サヤカ:刑事

 パトカーに乗ったのは初めてだ。悠佑が大人たちと何分間か言い争っていたが、私は車に乗って、面談室よりも無機質な部屋で話をすることになったらしい。助手席に座っている大男のような警官と後部座席に座っている若い女性警官の声が耳に入った。

「それにしても、こんっな若い子がねえ……」

「いや、まだ犯人とは決まってないんですし……」

「……そうか。やっぱりその子の肩を持つかい。そう思っていたよ」

「そりゃあ、まあ……」

隣の女性警官が窓の方を見ながら、なにやらゴソゴソしている。私の話をしているみたいだが、話の内容は全く入ってこなかった。気になることは一つだけだった。

「延子は……延子は無事なんですか」

助手席の男が私の方を向いて、その後に女性警官の方を向いた。女性は勝ち誇った顔をしているように見えた。男は小さく溜息をついた。

「うーん。すまないが、それはまだ言えな……」

「生きていますよ」

「おい!」

大男の体に似合った大きい怒鳴り声がした。いつもなら恐怖で委縮していただろうが、そんな事はどうでもよかった。延子が生きていた。それだけが今一番重要な情報だった。女性はこう続けた。

「記憶が混乱している……みたいですが、生きています。傷は深めでしたが、手術も無事成功して、命には別状はないそうで」

「……お前、後で覚えとけよ」

「すいません」

車がゆっくりとカーブして止まった。窓からは大きな建物が見える。遠くからしか見たことなかったが、近くで見るとかなり大きく感じた。

「まあ、とりあえず話を聞いてみないことにはな」

そういって、大男はシートベルトを外して、ドアを開けた。

「ささ、あなたも降りて」

女性警官が手を差し伸べる。

「私は晴。そのまま、晴、とでも晴さん、とでも呼んでいいよ」

「……サヤカです」

「え?」

「サヤカって呼んで……いいですよ」

「そっか……じゃ、サヤカちゃん、降りて。とりあえずこれから話を聞くから、心の準備はしておいてね」

言った後に思ったが、パトカーで連れて行くくらいだから二人とも私の名前は知っているはずなので、わざわざ名乗る必要はなかったのだ。ただ、大男はまだわからないとしても、さっきまで隣に座っていたこの女性警官——晴さんは信用できそうな気がした。私と彼女の間に一種の親近感を感じた気がした。


 狭いコンクリートの無機質な部屋。私と晴さんはパイプ椅子に座って向き合った。ここ数日の面談部屋通いでこのような部屋は慣れたと思ったが、壁の色も椅子の材質も違うので不慣れな気分になる。なにより、ここは取り調べ室なのだ。昨日までの、生徒に注意をする部屋とは訳が違う。

「……さて」

晴さんはにっこり笑って話し始めた。

「まず、何を疑われててここまで連れてこられたかは、わかってる?」

「……延子が刺された、って聞いたんですけど」

「単刀直入に言うと、あなたがやった?」

「やってないです」

延子の無事を聞いて、少しずつ冷静になってきたが、冷静になればなるほど非常にマズイ事態になっていることを認識してきた。そうだ。私は延子を刺したという、殺人未遂の疑いで警察に来ているのだ。

「そうだ、サヤカちゃんは最近になって突然変な行動が目立つようになった、っていろんな人から聞いたんだけど」

「今までもこの事件も、私はやってないです」

「そっか……」

刑事ドラマだったら、ここで熱血漢が机を叩いて『それは犯罪者がよく言う言葉だ!』とかなんとか言うと思うし、それを覚悟していたのに、意外にも下手に出られて驚いてしまった。警察官が容疑者を恫喝する場面を録音したというニュースを見た覚えはあるが、それを警戒しているのだろうか。

