仮初の玉座 #29 彼の定義と彼女の信念①

様々なクラブの部室が入っている専用棟は業務課がある建物や訓練場に使用される建物とはまた別にあるらしい。

が、その区画さえも通り過ぎたフランが首を傾げながらも何も言わないノエルを引きつれ、目当ての場所にたどり着く。

そこにあったのは木々や蔦が縦横に這い回るいくらか古めかしい色褪せた建物だった。


他の建物と比べると見た目のボロさは歴然で、要塞のように堅牢で、かつ機能美と様式美を兼ね備えたイーギスにもこんな場所が存在するんだとノエルは感嘆にも似たため息を漏らす。

どことなく老朽化の進行が色濃く修繕の手が入っていない地元のそれを思い起こさせた。


だがすでにこういうものに免疫があるノエルにとっては気になるほどでもない。むしろ胸中に懐かしさを覚えるくらいだ。

おもむろに戸口を開けたフランが中にいるであろう人物に早速声をかける。

「ただいま。見学希望者よ、アリー」

「お帰り。あ、あんたよく会うね」

「あれ、アリアン?」

そこには真剣な表情で時計を眺めていたアリアン=カルミアがいた。


手にしていた書類を机の上に置き、フランが二人を見比べる。

「知ってるの、お互いに?」

「うん、ちょっとさっき助けてもらってさ。自己紹介はいらないと思うよ」

「何かあったの?」

「何でもないさ」

フランは純粋に好奇心を覗かせただけなのだろうが、問われたアリアンはどうでもいいよとばかりに手を振る。

煙に巻かれたフランが小さく憤慨した。


「もうっ、教えてくれたっていいじゃない。面倒臭くなったら、すぐにはしょるんだから」

「すでにいる部員ってアリアンのこと?」

「そうよ、この子とわたしの二人だけ。へへ」

「去年フランが創ったのさ。でも去年は部員が一人も来なくてフランだけ。で、わたしが入学した今年になってようやくクラブらしくなったというわけさ」

アリアンはすまし顔で言いのける。

他人事のように言う褐色の同級生を一睨みしたフランはノエルにパイプ椅子を勧めた。

そして苦笑い気味に一つ嘆息した。


「相変わらず嫌な言い方してくれるわね。ま、そういうことなの。部員はわたしとアリーだけだから部費もほとんど出ないんだけどね」

「ほとんどが自費でね。場所は一番端っこ、部室はというと元物置小屋だ。おまけに備品は自分たちで調達したものばかり。他の部との待遇の差は歴然さ」

「不便で汚いし小さな部だけどね。勢いこんだわりに、がっかりさせちゃったかな?」

唯一の部員は自虐的な薄い笑みを浮かべるが、ターバンバンドの代表者は肩を竦めるだけだ。

アリアンらしいストレートな物言いだが、あえて何も言わないのは全て本当のことだからだろう。


滑らかに開かない立てつけの悪い入り口。

折れてしまわないか気が気じゃない錆付のパイプ椅子。

伸び放題の蔦に覆われた窓のおかげで日光が差し込む隙間に乏しい薄暗い室内。

そしてすでに綺麗にされてはいるが、箇所箇所に見える壁のくすみやペンキの剥げた跡。

指摘すればまだまだボロが出てきそうな室内をぐるっと見回して、首を左右に振ったノエルはきっぱりと言い切った。


「んーん、地元じゃこれくらい普通だよ。むしろイーギスが綺麗すぎ。あたしは落ち着くな、このほうが」

本来清潔感が最優先事項として上がるはずの料理研究会だが、これだとギリギリ及第点を出してもいいかなといったところだろう。

ただ不衛生だとは思わなかったし、見れば物は綺麗に整理整頓され、汚れも可能な範囲で落とされており、隅々に二人の努力の跡が伺える。

それでも綺麗じゃないなら、頑張ってこれからもっと綺麗にすればいいだけだ。


「それより、一から作ったってほうがすごい。だって書類提出とか色々あるんでしょ」

「まあね。本当はもっと環境を良くしたいんだけど、新設だから申請もまだなかなか通しにくくてさ。だからこんな外れの場所にあるの。ちょっとボロっちーけどね」 

「いや、かなりボロいよ。でも逞しいだろこの女は」

照れ笑いで頬を掻くフランの言葉に被せるようにして、にやりと笑ったアリアンは椅子の上で長い足を組むんだ。

「確かに」

初対面の時の威圧感はアリアンにはない。

ぶっきらぼうなところは変わらないが、皮肉が多くても口数自体は多かった。

数時間前の初対面の時に感じた印象と今の印象は随分違う。

それはちょうど先日ライムに対しても似たような感覚を抱いたが、二人が何から何まで違うのは言うまでもない。


「アリー、男顔負けのあなたが言うと嫌みに聞こえるからやめてちょうだい」

ずけずけと遠慮のない彼女にフランが口を尖らせる。

「なんで作ろうと思ったの?」

