第17話 虫の比礼

「……はあ」

 らいらは落ちこんでいた。

(やっぱり……ダメだなぁ、自分)

 言いたいことがきちんと言えない。そんな自分はイヤだったはずなのに。

(変わるって、決めたのに)

 岡留おかどめと同室というのも気が重かった。

 岡留はというと、何か用があると言って部屋を出ている。

「竜野さん、ちょっとここ開けてくれる?」

 岡留の声がした。

 らいらはふすまを開ける。

 岡留が湯呑みをふたつ持っている。座卓にコトと置かれた湯呑みからは、湯気がほっこり立っていた。

「お薬湯……ハーブティーね。よく眠れるそうよ」

「あ……」

 らいらはジッと湯呑みを見つめる。

「苦手だった?」

「あ、いえっ」

 ちょっとあわてたように湯呑みを手に取る。口をつける。風味だけが甘く、味は緑茶に似て苦い。

 まるで今の気分だ。最初に感じるものと、実際に感じるものがかけ離れている。

「どうかした?」

 岡留がニコッと笑って、らいらrの顔をのぞきこむ。

「え、あの……」

 岡留は、おたがいがもめたことも忘れたような笑顔だ。もめたというより、岡留の言葉にらいらが一方的に怒ったというのが正しいだろう。

「……どうして、あんなことをおっしゃったんですか?」

 らいらは思い切って尋ねた。

「昼間のあの子の反応を見たでしょう? 鬼に対するあの憎しみを」

 岡留は答える。

「彼は、彼も気づいてない緊張感にむしばまれてるわ。母親のような、心を開く相手が必要なのよ。彼は私に懐いてくれてる。彼が必要以上に疲弊しないよう、癒やせる私でありたい」

「…………」

「だからお願い。納得してほしいの。あそこはああ言うしかなかったって」

「……は、い」

 らいらは渋々うなずいた。

「さ、もう寝ましょ」

 岡留は寝巻に着替える。宿泊客用の浴衣型の寝巻だ。

「おやすみなさい」

「おやすみなさい、先生」

 二人は並んで横になった。

 明かりが消える。二人は何も言葉を交わさなかった。


 それから数時間が経った頃――。

「……ん、ん?」

 らいらは目覚めかけていた。

 眠気と覚醒がせめぎあう中途半端な意識の中、誰かの気配を感じる。

(やはり薬湯は受けつけぬか)

 小声でぽそぽそとつぶやいているようだ。

「だれ……?」

 寝言のように問うたとき――。

「火事だ――――!!」

 遠くから僧侶の声がする。

「はっ!?」

 急速にらいらは覚醒した。だが体が動かない。

「んっ……なに!?」

 縛られていることに気づく。両腕を胴体にぴったりとつけ、その上からきつく縛られているようだ。縄か、ガムテープか。

「……!」

 次の瞬間、らいらは息を呑んだ。

 彼女を戒めているモノが、じわじわと締める力を強めている。

(これは、須世理すせり比礼ひれ!?)

 あらゆる虫を退ける神代の宝、須世理ノ比礼。

 息が詰まらないギリギリの力で、比礼はらいらを戒めた。

(どうしてここに……)

 ツンと焦げ臭い空気が漂ってくる。熱い。火元が近い。

「し……!」

 神虫、と叫びかけたらいらの首に、比礼が巻きついた。

(声が出ない……!)

 神虫が呼び出せない。

(あ……)

 息が続かなくなる直前で、比礼の力がゆるむ。息を吸いこめばまた絞まる。ギリギリの力加減で、比礼は絞める力を増減させる。

 部屋にまで火が回ってきていた。らいらの体中に汗がにじむ。

(岡留……先生は)

 できる限りで部屋の中を見るが、姿が見えない。

 どこへ行ったのだろう。まさか先に逃げたのか。

(あ……っ)

 比礼がさらに力を増す。

 パニックになりかけたが、痛みが逆に彼女を現実へ引き戻す。

(わたしを殺すつもりなの!?)

 生への渇望が、彼女の思考に冷静さを取り戻させる。

(きっと……事故死に見せかける、つもり、かしら?)

 首を絞めて殺さないのは、火事による焼死を演出するためだろう。たとえ焼死体で見つかっても、いつの時点で死んでいたかは、気道を切開すればすぐわかる。火で焼かれる前に死ぬと、気道に煤が付着しない。煤を吸う前に呼吸が止まったからだ。逆に生きたまま焼かれると、気道は煤で真っ黒になるという。

(火が……)

 火がらいらに迫ってくる。

 らいらは思考を巡らせる。生き残るために。

(焼死を装うなら、縛られたままにはならないはず)

 焼死体は独特の形状になるため、縛られたままでは他殺とバレる。らいらが意識を失ったあたりで比礼は逃げ去るだろう。

(ならば!)

 息を止め、ぎゅっと目を閉じる。らいらは全身をバネのようにかがめ、跳ねた。細い体が炎の中に飛びこむ。体の周囲に火をまとわりつかせる。

「――!」

 戒めが外れた。らいらは即座に比礼をつかみ、炎の中で押さえつける。比礼は蛇のようにのたうちまわり、やがてボロボロに焼け焦げて動かなくなった。

 らいらはまだ火の回っていない床へ身を躍らせた。何度も転がり、自分に着いた火を消す。

「はっ……はっ……」

 全身に痛みが走った。火傷の痛みだ。

一磨かずまさん……!)

 自分のことよりも、頭によぎった人がいる。

 間違いない。朱顎王しゅがくおうが来ている。

 一磨を狙っている。

「神虫!」

 煤を吸いこむのもかまわず、らいらは絶叫した。

 ゴッと炎をまき散らし、神虫が現出した。らいらはその背にしがみつく。神虫が飛ぶ。壁を突き破り、追いすがる炎を散らす。

 オルルルル……。

 神虫が鼻を鳴らす。鬼の臭いを嗅ぎとった。間違いない。朱顎王がいる。

「神虫、行って!」

 北の方向へ向かって、鬼を喰らう異形が走り出した。

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