仮初の玉座 #35 組織を離れたブラックマンバ

わたしはウリカ=ロトキン。

性別は女。

イーギスグランカレッジに在籍する槍術科の二年生で、そこそこ真面目に生徒をやっている。


マーセルで生まれマーセルで育った生粋のマーセルっ子というやつで、家は取り立てて裕福でも今日の食事を心配するほどの貧乏でもなく平均的な中間層だ。

家族の仲は良く、真面目な兄は銀行員でしっかり者の姉は宝石鑑定の家業を継いでいる。

親は自分が生まれる前に隣国にほど近い田舎町から引っ越してきた。

家で家族と会話をする時はマーセルで使用される標準語は基本的に禁止だ。


性格は自分で言うのも何だけど至って温厚だと思っているが、何かやばいことが起きる度に口癖のようにある言葉を声に出しては自問自答するので周りから変なやつだと見なされている。

ジャックは何が面白いのか毎回毎回ツボに入ったように大笑いするし、ジャスに至っては腫れ物に触るような目で見てくる。

自分に向けられるクロエの氷点下の目は実際に物理的攻撃力を伴っていると思う。 


人はわたしをメンヘラと言う。

メンヘラだったら、どうしてわたしはこんな鉄の要塞なんかで二年生をやっているのだろう。

厳しい訓練に根を上げず、難しい座学をなんとかこなし、マルコ教官の鉄拳にしゃがんでは耐え、女子寮の鴨居に頭をぶつけまくり、背の低いライ先輩には頭を撫でてもらえず、ミロ先輩にはお前に会うと首がいてえと言われ、メンヘラだったらこんなことを我慢できるわけないじゃないか。


そう言えば、あのライム=ヴァルティエという女がわたしは好きじゃない。

なぜならあの子は女の子らしいからだ。

好きか嫌いかというと、まあどちらかというと嫌いな部類に入るが、だからといって腕力にモノを言わせたりはしない。

そんなことをすればあの子は一撃で死んでしまうだろうし、第一女の子が暴力を振るってはいけないとわたしが毎週購読している女性誌のキュートに書いてあったのだ。

でもわたしが神と崇めるキュートの編集長様もわたしのような女の悩みは解決できないようだ。

だって足裏から頭頂まで長さにして190センチもある女なんて絶対にいないでしょ?


