ドッペルゲンガー:サヤカ

 僕は今、サヤカの家の前まで来ている。あらかじめ作っておいた合鍵を持って、アパートの階段を上る。サヤカの部屋の前に立つと、その隣の部屋で少し物音がした。気づかれないように、できるだけ音を殺して鍵を開けた。

 ガチャ、ドン、とドアが開閉した。サヤカは眠っていた。近付こうとすると、壁から大きな音がした。隣人が殴ったのだろう。びくっ、とサヤカの体がはね、その目がうっすらと開いた。

(余計なことをするな……!)

何か月も考えてきた計画が初めから失敗してしまうことを想像すると、さすがに怒りで口を歪ませずにはいられなかった。だが、薄い目で空を見つめるサヤカは僕に気付いていないように思えた。安心して、そろりそろりと近付いていくと、彼女はその目を閉じた。水道水で睡眠薬を飲ませてやると、彼女は深い眠りについた。そこで、僕は柔らかめの粘土を取り出して、サヤカの顔に気道だけ確保したまま覆い被さるようにくっつけて数十分ほど待った。その間に彼女の顔を拭くためのウエットテイッシュの準備をしたり、いろいろやっておいた。時間が経ったら少し硬くなった粘土を回収して顔を拭いて部屋を出た。

 自宅へ帰って、早速大量のゴムを火で溶かして、サヤカの肌の色に近付けておいた絵具を混ぜて、それを粘土に流しこんだ。冷めたらそれを粘土からはがす。すると、サヤカのきれいな肌に限りなく似た、整った顔のマスクが完成した。着心地はいいとは言えなかったが、鏡を見てみるとサヤカそのものが映っていて驚いてしまった。素人にしては奇跡と言っていいほどの出来だった。

 真っ黒のダサい服を脱いで、サヤカが着ていた完璧なコーディネートの服とマスクを着た。部屋の隅っこにビデオカメラを置いて録画を開始する。

「初めまして。サヤカって言います。…よろしくお願いします」

裏声で喋った。録画を終了して再生してみる。

「初めまして。サヤカって言います。…よろしくお願いします」

見た目も佇まいも話し声も、サヤカそっくりだ。話し声は数ヶ月前からずっと練習っしてきたからな。かなりいい線いってると思いたい。こっそり録っておいたサヤカの自己紹介の音声を再生して比較してみる。

「初めまして。サヤカって言います。……よろしくお願いします」

間の取り方が少し違う。明日はサヤカのふりをして延子と会話しないといけない。徹夜で練習しておこう。


 「じゃあ私、ちょっと用事あるから。また後でね」

「じゃーねー」

……危なかった。まさか朝食について聞いてくるとは。テーブルの上のレーズンパンに気付いてなかったら怪しくなっていたかもしれない。

 急いで自宅に戻り、制服に着替えて登校する。歩いて行ったら遅刻しそうだな。変に疑われても困るし、できるだけ普通を装って、早歩きで行こう。

 肩で呼吸するのを強引に抑えながら、どうにか遅刻せずに登校することができた。サヤカはまだ学校に来ていない。おそらく、睡眠薬が無事に効いているのだろう。ここまでは予想通りだ。

「サヤカ見てない? 私さっき会ったのに……」

「え? 僕は見てないけどなあ。珍しいね」

いつも僕を出し抜いてサヤカに気に入られている延子に対し、僕は優越感を感じた。今、サヤカがどうなっているのか知っているのは僕だけなんだ。

 睡眠薬が強すぎてサヤカの身が大変なことにいないか不安だったが、無事に学校に来て先生に怒られているサヤカの顔を見るとほっとした。計画は順調だ。


 この日の夜もサヤカの家に忍びこんだ。今日はわざわざサヤカの変装をしてここにきている。ほら、僕はサヤカが好きすぎて、サヤカになれたんだよ。延子も出し抜けたんだ。

 僕は部屋をくまなく探し回った。サヤカの持っている物をできるだけ全て把握しておきたかったのだ。僕が見たものは全てメモに取って覚えているが、僕に見せたことのないものもあるかもしれない。そういうところも含めて、僕は知りたかった。あと、今後の計画のために、僕が見たことのない服についても調べておく必要があった。変装する時にはサヤカが持っている服を使うのは当然だが、僕にだけしか見せていない服もあるかもしれない。すると、僕に疑いがかかってしまう恐れもあるからだ。最後に、サヤカの鞄に小さな盗聴器を入れて、財布から学生証を抜き取った。

