第五部

第27話 鬼に成る 

「らいら!」

一磨かずまさん!」

 土中で、二人は再会した。

 らいらは両手の法具を捨て、一磨に駆けよる。

 一磨は両手を伸ばす。

 向かい合って、二人は両手を握り合った。おたがいが、おたがいのパートナーであることを確かめるように。

「……っ、は!」

 ズクン、と違和感が一磨の体を貫く。

「一磨さん!」

 一磨は膝から崩れ落ちた。全身をゾクゾクとした感覚が走り抜けていく。痛みとも快感ともつかない。地に着けた指先が痛む。

「はァッ、はァッ、はァッ、はァッ」

 短く息を吐く。

 見る間に、指先が変化する。より太く節くれだち、爪が鋭さを増す。皮膚が硬くなる。

 鬼に成る兆候だった。

「くうぅ」

 息を絞り出し、一磨は何とか平静を保とうとする。

「大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫」

 らいらを安心させようと、一磨は言った。

「まだだ。まだ鬼に成らない。大丈夫」

 成ってはいけない。

「ヤツを殺して……!」

 倒せばいい。倒せば呪印の力も消える。仇もとれる。ハッピーエンドだ。

「ハアア……」

 勝てるのか。負けるのか。相打ちになるのか。決着がつく前に、鬼に成ってしまうとも限らない。鬼に成った自分はどうなるのか。わからない。

 何もかもがわからない。

「一磨さん、戟を」

 らいが戟を拾い、差し出す。

「ああ。ありがとう。らいは大丈夫か?」

「はい」

 らいは輪宝を持つ。

「どうやって追う?」

「神虫で追いましょうか?」

「君は力を温存して。肝心なときに腹が減ったりしたら困るだろ?」

「はい、でも……」

銅雀どうじゃく!」

 一磨は闇に向かって呼ぶ。

「若君!」

 カラカラッと小石の落ちる音がした。金属の雀が飛んでくる。

「よかった、いてくれたんだな」

「若君~。よく無事だったねぇ」

「土蜘蛛を追う。導いてくれ」

「わかったよ」

「わかるんですか?」

「ぼくも土気の生まれさ。土の中の異常な力を感じるくらいはできるよ」

 銅雀は飛び立った。二人はあとを追う。

 どれくらい走っただろうか。銅雀がホバリングする。二人も足を止めた。

 異様な雰囲気が、ありありと伝わってくる。朱顎王は最早気配を消すこともしないらしい。

「まずいな、街の北東部か」

「今、上はどんな風になっているんですか?」

「真上は……オフィスビル街ってとこだな、多分」

 土蜘蛛との戦闘で、地面が崩落するのは最早お約束になりつつある。

「せめて学園長たちが頑張ってくれるといいけど……」

 地上では、学園の関係者や警察、地元の退魔士が走り回っていることだろう。もし崩落が起こっても、被害が最低限に抑えられることを願いたい。

「若君、進む?」

「ああ」

 もう戻れない。

 二人と一匹は慎重に歩を進める。

(ここだよ)

 銅雀が地面に下りたち、小声で言った。

 地下の大空洞に、朱顎王らは潜んでいるらしい。

 岩陰からそっと覗く。

「う……!?」

 一面、蜘蛛の糸でできた城だった。

 はるか奥では、二頭の土蜘蛛が荒い息を吐いている気配がする。

 一磨はそっと糸にふれる。にちゃり、と指について粘る。

(今しがた造ったって感じだな)

 糸にこれだけ粘着力があれば、土埃で汚れるはずだ。だがこの城全体の汚れは少ない。

(何のために?)

(入ってみるしかないな)

 二人は小声でやりとりする。

 糸で急造した城で、朱顎王たちは何をしているのか。

(銅雀、お前はここに残れ)

(うん、若君)

 二人は気配を殺して、城の中に足を踏み入れる。

(これは……!)

 糸の中に、いくつも塊があるのが見える。

(卵だ!)

 人の頭部ほどもある大きさの卵がいくつも産みつけられている。

(らいら、破れるか?)

 うなずいて、らいらは輪宝の外刃で卵の殻を切る。

「シキャアァァ……」

 粘液に包まれた子蜘蛛が産声を上げた。ビシャリと地面に落ちる。

 一磨はすぐさま戟で刺した。

 子蜘蛛はしばらく暴れていたが、やがて動かなくなった。

(こいつは……!)

 奥から漂う荒い気配にも合点がいった。朱顎王と絡新婦は交配の真っ最中だ。交わる先から卵を産み、仲間を生み出そうとしている。

(これ、全部、土蜘蛛の卵ですか……!?)

(しかも成長が早い。……如意宝珠にょいほうじゅの力だな)

 今しがた産まれた卵の内部で、すでに蜘蛛の姿が形成されている。

(孵化させるわけにはいかねぇ)

 指先ほどの小蜘蛛の群れとは訳が違う。あの朱顎王と絡新婦の血統、しかも如意宝珠の力の影響を受けた土蜘蛛たち。放たれれば、地上は地獄と化すだろう。

(どうします?)

(奴らは今、無防備なはずだ。しかも焦ってる)

 敵前から逃亡し、逃亡した先で交配をおっぱじめる。どう考えても異常な行動だ。

(俺の一撃が、相当効いてるな)

 一磨の不意打ちが、朱顎王にショックを与えたのだろう。朱顎王は勝利よりも生存と生殖を選んだ。本能がそうさせたのだ。

(らいら、神虫で戦え)

(はい)

(行くぞ!)

 二人は走り出す。

「神虫!」

 らいらの影から神虫が飛び出す。蜘蛛の糸を次々と引きちぎり、卵を破り捨てる。

 一磨も戟を振るった。子蜘蛛を卵ごと葬る。

「転宝輪!」

 大きな輪宝が空中を飛び、糸の城を斬り裂く。

「朱顎王――!」

 城の最奥で交わっていた土蜘蛛に、一磨は突進する。

『ハァッ!』

 朱顎王の方が早かった。一磨は絡新婦じょろうぐもに突っこんだ。

『ギャアアッ!』

 勢い余って、城の壁が破れる。壁の先は地底湖だった。

 絡新婦が地底湖に落ちる。

『助けて……助けて、玉石君。お願い……』

 人の姿が残る肩までを水上に出し、絡新婦はもがく。

岡留おかどめ先生……」

 一磨は一瞬、ためらう。

『玉石一磨ァッ!』

 背後から朱顎王が飛びかかった。もろともに地底湖に落ちる。

「一磨さん!」

 あとを追ってきたらいらが叫ぶ。一磨も朱顎王も絡新婦も見えない。

「あっ!」

 地底湖の岩場に、一磨が頭を出す。岩に手をかけ、水から這い上がろうとしているが、うまくいかない。

「何とか……何とかしないと!」

 一磨の位置は、城からかなり離れている。

 岩場を伝って助けに行くのは無理だ。

「そうだ! この糸を使えば……!」

 天井から地面にかけて張られた糸の一本を根元から切る。粘り、伸びる糸だ。

「どうかうまくいって!」

 らいらは糸を握ったまま、思い切り後方へ走る。限界まで後方に行き、地面を蹴った。少女は振り子となって、地底湖の上を飛ぶ。

「手を!」

 伸ばされたらいらの手を、一磨は取った。しっかりと握り合う。二人は勢いよく城へと引っぱられる。地底湖の水際に、二人は投げ出された。

「一磨さん、しっかりしてください!」

 らいらが叱咤した。

「ごめん、らいら。俺、俺は……」

 ガクリ、と一磨の体から力が抜ける。

「あ……!」

 一磨の背に、深々と独鈷杵が突き刺さっていた。

『我らの勝ちよなぁ』

『私たちの勝ちよねぇ』

 ゴボゴボと水音がして、二頭の土蜘蛛が浮かんでくる。

「あなたたち……何を……」

 絡新婦が勝ち誇った表情で、両手を広げる。

『すべてを切断せし金剛石、聖なる尊き宝珠よ、吉祥成就スヴァーハ!』

 独鈷杵が輝く。

「あ……ガアアアアッ!」

 一磨が絶叫する。口から血がしぶいた。皮膚の色が赤味を帯びる。筋骨が急速に発達をはじめる。犬歯が伸び、鋭さを増す。


 鬼に成ろうとしていた。

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