仮初の玉座 #42 逆位置の眷属
「ねえ、思ったんだけどさ、さっきの化け物じみた力ってさ、あたしたちが初めて目撃した可能性が高いんじゃないかな。だってさっきみたいなのが人の目についたら絶対にマスコミの人が騒ぎ立てるでしょ。普通のガーベラじゃないってのはもう確かみたいだし。だったら、いたずらに市民の混乱をあおる必要もないし、方針としてはさ、しばらくの間はあたしたちで要警戒といったところに落ちつくのかな」
一気に自分の考えを吐き出したノエルが全員の顔を確認する。
頷くマクシミールの視線を受け、ジャスが反応した。
「…そういうことだ。使えばタダでは済まねえのは見た通りだ。ただ問題はもう一つある。むしろどうやって手に入れたのかということだな」
「さっきのアクセルって人は何か知ってるんじゃないの?」
「さあな。まあこっちには俺の方から探りを入れてみるが」
ノエルの中でジャスは嫌いなやつの最上位に来る。
だが個人的な感情をここに持ち込み、せっかくの報告会を無駄にはしたくはない。
いくらなんでもそれくらいの分別は備えているつもりだ。
だからといって、アリアンを悪く思ったりはしない。
彼女が険悪な態度を取るのには何か訳があるはずだからだ。
それとは別に、実際のところ話の流れを先導しているのはノエルの一学年上であるこのジャスでもある。
目つきは相変わらず悪いし不愛想極まりない男だが、沈着冷静に物事を見ている彼をノエルは内心で少し見直していた。
「マスコミは?」
「ダメに決まってるだろう。というか、お前ついさっき自分で言ったばかりじゃないか。妙な書き方をされたらどうするんだ」
間髪を入れないマクシミールの指摘にノエルが唸る。
「む、まあそうだけど」
「まあ、確実にニュースバリューのある話題ですしね。ネタに困る街ではないんでしょうけど、これなら連日トップ扱いくらいのインパクトがあるのかな」
苦笑気味にデュオは目尻を下げた。
自衛の道具として市民の間に根付き始めたガーベラがこれまでにない最悪の形で悪用されたと知れたら、耳聡いマスコミや威勢の良い評論家たちがみすみす好物を放っておくはずがない。
無責任な吹聴ほどタチの悪いものはないだろう。
たとえ評論家にそのつもりがなかったとしても、受け取り手がそれをどう解釈するかはまた別の話になる。
「となると、やはり警察と鏡鷹隊になりますか。捜査なら警察に任せたほうがいいし、鏡鷹隊なら支部間のネットワークで何か引っかかっているかもしれない。
「それに新聞に載らない情報や何らかの事情で未公表のものも含めれば尚更だ」
考え込むような仕草で腕組みをしたマクシミールにジャスが補足を入れた。
「そうねえ、そっちは私たちに任せときなさい」
「助かります、メニフィス教官」
一年の統士長を務めるマクシミールは丁寧に頭を下げた。
それに倣うノエルの視線に気づいた妙齢の教官が魅惑的な目配せを見せつけてくる。
なんのウインクだそれは。
「えーと、あのさ、最近なんか事件増えてるじゃない?火事にあった料理店てあたし知ってるんだよね。一昨日部活で必要な材料を買い足しにセントラルの方に行ったんだけど、みんなすごくピリピリしてたっていうか。だよね、アリー?」
「そうだね。昼間だから人通りもあったけど、夜になると外出を控える人も増えるかもしれない。そうなったら、あの一帯が商売上がったりになるのは目に見えてる」
初めてマーセルの街に降り立ち、迷子になったノエルに香辛料の効いた絶品料理と共に道案内をしてくれた料理店の店主をノエルは忘れていない。
だからイーギス生であるかどうかに関係なく、ノエルにとってはすでに無関係ではないのだ。
なんてことをしてくれたんだという純粋な怒りがある。
