晴:女子高生

 玄関のベルの音を聞いて飛び起きる。周囲は真っ暗だ。時計を見ると深夜の4時前だった。誰だ、こんなわかりやすいほど深夜に人の家のベルを鳴らす不届き者は。流行りの誘拐犯を捕まえられなかった事に対する怒りのピンポンダッシュだったら世界の果てまでも追っかけて誘拐犯ともども現行犯逮捕してやる。

「ちょっとー、晴ちゃん、起きてる!?」

ベルどころか、玄関のドアまで叩いてきた。この声は……近所のおばちゃんだ。

「はーい……今行きまーす」

おぼつかない寝起きの足を無理やり動かして玄関を開ける。

「どうしたんですか? 夜中じゃないですか」

「どうしたもこうしたも、あの、最近誘拐犯が出てるって言うじゃない!?」

まさか、本当に誘拐犯を取り逃がしたお怒りの言葉じゃないだろうな……?

「出てますね」

「それでね、さっき町中を歩いてたらね、ちょうど、これくらいの女子高生がね、町をフラフラしてたのよ!」

「見間違いとかじゃなくてですか?」

「ホントよホント! なんか、家を一軒一軒、じっーっと見て、フラフラしてたのよ! 誘拐犯に連れて行かれないか心配で心配で……」

なるほど。確かに危なっかしそうではある。というのも、誘拐より泥棒に入りそうな意味も含めて。

「その子、今日の朝も学校に行かずにウロウロしてたって噂は聞いたわよ? 昼には学校に来てたらしいし学校には寝坊って言ってたらしいけど。なんかやってそうじゃない?」

学校、昼、寝坊……それに心当たりがあることを思いだしているうちに、すっかり目も冴えてきた。噂を聞く限りだと、昨日からずっと頭の隅に引っかかってた寝坊の子と見て間違いなさそうだ。

「ありがとうございます。ちょっと気になるんで、これから行ってみますね」

「そう、お願いね? 最初はテレビに出られてよかったけど、最近はカメラに映るのも飽きてきたしね。顔もモザイクかけられるし、誘拐犯を捕まえるのも早めにお願いね」

「了解です」

寝間着から、警察官とわからない程度の服に着替えて、その目撃現場に向かってみる。

うっすらと月と電柱の光だけが照らす道を歩いていると、確かに女性らしき人影が見えた。話通り、一つの家の前に立ち止まってはじっとそれを眺めて、一通り眺めたら場所を移動して、また別の家を眺める。これをずっと繰り返していた。怪しすぎる。声をかけるしかないな。

「あ、ちょっと、すいませーん!」

少しだけ離れたところから話かける。こっそり近づいて手の届く範囲から話しかけてもよかったが、さすがに怖すぎるのでやめておいた。幽霊は信じていないが深夜の町中をうろつく警察官の幽霊呼ばわりされるのは非幽霊の信条も関係なくごめんだ。当の女子高生は私の声に反応して、ちらっとこちらを見た。その顔は端正の整っていて、可愛いとチヤホヤされそうな顔ではあった。こちらを向いても、驚いた様子すら感じず、まるで生き物じゃないような無表情で私を見た。非幽霊の信条が敗北して、不気味さに気圧されそうになった。その直後、驚くべき反応の速さで私のいない方向へ走って行った。いや、逃げた。肉食動物に追いかけられる草食動物のような全力疾走だ。私は野菜も食べているが。

「ちょっ、待て! 待って!」

むしろ、その私が来ることをあらかじめ知っていたような反応の速さに驚いてしまって、走り出すのが何秒か出遅れた。この女子高生が登校の途中で引き返してそのまま昼まで寝てしまうような変わり者だという事を忘れてしまっていた。不覚である。

