サヤカ:ドッペルゲンガー
「嘘なんかじゃないです! 本当に11時まで寝てたんですよ!」
必死に潔白を訴えると、さすがの担任も観念したらしい。
「わかった、日々の素行も悪くないし、誤解もあるかもしれないからな。念のためだが、それを証明するものはあるのか?」
大丈夫だ。壁破りの隣人がいる。これ以上迷惑をかけると本当に壁に穴が空きそうだが。
「隣人が証明してくれます」
担任は一回頷いた後、腕時計を見る。
「時間も時間だから、出るのは昼からでいいぞ。それまでは自習でもやっとけ。お前の話が本当でも嘘でも、誘拐犯はまだ出没してるらしいし、気をつけろよ」
誘拐犯。そんな話もあったなと思っているうちに、担任は足早に部屋を出て行っていた。警察にも説明しないといけないのだろう。
数学の教科書を鞄から取り出しつつ、誰がこんなくだらない嘘をついたのか。そんな事を考えていた。
嘘をついた犯人はすぐ見つかった。というより、教室に入るや否や自白してきたのだ。
「サヤカー、今日の朝、私と会ってから何してたの?」
「延子が犯人だったの?」
延子は首を傾げる。もちろん、今日の朝起きてから延子とは会っていない。というか、高校生とすら誰ともすれ違わなかった。外に出る時間が時間だったから。
「あー。言わないほうがいいかなーと思ってたけど、やっぱ言っちゃマズかった? ごめんね?」
長い付き合いだから嘘をつく時の癖は知っているつもりだが、今回は本心で言っているような話しかただった。だとしたら面倒ごとに巻き込まれそうな話である。
「本当に見たの?」
「あはは、とぼけちゃって。寝坊って聞いてたけど、本当は何やってたの?」
興味のわいた事柄にはなんでもかんでも首を突っ込もうとするのが延子の良いところであり悪いところでもあったが、良いところというのは撤回したい。と、ここで一つ気になることがある。
「朝って、何の話してたの?」
「えっとねー、今日の朝は何食べたー? って」
「それで?」
「レーズン入りの菓子パンだって」
……食べていた。ただ、私が完全に起きてからパンを食べていたので、この時にはまだ食べていない。本当に、無意識のうちに外に出て、知り合いと話をしていたのだろうか。それとも。
「というかサヤカ、なんか本当にアタシと会ってないみたいな話し方してるんだけど。会ってないの?」
「会ったのかはわからないけど、本当に覚えてない」
「うーん。それ、ドッペルゲンガーじゃないの?」
ドッペルゲンガーなんて、冗談でしょ。とは言いつつ、その可能性を感じずにはいられなかった。
遅刻した理由をクラス中に気にされたが、それ以外には特に何の変わりもない午後の時間を過ごした。ドッペルゲンガーがどうこう言っていた延子は周囲にドン引きされていたが見なかったことにする。さすがに今日みたいな事が起きても困るのでいつもよりかなり早めに寝て十分な睡眠時間を取るようにした。自分の事をショートスリーパーだと思っていたが、その認識は改めたほうがいいかもしれない、と思っているうちに眠ってしまった。
私が目を開くと、私と同じ顔をした何かが部屋の中を右往左往していた。
「……ん」
声にならない声を出す。全身が布団の柔らかい感触に包まれていて、視界の半分は枕の中に埋まっている。私自身は確かにベッドに寝ているのに、私と同じ顔が私の声に反応してベッドの上で倒れている私の方を振り返った。あなたはだれ? 体の大部分が金縛りにあったようにピクリとも動かないし、部屋を歩き回るサヤカは私の声が聞こえたのか否か、薄ら笑いを浮かべるだけであった。私はなんとか顔を枕にうずめることに成功した。
次に体が動いたのは目覚まし時計を止める時だった。針は7時を指していて、隣人に壁を壊されることも遅刻で怒られる危機に瀕することもなかった。昨日の夜中のあれは何だったのだろう。心なしか部屋に散らばっている本や雑貨の位置が変わっている気がしないでもないが、確信も持てないし、そもそも部屋の中に同じ人間が二人いるという状況は非現実的すぎて、夢だとしか思えなかった。
私の顔をした変なやつが2日連続で現れるという謎の夢についてボヤっと思考を巡らせつつ学校に行くと、昨日のドッペルゲンガー騒動がなかったかのような、いつもと変わらない日常に戻った。クラスメートからその件をイジられもしたが、これまでと同じような生活になると思った。朝のホームルームが始まるまでは。
「担任の一言コーナーはカット。その代わり、サヤカは2日連続面談室行きで、他は1限に備えてお昼寝」
昨日の遅刻騒動の続きだろうか。何も言われずに解放されたが、隣人に事情を説明しておいたほうが良かったか。アパートに帰って隣人がいたら済む話だから大丈夫だろうと思った。しかし、そんな予想は外れていた。
「昨日の夜中、何をやっていたんだ?」
いきなり予想の斜め上の話題を吹っ掛けられる。もはや女子高生の私生活を知りたがっているようにしか見えなくなってきた。昨日の夜は遅刻した分の勉強をして、いつもより早く寝た。それだけだ。
「そんな事を聞いてるんじゃない」
「だったら、何が知りたいんですか」
勉強したと言ったら褒めてくれるのではないかという一種の期待が、そんな事呼ばわりで一蹴されるという真逆の反応で無に帰されたので、正直なところムッとしてしまった。
「昨日、深夜4時頃、何をしていたんだ」
寝ていた以外にない。深夜という言葉を聞いて、昨日見た夢のようなものの事を思いだした。私は間違いなく寝ていたが、私に似た顔をした何かは私の部屋をフラフラしていた。まさかとは思うが、延子の言う通り、もう一人の私——ドッペルゲンガーが悪事を働いているのか。もちろん、そんな事を口に出してしまえば余計に怪しまれるに決まっているので、言わなかった。どう考えても見苦しい言い訳にしか聞こえない。
「……本当に寝てたはずなんですけど」
「4時頃に町をうろついてるのを見た住民が警察に通報して、補導しようとしたところ逃げられた、と聞いたんだが」
「なんでそれが私になるんですか」
「そいつがお前の学生証が落としたんだと」
ポケットから財布を取り出して中身を確認する。学生証がない。店で学割を利用するために財布に入れているはずだが、中身を全部机の上に取り出して、カードを1枚1枚確認しても、それが出てくることはなかった。でも、それだけで私と決めつけられる訳にはいかない。担任は続けた。
「そいつの顔がお前の学生証の写真にそっくりだった……というか、お前そのものだったらしいが?」
今までの人生の中で夜歩きをした事は(家出をした時以外には)ないし、学生証だって、盗まれたやつがたまたま落ちた可能性もあるんだから。そんな自信はあっさりと崩れ去った。そして、担任が私の顔をまじまじと見つめているこに気が付いた。
「どうかしたんですか? 私の顔になにか付いてますか?」
「いや、何でもない。ちょっとな……」
担任は口ごもった。なんだなんだ。担任は咳払いをして続けた。
「そんな事より、どうなんだ? 俺としてはサヤカを信じたいのはやまやまなんだが、昨日の遅刻の件もあるし、警察の人もわざわざそんな嘘をつくとは思えないしな」
「少なくとも私には覚えがないです。その時間は本当に寝ていました」
「そう言うなら証拠が欲しいんだけど……ないよな?」
流石に今回は隣人の力を借りることはできなかった。
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