第15話 手紙

 観王寺かんのうじ周辺はほかにも寺社仏閣が建ちならび、観光地として人気が高い。山林と仏閣がとけ合う中に、宿坊や土産物屋が建ち並ぶ。

 観王寺に到着した一行を、住職が出迎えた。柔和な老僧だった。

 一磨かずまたちはそれぞれ自己紹介し、書庫へと連れていってもらった。

「ご所望の品です」

 住職は古文書のひとつを取り出し、一磨たちの前に広げた。

「これが……我が寺の所有していた弁才天像の縁起です」

 縁起とは「えにしの起こり」、すなわち寺の起源となった歴史や物語をいう。ほとんどの寺や神社が縁起を持ち、絵巻や書籍の形で遺されている。

 目的の古文書は、室町時代頃のものと思われる絵巻物だった。

 『弁才天女縁起絵巻』と表題された巻物を、慎重に開いていく。

「いい状態ね。色褪せも少ないし」

 絵の色彩はまだまだ鮮やかさを保ち、虫食いや破れも見られない。大切にされたのだろう。

 草仮名くずしじで書かれた詞書を読み解くと、おおよそ次のような話であった。



 鎌倉時代も末のこと。

 時の帝の夢枕に、六臂の如意輪観音が立ち、告げた。

『――如意宝珠にょいほうじゅを孕む木あり。衆生救済の仏神を彫りまいらせよ』

 ほどなく朝廷に奇妙な材木が献上された。木の中に、白い玉が自然と入りこんでいた。

『これぞ如意宝珠を孕む、奇瑞の木なり』

 早速、仏像を彫るための職人――仏師が集められた。しかしどんなに名のある仏師も、材木を前にすると身がすくんだ。「自分には彫れない」と一刀も入れずに次々と去っていった。

 そんな中、紀伊国からと若一丸にゃくいちまるいう名の仏師が上洛した。無名の仏師だったが「ぜひとも」と言った。都中の仏師がじた材木の前に、彼は立った。

 彼の心は決まっていた。

 死んだ妹に似た仏を彫る、と。彼の妹は、鬼一口に喰われたという。

 若一丸の腕は確かなものだった。

 たちまち材木は、仏神の姿を顕しはじめた。

 妹に似せて彫り出された弁才天像。美しく柔和な女神の顔と、魔を打ち破る武神の八臂をそなえる像となった。額に白き如意宝珠、瞳に唐渡りの青玉せいぎょくを使い、金箔の輪宝を持つ像だ。

 像を彫り終えた若一丸は出家して僧侶となった。生涯、弁才天像を供養し続けたという。

 その供養の場に建てられ、現在も続いているのがこの観王寺というわけだ。



「如意宝珠を秘めた弁才天像……」

「如意宝珠って、何でも願いを叶えるっていう宝玉ですよね」

 願いを叶える宝物の伝説は多い。

 代表的なものに「打出の小槌」がある。そうした宝物の中でも、如意宝珠は神聖なものとされる。龍神が持つ玉がそうであるともいい、高僧が厳しい修行の末に感得するともいう。「仏舎利ぶっしゃり」、つまり釈迦の遺骨と同一視されることもある。

「昔……もう二十年くらい前になりますかな。退魔士の方がこの絵巻をご覧になりたいとおっしゃって来られたことがありました」

 住職はふとそんな話を始めた。

「お名前は……玉石たまいしさん。そうそう、玉石久遠くおんさんとおっしゃった」

「――!」

 三人は顔を見合わせる。

「おお、そこの玉石さんと同じ名字ですな」

「久遠は俺の父です」

「ほう……!」

 住職は目を剥いた。

「やはり、えにしというものはあるのですな」

 うんうん、とうなずく住職に一磨は尋ねた。

「父は、どうしてこの絵巻を?」

「さて……もう昔のことですからなぁ」

 住職は禿頭を掻いた。

「そちらはそのまま調査をお続けください。こちらで、当時のことを調べてみましょう」

「できるのですか?」

「ほほ、拙僧は毎日、日記をつけておりましてな。昔のですから、探すのに手間取るやもしれませんが……」

「ぜひお願いします!」

 一磨は深く頭を下げた。

 しばらくして住職が戻ってきた。

「わかりましたぞ、玉石さん」

 住職は古い日記帳を広げた。

 今から十七年前のことだ。玉石久遠は、弁才天像の縁起を調べにやってきた。自分の所有する弁才天像について調べている、とのことだった。

 なぜ観王寺の弁才天像を、久遠が持っていたか。

 理由はすぐにわかった。戦後の混乱期、困窮した観王寺は所蔵物の一部を売却した。弁才天像もその中に含まれていた。その後、所有者を転々と変え、最後に玉石家が所有者となった。

