仮初の玉座 #41 Best regards
「忘れたくても忘れられないものだね。十五年ぶりか、アクセル」
ノエルとともにこれまで大人たちのやり取りを静観していたアリアンだったが、何を思ったか、アクセルの正面に立つ。
相手はシシリー・マッツの筆頭幹部と言われる男だ。
だが、腰に手を当てたいつものポーズがこんな時でも様になっているのはアリアンがアリアンたる所以だろう。
ジャスを突然殴りつけたり、ソフィアに背後から拳骨を落としたりと、およそ突発的な行動を取らせたら右に出る者はいない彼女だが、ノエルもそんな予想外には流石に慣れてきた。
当のアリアン本人から緊張感は伺えない。
親しげとまでは言わなくとも、ノエルが男に抱く警戒心を彼女は最初から持っていないかのようだった。
「…もしや、お嬢様ですか?まさか、本当に?」
表情をほとんど崩すことのなかった鉄面皮のような男がここにきて初めて感情を露にした。
男の呟きにアリアンは静かに首を縦に振る。
再び外した眼鏡を持つ男の手が微動した。
見開かれたアンバーの双眸は驚愕のあまりか、ここにいる誰よりもただただ揺れている。
静かに目を閉じたアクセルは胸元で十字を切った。
「神マノンに感謝を。まさかご存命だったとは。今日はなんという日だ」
「大げさだよ」
「イーギスにいらっしゃったのですね。当時の面影がほとんど残っていないので、今まで気づきませんでした」
「環境だよ、そうさせたのは」
アリアンは口元に微笑を浮かべる。
何かを悟られまいとする色素の濃い表情は穏やかでありながらも僅かな憂いは隠せないでいる。
「それよりありがとう。あの時、あんたには助けられたから。母様は長くなかったけど、あんたには感謝してたよ。残ったあんたのことを思えば、子ども心にも気がかりではあったけど」
「いえ、わたしのことは」
共通した面持ちで続ける。
「…アイシャ様が、そうですか。なんと申し上げればよいか。お悔やみ申し上げます」
アクセルは悲痛な表情で無念さを滲ませる。
傍目から見ても、それが嘘偽りない本音の発露であるのは明らかだった。
「三年前だよ。色々あったけど、それだけは娘のわたしから伝えておきたかったんだ」
「お嬢様…。その、若はそのことは?」
感情の揺らぎを押し殺すようにして、男は言葉を紡ぐ。
「この前伝えてやった。あいつは何も知らなかったからね。お互い小さかったけど、だからって、そんなのはないだろ?」
「いえ、若は」
「ごめん、今日はもう引き上げてくれないか。あんたの顔を見ると、やっぱり色々なことを思い出してしまうみたいだ。良いことも、…悪いことも」
感情を押し殺そうとしているのは彼だけではないらしく、アリアンは頭を振って顔を背けた。
陰りのさした顔には彼女の常である大胆不敵さはどこにもない。
彼女の意を汲むことに数秒の時間を要したマフィアの若き幹部は口元を引き結び、片手を腹部に当てる。
「畏まりました。このアクセル、またお会いできる日を楽しみにしております」
「ロキ殿、感謝します。まさかお嬢様のお姿を拝見できるとは思いも寄らなかったもので」
「それは良かった。ただ、思いもよらないと言えば私も同じです。その若さでそこまで成り上がったあなたでも感傷に浸ることはあるのね」
「ホントにね。まあ色々と訳アリのようだけど」
流石の彼女たちにとっても予期しない展開だったのか、ロキとメニフィスは微量の警戒心と意外性を口にする。
「はは、私も人の子ですから」
「それよりアクセルさん。あなただから敷地に入るのを許可したんです。そのことを忘れないで」
ロキは表情を張り替える。
アンバーの視線が再び交錯した。
「無論です。多大なご迷惑をおかけしたこと、重ねてお詫びいたします」
「おいそこの、もうやめてやれ。いいかげん胃の中の物が飛び出すぞ」
その野太い声を受け、ダンテは振りかぶっていた腕を宙で止めた。
「あ?」
もはや声すら上がらなくなった男をぼろ雑巾のように捨て去り、眉間に皺を寄せたマルコににじり寄る。
ほぼお互いの胸が接触するほどの近さだ。
そして、至近距離でここでも視線が交錯する。
饒舌な赤いモヒカン頭に、かたや寡黙なスキンヘッド。
元々素でも迫力のある強面だ。
正面から睨みあうだけで、再び場は不穏な空気に包まれる。