「こら、こんな夜中に! ……?」

1分ほどの全力疾走追跡劇を演じて、若干疲れたところで、足元で鳴ったジャリッ、という音とともに突然滑って、危うく転びかけた。何か硬い板を踏んだようだ。急いで拾ってそれを確認してみる。昨日の朝に行きかけた高校の学生証だった。顔を見てみると、さっきの不気味な無表情の女子高生が、優しく微笑んでいる写真だった。さっき見た表情とはまるで正反対だ。前を向いてみると、その姿は消えていた。一応、もう少し走って辺りを回ってみたが、誰ともすれ違うことはなかった。また取り逃がしてしまった。二度あることは三度ある。次は気を付けなければ。

 とりあえず、拾った学生証は明日学校に届けて、そのついでに、担任の先生にあの子のことを少しだけ聞いてみよう。この学生証に写っている優しい微笑みの女の子が、あんな血の通ってなさそうな、不気味な無表情を作れるものなのか。というか、よほどの事がない限りはあんな顔はできないと思う。夜だけあって寒い。さっさと家に帰って布団に潜り込もう。踵を返したその時、

「……?」

何か今、視界の隅で何かが動いた気がする。念には念を入れて駆け寄ってみたが、何もなかった。気のせいだろうか。そもそも本来だったら今は眠りに落ちている時間だ。そんな中で走り回ったら、いくらなんでも意識は曖昧になるだろう。あの女子高生が何をしていたのか気になるところだが、寒いうえに眠い。これで切り上げておく事にした。あの子が逃げた先で誘拐犯と遭遇してないことを祈ろう。改めて学生証を見ると、ちょうど狙われそうな、可愛い顔をしている。ものすごく不安になった。

 ところで、あの近所のおばちゃん、何でこんな深夜の町を歩いていたんだろう。女子高生の話に気が向いて聞きそびれてしまったが、暇な時に聞いてみよう。

 早朝から学校に出向いて、担任の先生と話をしてきた。近所のおばちゃんの頼みの為に出勤が遅れたとなればまた空気の殺伐度が高まりそうだし、朝から警官が来たら全校生徒の噂になって勉強の邪魔になりそうなので、できるだけ生徒が登校しないような時間にしておいた。睡眠不足で若干痛みが生じている頭を無理に働かせようとしたせいで余計に痛くなった。職員室で担任の先生を呼んでもらうと、めんどくさそうな顔をした男が出てきた。

「これなんですけど、彼女、この深夜4時頃に夜中の町をうろついているという通報が近隣住民の方から寄せられてですね……」

そう言って学生証を差し出すと、その写真を見た担任の先生は溜息をついた。

「はぁー。またこいつか」

「やっぱり、昨日の朝の件もこの子だったんですか?」

「そうですよ。昨日から突然変な事を言い出すようになってて。それまでは真面目な子だったのに」

「変なこと?」

「なんか、ドッペルゲンガーがどうとか。……いや、それは延子か。ああ、すいません、今のは忘れてください」

ノブコ。学生証の子はサヤカという名前だったので、その友達か何かなんだろう。とりあえず、このサヤカという子は真面目な子だったらしい。

「一応、うろついてた子の顔だけしか確認できなかったんですけど、この子の顔、というのは間違いなかったです」

「そうですか」

「あと、先生はこの子が怖い顔をしたのを見たことって、ありますか?」

「? 怖い顔っていうのがどんなのかはわからないですが。いえ、特には」

「わかりました。ありがとうございます」

時計を見ると、そろそろ学校を出なければスピード違反しないと遅刻になりそうな時間が近づいてきていた。話すことは話して聞くことは聞けたし、そろそろお開きにしよう。

「では、これで失礼させていただきます。今も誘拐犯が周辺をうろついているようなので、厳しく警戒しておくよう、よろしくお願いします」

「こちらこそ、わざわざありがとうございます」


 思っていたより時間を食ってしまったので家を経由せずそのまま出勤する。例の女子高生——サヤカって名前だったか。その子はあの深夜の出来事の後、ちゃんと家に帰って学校に来れているかどうかも確認したかったが、警察の権限でもそこまで踏み込んでしまうと権力の乱用でまた私たちの周りが騒がしくなりそうなので止めておいたものの、今更気になってきた。が、警察庁はもう目の前だ。

