第25話 百器夜行

 隔離病棟の一室。

 一磨かずまはうなされていた。

「う……うう……」

 一磨は悪夢の中にいた。鬼に成りかけている。血まみれの鬼の腕が、一磨をつかまえようとしている。何度も見た悪夢であり、今は彼の精神を映像化したものともいえる。

「ああ……」

 あの時のように。

 あの時のように、助けて。

 ――母さん。

「オーン……」

 うなされながら、一磨は無意識のうちに唱える。

「サラスバテイ……エイ……」

 ――母さん。

 詠唱が途切れた。

 唱えたところで無意味だ。

 もう誰も答えない。永遠に失ってしまったのだから。

「……ハアッ、ハアッ」

 目を開ける。頭がクラクラする。視界がかすむ。熱が出ている。体中が熱い。

 体は医療機器につながれている。生体情報バイタルサインモニタが絶えず一磨の状態を記録している。病室には誰もいないが、自分は観察され続けているはずだ。

 荒い息の中で、一磨はぼんやり考える。

(天地陰陽の……たくみに合い……)

 付喪神の呪文を思い、頭の中でなぞる。唇が音を出さずに動く。

(無心を変ぜよ……性霊を得るべし……)

 突然、ベッドに青い電流が走った。一磨は投げ出され、機器も倒れてアラーム音が鳴る。

「何だ……!?」

 ベッドがバキバキと折れ曲がり、人のような姿を取る。

「付喪神!?」

 一磨は体中に張られたチューブに触れる。チューブはいっせいに一磨から離れ、蛇のようにのうたうちまわる。

 一磨は立ち上がった。ドアにさわる。内側からは開かないはずのドアが、折り紙のように曲がり、やはり付喪神となる。

「出られる……!」

 行こう。

 行こう。

 皆が戦っている。鬼と戦っている。

 俺も行かなければ。戦わなければ。

 一磨は廊下に出た。偶然手に触れた手すりが踊り出す。思わずもたれたソファが、カバのようにのっそり歩き出す。

 ほどなく病院の職員らが異常に気づいた。

「な、何だ!?」

 フラフラと歩く一磨のうしろを、器物の怪が行列をなす。

百器夜行ひゃっきやこう……」

 駆けつけた島倉が思わずつぶやいた。

 百器夜行は、多くの付喪神が行列をなし、夜の街を練り歩くことをいう。鬼の行列「百鬼夜行」とは区別される。世に「百鬼夜行絵巻」として残っている絵巻も、実際はこの百器夜行を描いたものであることも多い。

 一磨は今、百器夜行の先頭にいる。彼の仕業だ。

「と、止まりたまえ!」

 職員が一磨を取り押さえようとする。

「はあ……」

 一磨が職員の白衣をつかむ。その途端、白衣は職員の体から勝手に落ちて立ち上がる。袖から手のようなものがヒラヒラと動き、付喪神の行列に加わる。

「う、うわあああ!」

「彼にさわるな! 能力が暴走してる!」

 島倉しまくらは職員たちを制した。

 一磨の力が果てしなく発動している。今、彼の手にふれた人工物はすべて付喪神となる。

「玉石君! どこへ行くんだ!?」

「面会室へ……」

 隔離病棟の中では、その部屋までの道順しか知らない。

 一磨は面会室へ至った。

「らいら……」

 らいらが、いた。

「一磨さん……」

 返事をする。

 ああ、たしかにいる。会いたかった人が来てくれている。

 らいらは傷だらけだ。両腕に包帯を巻き、顔にもガーゼを貼った姿が痛々しい。

「どうやって、ここに?」

「導いてくれました」

 らいらの右肩に、金銅色の雀が止まっている。

銅雀どうじゃく……」

「若君、若君!」

 銅雀は嬉しそうに面会室のガラスをつついた。

「伝言は聞いたか、らいら?」

「はい」

「……皆は今、どうしてる?」

「戦っています」

 時刻は午前二時を過ぎている。遠くで轟音がする。

 鬼と人が戦っている。

「俺は鬼に成る」

 一磨は言う。

「らいら、俺を喰え! 俺を喰って、鬼を倒せ!」

「できません!」

 らいらは首を横に振った。

「……一磨さん」

 らいらが自分の胸に手を当てる。

「賭けてみますか? わたしの、神虫の、体質に」

「…………」

 らいらがちょいちょいと一磨を招く。

「頬をつけて」

 一磨はそっとガラスに頬をつける。ひんやりと硬い。

 ちゅ。

 ガラスごしのキス。

 でも、たしかに唇のぬくもりを感じた気がした。

「らいら」

 一磨は決意した。

「賭けるよ。君に」

 一磨は右手をガラスに当てる。たちまちガラスは付喪神となり、白い鳥の姿になる。

 二人のあいだに障壁はなかった。

「パートナーだから」

 初めて言った気がする。パートナーだから――君を信じる、と。

「……神虫」

 らいらの影から、ずるりと異形の腕が伸びる。神虫が頭をもたげる。巨大化は止まらない。

 オオ~~~~!

 神虫が咆哮し、口を開ける。巨大な口が、一磨を呑みこんだ。

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