当たり前だがイーギス女子では断トツにトップである。

わたしの嫌うライムは150センチくらいしかないだろう。

わたしから見ればあの子なんて手乗り文鳥かハムスターレベルである。

もし幸運の流れ星がわたしの前に現れたら、所構わず、わたしは全身全霊で願いを叫ぶだろう。


昔は近所の山で寒い日も暑い日も文字通り雨にも負けず流れ星が現れるのをじっと黙って待って過ごしたこともある。

そして実際何度か目の前を過ぎ去ったことがあるのだが、一瞬で消え去ったので願いは今なお適っていない。

思うのだが、あの一秒か二秒の間に三回も同じセリフを言うのは早口言葉を言える人でも不可能だと思う。

だから思いっきり短縮したが、それ以来流れ星はわたしの前に姿を見せなくなった。


クリスマスという素敵な催しものが異国にはあるらしい。

それをうちでもやってと両親にせがむと、両親は苦笑いしてお茶を濁した。

現実主義者の兄には現実ってやつを図解入りで証明された。

姉に至っては、そんな得体のしれないプレゼントを喜ぶ前に自分で稼いだお金を喜ぶ子になりなさいと妙な説得力を持って小さかったわたしに教えたものだ。

何も年端も行かぬ七歳児にそんな根も葉もない現実を教えなくてもいいだろう。家族はわたしを除いてみんなリアリストなのだ。

願いは叶うのを待つのではなく、自分で叶えるもの、だというのが父親の持論だ。


人生とは何か、人はどこからやってきたのかなどと哲学書のような自戒の日々をステキな家族に囲まれながら過ごした。

頭に栄養を死ぬほど使ったからと言って、その間も身長は高止まりする兆しも見せず、反対に成長期の蔓のように天に向かって伸び続けた。


今年入ってきた一年生には、やけに視線の険しすぎる褐色の女の子や男の子のようなはねっ返りもいるようだ。

でもそうはいっても、少なくとも私よりは女の子に見えるだろう。

だってわたしは190センチの大型の女。

…実際は191.2センチだけど、これくらいの嘘はついてもいいでしょ。


兄と姉だけじゃなく、わたしまで産んでくれた両親には感謝しているけれど、こんな巨木のような身長になるとは予想していただろうか。

家族もそこそこ背のある家系だが、わたしだけ突き抜けているのはどういうことだ。

父も母も真摯なシャカ教徒の信奉者なので、わたしが身長のことをちょっとでも愚痴るとそんなこというと神様の罰が当たるぞと厳しい。

でもコンプレックスはコンプレックスなんである。


人の悩みは理解されないものなのだ。

歴史書の偉人たちが長きの人生の末に辿りつくような悟りを開いたのは十六の時だから今から三年前になる。

壮絶なコンプレックスを打ち消すべく、そしてちょっとでも女の子に見られるよう血の滲むような努力をしたが、あまり効果は現れていない。

背中が長いせいで髪を下ろしたら腰にまで届いてしまう始末だ。


ジャックのあほにモデル体型と言われたことがあるがモノには限度というものがあるだろう。

どこの世界にこんな縦長女がキャットウォークで歩くというのか。

将来の夢は可愛いお嫁さんになるなど甘っちょろい戯言を夢想する時代は終わった。シャカ教のえらい神様へ、その前にわたしを女の子に戻してくれ。


十五を境に急激に伸び始めたわたしの身長は今では190を超え、あのオリバーさんよりも高いという。

以前男バスに所属するジャックから女バスにどうよ?とかヘラヘラ笑いながら勧誘されたが入るわけないやろ、このあほ死ね!と地元の言葉が飛び出てしまい十分近く笑い転げられた。