「10分前出勤には2分遅かったんじゃないか」

「すいません。ちょっとした用事が入ったんですよ」

「そうか。遅刻じゃないだけマシってことにしとくか。とりあえずパトロールからだな」

「やっぱり、あれ以降情報はなしですか?」

「ナシだ。そもそも、取り逃がしたって情報を公開するかどうかで上で揉めてるみたいでなあ」

「いや、出しましょうよ」

「現実はそんなに簡単に行くもんじゃないんだ。とにかく、俺らがとっとと犯人を捕まえりゃ終わりな話だ。ほら、行くぞ」

 昼頃の車内。

「犯人、全然見つからねえじゃねえか!」

「私に八つ当たりされても困るんですけど」

「お前もう囮捜査やってくれよ! ギリギリ美人の部類だしいけるだろ!」

「えっ……」

「社交辞令に決まってるだろ。本気で照れるな。気持ち悪いぞ」

「……犯人捕まえた後、パワハラとセクハラで訴えますからね」

「じゃあこの事件が俺の最後の活躍になるのか。どうせなら世界を滅ぼそうとする悪の組織のボスを捕まえてから刑事生涯を閉じたかったが」

「本気で辞めようとしないで下さいよ。冗談なんですから」

「知ってる。バスケットボール選手の神様が辞めないでって言ってるよ」

「? 何の話ですか?」

「ジェネレーションギャップの話をしてる」

「よくわかんないです」

「じゃあいいよ。ところで、朝に言ってた用事ってのは何だったんだ? もう10分前集合の約束を忘れたのかとおじさん怒り心頭なんだけど」

私が毎日暴走して厄介事を起こしているのは私の大活躍を見た人は大体察していると思うが、その処理は上司に責任を取ってもらっている(勝手に上司の責任ということにしてくれる)のだ。優しい。理想の上司だ。『感謝の気持ちがあるなら1秒でも働く時間を増やせ。残業は禁止してるし、お前も夕方頃にはエネルギー使い果たして動いてないから、朝だ。10分前集合すれば10分も無償で働けるぞ』ということで、基本は10分前には警察庁に着いてすぐ仕事に取り掛かれるようにしているのだ。

「えっとですね……昨日の深夜4時くらいに近所の人に叩き起こされて」

「は? なんだそれ。冗談にしては面白くないし本当に起こされたなら怖い話だぞ。俺だったら公務執行妨害で現行犯逮捕してる」

「いやあ、本当なんですよ。それで、昨日の朝の寝坊女子高生が外でうろついてるって。それで様子を見に行ったんですけど」

「何で女子高生がそんな時間に……まあいい。ツッコミは後でたっぷり入れてやる」

「なんかその子、不気味だったんですよね」

その女子高生の挙動不審な行動や人じゃないような無表情など、昨夜見た彼女の顔や雰囲気をできる限り伝えようとした。上司は喉仏を上下に動かしながら、黙って聞いていた。

「……いや、まだ話は終わってないぞ。それで、なんで遅れたんだ? 走り回って疲れて寝坊しました、とかだったら高校生からやり直してもらうぞ?」

「それで、彼女、学生証を落として、それを届けてたんですよ。ついでに彼女の情報もちょっとだけ聞いてきて」

担任の先生から聞いた話を要約しつつ伝えた。改めて考えてみても、たった数日の出来事が彼女をあんな顔に変えられるとは思えなかった。その隣で、上司は溜息をついた。

「本当だとしたら、俺らの仕事が一つ増えるじゃないか。泥棒の疑いがありそうな女子高生、その付近に誘拐犯のおまけつきだ。もう関わっちまったからには誘拐されてからそんな不良女子高生なんて知りませんでしたじゃすまなくなったぞ」

