意図した成果は日々の弛まぬ努力の果てに #17 VIVID COLOR

「マーセル最大の都市公園ロフタスパーク。敷地面積を含むイーギスがゆうに二十は入る広さがありますね。市民のみなさんが利用するだけでなく、わたし達イーギス生にとっても所縁のある大切な場所なんですよここは。イーギスの始祖、聖アルマウェルのお墓がありますからね」

今日が初対面でも数時間をともにしたライムの笑みは親しげだ。

聖シオンが指定する調和の象徴、二羽の鷲の石像が敷地に入ってすぐの台座の上に見えた。


ノエルはライムに任せっきりにしていたので、このまま街歩きが続くものと思っていた。

しかし、彼女が次の案内先に選んだのはノエルが思っていたものではなく、街中にあって予想外のものだった。

内心感嘆しつつ、ノエルはロフタスパークに足を踏み入れた。

まさか街のど真ん中でこんな大きな公園に出くわすとは思わなかった。

規則正しい間隔で植林された花壇の中は鮮やかな色彩が咲き誇っている。

芳しい香りが鼻腔をくすぐった。

「あ、知ってる!アルマウェルって本で読んだことがある。確か建聖だよね?」

すぐに思い出せたことにノエルの声は弾んだ。


マーセルなら誰もが知っている超有名人である。

流石にこれは知っていないとマズイ。

「そうとも呼ばれていますよね。マーセルなのでやはり剣の理を極めた偉業のほうに注目がいきがちですけど、アルマウェルは晩年は剣を置き、建築活動に没頭されたようです。人はそんな聖人を讃え、建聖とも呼んでいますね。この公園の初代設計者でもあります」


ノエルにとって彼についての知識は教科書で得たものが全てだ。

聖人の名前は彼以外にも一通り地元の学校で習っている。

イーギスの生みの親である以外に、このロフタスパークも自ら手がけていたとは驚きだ。

人覚えの悪さはどうやら過去の人にまで適用されてしまうようで、なんとか自分との少ない共通点から覚えたクチである。

そんな歴史的な偉人が眠る静謐な場所に自分は足を踏み入れた。

始祖が作り上げたイーギスの学生になった今、遠すぎた存在が身近に感じられるようになり、なんとなく身が引き締まる思いだ。


「やー、そういう昔のえらい人って多芸だよね。なんか昔の人に多い気がする」

「わたしはノエルの凄いところをもう知ってますよ」

予想しなかった角度からの返答にノエルが目を丸くする。

ライムの翡翠色の瞳は楽しそうな色を湛えていた。

「え?何々、教えて!」

勇むノエルにライムはきっぱりと即答した。

「いつも変わらないでいられるところです」


「いつも、変わらない?」

残念ながらノエルに心当たりはなく、おうむ返しに聞き返す。

「ええ。誰に対しても対応が変わらないというか。わたしたち今日がお互い初めてじゃないですか。でもわたしがここまで話ができたのは本当にノエルが初めてなんですよ。誰かと一緒に休日でかけるのも本当に何年振りだろう。わたしが言うのもおこがましいけれど、ノエルは人の心を掴ませる何か特別なものを持っているのかもしれませんね」

「そ、そう?なんかこそばゆいなぁ」

褒められ慣れていないノエルにはこういう場合の上手い照れ方が分からない。


「ジャスさんに対しても、ノエルはいつもと同じだったんじゃないかなって。ほとんどの人はジャスさんとまともに会話もできませんから。それにさっきの話だと初日にクロエさんやリンさんにも同じ感じだったようだし、そういうのって誰でもできることじゃないと思うんです。少なくともわたしには絶対に無理だから」