ちょっとしたきっかけ一つで何が起こってもおかしくはない危うさを孕んでおり、見ているだけでも正直気が気ではない。
もちろんノエルは教官のマルコを応援しているが、今日一日ですでに何度も味わっている一触即発も、この無言の視殺戦の前では温く感じるほどだ。
今この瞬間の二人の間にだけは絶対に立ちたくない。
「失礼、マルコ殿。少々気性の昂ぶりやすいやつでして」
「少々で済むかよ。危なっかしい野郎だな。ちゃんと手綱引いてろよ」
腕を組んだマルコは顔を露骨に歪める。
返答はしても視線は目の前の男から逸らさない。
「ダンテ、そいつを連れてこい。腕を忘れるなよ」
「は」
ダンテはアクセルの呼び声に寸分の遅れも見せずに即座に反応する。
「では、いずれまた。ロキ殿、三人にも宜しくお伝えください」
落ち着き払った面持ちの若き幹部が最上級の敬礼を示す。
それは何もジャスやアリアンに対してだけ向けられたものではないらしかった。
ノエルは他の一年生と同じ時期に入学できなかった。
だから少しでも遅れを取り戻すために、同級生ながら一年早くマーセルの住民だったフランからこの街の特徴や歴史についての説明を連日受けている。
その中には以前オリバーが語っていたこの街に巣食う暗部も含まれており、先日自らが関わった都市公園での事件も相まって、色々と考えさせられることも増えてきた。
その一つがシシリー・マッツだ。
自分が所属するイーギスとシシリー・マッツの間では大小含め、実に様々な衝突があったと聞かされた時に、ノエルは大学訓の一つである『責任ある関与』の思いを強くしている。
その矢先のことだったのだ。
警察はおろか、強者揃いと言われる鏡鷹隊マーセル支部からもその動向をマークされている組織の筆頭幹部が突然イーギスに姿を見せたことには驚かされた。
その彼が学長専属秘書である姉に、いやイーギスグランカレッジに頭を下げることの意味、それが分からないほどノエルも世事に疎くはなくなっている。
だが、今や伝聞でしか知らなかった彼らに対する先入観は曖昧な像を結んでいた。
ヒトを手にかけることに一片の躊躇いもないかのような表情を見せもすれば、敬意を持ってジャスとアリアンを気遣う言葉もかける。
そこに虚飾は感じなかった。
それがこの三人の関係性を何か特別なものであるかのように感じさせたのも確かだった。
「明らかに強化されている。痛みに対しても鈍感だった。それがあのタフさにつながるんだろうが」
「あえて言うなら新型ということですか」
「ああ。従来のものと違いすぎる。市場に出回っているものとはほとんど別物だろうな」
イーギス敷地内にある専用棟の一室を使った緊急報告会が始まってから、すでに三十分が経過した。
窓の外こそいまだ明るさを保っているものの、あと半刻も経てば太陽も完全に姿を消すだろう。
ジャスとマクシミールとの間では状況の確認が行われ、話し合いの中身はあの場に居合わせた者たちが最も懸念している事項に移っていた。
「異常なまでの戦闘力の上昇。フランはドーピングといっていたが、まさにそれだろ」
「顔中が血管だらけでねー、切っても叩いても血も出てなかったよねえ」
同じく最初から戦闘に参加していたウリカがジャスの意見を補足する。
こわいー!とか言ってるが、緊張感を感じさせない口ぶりと本人のキャラで誰も真に受けない。
「なんてデタラメな…。侵入者への対応については先ほど決めたものでいいとして、こっちは厄介だな」
「三人がかりでも仕留めきれなかった。これをどう受け止めるか、もあるしね」
統士長であるマクシミールの声に真向かいに座るデュオが反応する。
戦闘には途中から加わった彼だが表情は苦笑いだ。
祖国の騎士団時代から左手の相棒として使ってきたデュオの盾のおかげで、ノエルは今こうして報告会に参加できている。
「ねえ、製造元に聞いてみるのはどう?」
全員に向けて発したノエルの問いかけだったが、即座にマクシミールに退けられた。
「無駄だろうな。サイファーはイーギスを元々目の敵にしている上に、自分たちの開発した製品が得体のしれないものに化けたなど認めはしないだろう」
一拍置いた後、彼は続ける。