「貴重な文化財ゆえ、本来であればこの寺に返却するのが筋かもしれぬが、事情があって今はできない、とおっしゃられました」

「事情……?」

 一磨が生まれて一、二年頃のことだ。そのあたりのことが絡むのかもしれない。

「それと、このようなものが」

 住職は封筒を取り出す。

「もしも遠い将来、『玉石一磨』と名乗る者が寺を訪れることあらば、渡してほしい。そのようにおっしゃって、拙僧に預けられたものです」

「何ですって!?」

「不覚ながら、拙僧も日記を読むまですっかり忘れておりました。申し訳ない」

 日記にはさんだままだったという封筒は、表に「玉石一磨殿へ」、裏に「玉石久遠」と書かれている。几帳面そうな字は、父のものに間違いない。

 一磨は封を切った。



『玉石一磨殿』



 どきり、と心臓が鳴った。目の前に父親がいるような錯覚にとらわれた。



『私自身がお前に語ることができなくなった時のために、この手紙をしたためておく。聞きたいことはたくさんあるだろうが、手短になることを許してほしい。

 まずはこの寺にある弁才天像の縁起を見せてもらいなさい。それを踏まえて読んでほしい。お前の母さんは、その弁才天像に性霊が宿り付喪神となった存在だ。彼女は人間の姿になって私と出会った。私は彼女を「サラ」と呼んだ。私は真実、サラを愛し、そしてお前が生まれた。「一磨」という名前を決めたのは、サラだ。

 だがお前を生んでから、サラは人の姿を取れなくなった。付喪神としての力が極端に衰えたのだという。理由は、彼女に性霊を与えた力が、お前に受け継がれたからだ。彼女の中には如意宝珠がある。その力の半分が、お前の体に移ったという。このことはサラから聞いた。

 如意宝珠は至上の宝物だ。狙う者も多い。特に、宝物を集めずにはいられない鬼類どもがお前たちを狙うだろう。だから私は地下室に宝を秘蔵し、お前とともに守ろうと思っている。

 だがもし私が倒れたならば、サラを、母さんを連れて逃げろ。大藪正忠おおやぶまさただ氏、端山風介はやまふうすけ氏ならきっと力になってくれるだろう。二人とも有名な退魔士だ。叶うなら、彼らに師事しなさい。彼らなら、お前の力のこともよく理解して、正しく導いてくれるだろう。』



 そして最後の行にはこう書かれていた。



『この手紙を、お前に読ませずに済む日が来ることを願って 玉石久遠』



 読み終わって、一磨は震えていた。

「父さん……」

 手紙の行間に、語られなかった部分に、父親が何を言いたかったか。何を書きたかったか。悟りきれないほど多くの想いを感じる。

 父親――玉石久遠は、一磨が大人になったらすべてを話すつもりだったのだろう。人ならざる付喪神を愛した話もするつもりだったのだろう。母となった付喪神が、一磨をどれだけ愛しているか、語るつもりだったのだろう。