「そうねえ、実際のところ警備依頼はここにきて増加中なの。デュオも言ってたように、もともと安全な街ではないところに一連の事件が起きたわけでしょ。警備の手はどこも喉から手が出るほど欲しいはずよ」
マーセル市内の
食事中も身の安全を保障できない場所に人々の足が遠のくのは必然であり、それは活性化した市場を持つマーセル経済に少なくない悪影響を及ぼすのは間違いなかった。
真向いで腕組みをするジャスにメニフィスが話の矛先を向ける。
「ジャス君、あなたは今週の外部研修に何件行った?」
「二件だ。来週は三件、今のところは」
「ふう、この通りよ」
メニフィスは困ったような口調で一年全員を見渡す。
「本当は週に多くても二件なのよ。先月辺りから警備依頼がうちにじゃんじゃん舞い込んでてね。外部研修もそこでしか得られない体験があるからとても大切だけど、それで通常授業がおろそかになってしまったら本末転倒なのよね」
良質なアウトプットは良質なインプットから、という持論を持つメニフィスの講義をノエルはまだ数回しか受講していない。
戦技訓練であろうが筆記テストであろうが実戦であろうが、良い成績を残したかったら練習の量と質が必要なのは言うまでもない。
それは剣術道場で過ごした濃密な日々を通してしっかり身に染みている。
そしてそれはノエルの斜め前に座る彼も同じ心境らしい。
「なるほど、それは困りますね。バランスが悪くなる」
「そ。実践の機会はとっても大切よ。でもそればかりでもダメなの」
警察や鏡鷹隊は市民や民間の要請に応じるが、それでもカバーしきれない依頼分はイーギスが掬いあげるのが代々の慣例とされている。
学業が本分であるイーギスは両者の下部組織ではないが、案件受理には昔から積極的だ。
それは日々吸収した内容を活かす絶好の場になるからで、それが個々の成長に繋がるからに他ならない。
「だって君たちはまだ真っ白な素材。学生なんだから」
為政者の要請や司法的な問題が絡まなければ警察は動くことができず、エリート揃いの鏡鷹隊への信頼性の高さは折り紙付きだが決して安価ではない。
だからイーギスがその間隙を縫うことが可能になる。
こうして、第二州都であるマーセルの安全保障はこの三頭体制の絶妙な均衡で維持されてきた。
なによりも授業の一環で行われる外部研修ゆえに料金が安く抑えられ、それでいて高品質。
代々の卒業生が積み上げてきた信頼も手伝って、社会人予備軍とはいえイーギスにかけられる仕事の期待値は高い。
だが、ここにきて需要に供給が追い付かなくなっていると、メニフィスはため息交じりに語るのだ。
それは、見方を変えれば歓迎できる決して事態ではなかった。
「確かジャックのやつは四人で昨日からバラム地区入りだったか。あいつはむしろ喜んでいたが」
「大の勉強嫌いだしねー。単位大丈夫なのかなあ?」
「お前が言うな」
ケラケラと笑うウリカをジャスが冷めた目つきで一蹴する。
「あっ、でも二年生が学校にいないのそういうことなんだ。実際ほとんど見たことないかも」
「僕もほとんどないですね」
上級生の顔ぶれはほとんど知らないのはデュオも同じらしい。
同学年ながら年上のフランは本来だったら二年生になっていたはずだが、そんな彼女を除けばノエルには上級生の知り合いがライムしかいない。
年次は腕章でも識別できるので普段見かけないことはないが、まず話をする機会がなかった。
「そういえば、ウリカちゃんは研修ってどこに行ってたの」
「んー、あたしは昨日までケヴィンブリッジにいたよ。来週はどこだったかなあー?」
槍術科所属の先輩女子ウリカ=ロトキンの実力は先ほどの戦闘で十分に分かった。
長い手足から繰り出されるリーチを生かした槍捌きは脅威だろう。