 女子生徒の制服のまま、町をうろついた。そろそろ、約束の時間だろう。少し歳のいったおばさんが、サヤカの格好をして町中をうろつく僕のすぐ横を通り過ぎた。彼女の家の近くには警察官がいると聞いている。うまくいけば、このまま僕のところへ警察官が来るはずだ。

 実は、彼女にはバイトという名目でサヤカを陥れる役の一端を担ってもらっている。夜中の町を指定された時間に指定された場所を歩くだけで5000円が振り込まれるという簡単なバイトだ。警察官の家の周囲の家に手紙で直接送りつけたものだが、喜んで飛びついたのは彼女だけだった。都合よく警察に通報してくれそうな性格だったし、その警察官ともかなり仲が良さそうなので即採用した。

 予想通りの活躍を見せ、警察官らしき人が僕の元へやってきた。僕はその人の話を無視して、サヤカの学生証を落として帰った。警察官は学生証を拾ったようで、それ以上追ってこなかった。大成功だ。気分もいいし、バイト代は倍の1万円を振り込んでおこう。


 面倒なことになった。延子が余計な助言をしたせいでサヤカの家でビデオを録ることになった。元々は僕がサヤカのアリバイを証明するつもりだったのに、本当に余計なことをしてくれた。

 計画を変更する必要が出てきたが、とりあえず、今日は録画をされたくはない。

「だ……れ……?」

サヤカが細目で僕に聞いてきてくれた。わざわざ変装してまで来た甲斐があった。僕はサヤカにゆっくりと近付く。

「私は一人では何もできない」

サヤカは小さく、ひっ、という声を上げ、強く目をつぶった。

 サヤカが再び寝静まった後は、サヤカのスマホで撮っている最中のビデオを止めて、そのデータを消去した。これから毎日この作業をするのは面倒くさい。どうにかしなければ。


 そのまま深夜の学校へと向かう。正門には赤く光る監視カメラがあったが、ためらわず映りに行った。今の服装は、本来の僕が知らないはずのサヤカの服だ。これで、サヤカ以外に疑いが及んでも僕にまで及ぶことはないだろう。

 門をよじ登って学校へ侵入する。特に目的があって侵入したわけではないが、やることもないので、しばらくの間サヤカの席に座ってじっとしていた。車の走る音が聞こえたので裏口から急いで学校を後にした。念のため、この時に着ていた服は処分しておいた。サヤカが直接着ていない服には未練も何もない。


 「そういえば、結局昨日の監視カメラをつけるって話はどうだったの?」

「それが、撮れてなかったみたい」

警備会社の車を見に行ったフリをして盗聴をしていたが、特にこれといった情報もなかったので、適当に息を切らしながら教室へ戻った。

「警察じゃなくて、学校の警備会社だった!」

ちょうどよく現れた担任がサヤカを呼んだ。僕は笑いそうになったが、延子の手前、こらえなければならなかった。


 サヤカはまだ部屋のビデオ撮影をするらしい。苦渋の決断だが、僕がサヤカのアリバイを証明する計画をカメラにアリバイを証明してもらう計画に変更した。またもや延子に出し抜かれた。

「明日こそは絶対に失敗しないようにしなよ」

悔しいのはとにかく、今度こそ録画に失敗してもらっては困るので、釘を刺しておいた。


 帰ってから、盗聴とサヤカのスマホの監視を続ける。すると、延子がサヤカにメッセージを送って、サヤカが感涙している様子が確認できた。僕はテーブルを叩いた。

「延子……!」

やっぱり延子には痛い目を見てもらわないとな。元々の計画の時点で延子はこうなることが決まっていたが。

 深夜になると、サヤカの服を着て延子の家の前まで行く。すると、延子は僕にも気付かずノコノコと外へ出てきた。しばらくの間、後ろをついていくと、どうやらサヤカの家に向かっているらしいことがわかった。いい機会なので、サヤカの家の方面から延子に近付いて、刃物で思いっきり刺した。

「私の邪魔をしないでよ」

半分怒り任せに喋ったものだから何を口走ったかはあまり覚えていない。しかし、延子の顔は良い感じに絶望に染まっていた。その顔をもう少し眺めていたかったが、あまりにも早いタイミングで警察官が来たので、やむなく現場をあとにした。


