晴:分厚いメモ帳
近所の高校の教師から電話が入った。
行方がわからなくなった生徒がいるらしい。
「何の電話だった?」
上司の男が聞いてくる。相当歳を取っていて、中肉中背というよりは、デスクワーク中心の生活でメタボリックシンドロームの疑いが出てきた、という愚痴を聞いたことがある。普通、警察官は齢を取るにつれ無口で厳格になると思うのだが、それどころかこの人は歳を取れば取るほどおしゃべりになっている気がする。
「女子高生、登校時には目撃証言があるのに、学校に来てないとのことですが」
「はー。例の誘拐犯か? その子が制服を着てたんならちょっとマズいかもな」
ここ最近、付近で誘拐犯が出没している。それも、相当タチが悪いようで、一度狙った相手をしつこく追い回して犯行を行うらしい。しかも、他の町に出張するわけでもなくこの付近に居座っているせいで、マスコミからも世間からも上の方々からの風当たりも強くなっているのだ。私自身も近所の人からよく不安の苦情が寄せられて非常に困っている。手がかりも今のところ男ということしかわかってない。……新しく情報が入っていた気がするが、忘れてしまった。
「とりあえずこれから学校に行って話を聞いてきます」
「なんかわかったら連絡してくれー」
時計を見る。11時と表示されていた。9時に学校に着くように登校していたとしたらおよそ2時間も経っている。女子高生の誘拐だとしたら、相手によっては無事に保護できるタイムリミットまではかなり短い。急ぐべきか。身だしなみを整えもせずに大急ぎで警察署を後にした。
車に乗って学校へ向かう。その道中で誘拐犯が乗っていそうな怪しい車を目視でチェックしていく。出発して30分後くらい経って、不審な車を見つけた。黒のワンボックスで、中からカーテンがしてある。いかにも怪しいという先入観も相まって、停車したままというのがさらに不審感が出てくる。検査しようと思ったところで電話がかかってきた。先ほどの上司からだった。中途半端なところで停車して勘付かれてもいけないので、仕方なく、逃げても見失わない程度の不審車から離れた場所に車を停めて電話に出る。
「もしもし、不審車を見つけたんでこれから乗り込もうと……えっ、はい、寝坊? はい、わかりました……」
女子生徒、無事に学校へ来れたらしい。だが、一度目撃されたというのはなんだったのか。友達と会ってその後家に帰って寝る? 気まぐれにも程があるでしょう。話も聞く必要はないとのことなので、渋々帰ることにする。先ほどの不審車に誘拐の現行犯で乗り込んでいたら冤罪でっち上げ警官の汚名をつけられるところだった。ただ、不審なのは不審なので、とりあえず車の形と色、ナンバープレートだけは控えておいた。
「そういやお前、『バディ警官』は観に行ったのか?」
帰って早々、上司から仕事とは全く関係のない質問が飛んできた。『バディ警官』というのは、今話題の京成くんが主役の刑事を演じ、ナントカっていう女優演じる婦警がコンビを組んで犯人を逮捕するといった内容の刑事ドラマである。ほんの数日前にその映画版が公開されたのだが、チケットが完売してたり誘拐事件の処理で居残りを食らったりしているせいで悔しくも観ることができずにいたのだ。
「え、お前まだ観てなかったのか。京成くんファンを豪語するお前のことだから初日、少なくとも今日までには見に行ってるもんだと思ってたから急いで見に行ったんだが。そうか……」
「初日に観に行けなかったのはチケットを早く取っておかなかった私が悪いんですけど、それ以降の私は忙しかったんです!」
「そういや誘拐犯どうこうで残業やってたんだっけか。私は忙しかった、って、まるで俺が怠けてたみたいな言い方だな。ここで真犯人をバラしてやっても良いんだぞ。いやあ、最後のシーンの、映画館で犯人……」
「それは絶対に駄目です。謝るんで頼みますから言わないでくださいホントすいませんでした」
「ハッハッハ。わかればいいんだ」
くそう。こうなったら今日の帰りにでも映画を観に行って、ネタバレが恐くなくなった後に復讐してやる。
「帰りに観に行くんなら、何も事件が起こらないように京成くんにお祈りでもやっとけ」
「やりませんよ! そう言えば、学校に行く途中に不審な車があったんですけど……」
まあ思い過ごしだろうけど、と思いつつ車の情報を伝えてみると、上司の顔がどんどん険しくなっていく。あれ、この展開は……。
「…お前それ、今話題の誘拐犯が使ってたって車そのものだろ」
黒のワンボックス、念のため上司に報告してみたら、この日はとんでもなく忙しい一日になることが確定してしまった。言われてみれば、そんな情報があった気がする。夜の、脳ミソが疲れた頃に聞いたせいで失念していたみたいだ。
「誘拐かと思ったら誘拐じゃなかった案件のおかげで誘拐犯逮捕になるかもな。あとはお前が誘拐犯の情報を覚えていればな」
そう言ったら、大声を出して瞬く間に誘拐犯逮捕チームを作り上げて捜索が始まった。私は勝負服扱いしている黒のトレンチコートを羽織る。勝負服にしていることに特に意味はないが、奮発して高い物を買ったんだし、ちょっとくらいご利益があったって……いいよね。
「ほら、ぼさっとしてないで、お前も来いって。お前しか見てなかったんだから」
「あ、はい!」
