仮初の玉座 #34 不作の年だと言われても

「選抜。ノエル、あんたも出るんだろ。私はさっき申し込んできた」

老朽化の激しい外れの調理室でフランと料理雑誌を見比べていたら、しばらくしてアリアンが入ってきた。そして開口一番ノエルに向けて告げた言葉がこれだ。



一年生の統士長を務めるマクシミールの説教が再び自分に向けられる前に、デュオと食堂で別れたノエルはアリアンが来るのを待っていた。

すでにいたフランは街の中古本を扱うお店で料理本を何冊か購入してきたらしく、レシピを見ながら何を作ろうかと悩むのに忙しい。


必須科目である戦技訓練を一時間後に控えたノエルと違い、魔術科の彼女は午後には何の授業も入れていないらしく、ひよこ柄がプリントされたエプロンの格好で料理本片手に臨戦態勢を整えている。

進級に何の不備もない成績を収めていながら、諸事情により同じ学年をもう一度繰り返すことになった彼女はすでに必須科目を履修済みなので人よりも空き時間が多いのだ。


先日部員が一人しかいない家庭料理研究会に入部することになったノエルに一歳年上のこの部長はとても良くしてくれた。

まるで最初からいたかのような気さくさで接してくれ、変に気を回すこともない。


誕生一年にも満たない弱小研究会への入部をノエルが選んでくれたことを純粋に喜んでくれているのが伝わってくる。

その好意の裏返しなのかもしれないが、イーギス憲章に明記された校内融和の真逆を行く現在の惨状は新参者にフレンドリーとは言い難く、母性の塊のような彼女の人柄はノエルにとってありがたい。

去年一年間、周囲に馴染めなかったライムが唯一彼女には心を開いていたのがよく分かる。


学長専属秘書の任にある多忙なロキを頼ってばかりもいられず、かといって頼りたい周りの同級生はノエルから一定の距離を置いている中で、ライムではないが編入生という立場上なかなか馴染みにくいところもあった。

人見知りで引っ込み思案なライムと違い、ノエルは自分から友達を作れるタイプだが、いかんせん周りがこうでは、のけ者扱いに心当たりがないだけにどうしようもない。

だからノエルからも積極的に声をかけることはしなくなった。

そこでノエルの前に現れたのがデュオだ。


あの人懐っこい童顔の青年はどうも自分と一緒にいられることに至上の喜びを見出しているようだが、ノエルにはそれがなぜだか分からない。

そんなにあたしと一緒にいて楽しいの?と前に何となしに話を振ったことがあるが、両耳を真っ赤にして激しく照れているのが印象的だった。

その時たまたま一緒にいたフランが溜め息混じりに苦笑していたが、やはりこれも分からなかった。


色々と隣人の仕草や言動に腑に落ちないことはあるが、なにはともあれ、数少ない男子生徒の知り合いの一人であるデュオ=ゼルフィガーはありがたい存在には違いなかった。

剣の腕も自分より上で実に張り合いがある。

ただ、やはりそこはノエルも十八歳の女の子なので、同性の方が積もる話もしやすい。


遠慮もいらず、質問には何でも丁寧に答えてくれる話し上手で聞き上手でもあるフランのおかげで、ノエルはここ数日の間でイーギスの内部抗争から教官たちの性格に至るまで、これまでなんとなくしか理解していなかったことを一挙に頭に詰め込むことができた。


彼女が地元で作っていたという家庭料理に舌鼓を打たせてもらいノスタルジックな感動を覚えたこともあり、改めてここに入って良かったと心から思えるノエルである。

彼女といればホッとする。

そしてそれはやはりあの気難しいアリアンにしてもそうなのだろう。


なにしろ彼女と一緒だと明らかに口数が多い。

相変わらず目つきは鋭いものの、実際その光景は先日目の当たりにしているし、フラン相手に軽口を叩きながらもリラックスしている同じ剣術科の同級生の表情は激情を纏っていた彼女とは別人のようでもあった。


