる。

「晴! 応援呼んできたぞ! どこだ!」

「あっちです!」

「いたぞ! 追え追え!」

「絶対に逃がすなよ!」

さすが我が上司。良いタイミングで来てくれる。応援の人が4、5人私をぐんぐん抜いたのを見計らって、立ち止まって息を整える。

「ご苦労だったな」

「ほんと、苦労の連続でしたよ」

「俺らは女子高生を探しつつ誘拐犯がどこにいたのか確認する組だ。とりあえず、公園まで案内してくれ」

 ボクサーがイスに座って休憩するような姿勢で公園のベンチに座っていると、後ろでガチャコンと鈍い音がした。

「ほら」

上司が私に黄色い缶を投げてくる。

「どうも……熱っつ!」

「冬の夜中の道路を走ってりゃあったかいもんも熱くなるわな」

あたたかいコーンポタージュだった。外の寒さに慣れた手には熱すぎるので缶をお手玉のように投げて少し冷ます。上司はブラックコーヒーを一気飲みしていた。熱くないのか。

「それにしても、不運だったな。1度に2人を追うことになるとは長年の経験を持ってしても予想できなかったわ」

「できてたら天才ですよ。刺されたって子は大丈夫だったんですか?」

「微妙だな。傷口からして生きはできると思うがな……応急処置も完璧だったとは思うし」

「がな……って、何かあったんですか?」

「いや、ひどく錯乱してたんだよ。なんか、サヤカだー! サヤカだー! ってずっと言っててな。お前、サヤカって名前に心当たりがあるんじゃないのか?」

「当たりです」

サヤカという名前には心当たりがあった。上司の言う通り、同名の人がいない限りは学生証の女の子とみて間違いないだろう。まさか人を刺すとは思ってもみなかった。

「誰に刺された? って聞いたらサヤカだーって言ってたよ。というかそれしか言わなかったんだけどな」

「本当にそうなんですかね……?」

「それを知りたいんだったら被害者の子の手術が終わって、話せる状態になるまで寝られないからな。若さでなんとかしろ」

「え、ちょっと」

上司は病院の名前と住所が書かれたメモを渡してきた。

「いくらなんでも事情を聴くのは明日の早朝からだ。だからそれまで俺らは寝ていいぞ。お前にも話は聞かないといけないだろうから、お前の方で何があったかは覚えてるうちにメモか何かに取っておけよ。帰って即ベッドなんてのは許されないからな。」

ここで上司に電話がかかってくる。誘拐犯、逮捕できたのか。

「取り逃がしたぁ!?」

「えっ……」

現実は予想外の連続だ。5人以上いても取り逃がしてしまうものなのか。

「すいませんで済むか済まないかは置いといて、お前らが取り逃がすって、相当な手練れってことか?」

「……あー。そうか。よくやったな。お疲れさん」

電話を切った上司が盛大な溜息をつく。ベンチにドシンと座り、私の体もその振動でお尻から頭の先まで揺れる。

「何か事情があったんですか?」

「突然消えたんだってよ。それこそ映画に出てくる幽霊みたいにな。ゴミ箱とか、体を隠せそうなもんはくまなく探したらしいが、どこにもいなかったんだと」

幽霊か。深夜の町をうろついていた女子高生の無表情な顔を思い出す。彼女も幽霊だったりして。仮に幽霊なんて存在が存在していて、彼女が幽霊だったとしても捕まえるが。

「世間からの風当たりがより一層強くなるだろうが、ニュースにしないといけないだろうな。こんな町中に潜伏されてるのを放置してたら、それこそ何か起きてしまったらお偉いさんがご乱心なさって全員の首を飛ばすか切腹する方向に持っていくかしそうだ。」