現場に急行。黒のワンボックスはさっき見た時と全く同じ場所に止まっていた。パトカーで何回か通りすがったはずだが、気付かれなかったのか。近付いてみて、窓をノックしたら中で物音がする。誰かがゴソゴソ暴れているようだ。カーテンの隙間から中を覗いてみると、女性がテープでぐるぐる巻きにされていた。その女性が激しくもがいている。誘拐の被害にあったとみて間違いない。ドアを開けようとして、上司から耳打ちされた。
「おい、爆弾とか罠とか、気を付けろよ。前見た時から動いてないってことはその可能性もあるぞ」
「そんなこと言ってる場合ですか!」
迷うことなくドアを開ける。爆弾処理班を待っていたら、被害女性からしたら放置されているようにしか見えないし、余計に傷つきそうだという考えからだったが、案の定、上司の顔が真っ赤になる。
「おいおいおい!」
上司が叫んで、車を取り囲んでいた警官たちが一斉に後ずさりで離れていく。だが、爆発する気配はない。爆弾のようなものもなさそうだ。
「大丈夫ですか」
「助かりました」
女性を縛っているテープを、痛くないようにゆっくりはがしていく。テープの粘着具合からして、ついさっき巻かれたようだ。とりあえず、誘拐され放置されていたという人の保護には成功した。しかし、肝心の犯人は車内におらず、そのまま見張っていたが帰ってくることはなかった。私は現場周囲にある森や林などの隠れやすそうな場所を捜索してみたが、目ぼしい人物を見つけることはできなかった。
その後は被害者の人から話を聞いていた。彼女の名は黒田玲穂玖というらしい。なかなか珍しそうな名前をしているが、それは今は関係ない。彼女が攫われたという手口は今話題の誘拐犯のものと一緒だった。ただ、この一連の事件の中で初めて成人女性の誘拐が行われた。今までは女子高生ばかり狙っていたのに。よほど怖かったらしく、震えが止まらなかったのでそれを収めるのに必死になった。背中を長い間さすってあげてやっと落ち着いた。寒いとも言っていたので、車内で暖房を効かせて、しばらくの間、おしくらまんじゅう遊びのように体を密着させてあげたのも効果があったのだろう。
これで犯人を取り逃がしたというのは非常に痛い。その代わり、犯人の車は手に入れられたので、車内をくまなく探せば何らかの情報は出てくるだろう。何より犯人の誘拐拠点を確保できたのは大きい。車内から数十万円ほどの生活 資金のようなものが出てきたし、それが全財産だったとしたら犯人も自首するほかないだろう。
「なんか、最近寒くなってきましたよね」
トレンチコートを脱ぎながら上司に話かける。上司の飲んでいるコーヒーが温かそうで、見るだけでも気分は温もってきた。
「……なんだ、急に」
「さっきの黒田玲穂玖さんが話を聞こうとしたら寒い寒いって言ってたんで、そうそんな時期かと。あ、もちろん暖房は入れましたよ。あと、おしくらまんじゅうも」
「押し競饅頭って。女同士で体くっつけてたのか。いくらなんでも……まあ、お前が男じゃなくて良かった」
「そのおかげで震えも止まったんで、結果オーライですよ」
件の黒田玲穂玖さんは念のため警備をつけて帰らせた。犯人の異常な執着心にまみれた今までの行動からして、警察帰りで油断しているところを狙うのも十分考えられたからだ。当面は取り逃がした誘拐犯の捜索をする。犯人が見つかるまでパトロールを増やさないといけない。ただでさえ色んな方面からの重圧でストレスを抱え込んでいるのにここからさらに仕事が増えると空気が殺伐としそうだ。
帰りの車内。朝の寝坊したという女子高生の話がどうにも引っかかり始めた。寝坊だったといえばそれまでだが、不気味な話である。朝に登校していた人がそこで話をしてから家に帰って、昼まで寝ていたというケースは珍しい。実は女子高生と、その子と同じ顔をした幽霊が2人いて、人の方が寝っぱなしで幽霊のほうが行動していた、とかだったりして。まるでドッペルゲンガーだ。
私は幽霊とかその類のオカルト的な存在はあまり信じていない。この目に見えるものしか信じられないし、見えないものを気にしすぎていたらキリがなくなってしまう。こういうところは現場に残った遺留品で犯人を導き出す警察官向きだと思うが、上司には「暴走する癖を治さない限りはどちらにしても警察官に向いていない」と一蹴された。「もし幽霊がいたら、殺人犯なんか被害者の霊にすぐ呪い殺されるし、悪い事やってる奴も昔の偉い人の霊にバッサリされて終わりだ。そしたら警察官なんか商売あがったりだ」とも言っていた。
寝る前に、今日の反省会を行った。警察官として配属されてからは、こうしてちょっとした手記を付けている。分厚いメモ帳を使っているが、硬い外装がなんとも硬派な警察官という雰囲気が出ていて気に入っている。今日は色んなことがあった。朝から女子高生の寝坊の犠牲になり、その道中で誘拐犯の車を見つけ、被害者の話を聞いて、山やら林やらを散策して、仕事終わりだ。こんな片田舎での仕事が忙しくなるのは久しぶり……というか初めてかもしれない。だからこそ、この町がもっと大きな事件の舞台になりそうな気がしてならない。気のせいであればいいが。
メモを閉じて、さっさと就寝の準備に入る。明日からも忙しくなりそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます