第26話 一撃

 土蜘蛛軍がジワジワと前に進み出した刹那――。

『宝の気配が……消えた?』

 朱顎王しゅがくおうが動きを止めた。あたりを見回す。

「何だ?」

「どうした?」

 朱顎王が暗い空を見上げる。

 その場にいた全員がその方向を見た。

 学棟を飛び越え、屋上を飛び越え、異形のものが舞い降りる。

 八本の脚をもつ、鬼を喰らうもの――神虫だ。

竜野たつのさん!?」

 神虫の背に、らいらが乗っている。彼女の肩には金銅の雀がちょこんと止まっていた。神虫にまたがったまま、らいらは進む。蜘蛛の糸も、神虫には無効だ。

『小娘……まさか、貴様……!』

 らいらはスッと口を開いた。よく通る声だった。

一磨かずまさんは言いました。『俺を喰え』と。鬼を喰らう神虫に、我が身を喰わせよ、と」

 つ、と涙がらいらの頬を流れる。

 一磨はもういない。神虫の糧となった。

 らいらの言葉はそれを意味していた。

「そんな……」

 誰からともなく、力なく言葉が漏れる。

『喰ったのか! 我が宝を! 喰ろうたのかァァ!』

「あなたのものになんかさせない!」

 らいらが叫ぶ。両手を合わせ、頭上にかざす。

「オン・ハンドマ・シンダマニ・ジンバラ・ウン!」

 ――おお、蓮華尊よ。如意宝珠尊に帰命したてまつる。輝きたまえ。菩提の心よ!

 如意輪観音に帰依する真言だ。

 らいらが両手を広げると、それにあわせて白く細い光が伸びる。

 光り輝く白蓮華が二輪。左右の手に一輪ずつ握る。

 左手の一輪は、大いなる輪宝となる。

 右手の一輪は、刃の先が三つに分かれたげきとなる。

「朱顎王、覚悟!」

 らいらが土蜘蛛をなぎ払う。

 朱顎王に迫る。

 絡新婦じょろうぐもが立ちはだかる。らいはためらわず戟を振るう。

 人間の上半身が生えた蜘蛛。八つ脚の神虫にまたがるらいら。二つの異形が戦う様は、騎馬同士の戦いにも見えた。

「なぜ!? あなたは、憧れたと言ったではないですか!?」

『ああ、あの話? は言ってないわよ』

 観王寺かんのうじに向かう電車の中でした話。岡留美之おかどめよしのの生い立ちの話。岡留はたしかに「憧れた」と言った。しかし「何に」憧れたかはまったく言っていない。

 そう、彼女が憧れたのは鬼の方だったのだ。

「裏切り者……!」

『人外に言われたくないわね』

 ガッと二つの異形が離れる。

 絡新婦が白い光を放った。無数の白い針だ。

「転宝輪!」

 らいは輪宝を回転させる。針は弾かれ、地面に突き刺さる。

「ウォ――――!!」

「ヒャアアア――――!!」

 別の方向からときの声が上がった。

『何!?』

 あるものは学棟を飛び越え、あるものは蜘蛛の糸をかきわけ、土蜘蛛に向かっていく。

「何だ!?」

 人間たちにとっても、意外な援軍だった。

「行きなさい、付喪神たち! 主人のかたきは前にいます!」

 らいらが戟をさして叫ぶ。

 無数の名もなき付喪神が、土蜘蛛軍と激突する。あるものは土蜘蛛を倒し、あるものは倒されて青い炎を上げる。

『なぜ……こんなモノどもが!?』

「よそみをしないッ!」

『ギャッ!』

 神虫の拳が、絡新婦の頭部を殴りつける。前の四本脚が絡新婦をつかみ、横様よこざまに投げる。人間が張った結界に激突した絡新婦は、あおむけに倒れて無様にもがく。

「神虫!」

 神虫が朱顎王に襲いかかる。

 すべての脚で朱顎王を押さえこみ、大口を開けて朱顎王に迫る。

 朱顎王も負けてはいない。前脚で神虫の頭を押さえ、神虫がかじりつくのを防いでいる。

「セイッ!」

 神虫の背にしがみくらいが戟を振るう。朱顎王の前脚、その指に刃が突き刺さる。一瞬、朱顎王の脚の力がゆるむ。神虫の口が朱顎王の頭にふれ――。

「おおおおおおおッ!」

 朱顎王の口から人間の叫びがこだました。

『ギイイイイイエエエエエエエエエエッ!』

 悲鳴が夜空を貫いた。

 神虫の口腔から伸びる、人の腕。朱顎王の目をえぐりながら引き抜く。

「一磨さん!」

 らいらがその腕に向かって戟を投げる。腕の先にある手がしっかと戟をつかみ、さらなる一撃を加える。関節を狙った一撃は、深く朱顎王の体にめりこんだ。

『イイイイイイオオオオオオオオオッ!』

 ずるり、と神虫の口から人間が出た。

 朱顎王は神虫もろとも、その人間を振り払う。距離を取り、残った目で見据える。

『き、き、貴様、一磨ァ!』

 玉石一磨だった。手を振って朱顎王の体液を落とし、戟を構える。

『喰ったと……神虫が、喰ったと……!』

「鬼に成りきれなくってよ。神虫に受けつけてもらえなかったんだ」

 不敵に笑う。

 一磨とらいらは、神虫の体質に賭けた。鬼以外のものは受けつけない、その体に。鬼をたばかり、渾身の一撃を見舞うために。神虫の体に一時身を隠し、ここぞという時に吐き出させる。二人の思惑は、見事に当たったようだった。

「らいら!」

 一磨は戟をらいに投げ返す。

 手印を結ぶ。左掌を上にむけ、右手は親指と人差し指で輪を作る。

「オン・ソラソバテイエイ――」

 弁才天の真言。金剛剣を呼び出す呪文。

 剣となる独鈷杵は、朱顎王の体内にある。剣を呼び出せば、朱顎王は――。

『おのれ! おのれ、おのれ、おのれぇぇぇええ!』

 朱顎王は怨嗟の声を上げる。地面に亀裂が入った。

「!」

 二人は即座に退く。

 地面に大穴が開き、土煙を盛大に噴き上げる。

『我が君!』

 朱顎王も絡新婦も土煙の中に消える。

「待て、朱顎王!」

 一磨はためらいなく煙中に飛びこむ。

「二人とも! 待ちなさい!」

 学園長が声を張りあげる。

「待ちなさい、竜野君!」

 一磨に続こうとしたらいらを、学園長が止める。

「土中は奴らのフィールドだ! 危険すぎる――」

「パートナー、ですから」

 清々しい表情を残して、らいらも穴へ飛びこんだ。彼女の影を追うように神虫も消える。待っていたかのように、穴が崩落する。岩盤が穴をふさぐ。

「くっ!」

 学園長は壁を殴りつけた。

「街中に使い魔を放て! 土蜘蛛の気配を追え!」

 叫ぶ。街に向かって、式神や童子が放たれる。

 戦いはまだ終わっていない。

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