「まあ話せば長くなるんだけど、ロングバージョンがいい?それともショートで?」

「んー、じゃあショートとロングの中間くらいでよろしく」


「オッケ。わたしはマーセルの外れの外れにある小さな村の出身でさ、ノエルと同じようにわたしも実家では料理をしてたのよ。これがまた、うちは兄弟が多くてね。私が言うのも何だけど、貧乏子だくさんと言うじゃない?お父さんは外国に出稼ぎ。お母さんは朝早く仕事に出かけて夕方過ぎに帰宅という毎日だったから、わたしが料理を作ってお母さんに元気になってもらおうと思ったの。下の子たちもまだ小さいしさ、お母さんに倒れられたら困るもんね。でもね、小さい村だから近所付き合いがあってさ、お隣のおばあちゃんたちから包丁の握り方から漬物の作り方まで教わったわ。で、気付いたらいつの間にか長女のわたしが毎日弟や妹たちの御飯を作るようになってた」


「はー、偉いなあ」

こういう話には弱い。ノエルに実の兄や姉はいないが、たとえ血の繋がりがなくても、本当の兄や姉のように慕ってきた四人がいる。

一人感じ入った様子を見せるノエルに微笑を向けたフランは話を続けた。

「まあ、これが当たり前だったからね。わたしも下の子たちが喜んでくれると嬉しかったし。でもイーギスに来たら料理研究会なんてものは一つもないじゃない?だったら一念発起でつくっちゃえ!と思ったわけですよ。まあ、一年間は誰にも来てもらえなかったけどね。だからアリーに来てもらってすっごく感謝してるの」

「な、なんだよそれ。別に感謝なんかいらないって」

油断していたのか突然話を向けられたアリアンが椅子の上で姿勢を崩す。


「あれー、照れてるの?」

やり返すフランの笑みは非常にわざとらしい。

「だぁ、うっさいな!照れてねえっつの。フランはすごいよ。ああ凄い」

突っぱねたいがそれが出来ず本気でどうしてよいか分からない表情だ。

乱暴な手つきで髪に手櫛を入れるアリアンだが、その仕草が照れ隠しなのは誰が見ても明らかだった。

「なにそのやけくそな感じ」

「じゃあアリーは何でここに?あ、あたしもそう呼んでいい?」

アリアンよりも愛称のほうが呼びやすい。

投げやりなアリアンに小言をぶつけるフランをおいて、ノエルは同級生の代表から目を逸らしている先輩部員に向き直った。


「いいよ。あたしは大した理由じゃないさ」

「え、でも聞きたい」

逡巡したアリアンはため息を付き、視線を逸らしたまま遠慮がちに口を開く。

「…人がたくさんいる部は好きじゃないんだ。それだけさ」

「なにそれ。じゃここがたくさんの部員で溢れかえるようになったら、あなたここをやめるの?」

「そこはそれ」

短く言って、長い足を組み直す。


「どういうこと?」

「あーいいじゃないか何でも。安心しなよ、やめるつもりはないから。あ、トマトとバターが切れてただろ。買ってくるよ。それじゃ」

シャツの上に黒いパーカーを着込んだアリアンはフードを目深に被り、フランのあ、待ちなさい!という制止の声を聞かず颯爽と出て行った。

「もうっあの子ったら」

「なんか逃げるように出て行ったように見えるんですけど」


アリアンが出ていく時に目に入った時計の長針と短針の位置が次の授業の始まりが近いことを気付かせる。

ノエルは上着を手に取り椅子から立ち上がった。

「あ、でもあたしもそろそろ時間だ。次の講義に遅れちゃう。そういうのジェフレン教官厳しいしね」


ノエルに合わせてフランも立ち上がる。

「いってらっしゃい。クラブもさ、色々なとこ見てきたらいいよ。ちなみにうちは火曜日と金曜日の夜にやってるから良かったらまたおいでよ」

文科系の部活動にいくつかに絞っていたものの、実際そんなに色々と見て回る余裕はなさそうだった。

であれば自分の好きなものや得意なものを試せる場所でいいんじゃないだろうか。

それにここなら顔馴染みもいるし、何よりこういうものは直観だ。

顎に手を当てて一拍置いていたノエルが笑顔のフランに宣言する。


「いやあたしはここに決めたよ。面白そう。あたしもここに入らせてほしいな」

「わお、ありがとう!じゃあ改めてよろしく!歓迎するよ」

「おおー!」

「アリアンはどっかいっちゃったけど、しばらく三人で一緒にがんばっていこ、ノエル」

家庭料理研究会の代表を務める一歳年上の同級生の弾ける笑顔にノエルは力いっぱい頷いた。




四限は【初級危機管理及びその対応Ⅰ】の講義だった。

教官はジェフレン=バウアーズという槍術科新任の男性で一年前にイーギスを卒業したOBだ。

毎回メガネをかえて講義に望むのはジェフレンの譲れないポリシーらしく、細身の長躯に今マーセル男子に流行のお洒落七三を見事な分け目で決めている彼の講義に女生徒は多い。