ジャスを殴った。


それはやはり気になるし、彼女が言った言葉も気にかかる。

「このおぼっちゃんはあたしに殴られても文句は言えないはずだよ」と確かに言った。

何のことか皆目見当もつかないが、一つ分かったのはお互いに浅からぬ関係だということだ。

なにやら因縁めいたアリアンの捨て台詞が妙に心に引っ掛かる。


現場に駆け付けた二人の教官に散々に絞られた後、アリアンを探しにノエルは校内中を見て回ったが金髪に褐色の肌という特徴的な風貌を持つ彼女の姿はどこにも見当たらず。

張り詰めた表情で屋上に向かっていったと女子生徒の一人が教えてくれ、着いた時には彼女は手摺に半身を預けながら、ぼんやりと空を眺めていた。先ほどまでの怒りはどこにも見当たらない。


ノエルが来たことには気づいていたようだが、返事はどこか上の空でその時会話らしい会話は生まれなかった。

だからあれから一日を挟んで今日再挑戦というわけだ。


古びた外観と無造作に這いまわる蔦のおかげで、いっそある種の近寄りがたさもある調理室の入った建物だが、ゆっくり過ごせるし誰にも邪魔されないのでノエルはすでに居心地の良さを感じていた。

何でもかんでも綺麗すぎるイーギスにあって唯一浮いた場所かもしれないが、せかせかした気分を落ち着ける場所としてはうってつけである。


アリアンがどこかから拾ってきた三人掛けのソファはまだ使用に耐えるもので訓練で疲れた体を休めるにはちょうどいい。

アリアンの定位置でもあるそのソファにはノエルの上着が掛かっているだけで、主の帰還を今か今かと待っているようだった。


新作料理開発に忙しいフランに付き合う形でカエル柄のエプロンを巻き、気をもみながらアリアンの到着を待つ。

二十分後、立てつけの悪さで不評を買う調理室の扉が開いた。

フランには悪いが、こんな辺鄙な部室に来るのは自分と彼女を除けば当然一人しかいない。

そして予想していた通り、アリアンがいつもの不愛想な表情のまま入室してくる。


(でも、いきなり話題にするのもどうかなあ)

今になって逡巡しまごつき始めるノエルをよそに、アリアンは整った肉厚の唇を震わせる。

「ノエル、ちょっといいかい?」

美人だが女性らしい所作が欠片もないもう一人の部員の口調はいつもの硬質な響きに覆われていた。



料理本片手に鍋に火をかけながら、フランは二人のやり取りを黙ってみているが会話には入ってこなかった。

「やりあおう。あんたの剣には興味があるんだ」

最初はびっくりしたが、こういう話は元々ノエルも好きだ。

ソファで足を組む彼女に向けて、ニヤリと笑みを返す。

「あたしもだよ」


夏の選抜が近づいているとあって、武芸科の間ではにわかに浮足立つ雰囲気があった。

その先には聖ランスロットへのチケットがあるのだ。

誰もが憧れる舞台である。

そこに立てる可能性があるなら、せっかく用意されたチャンスを不意にするのはもったいない。


「でも多分アリーの方が強いよ」

「そんなことはないさ。たとえそうだったとしても、わたしは張りのある相手と真剣勝負がしたいんだ」

「訓練の中じゃできないしね。だからガチができる選抜の場でってことか」

「そういうこと。おあつらえの舞台だろ」


女子ともなればやはりそのほとんどが非戦闘訓練科である一般科に集中するのは恒例らしく、剣術科と槍術科といった武芸科に在籍する女子の数は一年全体の過半数どころか二十名にも満たない。

だからこそ男子を時に圧倒するノエルはいやがおうにも目立つし、同性のアリアンもまた同じことが言えるはずだが、ノエルとしては自分の才能以上のものを褐色の同級生に見ている。


知り合って間もないこともありアリアンと手合わせしたことは一度もない。

だが、先日のジャスを殴った時の彼女の様子を一番間近で見ていたので、なおさら強くそう思っていた。


「ノエル、あんた聞いたけど、カスパーとヤンセンに張るんだろ?それなら一年の中では上位に入れるはずさ」

「その二人ならかろうじてってとこかな。デュオにはこてんぱんにされたけど」

その二人の男子は不作と評される今年の一年生の間では有望と見なされている。ノエルはこの二人にも一度も勝ったことがないが、騎士団で正規の厳しい教育を受けたデュオほど手も足も出なかった相手ではない。

