仮初の玉座 #36 緑凰院不破、抜刀
イーギスでは滅多なことでは起きない戦時だけを想定した訓練を積むばかりではなく、平時からあらゆる状況に対応し危機を排除できる訓練を年間通して行っている。
実戦に近似した過酷なカリキュラムが組み込まれているせいで、それで脱落する者もいるが、イーギスの生徒は何も武器や魔法の扱いに精通しているだけではなかった。
大陸有数と名高い聖ランスロット儀剣模擬試合に出場するほどの実力者もいれば、幾つもの厳しい試験を突破して晴れて母校の教官になった卒業生もおり、今年は不作と言われても生徒たちの水準はやはり押しなべて高い。
ただイーギスの名が国中に知れ渡っている所以は秘技とさえ囁かれる魔術を体系的に、学術的に、そして専門的に扱っている点が大きい。
およそマーセル市民であるなら知らぬ者はいないだろうと言われるほどにイーギスグランカレッジの名は一般市民の間に広く浸透していた。
武芸科と魔術科を内包した軍事訓練学校である聖シオン東の名門に在籍するのは18から22歳までの年若い男女である。
とはいえ、現有戦力は各所に点在する警察やマーセルにも支部を持つ
警察の本分は戦闘よりも捜査にあり、トラブルシューターの一面を持つ鏡鷹隊の本分は個々の戦闘力を活かした戦闘だ。
イーギスが自身の存在価値を主張できるのは魔法を使ったバディ戦術にあり、両者が踏み込めない現場や不得手にする現場でこれまで真価を発揮してきた。
マーセル市民のみならず聖シオンに住まう人間であれば、数年前に言われなき侵略を受けた戦争に終止符を打ったのが反撃に打って出たイーギスであることは老いも若きも誰もが知っている。
それが例え多大な犠牲の上に掴み取った勝利だとしても、戦争の被害者はそれを忘れない。
有形無形の脅威から人々を守るべく設立された魔術防衛に特化した大学というと小難しいが、余計な修飾語を全て取り除くと、要点は市民の安全を守る、その一点にイーギス設立時の理念は集約される。
富に栄えた街の常として、マーセルは低くはない犯罪件数を併せ持ち、基本的にはマーセル支部の鏡鷹隊がその多くを捌いているが、カバーできないものはイーギスに依頼が回ってくることがある。
二年生以上になると外部研修を積極的にこなす必要があるのはこのためで、ジャスはその帰りにイーギスへの侵入者に気が付いた。
過剰防衛にならない程度なら自衛のために拳銃の使用を許可するマーセルにおいて、良くも悪くもその伝統は今なお受け継がれているが、今やその正当防衛の選択肢の中に新しく居場所を確保しつつあるのが魔法だった。
王都アヴァンテに本部を置く
新聞の一面や特集を煌びやかな文章が踊り、手放しにほめそやされたそれは、記憶に新しい戦火の傷跡を癒す希望として、花言葉からガーベラと名付けられた。
「六年前の出来事になりますが、サイファーイストハイムを代表して、業火の中に亡くなった方々に改めて哀悼の意を表します。そして戦争の最大の功労者であるイーギスグランカレッジの諸君には改めて敬意を表したい」
「私は思うのです。もっと早く、もっと多くの魔法を使っていれば、どれだけ多くの大切な方々が無念の死を迎えずに済んだでしょうか。犠牲者はもっと少なくて済んだのでは、ということを。ご周知のとおり、魔法の底知れぬ力が慈悲なき帝政の侵略を食い止めました」
「畏怖を覚えましたね。と同時にイーギスに頼る前に、私たち普通の人間が魔法を使うことができればとも感じました。そうです、戦火の傷跡が記憶にも新しい今だからこそ、国民の皆様の不安を少しでも和らげるべく、私たちがお役に立てることはきっと何かあるはずなのです。研究者たちは何年もの間それだけを考えました」
「そして平和を希求する執念を神が見ていてくださったのか、ついに研究成果が実を結ぶことになったのです。紹介させてもらいます。このたびサイファーに集まる英知を結集し、王都からの援助の元、開発に成功した魔力粉末、通称ガーベラです。効果、使用法は先に示した通りです。これからはこのガーベラが皆様の心の拠り所になれることを、研究主任である私、ブラスノ=リンドホルムが保障いたします」
カラー刷りの一面で得意気に語る髭面の男を見た時、当時イーギスの一年生だったジャスは茶番だと忌々しげに吐き捨てた。
本来であれば、魔法を使えば血の消失とリバウンドという両方のリスクを受け入れなければいけない。
イーギスは魔術師にとって不可避だったこの二つを問題解決した。
