仮初の玉座 #30 彼の定義と彼女の信念②
騎士団の同僚の手も借りた兄により、丁寧に説き伏せられたデュオはこうして初めて異国の地に降り立つことになったわけだが、素朴で気高い騎士団の気風の中で年を重ねた彼にとって異文化の荒波は容赦なく純粋な青年を捉えた。
兄だけではなく気心の知れた同僚も快く送り出してくれた手前、だからといって安易に出戻り、国費を無駄にするわけにもいかず、新天地での厳しい訓練の中にやり場のない感情をぶつける日々をひたすらに送った。
それは郷愁を忘れようと努力してる矢先のことだった。
鬱々とした日々を二ヵ月ばかり過ごした時、デュオはマルコ教官の戦技訓練の中で一際目立つある少女と組手を行うことになった。
それが彼の妄想の中に出てくるノエルである。
噂によると、なんでも危険人物認定されている上級生相手に華麗なローリングソバットとアッパーカットを決めたとか。
ニュースバリューのある噂に尾ひれはともかく、はひれまでべったりくっ付いてくるのはどこの世界でも同じらしい。
ともかく、男子相手にも堂々と冴えわたる剣技を披露し、終始嬉々とした表情の彼女に純粋に興味を持ったのだ。
思った以上に早く対戦が実現し心躍ったが、型にはまらないノエルの猛攻の中にデュオは自分が知らない何かを見た。
ノエルはデュオを格上と見なしているが、当人にとってはそこまで楽観視できる対戦ではなかったのである。
膂力も速度も堅実さにおいても、自分が彼女のそれを上回っているのはすぐに気付いたが、何をしてかけてくるのか予測できない怖さがあった。
だからそれを繰り出される前に早々に決着をつける必要があったし、一戦目こそ様子見で騎士団で染みついた戦法を忠実になぞったが、二戦目は先手を取って出鼻をくじき、三戦目は攻め疲れで動きの鈍ったノエルを瞬殺せしめたのだ。
一年生ではいくつかの例外を除き、基本的に達者な上級生と剣を交えることはない。
入学から二ヶ月間で同級生の間では頭一つ抜けていることをすでに証明していたデュオだったが、ノエル相手に三連勝を飾った喜びがそれほど大きくなかったのは、その初対戦で目の前の女性が全身を使ってありったけの悔しさを表現した後、実に晴れ晴れとした、いささか爽快にすぎる笑顔を見せたからだ。
自分の剣がイーギスでも十分に通用することは分かっていた。
敗北を喫した者は大概の場合においてデュオとの次戦を拒絶したものだが、この女性はどうやらそうした多数派の感情とは無縁であるらしい。
ノエルにとってのデュオとは自分をコテンパンに負かしてくれた記念すべき好敵手である一方で、デュオにとってのノエルもまたあらゆる意味で衝撃的だったのだ。
外部との接触はおろか、全てが緻密に予定された騎士団の日常で二年余りを過ごしたデュオ=ゼルフィガーはこの出会いを純粋に喜んだ。
元々人付き合いの悪いタイプではないが、それは得てして狭いコミュニティーの中だけの話であって、箱入り娘ならぬ箱入り息子として大切に育てられたおかげで、何かにつけ視野が狭くなりがちなのは彼の兄が心配しているところではあった。
異性との関わりなどろくにないまま十八年を過ごした青年としては、人生で始めて迎える青春とやらにノエルの美化は留まるところを知らない。
ノエルの姉代わりのロキあたりが聞けば一笑に付されておしまいだろう。
だがそんなことはデュオには関係ない。
仕方ないのだ、気になってしょうがないのだから。
初めて会った日から数日、脳内で繰り返されるイメージは完全に自分の願望で構成されている。そんな薔薇色の世界に酔狂な突込みが入り込む余地など一ミリもないのである。
だが物理的な衝撃ばかりは別だったらしい。
物凄い速さで飛んできた消しゴムが妄想の世界に浸るデュオの頭を痛打する。
「いっ!」
「デュオ=ゼルフィガー!なんだその上の空は、そんなに俺の講義はつまらないか!」
新任のジェフレン教官が二枚目な見た目に反して、とかく周りの反応や評価を気にしすぎる心配性というのは彼の講義を受講する生徒達だけではなく、ほとんどの生徒が知る半ば公然の秘密である。
卒業後、一年の外部研修を経て正式に母校に赴任した彼の授業は本人には絶対に言えないがとにかくつまらなかった。
タメにならないわけではないのだが、この点は生徒受けだけではなく講義受けもすこぶる良い指導暦四年目のメニフィス教官とは真逆である。
必修ではないのでサボろうと思えばいくらでもサボれるが、騎士団出のプライドが不真面目な自分を許さなかった。
「え、…あっ!」
ガタッと立ち上がると、講義に出席している全生徒が自分を注視していた。
我に返ったデュオはその場で直立し、階段教室の一番下の演台で睨んでいる長身の教官に向けて声を張り上げた。
騎士団風の礼が咄嗟に出てしまったのはご愛嬌である。
「し、失礼いたしました!」
「貴様。今から十分間、五センチ腰を浮かしておけ!そうすれば目も覚めるだろう」
くすくすと周りがざわつく教室でデュオは思いっきり赤面する。