 そしてできるなら、久遠の手で、一磨を導きたかったのだろう。

「父さん……!」

 目尻に溜まった涙を、一磨は何度もまばたきしてごまかした。

「すみません、すこし外に出てもいいですか」

「ええ」

 書庫の中は火気・水気厳禁だ。

 もちろんそんな型通りの理由ではない。気分を落ち着けたかった。

 岡留おかどめもそれをわかって、一磨を書庫から出した。

「岡留先生。端山さんって、介爺さんのことですよね。大藪正忠さんは?」

 らいらが岡留にコソリと尋ねる。

「学園長のことね。介爺さんとも旧知の仲だというし」

 らいらは心配そうに見つめる。

「わたし、行ってきてもいいですか?」

「ちょっとしたら、私も行くわ。心配だし」

 住職と適当に話をしてから行くわ――岡留は小声で告げた。

「でも、あなたがいるから大丈夫かしら?」

 岡留がからかうようにウインクする。

 らいらは頬を赤らめた。そのまま書庫の外に向かう。

 一磨は手紙を握ったまま、外の庭に面した縁側に座っていた。

「…………」

 らいらは黙って一磨の横に座った。三十センチほどあいだを空けて。

「俺は……如意宝珠の子なのか」

 らいらが来たのには気づいていた。

 しかし一磨は、誰に聞かせるともなくつぶいた。

 例えば、一寸法師が得た「打出の小槌」は、もとをただせば鬼の所有物である。鬼は如意宝を所持したがる妖怪なのだ。

 だとすれば、如意宝珠を受け継いだ一磨を狙うのもわかる。一磨の存在自体が、鬼の宝物に値するということだ。

 ――鬼は宝物を集めるもの。鬼ヶ城にはこの世ならぬ財宝があるもの。

 朱顎王しゅがくおうの言葉の意味がつかめた。

「俺をコレクションのひとつにしようってか」

 一磨の体に、ぞわりと怒りが湧く。

「そのために、母さんは……!」

 一磨の目の前で、燃え尽きなければならなかったのか。ギリギリと食いしばる歯。青い瞳に宿る光は、憎悪のナイフに似ている。

「一磨さん……」

 らいが声をかけようとしたとき。

「玉石君、落ち着いた?」

 フッと一磨から怒りが消えた。というよりも、押さえたのだ。

「岡留先生」

「ちょっと考えてみたけど、おかしい点があるわ」

 岡留が指摘する。あくまで冷静な彼女の態度が、一磨の気を落ち着けたようだった。

「宝珠の力の半分は玉石君に継承された。でももう半分の力は、まだ弁才天像の中にあったってことよね。おそらく白玉のかたちをした如意宝珠も……」

 縁起によれば、弁才天像の額にあったはずだ。それはどうなったのだろうか。

「…………」

 一磨は黙ってうつむいていた。

「如意宝珠はここにあります」

 独鈷杵とっこしょを取り出す。独鈷杵の中心は球形になっており、鬼目きもくと呼ばれる。

 一磨は独鈷杵を左掌に置き、右手で鬼目をつまむ。

「すべてを切断せし金剛石、聖なる尊き宝珠よ、吉祥成就スヴァーハ

 金属の部分がまるで生き物のように動き、変形する。指輪の宝石を支える爪のような形に変形し、鬼目の真の姿が顕れる。

「これは!」

 白い玉だった。真珠のように輝いている。霊妙な艶と色を揺らめかせる、至高の宝珠――如意宝珠に相違なかった。

「母さんは……灰になりました」

 付喪神は魂をうしなうとき、青い炎に包まれて燃える。

 弁才天像とて例外ではなかった。木像の彼女は、黒い灰と化して死んだ。

「母さんの中から、この独鈷杵は出てきました」

 その灰の中から、独鈷杵が出てきたのだという。

 おそらくは母の遺志。燃え尽きるその瞬間、弁才天像は最後の力を振り絞った。自分の如意宝珠を独鈷杵の姿に変え、形見として遺したのだ。

「俺とこの独鈷杵で、如意宝珠の力は完全なものとなる」

 母親と息子。半々になっていた力は、すでに集結している。

「朱顎王に負けるわけにはいきません」

 敗北は――如意宝珠が、鬼の所有物になるということ。

「仇を取ることは俺が生き残ることなんです」

 らいらが彼女の手を、一磨の手に重ねた。

「どうかわたしの力も使ってください」

「らいら……」

 白く細い手。頼りないようでいて、何度も彼を助けた能力。

 彼女のあたたかさは、一磨を力づける。

「私も力になるわ、玉石君」

 岡留がほほえむ。

「それにしてもアツいわねぇ。若いっていいわー」

「えっ」

 岡留はパタパタと手であおぐ。

「学園長がいきなりコンビにしちゃったにしては、いい関係よね」

「な、何言ってんですか!」

「え~、こういうところから芽生えるものってのもあるんじゃない?」

 からかわれている。一磨は顔を赤くした。

「大丈夫です、岡留先生!」

 らいらがキッパリ言う。

「わたし、絶対、一磨さんのいいパートナーになりますからっ」

「ら、らいら!」

 それは逆効果だ、と一磨は首筋に手を当てた。

「あらあら、ノロケられちゃった。玉石君も頑張んないとね~」

「先生~!」

 三人はきゃっきゃと騒ぐ。

 傾いた陽が、雲に覆われはじめている。曇った夕暮れになりそうだった。

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