使用者への負担を激減させることに成功し、専門教育と輸血体制の充実という担保の元に、魔術師志望の生徒が毎年入学を果たしているのがその証拠だ。
しかし現実は研究主任様が描くより良い世界にはなっていない。
なるほど、確かにガーベラは優れ物に違いない。
リスクが完全排除されたとあれば、魔法に縁のなかった一般人でも、金さえ積めば手が出せる安全な代物になるのだから。
だがそれにより、理想から乖離した望まれぬ形も当然生まれている。
記憶に新しいところではつい先日、街中で起きたある料理店の爆発事故が思い起こされた。
内部のボヤではなく外部の犯行。
火薬反応は感知できず、となればガーベラが出火原因として疑われるのも今だから道理となる。悪用された結果がこれだ。
刃物を握る人の心次第でメスや料理包丁にもなれば凶器にもなりえるのと同じように、使用者がみんな善ならこんな物騒なことは通常起きないのだ。
原因は特定されたが現時点で犯人の尻尾は未だ掴めていない。
それは警察に任せればよい話だが、実際にこうした未解決事件が新聞の見出しを飾ることも増えてきている昨今において、肝を冷やした外部からのイーギスへの警備依頼は殺到している。
ジャスは一昨日は五名で
二年生にもなるともうすぐ夏を迎えるこの時期から外部研修の名目で様々な実地研修が組み込まれるのだが、イーギスにトラブルの種が舞い込んだと気付いたのはちょうどその帰りだった。
街中の事件のように、もし正門で爆発騒ぎが起きていれば自分が気づく前にすでに学校側で対処していただろう。
それができる人材は十分に揃っている。
侵入された形跡は気絶した守衛を見れば一目瞭然だが、音を立てずに起きた犯行となると、自分のように正門を通った人間にしか分かるまい。
ただこうした事態をも想定しなければいけないのがイーギスであり、例え想定外の突破だったとしても、イーギスはそれを言い訳にしてはならない。
それに適切に対応できていない現実はジャスを少なからず苛立たせた。
目の前で飽きもせず無意味な威嚇を飛ばしている男たちは自分が二年前までいた組織の構成員だった。
ジャスはこいつらが誰だが分からないが、現シシリー・マッツのボスの実子であるという自分の素性を明かすつもりはなかった。
望むと望まざるとに関わらず、どこに行くにもそういう肩書や履歴が付いて回るのは嫡子として生まれた以上仕方ないにしても、自由を満喫できない敷かれたルートを生きるのは窮屈だった。
組織を離れ、格闘技以外にさしたる特技のない自分がイーギスを選ぶのは年齢的にも妥当だったと言えるが、何よりゼロの状態からスタートしたかったというのがどちらかというと本音に近い。
しかし、その後どうするのかという問いに対する答えは未だ持ち合わせていなかった。特に何も考えていないというのが偽らざる現在の心境だ。
とはいえ、たらればながら、もし自分がここに来ず、組織の幹部でいたままなら自分の指示で動いていたかもしれないこの無作法な男たちを思うと、苛立ちの中にも何か複雑な思いも込み上げてくるから不思議なものだ。
組織を離れたとはいえ別に袂を分かったわけではないが、まさか侵入者がシシリー・マッツだとは思いもよらなかった。
内心で思わず漏れた舌打ちに苦い味を覚える。
髭面が盛んに宣伝するこの有難い粉末のおかげで未解決事件が増えており、元々少ない警察はそちらに人員を割かれている。
魔法を使える者がこの中にいるとすればかなり面倒だが、その可能性はあまり高くないと考えている。
もっとも自分が組織を離れた後に魔術師を迎え入れたとあれば話は別だが。
それよりガーベラの方が厄介だ。
男たちの使い方がずさんだったためか、正門に粉末が零れていた。
高額だがリスクがなければ使用者はおのずと増えるのだから、この人相の悪い男たちが手にしていても不思議はなかったが、随分侵入も楽になったものだ。
使われる前に片を付ける必要がある。
そのためには少々血も流れるだろう。それはもちろん自分ではないが。
そこまで思考し、ジャスは無視していた男たちの罵声に耳を傾けた時、猫背の男が侵入した目的を語り始めた。
「ノエルってやつを殺しに来たんだよ。ついでにそのとき一緒にいた金髪の背の低い女もな」
「なぜ殺したいんだ?」
ジャスはなんとなくだがこの時のことを知っている。
外で魔法を使用することを固く禁ずるイーギスでは血の気の荒いやつは多いものの考えなしの行動はとらない。