「誘拐はそうなんですけど、彼女が泥棒しそうな顔には見えなかったんですけどね」

「そうか? 人なんか意外と何を考えてるもんなんかわかったもんじゃない。いい顔をしておいて裏で悪い事してるやつなんか大量に見てきた」

「長年の経験の勘ってやつですか」

「そうだ」

「私の、彼女が泥棒を働かないっていうのも、女の勘ってやつなんですけど」

「……の割にはいい男が引っかかったって話は聞いた事ないぞ? 浮気されてたとか歩く銀行扱いされてたとかいう愚痴は聞いた事あるんだけど」

「その話はいいじゃないですか。それを言ったら……」

「俺が結婚しないのは殉職したらややこしい問題になるからだよ。あの世から嫁に『俺のことは忘れてくれ~』なんて言う方法も知らないからな。あ、さすがの俺でもお前と結婚するのは生理的に無理だからな」

「セクハラ。私も俳優の京成くんくらいのイケメンじゃないとお断りです」

「そんなやつ地球上に何人いるんだ。……話を戻すが、ちょっと、夜中の巡回も検討しないといけないかもな。このタイミングで夜歩きする女子高生ってのはさすがにタイミングが悪すぎる」

「ですよね」

上司がゆっくりこっちを向く。……嫌な予感がする。

「良かったな。夜中の残業が30分増えるが、朝に仕事する時間が10分減るぞ。俺の頭の中ではプラマイゼロって答えが出たんだが」

「鬼ですか」

「お前一人だと噂の誘拐犯にうまいこと嵌められてミイラ取りがミイラになるパターンになるのは目に見えてるし、俺も行くからさ。頼む。」

こうして、私は夜中の町をパトロールするというブラックな環境に放り込まれることになった。


「かき揚げそば定食の大を2つでよろしいでしょうか?」

「もちろん」

「かしこまりました。カ、大、2つ!」

いくら探しまわっても誘拐犯を見つけることはできず、私たちは一旦昼食をとることになった。上司と外食する時はたいてい警察庁近くの老舗の蕎麦屋へ行ってかき揚げそばを食べる。味は中の上くらいだと思うが、私の上司がその上司の人と初めてここで食べた日以来、ずっとここで食べているらしい。数十年間も通ってるだけあって全ての店員に顔を覚えられているようだ。この人がかき揚げそばしか注文しないのも知られていて、毎回注文する前からこんなふうに注文を取られている。

「これからどうします? 探せるところは探したと思うんですけど」

「そもそも、相手が徒歩でこっちは車だからな。山とか行かれたら捜査にも限界が出る」

「次は山登りですか?」

「いや、山は他の人らに任せてある。俺らは市民に被害が出ないようにパトロールしとけばいい」


収穫なし。グルグル吠えている上司を横目に家に帰り早めに寝ることにした。夜のパトロール、冗談と思いたかったが、本当にやるみたいだ。

深夜3時、携帯電話の着信音で目覚める。覚悟をしておいた分、寝起きは昨日よりかは多少マシにはなっている。

「はい」

「ほら、サービス残業の時間だ。俺はお前の家の近くの公園で凍えながら待ってるから早く来いよ」

「はーい」

とは言うものの、寝る前に外へ出かけられる服に着替えて、そのまま寝ていたので今すぐにでも出発できた。

「思ってたよりずいぶん早いな。10分前集合の件はチャラにしといてやる」

「私だって普通にできるんですよ。たまたま今回は遅れただけで」

「たまたまでも何でも仕事には絶対に遅れちゃあ駄目なんだよ」

「長いことこの仕事やってると思うんですけど、そう言うなら遅刻はしたことはないんですよね?」

「ある。二日酔いでな」

「駄目じゃないですか」

「たまたまだ。それで、その例の女子高生ってのは、どこで見たんだ?」

「こっちです。ちょっとだけ遠いですが」

町中をふらふらと歩いてみたが、人っこ一人歩いていなかった。

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