「気を付けないと、本当に最後の事件になりそうですね」

「嘘から出た真なんて勘弁してくれ。警官辞めたら突然老けてジジイになっちまいそうだ」

「もう既にジ……」

「よし。帰ってとっととメモ取って寝ろ。明日の朝も早いぞ」

「そうしますね」

ふと出た考え。言わなくていいことだったが、言わずにはいられなかった。

「それにしても、最近、明らかにおかしくなってますよね。いろいろ」

「ああ。よくわからんが、この町で何かが起きているぞ。間違いなく」


 早朝、上司に呼ばれて病院に来た。どうも、被害者の人から話を聞けるらしい。

「眠たそうだな」

「当たり前じゃないですか」

「間違えても聴取中に居眠りするなよ。さすがの俺でも本気で怒るからな」

「気を付けます」

「よし、じゃあこれ、眠気覚ましだ。食っとけ」

ミントの入った清涼感のある菓子とコーヒーを渡された。この2つ、合うのだろうか。

「最高に食べ合わせ悪いじゃないですか」

「はは、目も覚めたろ。刺された人の精神状態は想像してみればわかると思うが、何かあったらフォローを頼むぞ。このご時世、俺みたいなオッサンが女の子触ったら何言われるかわかったもんじゃないからな。それも失態続きの評判ガタ落ちポリスだしな」

よくわからない自虐だ。笑ってるけどあんまりおもしろくはない。

 病室に入ると、ベッドに座っている少女がいた。


「あの女! サヤカが私を刺したのよ! 信じてたのに!」

警察だと名乗ったとたん、突然大声を出されて眠気がどうとかいう話ではなくなった。

「本当にサヤカさんでしたか?」

「そう言ってるでしょ! あいつ、『私を信じるなんてバカねー邪魔しないでー』ってさ! ホント信じらんない! はやくアイツ逮捕してよ!」

「私の邪魔しないでっていうのは?」

「知らないよ! どうせ体でも売ってたんでしょ! あいつ親いない家出だし、そのくらい毎日やってるでしょ!」

「そうですか」

激しく怒鳴る彼女を見て昔の記憶がよみがえった。忌まわしい記憶だが、何年も経って苦しみを忘れてしまうと懐かしさすら感じるようになった。

 この子はサヤカという子の"元"親友だったらしいが、その元親友のことを涙ながらに罵る彼女の姿は本当のことを言っているようにしか見えなかった。

「それでもまだ、サヤカって子がやったとは思えないのか?」

「わかりましたか」

「当たり前だ。顔に書いてる」

勝ち誇った笑みを浮かべる上司も、延子さんの叫び声をずっと聞いていて耳が疲れたのか、ずっと耳に綿棒を突っ込んでいる。言っていることとやっていることが合ってなくて滑稽だが、空気も空気なので言わないようにした。

「お前には申し訳ないが、サヤカって子はいっぺん来てもらわないと駄目だろうな」

「納得はできないんですけどね」

「お前もその子と一回話してみてから考えてみな。会ったことはあれど話したことはないんだろ?」

言われてみれば、彼女のことは散々嗅ぎまわったものの、彼女とは話したことはなかった。なんで話したことのない他人をここまで信じているのだろうか。人生経験豊富な上司に聞いてみるか。

「そういえば、私ってなんでこんなにあの子の事を信じてるんでしょうね」

「知らん」

「悩める女の子の気持ちを一瞬で踏みにじりましたね」

「だが、お前がそこまで言うなら、何かあるんだろ。俺も会ってみたくなった。生徒の噂にならないように、早めに行ったほうがいいだろう。学校に電話入れとけよ」

電話を入れると、前会った担任の先生が出た。早速、サヤカさんを連れて行く旨の話をする。

「ああ、わかりました」

「ずいぶんと薄い反応のような気がしますが」

「同級生を刺したって話ですよね。もう学校中の噂になってますよ」

「え」

愕然としながら電話を切る。上司はいそいそと準備をしていた。

「もう、遅かったみたいです」

「何が?」

「例の事件、学校中の噂になってるそうです」

「……はあ。何だろうな」

「どうかしました?」

「……いや、なんでもない。知れ渡ってるならもうコソコソしてもしょうがないだろ。行くぞ」

私も上司も、考えていることは同じだろう。なんでもうその話が出ているのだ。いくらなんでも早すぎる。延子さんが言いふらしたのか、刺された現場の近所に両方の知り合いがいたのだろうか。

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