なぜなら血を失うことの意味を身に染みて理解しているからだ。
ジャスは顔面を蒼白させた編入生の女が取り乱した様子で校内を走る姿を男子寮の自室の窓から偶然目撃している。
彼女の背中には同級生のライムという女がぐったりとしていた。
大方、無茶を承知の上で禁忌を破ったのだろう。
そこには破るだけの相応の理由があったと見て然るべきだ。
「それこそ知れたことよ。俺たちに恥をかかせただけじゃなく、俺様を病院送りにまでしやがったんだ。魔術の呪縛から逃れるまでに俺がどれだけ苦しんだのか、てめえの身に知らせてやろうと思ってな」
「なるほどお礼参りか」
ウリカが口をはさみたそうにウズウズしているが眼力で黙らせる。
「はっ、倍返しじゃ済まねえぞ。そいつら二人を殺せたら俺はいいんだが、なんせ戦争しに来たんでな。手元が狂えば他のやつらを殺してしまうかもしれねえ」
「ここがイーギスだと分かった上でか?」
「関係ねえ。やつをやろうと思えば、俺らがここに来るしかねえだろうが。今回タダじゃすまないのはお前らの方だぜ」
猫背の男が十四人の中の頭なのが分かった。
だがガーベラを所持しているのが誰かまではまだ分からない。
「おい、見せしめにこいつら二人も殺してしまおうぜ。男は生意気だし女はバカだ」
「そうだな。お前に恨みはないが悪いが死んでくれ。恨むなら、ノエルって女を恨めよ」
卑しい笑みを浮かべた男がホルスターから拳銃を抜き、躊躇なくジャスに向ける。
そしてやはり躊躇なく引き金を引いた。
轟音と共にガラスが砕けた。近くに古びた建物があるのでおそらくそこだろう。
「ジャス、すごい!」
「お前もこれくらいできるだろ」
甲に装着させた小手で弾丸の軌道を逸らせたのだ。
弾き返すのは流石に無理だが、軌道を変えることくらいならいつでもできる。
そのために動体視力と反射神経を徹底的に鍛え上げてきたし、そのためだけの魔術も習得済みだ。
流石にマシンガンなどは数が多くて無理だが、この程度なら訳もない。
模擬弾を使った銃弾の回避訓練や爆発物への対処もカリキュラムの中に盛り込まれている。
「てめえっ」
「黙って殺されるいわれはない。お前らに取らせてやるほど俺の命も安くはないんでな」
手首を回しながらジャスがゆっくりと口を開く。
相手に銃があるのは当たり前の時代だ。
剣と剣だけがぶつかりあった時代はとうの昔に終わっており、武器の発達は火器に移り変わりつつある。
かといって古代から使用されている剣が完全に取って変わられたわけではない。
近接戦闘を想定したイーギスでは武具として剣と槍を使っているが、ジャスの場合は組織で学んだ英才教育の上にイーギスという上積みがある。
「この野郎まじかよ」
「おいウリカ、ちょうどいいお前も手伝え」
いられると邪魔だが、相手にしないと後でうるさい。
ここは体よく手を借りたほうがいいだろう。
余計な騒ぎは本意ではないし、流石に一人で相手にするには人数が多すぎる。
そのウリカはまだ体育座りのまま、のんびりした顔で能天気な声を出す。
「あの、わたしは猫と遊びたいんだけど」
「どっか行っちまっただろうが。お前はメンヘラじゃねえよ」
「ほんと?わたしメンヘラじゃないと思う?本気でそう思ってる?わたしを面倒くさいと思って、その場しのぎじゃなくて?」
「思ってねえよ」
「でも今は趣味の時間だし、手伝うのは三分だけだよ。一秒でもオーバーできないけどいい?」
「…分かったから手伝え」
「その上から目線がなければねえ。チビでもイイ男なのに」
「悪いが、デカ女のお前にだけは言われたくねえよ」
顔を顰めたジャスが腰に差していた刀を抜く。
寮に戻っていれば置いていたところだ。
詳しくは知らないが、師によると東の国の業物らしい。
ジャスはこれで人を切ったことはないが、彼の手に渡る前にはかなりの血を吸ってきたという曰くつきの獲物である。
あまり抜きたくないのは抜く度に心臓が高ぶる感覚に陥るからだが、なにせ状況が状況だ。
騒ぎが大きくなる前に、自分の手でチンピラどもを直ちに無力化しなければならない。
わざわざイーギスに乗り込んできた礼もしてやらねばいけないだろう。
無礼でも礼には違いない。
ウリカの憤慨が怒声に変わる。
それは建物の方からノエルたちが駆けつけてきたのとちょうど同じタイミングだった。
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