「デュオ=ゼルフィガーか。育ちの良い坊ちゃん風だけど、ああ見えて今年の筆頭株らしいね」

アリアンはメラメラと瞳を燃やしながら続けた。


「でもわたしは最初からわたしたちの代の先を見てる。だから上と真剣勝負ができる選抜に出るんだ」

「本当に戦うのが好きね、あなたって」

鍋の中をかき混ぜる手を止めて、フランが呆れた声を出す。

「強いやつと戦うのが趣味なんだから当然さ」

「見習いたいくらいシンプルね、あなたの行動原理って。まるで肉食獣みたいな闘争本能。男子でもそこまでギラギラしてる子はいないんじゃないかしら」

「ふん、男どもが情けないのさ。弱けりゃ誇りは守れない」


どこかイキイキしたアリアンにノエルも呼応する。

「楽しみがいっこ増えた」

「…楽しみ?」

「だってランスロットに出れるかもしれないじゃん」

「…まあ可能性はゼロじゃないけど、流石に上級生のものだろそれは」

これまでのイーギスでは七年前の例外を除き、一年から出場したものはゼロだ。

上位四名は毎年上級生で占められており、聳え立つ高い壁と揺ぎ無き狭き門は生半可なことでは通過できない。


「ま、そうなるかもしれないけど、行けるかもしれないし。やってみるまで分かんないって」

目の前のアリアンへの勝算は低いのにランスロットに行く。

自分でも矛盾じみた無謀を言ってるのは分かっているが、ノエルとしてはだからといって別に諦める理由にはならないのだ。


「四人しか挑戦権はないんだよ?分かってるかい?」

「もちろん。その四人のうちにあたしとアリーが入ればいいんだよ。それだけだよ」

「口で言うのは簡単だけど、あんたが思ってるほど簡単なことじゃないよ」

誰が聞いても至極全うだと思える反応を見せてもノエルが意に介した様子はない。

それを見てとったフランが体を揺らせて笑い声をあげた。

鍋からいい匂いが漂ってくる。


「アリー、これがノエルなのよ」

「余程の自信があるのか、余程考えが足りないのか。ビッグマウスでもなさそうだし、よく分からないやつだねあんたも」

「びみょー。誉められてるのかけなされてるのか、びみょい」

「ああ悪い。けなしてはいないよ」

頬を膨らませているノエルにアリアンは薄い笑みを浮かべた。


フランがお碗にスープを取り分け、ソファに陣取るアリアンを呼び、二人に振る舞う。

「私から選抜についてちょっと教えてあげるわね。二人とも情報は身に着けておいて損はないと思うよ」

「おおー。いろいろ詳しいんよね、フランって」

「だって去年見てるからね。魔術科でも関心は高いのよ」

脱いだエプロンを綺麗に畳んだ家庭料理研究会の代表はポットからお茶を注ぎ、人数分を色褪せた工作用の作業台の上に置く。


部費がほとんど下りないため廃材置き場から拾ってきた処分品だがないよりはいい。

「そうなんだ。じゃあライムも見てるんだね。がんばんないとっ」

フランが作っていたのはポトフだった。

そしてそれはアリアンの大好物だとノエルはフランから聞かされている。


イーギスでは最初は剣を少し扱える程度でも、初歩的な魔術しか使えない程度でも、次第に洗練されていき自ずと精鋭化されていく。

その中でも傑出した才能が一堂に会するのが夏の選抜だ。


二年生剣術科のジャス=シシリーを筆頭にジャック=フィッツロイ、ウリカ=ロトキンなどの使い手が次点として後を控え、豊作の年の名に恥じぬ猛者揃いの陣容は今年の新入生とは比べ物にならないとさえ言われている。

一年間の厳しい訓練を耐えきった生徒たちの勢いは本物で、二年次から課外活動の一環として行われる民間企業や公機関といった依頼者の身辺警備やリスクマネジメント活動は高品質と高評価だ。

ここでの確かな実績は将来のリクルートにも繋がる。


その流れを作ったのは現三年生だが、この世代にもなると現在は五十四名しか在籍しておらず、こうなると下級生との日常的な接点はほぼ皆無に等しかった。

三年のオーガ=ファーニヴァル、ミア=アルケマが実質的に学内最強を誇るのは卒業を翌年に迎えた四年生が常時学外にいるためだ。

最上級生は人数にしてたったの二十七名。


去年一年間をイーギスで過ごしたフランがかろうじてミヒャエルという先輩を知っているのみで、どこにいるのか、何をしているのか、とにかく全てが秘密裏で誰にも知らされないという。