何しに来てるんだと思わなくもないが、剣術科一年デュオ=ゼルファガーの顔も彼女達と同じくらいに惚けきっているので人のことは言えない。

誰から見ても爽やかな青年が何故そんなに表情筋をだらしなく弛緩させているのかと言うと、ある一人の女生徒のことで頭が一杯だったからだ。


天真爛漫で、声が素敵で、冗談が通じて、行動的で、色気もあって、なおかつ異文化との違いに戸惑う自分に声をかけてくれたショートカットの女の子が自分に振り向き手を振っている――。

妄想に忙しいデュオの耳に危機管理の必要性を説く教官の言葉は届いていない。

「いいなー、ノエルさん」

どうやら自分はノエルのことが気になって仕方ないみたいだ。

授業が始まる前から通算して三十分、青年は未だ一ページも教科書を開いていない。


聖シオンが第二の州都、マーセルの北東に位置するイーギスグランカレッジ剣術科にこの春から在籍することになったデュオ=ゼルフィガーの目標は一人前の男になることだ。

彼の一人前の定義とは、尊敬してやまない兄のように、剣を通して強きを挫き弱きを助けることである。

デュオには十三も年の離れた兄が一人いた。


祖国の近衛騎士団で副騎士団長を務める人望の厚い兄に憧れ、今から二年前、少年の将来就きたい職業第一位の座を十年以上死守する騎士団の狭き入団試験に見事合格を果たした。

経済的には中程度だったが高名な剣士の家庭に生まれたせいか、幼い彼が剣に興味を持ったのはある意味で必然の宿命だったと言える。


両親を幼い頃に失くしたゼルフィガー家において、兄は弟であるデュオにとって父も同然で、生まれながらに病弱で線の細い体つきだった幼きデュオは生活を守るべく粉骨砕身する兄だけが文字通り心の拠り所だった。


当初兄は弟の入団に難色を示していた。

剣術や武術の訓練を付けたがそれは丈夫になってほしいからであって、決して危険な仕事も舞い込む騎士団に入ってもらうためではなかったからだ。

まさか弟が自分の後を追うことになるとは考えもしなかった兄の庇護の元、デュオは年端も行かぬ五歳の頃にはすでに剣に活きることを心に決めていたので、たとえ唯一の肉親にどれだけ反対されても、その決意が鈍ることはなかった。


ノエルが血の繋がりのない兄や姉に憧れ健やかに逞しく成長したのと同じ道程で、聖シオンから北に海路で一日と陸路で二日の異国の地ではデュオもまた実兄に強い尊敬の念を抱き、一流の剣士になることを心に誓っていたわけである。


そして騎士団入団から二年後、イーギスの噂を聞きつけた兄が訓練に精を出すデュオに騎士団留学を提案する。

今から二百年以上も前に独自の軍隊を解体した中立国聖シオンだが、先の戦争終結をきっかけに存在感を増したイーギスの名聞は遠い外国にまで届いていたのである。

だが当初デュオは騎士団なら誰もが羨む有難い申し出を全力で固辞した。


それは騎士団で一人前になるために入門した彼の目標から逸れることであったし、彼にとってはイーギスなど遠い世界の話でしかない。

それにそもそも外の世界を知りたいとも思っていなかった。

周囲を驚かせる速さで成長しながらも、どこか弟気質の抜けきらない彼にとって、人生のお手本である兄の元を離れて暮らすことなど論外なのである。

立派な口髭を結わえた兄が膝を折り、断じて首を縦に振らないぞと頑ななデュオに優しくも毅然とした視線を向ける。


「デュオ、そろそろ兄離れの時期だ。俺がいては、お前はここでは一人前になれないだろう。お前が騎士団に忠誠を誓ってることは団長を含め全員が知っている。素晴らしいことだ。だがな、お前には苦労を掛けたくない一心で大切に育ててきたが、一つ後悔していることがある。それは狭い世界の中でお前を育ててしまったことだ。騎士団が人生の全てではない。俺にとって自慢の弟であるからこそ、お前の将来をここに押し留めておくのが惜しいんだ。だから、一度だけ兄の我儘を聞き入れてくれないか?世界は果てしなく広い。誉あるイーギスの下で一人前に成長したお前の晴れ姿を四年後、俺たちに見せてほしい」


兄にこうまで言われては。

騎士団の厳しい戒律と熾烈な訓練で鍛えた心を持ってしても、この時ほど私情を押し殺すことに苦労した記憶はデュオにはない。

それに兄とはいえ、上官の命令は絶対なのだから。

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