どうやら再三名前を呼ばれていたようだが、飛躍した妄想のしすぎで耳が役立たずになってしまっていたらしい。
教官の叱責を受ける羽目にはなったが、薔薇色の中身が言葉で漏れていないことに心から安堵した白金頭の青年は周囲に詫びながら、すごすごと着席した。
規則に煩い騎士団で育ったデュオにとって、隊長や教官の命令は絶対だ。
五センチの隙間は断固死守せねばならない。
「おい、それは六センチだ」
「マックス…、そりゃないよ。ちょっとくらいイイじゃないか」
絶対じゃないのかオマエ。
「ダメだ。剣を嘱望された男が誰も見ていないのをいいことに楽を選ぶなどあってはならない。祖国に報告されたいのか」
「わ、分かったよ」
マクシミール=エスヴァインが隣に座っていたことをついつい失念していた。
彼の眼鏡の奥にギラリと光る眼光が自分を射抜いている。
思い返せば先ほど彼から肘をつつかれていたような気がしないでもない。
教官に気付かれる前に夢から現実に戻そうと自分のために努力してくれていたようだ。
珍しいこともあるものだ。
面白くなさそうに鼻を鳴らし冷たい視線を向ける同級生からも叱責を受けることになったデュオは腰を少しばかり沈め、頭から雑念を追いやり、今度は真面目に受講することにした。
足腰がきつすぎて他の考え事をしている余裕は流石の彼にもないのである。
その時教室入り口が勢いよく開いた。
壇上のジェフレンだけではなく、デュオも含めた全生徒の驚いた顔が無作法な到着を果たした編入生に一斉に向けられる。
「すみません、遅れました!」
「いきなり扉を開けるな馬鹿者が!危ないだろうが!」
「ごめんなさい!許してください!」
「何を堂々と。許すか、馬鹿者が。五分遅刻のバツとして貴様も五センチ腰を上げて講義を聞いていろ!」
「うえー、嫌すぎるおしおき」
「少しは反省しろ、馬鹿者が!」
馬鹿を三連発されただけではなく、はたきのようなもので頭をバシッと叩かれたノエルが頭を抑えて教室の脇からぶつぶつ言いながら上がってくる。
「ノエルさん。マックス悪いけどそっちに詰めて」
気付かずに通り過ぎようとしていたノエルをデュオは小声で呼び止めた。
隣のマクシミールは何も言わずに一席分移動してくれたが、眉間に深い皺を刻み燃えるような瞳を向けられていることには幸か不幸か気付いていない。
「あれ、デュオ?あんたもその罰受けてんの?」
「…え、ええ、まあ」
まさかあなたの妄想が原因でやらされてます、など当人に知られるわけにはいかないデュオがしどろもどろで返答する。
ノエルはデュオの隣で苦虫を噛みしめている男に気が付いた。
よく見ると自分達ができるだけ視界に入らないような角度で講義を聞いている。
「あ、マクシミール。あんたはケツ上げしないの?」
「…女がケツと言うな下品なやつめ。俺がお前達のような粗相をするわけがないだろう」
「ふん、何よ」
着席したノエルはマクシミールに向けて聞こえるように鼻を鳴らす。
講義中だと言うのに会話が弾んでいるが、当然ながら小声である。
「ノエルさん、汗、かいてますよね?」
「ちょっと走ってきたんだ。こんなにも遠いのかと思わなかった。はー、あっつ」
「あの、良かったらこれぼくのハンカチですが」
どこかぎこちない様子で上着の内ポケットからハンカチを取り出したデュオが息を切らせたノエルを向いた。
だが意を決した表情で唇を引き絞る青年の勇気は残念ながらノエルには伝わらなかったらしく、教科書などを団扇代わりにして風を火照った顔に浴びせている。
「ありがと。でも大丈夫。自分のあるし」
世界の終わりを迎えたかのごとく悲しそうにうな垂れるデュオにノエルは首を傾げる。
講義中だと言うのに全く集中していない二人に向けて、煩わしそうな表情を満面にしたマクシミールが眼鏡のつばを押さえながら冷たい声を投げかけた。
「静かにしろお前ら」
「なによ、真面目ぶっちゃってさ」
「何?」
息を整え小声で毒づくノエルにマクシミールが反応し険悪な視線を向けた。
眉を顰めるマクシミールと喧嘩腰のノエルが火花を盛大に散らしあう。
間に挟まれたデュオはいい迷惑だが、再び壇上の教官が自分達に壮絶な睨みをくれている事に気付き肝を冷やした。
「反省一つできないくせにご立派に苛苛はぶつけてくるんだな。自分勝手な女を相手にするとどっと疲れるぜ」
「なにー、あんたのご大層な説教なんか聴きたかないのよ」
「ちょっ、二人とも。教官が見て…」
「お前ごときに説教などするか阿呆め」
「ふん。一年のまとめ役してるくせして性格悪いったら」
「
「あんだって!」
「ノエルさん、こ、声がでかい…」
いついかなる場合でも誰が相手でも物怖じしない彼女の性格は誇るべき長所かもしれないが、今に至っては無用の長物でしかない。
怒りで肩を震わせている新任教官の形相を見たデュオは今や大声で罵詈雑言を飛び交わせる二人の静止を諦め、厳罰を甘んじて受け入れる覚悟を決めた。
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