「あ、聞いてる人が私以外だったら、たぶん想像の通り恐い人にいろいろ怒られる事になるだろうから覚悟しといてね」

見抜かれた。さすが計朝掴んといったところか。どこから読み取られたのだろう。私が表情を試行錯誤していると、晴さんは曇った表情になった。

「合ってた? ならよかった。警官のカンというか、昔の経験則かな? まだ新人みたいなもんなんだけどね」

「すごい……」

思わず口に出てしまった。テレビで人の心を読み取るパフォーマンスをする芸能人がいたなあ。あの嘘くさい笑顔を思い出した。目の前にいる晴さんはそれと対照的に、物憂げな表情になっていくが、私が彼女を見ているのに気付くと、キリっと引き締まった表情になった。

「すごいでしょ?ウソついたらわかるからね。そろそろ本題に戻るよ。昨日の深夜3時30分頃、あなたは何をしていましたか?」

「寝てました。今度ばかりは証拠もあります。……そういえば、なんで私が容疑者ってことになったんですか?」

彼女はしばらく黙った。何か考えているようだ。言えないことがありそうだが、それが何かはわからない。

「うーん。すごい気になることなのはわかるけど、それはちょっと言えないね。ごめんね」

さっきも(私にとってはありがたかったが)余計な事を言って上司らしい人に怒られていたし、ここで言ってしまったら彼女の警官人生は終わってしまうだろう。

「それで、証拠って?」

「寝ている間のビデオを録ってあります」

「ビデオ?録画とか再生とかする?」

「そうです」

彼女は鏡をチラチラ見だした。ドラマだとこの鏡はマジックミラーになっていて、だいたいその向こうに誰かがいる。

「いろいろ気になるところがあるけど、何に保存してある?」

「スマホです。持ってるんで、すぐにでも見せられますけど」

少し間が空いて、彼女は難しそうな顔をして腕を組んだ。

「じゃあ、見せて貰おうかな。消したなんて言わないよね?」

私の知らない間にビデオを消されたのかと、はっとして急いでスマートフォンを確認すると、映像はちゃんと保存されていた。私の心配は取り越し苦労で終わった。


 録画されている映像を見ながら、延子は誰に刺されたんだろう、という疑問が頭をよぎった。いつもは、あの変な夢を見た日にドッペルゲンガーが目撃されていたが、今日はあの夢は見ていない。夢はドッペルゲンガーの出現と関係ないとも考えたが、初めてあの夢を見てから妙な事件に巻き込まれ始めたことからして何かの関係はありそうな気がする。軽いチェックだったようで、映像を飛ばし飛ばしで見て行ったので、確認はすぐに終わった。ドッペルゲンガーがいないか確かめるためです、なんて言ったらそれこそ精神的な問題で私が犯人ということにされかねなかったし、なんでそんなビデオを録っていたのかは聞かれなかったので言わなかった。この人にはいずれ話してもいいかも。そんな事を考えていた。

「映像、プロの人に見てもらわないとだから、ちょっとだけスマホ借りていていいかな? 見られたくない写真とか入ってない?」

「大丈夫なはずです。私もそのほうがありがたいです」

晴さんが私のスマートフォンを他の警官に渡すために席を立つと、私のお腹が鳴る音が聞こえた。そういえば、この外はお昼の時間なのか。晴さんもそれに気づいたのか、私の方を振り返って、

「もういい時間だし、お昼ご飯を出して貰おうかな。お姉さん、頑張っていいやつ持ってこさせるから。かつ丼……は古いか。うな重とか!」

と言った。うな重は高いでしょ、と思ったが、結局出てきたのは普通のカレーだった。久し振りにコンビニ弁当を弁当箱に移しかえただけの昼ご飯以外のものを食べた気がする。質素ではあったが、懐かしい味がした。


 聞き取り調査は終わった。

 彼女は私が容疑者である理由を話さなかった。規則といえばそれまでだが、それ以外に理由があったように感じる。

 あの時、彼女は何を考えていたのだろうか。お風呂の湯船に首まで浸って、彼女の顔を思い浮かべていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る