 警察官を振り切れたので、今度は「サヤカが延子を刺した」という風評を広める必要があったので学校に向かった。今度は監視カメラのない裏口から侵入した。玄関から血を連想させるような赤い塗料を垂らしつつ自分たちのクラスに行き、延子の席の上に「サヤカに刺されたのでお休みします」といった内容の紙を置いておいた。これで噂になるはずだ。


 あとは普通に学校に登校して、できる限りサヤカを庇うだけだ。怯えているサヤカは可愛かった。サヤカを庇いきれなかった事については予想が付いていたので特に悔しさは感じなかった。それに、落ちるところが深ければ深いほど、そこから救ってくれた僕の事を好きになるに違いない。


 学校へ行ってサヤカを庇う。パトカー内の様子を盗聴した限りだと今度は晴という警官が邪魔になりそうだ。延子を刺した凶器については僕が説得してサヤカが学校に行っている間に部屋に侵入してゴミ袋に捨てておいた。学校でいじめに遭っているサヤカを庇った後は、この前バイトとして雇ったおばさんの近所の警官だった晴の家の合鍵を急いで作っておいた。おばさんに見られた気がするが、僕が雇い主とはバレなかったようだ。

 サヤカから聞いた話だと、晴はこの事件に乗り気なようだ。サヤカを助けるのは晴でも延子でもなくて、この僕だ。そして、その夜、晴の家の周囲を観察してみると、もう一人、誰かが晴の家を観察していることがわかった。……もしかして、誘拐犯お晴を狙っているのだろうか。

 石のようなものを投げられたり急に晴の家のドアが開いたりして多少驚きもしたが、彼女は僕を見るなり家にUターンして、誘拐犯も無事にわざと落とした僕の鍵を回収してくれたようだ。これで彼女の目がサヤカから外れてくれれば好都合だ。


 サヤカにせがまれて延子の病院のもとへ向かった。サヤカが未だに延子を頼りにしているのは気に食わなかったが、延子は完璧にサヤカを憎んでいた。いい調子だ。

 しばらくはサヤカを庇うフリをして様子を見ていたが、サヤカは相変わらず僕ではなく晴に依存していた。あげくの果てに、晴がドッペルゲンガーを見つけるとまで言い出した。やっぱりこいつは何とかするべきだ。

 その夜、晴の家を監視してみれば、誘拐犯が家に乗り込もうとしていた。僕も彼女が目障りになってきたし、少し手伝ってやろうと手作りの催涙ガスを仕込んでおいた。世間で噂になっている誘拐犯様なら、彼女を好きなようにやってくれるだろう。


 晴がサヤカの電話に出た。あれだけやっておいて、誘拐犯は晴に負けたようだ。不甲斐ない奴だ。計画が少々狂い初めてきた。こうなったら、力技でサヤカを籠絡するしかないかもしれない。

 晴の行動がいまいち把握できていないが、僕の家の周りをうろついている様子はなく、走査線上には浮かび上がってないようだ。


 サヤカが僕と付き合うと言い出した。大成功だ。この瞬間のために何か月もかけて準備をしてきたのだ。少々苦しい場面もあったが、このことを思えば些細な出来事にすぎない。あとは不要な人間を排除して、事件を迷宮入りさせればこの物語はハッピーエンドで終わりだ。


 サヤカと晴は女子会とやらを開いているらしい。ご飯を食べた後、どこかに行ったらしいが、バッグがコインロッカーかどこかに置かれたせいで、サヤカたちの行動を詳しく把握することができなかった。

 数時間経つと、バッグが誰かの車の中(おそらく晴のもの)に放り込まれた。晴の声は聞こえるが、サヤカの声は聞こえない。独り言だろうか?

「まさか……悠佑くん!」

全身の毛が逆立った。しばらく無言になったあと、誰かと会話を始めた。電話を始めたようだ。何の話をしているかはあまりわからなかったが、はっきりとわかる部分があった。

「怪しい人っていうのは……悠佑くんですよね? サヤカちゃんのドッペルゲンガー、合鍵男、どちらとも」

すぐに逃げる準備を始めた。サヤカに気付かれないうちに逃げなければ!

 僕は黒塗りの軽トラに乗ってサヤカの家へ向かった。諦めないぞ。僕はサヤカと結婚して手作りのご飯を食べて子供を産んで幸せに暮らすんだ。

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