裏を返せば、それを知るのは自分たちの代が当事者になる三年後ということらしい。

イーギス卒業生であるジェフレンやメニフィスなども先達として同じ道筋を進んだけわけだが、フランが以前あらましを尋ねた時にはかん口令を理由に回答を拒まれている。


選抜の舞台では強烈なクオリティー同士がぶつかりあう。

海外からの参加者も募り、国の威信を賭けて開催される聖ランスロット儀剣模擬試合には及ばないが、それでも学生間の白熱した真剣勝負を観るために準々決勝からは外部の人々にも閲覧が開放され、単なる学内行事を超えた様相を呈し始める。

去年一年生だったジャス=シシリーは健闘したものの惜しくも準決勝で散った。

その彼を負かした相手が現三年生のオーガで、盟友のミアと共に彼もランスロット行きのプラチナチケットを手にしている。



「と、まあこんなところかしら」

「ライムも最近いないし、そういうことだったんだね」

食べ終えたノエルが口の周りをティッシュで拭きながら一人ごちる。

「…一言目がそこか。選抜の話じゃなくて」

「あの子は確か中央駅の向こう側にある貴金属を扱う会社に行ってるはずよ。ジャックたちと一緒のようね」

フランはすでに慣れているのか、ノエルの調子にも惑わされないようだ。


「あのふざけた男か」

顔を顰めながら胸元から取り出した綺麗なハンカチでアリアンは口を拭いている。

女性特有の柔らかさは微塵もない彼女だが、何かと雑なノエルと違って、エチケットやマナーの類は心得ているらしい。


首を傾げるノエルにフランが気づく。

「あ、ノエルはまだ会ったことなかったか。マルコ教官の弟よ。全然似てないけど」

「へえ」

咄嗟に思い浮かんだのはあの特徴的な赤いモヒカンだ。

あんな見た目ならさぞ人目に付くだろうがフランは似てないと言っている。

「あの気難しいジャスと気の合う人間もそういういないけど。自称ジャスのマブダチだから」

気難しさで言えば、隣にいるもう一人の部員も引けを取らない。


「ああ、あいつかあ」

首を巡らせたノエルが隣にいるアリアンの顔を見つめると、彼女も自分を見ていたらしく視線が合った。

「なんか聞きたいことがありそうだね」

「うん?喧嘩のこと?」

「え、また喧嘩したの?!アリーあなたほんといい加減にしないと」

流石のフランも責めるような口調だ。

停学明けなのだから無理もないのだが。


「待ってフラン。アリーもなんか訳ありみたいな感じだったから」

「まあ訳ありっていうかね」

「あ、でもいいよ無理しなくても。知りたいけど、話したくないならあたしは別にかまわないし」

「いや、話したくないわけじゃないんだ。いずれ皆も知るところになるかもしれないけど、今はただね、もうちょっと待ってくれないか」

「おけー」

普段勝気な彼女の表情に明らかな陰りが差す

。口もどこか重い。

ただ、昨日の騒動後のアリアンのだんまりを思えば、それが聞けただけでもノエルとしては収穫だ。


「あのさ、さっきからずっと思ってるんだけど、外うるさくない?」

「そう?まあ言われてみれば」

外に向けて耳をすませてみるフランだが、ノエルほど明瞭には聞き取れていないようだった。

「確かに。あんた耳いいんだね。なんか争ってるようにも聞こえる。ただいつものことじゃないのか」

大小を問わなければ、イーギスでは学生間の争いなどもはや日常的な光景で常にどこかで起きている。目にするかしないかの違いでしかない。


「いや、大人の声?…なんか聞き覚えのある声のような」

「そんなに気になるなら行ってみるかい?」

フランの絶品も平らげたし、午後の戦技訓練開始までまだもう少し時間がある。

アリアンの提案に頷いたノエルは急かされるような足取りで入口に向かいノブに手をかけた。


一発の銃声が三人の鼓膜を震わせたのはその時だった。

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