「先の戦争の教訓から、やつらのお偉方が提唱した『国民総魔術師計画』の一端として開発されたのがガーベラでもある。サイファーの公式説明ではドーピング効果のようなものは紹介されていない。だとすれば」
「誰かが関与した、か。ただ、誰が裏にいるかが分からないだけじゃない。意図にしてもそうだ」
思考に沈むジャスの後を受け、デュオが続く。
「それは僕も思いました。少なくとも魔術の素養がなければあんなものは作れないんじゃないかな。ただの自衛の道具の域を超えてますよ。マックスはどう思うの?」
「まあ、術式を解剖できなかったので断定はできないが、俺もその線が固いと思う。話を聞く限り、あれは明らかに魔力を秘めた呪物だ。となると、魔術師が噛んでいるとみて間違いないだろうな。メニフィス教官はどう思いますか?」
魔術の行使で血液を消費したフランが病棟で静養中の今、魔術科のマクシミールは今この場において最も魔術に明るい唯一の生徒になる。
今年入学した魔術科の全ての一年生の中で一番の成績を修めており、頑なで説教くさいところがたまに傷だが、正義感と豊富な知識は彼に苦手意識を抱くノエルも素直に認めるところだ。
そんな他ならぬ彼の言葉であるなら確度の高い可能性と見なせるかもしれない。
マクシミールが振り向いた視線の先に皆の視線が集まる。
「同感よ。せめてジャス君が切り落とした片腕を回収できていればねえ。ちょっとは具体的な進展も見れたんでしょうけど、あいつら持って帰っちゃうんだもの」
末席に腰かけるメニフィスは優雅に紅茶をすすっている。
責任感の強いマクシミールは教官ならではの視点を彼女に期待したようだが、あいにく麗しの教官は自分の髪を弄ぶのに忙しい。
別に彼女は意地悪をしているわけでもなければ、さぼっているわけでもない。
イーギスでは当報告会に限らず、学生に運営方針の大半を委ねているため、余程の脱線がなければ教官は基本的に口を挟まない。
それは何十年も前から続く当学校の大切な教育方針でもある。
「うえー、ぐろいよ…」
「うぅん、いぃ。そんなアブない教官もステキ」
素直な反応を示すノエルはともかく、ネジの外れたウリカの発言は全員が綺麗にスルーした。
「まあ、警察や鏡鷹隊の網に引っ掛っていれば、学長経由でイーギスにも知らされるはずよ。それがないということは、敵は余程周到なのかもしれないわね」
「…敵?」
敵という言葉を使ったメニフィスにノエルはおうむ返しに尋ねる。
首を傾げるノエルに教官は微笑を湛える。
「ええ、何のためにあんな危険なものを使ったの?使う人間に悪意がなければ、興味本位でもあんなものは取り込まないと思うんだけど。イーギスは悪意を放置してはならないのは鏡鷹隊の理念と変わらないけど、であればそうしたものを意図的に使う輩は私たちにとって守られる存在ではないわ。だから、敵と表現したのよ、フロリアン」
「敵か。まあ実際、そうですよね。先輩が元いたところではそういうのはないのですか?」
気難しくも常に真摯な顔はマクシミールのデフォルトだ。
その表情は誰が相手であっても同じである。
「ガーベラが製造されたのは俺が離れた後だ。それに今でもコンタクトを取っているわけでもない。今どうなってるのかほとんど知らねえな」
「ふん、あんたの強みなはずだろ、それを活かせないとはね」
ここまで黙したまま会話を追っていたアリアンが口を開く。
柑子色の視線はジャスにこそ向けられていないが、言葉の険の強さは十分だ。
「活かしたいさ。それができればな」
「なんだと」
「こらー、喧嘩しにきたのあなたたち」
ロキはマルコとともに事後の始末に当たっており不在だ。
諌めるメニフィスにアリアンがそっぽを向く。
「とにかく。情報がなさすぎるのは確かです。不穏ではありますね。もしこんなものが街中で使われたら確実に新聞沙汰になる」
「うーん、街中でいくつか事件が立て続けに起きてるよね。今回のと関係あるのかな」
「犯行はガーベラが疑われている。だが、それと今回の件が繋がっているのかはまだ確証がねえな。キナ臭えが、共通項はやはりガーベラの存在だろう。情報が足りない以上、時間はかかるが地道に行くしかないかもな」
マクシミールとデュオの意見に続き、ジャスは小さく肩を竦めた。
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