だから人一倍女らしくいることに努力を払っているし、訓練や座学がない時間はできるだけコンプレックスを感じなくて済む時間の過ごし方をしているのだ。

その一つが名もなき一匹の猫と校舎群の外れにある裏庭で密かに戯れること。


誰かの飼い猫なのか、はたまたどこかから校内に紛れ込んできたのか、目の前のぶち猫はわたしが好きらしくよく一緒にいる。

このふてぶてしい顔が気に入ってて、常に不敵な面構えのミロ先輩に似てる気がする。この子が相手ならわたしはコンプレックスを意識することもない。

なんて寂しい女なのだろう。でも仕方ないじゃない。

でも身長を笑われたら、切れるか泣く。

多分日によってどっちかなのが何を隠そうこのわたし、ロマンチスト☆のウリカ=ロトキンなのだ。



昨日書いた日記には絵心の欠片もない気の毒な猫の絵が描かれているが、本人は至って真剣だ。

ロマンチストの文字の後ろに赤鉛筆で星を書き足したウリカはうっとりと満足げな表情を浮かべた。

この何事にも、うっとりというのが彼女的にはポイントなのだ。


「おい、そこの大女」

「…オーンナ?」

「おう、お前だよ、大女」

「わたしは女ですけど、何か?」

「…見りゃ分かる」

「え、分かります?わたしが女だってこと」

どこからともなく現れた物騒面の男たちにウリカは顔を輝かせた。


「てめえ、舐めてるのか?」

「おい派手な姉ちゃん、お前イーギスのやつだろ」

ドスを利かせた声で男たちがにじり寄り、ウリカを睨み付ける。

派手な姉ちゃんというのはウリカの見た目を指していた。

マーセル女子の間で高い購読率を誇るキュートに掲載されている内容は何でも実践するのが彼女の揺るぎないポリシーである。

長いつけまつげを二、三度パチクリさせた彼女は真っ赤なルージュを塗りたくった唇をしおらしく開いた。

ちなみに、このしおらしくというのも彼女的にはポイントだったりするのだ。


「はいそうですけど。二年のウリカっていいます。所属科は槍の…」

「お前に用なんかねえんだよ。今から名前を言うやつのとこに連れていけ」

猫の背中を撫でながら体育座りのウリカが首を傾げる。

両耳の銀のピアスが光を弾き大きく揺れた。


「案内だったら業務課に行ったほうがいいと思いますよー。わたしメンヘラみたいだから、あまり出歩きたくないんです」

「おい、こいつ頭おかしいんじゃねえのか」

「俺らはシシリー・マッツだぞ」

見るものが見れば彼らがシシリー・マッツだと知れるのだが、あいにくウリカは誰だか分かっていないようで、仕事を果たした小さな満足感からやはりうっとりと微笑んでいる。


そして何かが閃いたのか突然ポンと手を叩きだした。

「あ、でもロキ先輩のようにできる女ならこういう時は案内をしてさしあげるのかも。女の子を目指すよりも淑女になれば、ばーんってライムを超えられる。うん、そっちのほうがお得よね。あ、やっぱり案内します。どこ行きたいですか?」

「…やっぱり舐めてんだろ、お前」

世間を震え上がらせる悪名も彼女には通用しないらしい。


にわかに殺気立つ男たちが廃材を蹴りつけた。

音を立てて崩れ落ち、猫がウリカの元からのそのそと離れていく。

音に驚いて逃げ出したというより、煩くて眠れないから離れるという見上げた後ろ姿を残して校舎の裏に消えていった。

一人と一匹による想定外の舐められ方で、顔を赤くした男たちが仲間内で話をする。


「面倒くせえな。あまりモタモタしてたらいっぱい集まってくるぞ」

「おれはあいつらさえ殺せたらそれでいいんだが、別にイーギスのやつなら誰でもいいんだよ。俺に恥かかせやがった罪を償わせてやるぜ」

先頭にいる猫背の男の黄ばんだ歯の隙間から低い笑声が漏れた。

「おらー!出てこいや、ノエル=フロリアン!」

「いるんだろ、待たせんじゃねえ!」

きょとんと見つめるウリカは何の役にも立たないと結論付けたのか、男たちが口々に怒号を上げる。

近くに古びた建物があるだけの殺風景なイーギスの裏庭に場違いな殺気がにわかに立ち込めた。




正門を抜ける前に異変に気付いたジャスは白いフードの下の視線を険しくした。元より愛想のない顔つきなのは生まれつきだし、自分でも自覚している。

(何かあったか)