いざ対面すれば間合いに入るのは至難を極めるのは間違いないが、精神的な間合いはないも同然で、ここに来るまでの道すがらで一気に親近感を覚えたノエルである。
ちゃん付けをしたために、反対にエルエルとか呼ばれるようになったが。
「自分のことだろ、ちゃんと覚えてろバカ」
ジャスもウリカに対しては容赦がない。
「ウリカ、彼の言う通り把握してなきゃだめよ?あなたは来週は白舞市場ね。祝日でごった返すから気合入れていきなよ」
「了解ですっ、メニフィス教官のためならたとえ槍が降ろうが嵐に見舞われようが☆」
「調子いいんだから。せめて自分ためにと言ってほしいところだわ」
「ははは」
挙手の敬礼を取るウリカ先輩にメニフィス教官が呆れかえる。
乾いた声でデュオが苦笑した。
「あのさ、今ふっと思いついたんだけど、それあたしたちもやったほうがよくないかな?」
全員の視線が発言者のノエルに集まる。
「だって要は人が足りてないんでしょ。あたしたちも授業の一環でそれをやったら、上の人たちもここまで忙しくならないよね?」
体を揺らせ、ノエルは顔を輝かせた。
「あたしはやりたい!面白そうだもん」
「あのな、興味本位でやるものではないぞ」
諭すような口調なのはマクシミールだ。
「分かってるって。でも実際困ってる人を助けるのもイーギスでしょ。だったら多いほうがいいじゃん。これが一番いいと思うよ」
ノエルが何のてらいもなく発したその言葉は一同の虚を突くのに十分だったらしい。
「…たまに核心を。いや、そうは言うが、一年間のカリキュラムは決定事項だぞ。出席日数や必修にも関係してくる。おいそれと変更できるものか」
「あ、マクシミール。それなんだけどね、実は学長からもそうした提案は出てるのよ」
「一年前倒しでやるということをですか?」
「そ。とはいっても、幾つか条件はあるんだけれどね」
「そうだったのですか、それはどういう?」
驚きを隠せない表情でマクシミールは教官を見る。
「んー、ホントは言うつもりはなかったのよね。この状態が続けば、ジャス君やウリカたちが年末には充分ヘトヘトになってる姿が目に浮かぶんだけど。ま、授業で居眠りでもしようものならマルコ教官からは愛ある鉄拳が、ジェフレンからは愛ある説教があるだけよ。あ、ちなみに私は文字通り愛の鞭でビシバシしごいてやるから」
「…笑えねえよ」
冷静に嫌がる全員を代表してか、ジャスが顔を背ける。
冗談が冗談では済まないのが、イーギスの教官たちだ。
ノエルはすでに前者二人からきつい仕置きを受けており、無論全力で首を振っている。
「ただまあうちはね、あくまで生徒に自治を任せてるじゃない?だから一年生の君たちにその気がなければ、この話は流れるはずだったの。押し付けるものでも命令するものでもないから。ここは軍でも会社でもないしね。フロリアンが言ったから、わたしは明かしたのよ」
「そ、そうですか。いえ、そういうことでしたら、自分に異存はありません。自分のためにもなるし、周りのためにもなる。お前たちは?」
「僕も賛成。来年やるものが早まるだけだしね」
「わたしも、反対する理由はないよ」
狼狽する統士長に二人の級友が同調を示す。
「フッ、ガキがいきがりやがって」
「…え?」
がらりと口調を変えた美人教官に再び全員の視線が集中する。
「ふふ、マルコ教官の真似。彼がいたらそう言うかなと思って」
「…紛らわしいことしないでください。真面目に議論してるのに」
振り回され続けるマクシミールが律儀に突っ込みを入れる。
ジャスは背もたれに深くもたれかかり、もはや相手にすらしていない。
「ね、エルエル、ワイルドな女教官もいいと思わない?」
隣に座るウリカが小声で耳打ちしてくる。
どことなく頬が赤いがそれは絶対に無視しよう。
この学校は学長と言い、教官たちと言い、上の人間に一癖も二癖もある人物が多い気がする。
