第30話 水神の子

「か……は……」

 らいらは満身創痍で地面に転がされていた。散々に痛めつけられたが、まだ殺されてはいない。気絶しかける度に、地底湖の水を頭にかけられる。

「どうして……すぐ殺さない?」

 地下水の冷たさで鳥肌が立つ。責め苦の中で、らいらは問うた。

『神虫は我らの天敵。じっくりなぶり殺しにせねば、名誉にならぬ』

「名誉……?」

『鬼神たちに、ふたたび土蜘蛛の名を知らしめるために』

 天敵である神虫を、これ以上ないほど痛めつけ、なぶり者にし、辱めることで土蜘蛛の絶対的な強さが証明される。

『何もできず、屈辱に震える貴様を引きずりまわしてやろう』

 絡新婦じょろうぐもがらいらを持ち上げる。

『私は女として最上級の幸福を得て、あなたは女として最下級の屈辱を得て死ぬの』

「わたしは屈したりしません」

『まだ希望があるの? あなたのパートナーも、もう助けてくれないのよ?』

「わたしは信じてる」

 らいらの表情は、いっそ清々しいものに変わっていた。

「パートナー、ですから」

 信じています。わたしは屈しません。だからあなたも屈さないと。

 らいらの言葉にならない思いが、闇に融けかけた時――。

『ム!?』

 地底湖が鳴動した。地下水が増す。

『なに!?』

 朱顎王も動揺した。

 増水は一時的なものではない。水量はどんどん増えてゆく。

『まさか……一磨かずまァ!』

 胎児の姿のままで、一磨は光を放っていた。青い、霊妙なる光を。目が開く。青き蓮のごとき清浄な瞳。まっすぐに、鬼を見据える。

(俺は鬼じゃない)

 一磨の唇が動く。

(付喪神の子。水神・大弁才天女サラスバティの息子)

 両手で独鈷杵を握っている。

 ピシ、と球にヒビが入る。内側から入った亀裂から、球中の水が噴き出す。

 その水は地底湖の増水と同調し、やがて城をも浸水しはじめる。

『退くぞ、妃よ!』

『ああ、子供たちが!」

 巣に水が満ちる。土蜘蛛の卵が水に浸かる。卵が弾け、不完全な子蜘蛛たちが溺死する。

 だが朱顎王も絡新婦も長くは留まらなかった。情より生存本能が優先した。

『来い、小娘!』

 朱顎王はらいらを抱え、地下道を逃げ去る。

 一足遅く、一磨は球から脱出した。

 地底湖は増水しつづけ、やがて地下道を激流となって流れ出す。

「らいら、らいら……!」

 一磨も流される。しかし案じるのはただひとつ。

「らいら――――――――!!」

 激流の中で、一磨は絶叫した。

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