守衛の男たちが泡を吹いた事態を見るに何かが起きているのは明白で、それが普段の目つきを鋭利にさせた。

叩き起こそうにも反応がなく完璧に落ちている。

何かに殴打されれば跡もつくが、彼らが何かに抵抗した様子もない。


イーギスの守衛は決して非力ではない。

屈強とは言わないまでも警備をするに足る実力は備えているし、大概のリスクなら何者かが敷地内に侵入する前に彼らが未然に門前払いにする。

となれば、何かしらの奇襲を受けたということだろう。

生憎のところその正体は分からないが、どうやら穏やかな事態ではなさそうだった。

最初の見せしめとばかりに、業者に丁寧に手入れされた草花が無残に踏みしめられている。


恐らくここを通過した。

足跡も一つではなく複数。どんな理由があるのか知らないが、侵入を図った者たちはどうやら相当の無粋者なだけではなく、頭の悪さも際立っているらしい。

舗装された道なりを行けばいいものを何を好んでわざわざそこを進路に選ぶなど、取り残してきた守衛といい、良からぬ何かがこの先で起きていると誰でも容易に想像できる。

乱暴な足跡は自分が寝床にしている裏庭に続いていた。


勝手知ったる道を注意深く歩んでいくと、まず最初に視線の先に木にもたれた同級生のウリカの長身が目に入った。

相変わらず緊張感の欠片もないピントのずれた見た目をしているがそれはいつものことだ。

何があったのか聞くのも面倒だが、彼女なら何かを見たかもしれない。


そう考えた時、不躾な口汚い叫び声が耳に入ってきた。

突然の何かに備えられるよう、肩の力を抜いたジャスは両の視線を眇めながら朽ちかけ間近の建物の角を折れる。

そして目にした光景に予感の的中を覚え、ジャスは首を振った。

正門で起きた異変の根源が誰の仕業によるものかは、男たちが着用する特徴的な黒服により如実に示されたからだ。


「ここで何をしている」

ジャスの誰何の声に猫背の男がぎょっとした顔で振り向いた。

「…!何だお前。お前もここのやつか」

「質問は俺が先だ。何をしている」

誰だ、とは聞かない。

正確に言うと誰かはどうでもよいが、どこの者かは一瞬で分かる。

なぜなら二年前まで他でもない自分自身が同じ色の服を着ていたからだ。


「チビのくせに随分いきっちゃってくれてよお」

「あ、ジャスいいなあ。わたしもチビって言われたい」

ジャスに気付いたウリカが顔にかかった内向きの毛先を指でもてあそぶ。

それよりいきなり名前を出すなと言いたい。

ただそれでも男たちが表情を変えていないのを見ると、おそらく自分がどこの誰であるかも知らないということだろう。

自分を知る組織の人間なら、こんなバカな対応は絶対に取らないからだ。


「黙れウリカ、というかなんだその格好は」

「今日はチーク入りのウリカよ。可愛いでしょ」

「…一度に色々やりすぎるから、そんなピエロみたいな外見が出来上がるんだ」

ジャスは面倒くさそうな表情を惜しげもなくさらけ出す。

無視すればいいのだが、目があった以上は指摘せずにはいられない。

組み合わせが滅茶苦茶でも黙っていれば悪くないだけにその残念な性格が惜しい。


「お前らのその黒服。シシリー・マッツの構成員だな。もう一度聞く、ここに何しに来た?」

相手の人数は十四人。

一人で一気に相手にするには少々骨が折れそうだ。


「こいつ何で偉そうなんだ?」

「立場が分かってないみてえだな、どうする?」

「まあいい。どうせ殺されるだけだが、その前に理由くらい教えてやってもいいだろう」

「あの、ごめんなさいですけど、わたし、誰かに殺されるんですか?」


男たちは物騒なことを言い合っているが、空気を読めない気の抜けたウリカの一言が全てを台無しにする。

脱力しかけた身体を強靭な精神力で立て直したジャスは低く冷たい声を長身の女に投げ捨てた。


「ウリカ、口を閉じていろ」

「いいじゃん、口で息するほうが楽だもん」

ジャスはそういう意味で言ったのではないが、あながち的外れでもないと思った。

もはや無意識の癖なのだろうが何をするにしても、ウリカはいつも口が半開きだからだ。

だから普段のピント外れの発言も手伝って、余計に間抜けさが際立つことになる。実際どうでもいいことだが。


「お疲れ。お前はもう帰って寝ろ」

「なによー、わたしにだって知る権利くらいあるでしょうよ。あ、わかったーあんた。わたしがメンヘラだからって頭の弱い女だって思ってるでしょ。そうに決まってる!でもねっ、聞いてよ。ついさっきロキ先輩やメニフィス教官のような淑女を目指すことにしたからわたし。努力をする人に対して失礼な人。なんでなの、ねえなんで?」


立ち上がったウリカはここにいる誰よりも背がある。

女とはいえ、そこは百戦錬磨の強者が揃うイーギス。

本来ならここで一瞬でも緊張が走る場面になるはずだが、破滅的なまでのウリカの天然っぷりに誰も二の句が告げない。


ここまで人は牧歌的になれるのだろうか。

ウリカのせいでどうにも緊張感が高まらない。

ジャスはかろうじてこめかみを押さえながら低く唸った。

「…このバカのことは無視してくれ」

ハトにも豆鉄砲。シシリー・マッツにもウリカ。

自分の素性を知らないチンピラの成り上がりとはいえ、マーセル中に悪名を轟かせる彼らでも得体のしれない生物を見た時の反応はだいたい同じようなものになるらしい。

ジャスは力なく溜息を吐き、口を開けて固まる彼らに向けて同情に近い顔を向けた。

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