それを決してお茶目と言いたくはないノエルだ。
「では教官、一年の自分たちも一足早くお手伝いさせていただきます。現状これがベストかどうかは分かりませんが、他に考えが浮かばない以上、最善に近いかと。街のニーズに応えることができるし、何より課外活動で得られる経験は何物にも代えがたいはず。自分たちがどこまでやれるか分かりませんが、少しくらいなら先輩たちの負担軽減にもなるでしょう」
過不足なくまとめるマクシミールにメニフィスは満足そうな顔を浮かべる。
「オッケー、分かったわ。他の教官たちと協議するから待ってなさい。来週には発表できると思うわよ」
「了解しました。で、その、先ほど仰っていた条件とは?」
「教えてほしいの?」
いまさら意地悪をしないでほしい。
焦れたノエルが座り直す。
一年全員の非難の視線を浴び、雑誌に掲載されるほどの美貌を持つ教官は栗色の髪を揺らせた。
「ひ・み・つ。ま、悪いようにはしないから心配しなさんなって」
***
ノエルは歩みを止め、おもむろに振り返る。
「あのさ、一つ聞きたかったことがあるんだけど」
「なんで先輩たちがいるときに言わないんだ」
「さっきは言えなかったからだよ。関係なかったし」
メニフィスに呼ばれたジャスと尻尾を振ってついていったウリカはすでにいない。
今、廊下を歩いているのは一年生四人だけだ。
夜の帳が下り、廊下を照らしていた陽の光も今はない。
跳ね上げ式の窓から入ってくる風は肌寒さを伴い、衣替え前の身体を引き締めさせた。
「…私に、かい?」
遅れて歩くアリアンが確認するように呟くが、視線はノエルを見ていない。
上着のポケットに両手を突っ込んだ彼女は顔を窓の外に向けていた。
「うん。アリーに」
ノエルの蒼い双眸が金髪の友人を正面から捉える。
「どうしてあいつとそこまで仲が悪いの?そりゃあたしもあの男は好かないけど、アリーのはもうそういう好き嫌いじゃ測れないっていうか。お嬢様って言われたし、あいつはお坊ちゃんて。兄妹なの、やっぱり?アリーには悪いけど、流石に気になって仕方がないよ」
アリアンは報告会が終わった後も話しかけづらい雰囲気を発していた。
元々の尖った性格も多分に影響しているのは言うまでもないが、それに輪をかけている物の正体を気にせずやり過ごすのは最早やせ我慢に近かった。
ああいうことがあったばかりだ。
だからノエルも遠慮していたのだが、タイミング的にも彼がいない今しか正面から訊くことはできないと思った。
アリアンは目を瞑る。
それは感情の揺らぎが瞳に映るのを憚ったからかもしれない。
「ノエル、あんたらしいというか」
「単刀直入すぎるだろお前…、そういうのはもう少しオブラートに包んでだな」
そう言うマクシミールも関心は隠せないらしく、いつもの勢いはない。
ノエルと違って、同級生の一人という位置づけでしかない二人にとっても、気軽に受け流すことはできなかったのだろう。
あの時のやり取りを目にしていたデュオもアリアンが口を開くのを静かに待っている。
「まあ、私も隠すつもりはないし、遅かれ早かれ気づくと思うからね」
思い返せば、アリアンは報告会の間もほとんど発言しなかった。
やはり何か思うところがあったのかもしれない。
普段寡黙な青年との関係。
そして彼女の出自。
ノエルの中で、もしかしたらそうかもしれないという漠然とした予想は今や確信に近くなってきている。
「異母兄妹ってやつさ。わたしとジャス=シシリーは」
褐色の同級生は自嘲気味な笑みを魅惑的な口元に刻み、心に溜まった何かを吐き出すような表情でゆっくりと語り始めた。
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