第18話 墓場の闇

 時間はすこし遡る。

 岡留おかどめとらいらが戻ったのを確かめた一磨かずまも、就寝した。浴衣型の寝巻は慣れなかったが、間もなく一磨は寝息を立て始めた。


 そして数時間後。

 一磨の寝息が途切れた。意識が覚醒しかかっている。

「ん……」

 鼻先に違和感を感じた。クン、と鼻を動かす。

「……焦げ臭い!」

 一磨は跳ね起きた。

 木が燃える臭いがする。かすかに火がはじける音が聞こえる。

「火事だ――――!!」

 遠くから僧侶の声がした。

 一磨は寝巻を脱ぎ捨て、すばやくズボンを穿いた。上は下着のままだが、シャツを着ているヒマはない。独鈷杵を入れた袋をひっつかみ、部屋を飛び出した。

 駆けつけると、宿坊の一角が炎に包まれていた。かなり火が回っている。

「あのあたりって……ら、らいら!」

 らいらと岡留の泊まっている部屋があるはずだ。二人は逃げたのか。まだ中にいるのか。わからない。

「火を消せー!」

 僧侶や近隣住民が右往左往している。

「らいら! 岡留先生!」

「ダメだ、入っちゃダメだ!」

 前へ出ようとした一磨を、僧侶が引きとめた。

「何か屋根にいるぞ!」

 誰かが叫ぶ。

 一磨は顔を上げ、目をこらした。

 黒い煙の中、宿坊の屋根に人影がある。炎が明かりとなって、その姿があらわになる。

「妖怪!?」

 人型の妖怪が、立っている。

「岡留先生!?」

 妖怪の腕に、岡留が抱えられている。意識がないようだ。手足がだらりと垂れている。

『ゲッゲッゲッ』

 妖怪が笑う。妖怪は身をひるがえし、北をさして飛び去る。

 一磨の脳裏に一瞬迷いが生じる。らいらを探すべきか、妖怪を追うべきか。

「待て!」

 一磨は後者を選んだ。妖怪を追い、石畳の道を走る。

 道の先に森がある。深い森だった。太い杉の木が何本もそびえ、空を覆いかくしている。

 暗かった。だが一磨は走った。やがて彼の瞳が青く光る。燐光のごとき輝きを宿した目が、暗闇の森の道を示す。

 青い瞳――彼の母と同じ色の瞳が、彼を闇の中でも動かしうる。

 森の中は墓場だった。無数の墓石が並んでいる。本来明かりをともすべき石の灯籠は苔むして、闇をいっそう濃くしている。

 夜目のきく一磨といえど、この闇は不安をかき立てられる。

「どこへ行った……?」

 かなり奥まで入った。妖怪の姿はない。

「あ!」

 ひときわ大きな墓の前で、岡留が倒れていた。浴衣型の寝巻のままだ。

「先生! 岡留先生! しっかりしてください!」

「……玉石たまいし、君?」

 岡留が目を開ける。

 一磨はホッと息をついた。

「妖怪は?」

「気づいて……抵抗したら、ここに私を投げ捨てていったわ……いたた」

「大丈夫ですか?」

「ええ。ほかに……人は?」

「俺だけです。立てますか?」

 一磨は岡留を助け起こす。

「いたっ」

 岡留が座りこむ。足を怪我したらしい。

「先生、俺の背中に」

「ごめんなさいね、玉石君」

 一磨は岡留を背負った。思ったより軽い。

「先生、早く戻りましょう」

「それは駄目」

「え?」

 いきなり岡留の両脚が、一磨の胴に絡みついた。両腕と両脚が一磨を締め上げる。

「せ、先生っ!?」

 抵抗しながら、一磨は振り返る。

 岡留の両目が尋常ではない気配を宿している。

「スアッ!」

 一磨は岡留の帯をつかむと、背負い投げるように彼女を思いきり放った。

 岡留は空中で一回転し、墓石を蹴って地面に下りる。寝巻の裾が乱れ、白い脚が闇に映える。

「先生! どうしたんですか!?」

「シイイ――……」

 答えはない。岡留の口から、異様な音が漏れる。

「……!」

 一磨は確信した。

 岡留の口から漏れた異様な音。聞き覚えがある。蜘蛛に操られた峯崎みねざきと同じだった。

「先生、まさか操られて!?」

「シャアッ!」

 岡留が襲いかかる。長い足が放つ回し蹴りを、一磨はなんとか避ける。後方へ飛び、間合いを取る。

(手加減は……ムリだ!)

 岡留も一流の退魔士だ。体術も法術も一磨を上回っているだろう。本気で向かわなければ、やられる。

 直感し、一磨の全身を冷たい緊張感が奔る。

「シャッ!」

 岡留が飛んだ。大樹を蹴り、墓石のあいだを飛ぶ。トリッキーな動きだ。

「だが!」

 妖怪のトリッキーな動きにさえ対応するのが退魔士だ。

「ハッ!」

「シイッ!」

 襲いかかる腕を払い、がらあきになった岡留の脇腹に拳を叩きこむ。

 間合いが離れた一瞬、岡留が寝巻の帯をほどく。

「はっ!?」

 帯が一磨の顔面を叩いた。ムチのような一撃だった。

 ひるんだ一磨に、岡留が寝巻を投げつける。視界がふさがる。首に帯が巻きつく。後方に引きずり倒される。石畳の上を引きずり回される。

「クッ!」

 後転するように思い切り足を上げ、帯をつかむ岡留の手を蹴る。岡留の手が離れる。

 寝巻を取り払い、起き上がった瞬間――。

 バチン!

「あ……!」

 体を電流が貫いた。倒れる。

(なん……だと……!?)

 立てない。体がいうことを聞かない。

 下着姿の岡留が、ふわりと一磨から離れた。手にスタンガンがある。

 無数の灯籠に火がともる。あたりが明るくなる。

「せん……せ……」

 意識が朦朧とする。

 岡留はぼんやりと立ちつくしている。脇腹に受けたダメージも感じていないように。

『よくやった、岡留美之よしの。我が忠実なる下僕しもべよ』

 擦過音まじりの声がする。

 巨大な墓石の上に、大きな足が降りてくる。爪の長い、人型の足だ。

 朱い肌、顎の牙、四本の腕。見間違えるはずもない。

「……!」

 朱顎王しゅがくおうだった。

『よくぞ戻った、我が宝よ』

 鬼の哄笑を聞きながら、一磨は意識を失った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る