「そ、そうかな。あ、あたしも十八だしそろそろ必殺技とかほしいな~って思ってたんダヨネ!」


我ながら挙動不審だと思ったが、優しいライムは意味不明なノエルに満面の笑みを返してくれた。

とはいえ、いかんせん実感がない。

そういう自分を普段から意識してるわけではないし、何より言われるまで考えたこともなかった。

「ま、まあ人見知りはしないと思ってるけど、でも、別にそんな大したことじゃないよっ」

ノエルの小さな混乱は続く。

だが、同時に良く見てるなと思う。


このままの流れが続けば、自分の長所をつらつらと列挙しそうな勢いだ。

嬉しいが流石にそれはこそばゆい。

称賛の矛先を交わすために、ノエルは強引に話題を切り替えることにした。

「でもそういうライムだって、転籍とか魔術とか、あたしにないもの持ってるよね。でも、あたしらってイーギスに入れただけでイイもん持ってるのかもね!」

いささか雑になっているが勢いで押し通すノエルである。


「格式の高さ目当ての入学も多いんですよね。実際、魔術科には街の有力者の子弟が何人もいますし」

「だよねー。お金持ち多いし」

「学費が全然違いますからね。奨学金をもらえなかったらと思うと」

苦笑がちに言って、横を歩くライムは来る途中で購入したアップルパイに口をつける。

「すごいよね。欲しくてももらえない人いるんでしょ?その中でさ、すごいよ」

「ありがとう。でも、わたしは一番下だったんですよ」

魔術科の学費が群を抜くのは有名だ。

家柄も片田舎出身で特別裕福でも何でもないノエルにしてみれば、手の届く話ではない。

例え才があっても入学を断念せざるをえない者のために奨学金制度は存在するが、必ずしも誰もがその恩恵に預かれる訳ではない。

その事実をもってして、ライムを見る目がさらに変わる思いだ。


話をしていると景色が移り変わるのが早い。

左手に池が見える。ロフタスパークだけあって異様なでかさだ。

向こう岸が見えない。

きらきらと照り返る水面から数羽の野鳥が空に羽ばたいていった。

少し汗ばむような陽気も水浴びでもすればさぞかし気持ちが良いだろう。

過去のトラウマから泳ぎの一切を拒絶しているノエルはせいぜいその程度の楽しみ方しかできない。

ライムが切り出し、二人は池の外周にあるベンチに腰を落ち着けることにした。ずっと歩き通しだったので、そろそろ足を休めたいと考えていたのだ。


「ふいー。気持ちいーねー。ライムはよくくるの、ここ」

背もたれはあいにくの固さだが座れたことはありがたい。

体力には自信があるノエルだが、普段こういう歩き方をしないので少々疲れた。

「うん。天気がいい休日には時々ここにきて、このベンチで本を読んだりしてますよ」

「あ、いいかもね。あたしも今度してみようかな。なんか寝ちゃいそうだけど」

ようやく、ゆっくりと周囲を見渡す余裕ができた。

森林浴を楽しむご隠居に賑やかな家族連れ、遊歩道をジョギングする若者たち。

改めて眺めてみると、老若男女を問わず実に多くの人ががたくさんいた。

確かに休日の過ごし方としてここは大いにアリかもしれない。

非常に健康的な気がする。


ノエルが育ったレーンヴァルトにも公園はあるにはある。

ただそれを果たして公園と呼称してよいものか、このロフタスパークを見てしまった後では比較するのも難しい。

もはや自然の一部なのか公園なのかの境界線が曖昧なのだ。

その点この都市公園は人の手による整備が十分に入ってることが伺え、隅々まで行き届く様式美が見て取れる。

ノエルは袋の中から肉と香味野菜を挟んだクレープを取り出した。


「あれ?」

少し先にある庭園と思わしき場所でたくさんの人だかりが生まれていた。

混然一体となった喝采と歓声がノエルの耳に届く。

目を凝らしてみると、突然細長い棒が空中に現れた。

重力に引かれ、それは落下していく。

すると今度はそれが落ち切る前に新しい棒が宙を舞った。

先ほどよりも高く上がり、聴衆が湧く。


「んん?」

しばらく眺めていたら、放り投げられる棒の数が全部で四本だと分かった。

小さかった放物線は今や大きな放物線になり、テンポが速くなっていく。

人が多くてよく分からないが、そこで何かが行われているのは間違いないようだった。

視線を釘付けにしたまま、クレープの中身が落ちないよううまく口を動かしているのはご愛嬌である。


ノエルの興味深そうな視線に気付いたライムが説明する。

「大道芸人さんですね。ジャグリングっていうらしいですよ、あれは」

「へえ、さっすがマーセルだね。田舎とは違うわ」

田舎には娯楽や遊戯の数がそもそも少ない。

だからこそ野山を駆け回って逞しく育ってきたわけだが、視線の先で繰り広げられる見たことがない類のパフォーマンスにノエルは関心を抱かずにはいられない。

「路上パフォーマーは他にもいますよ。ノエルが好きそうな。この後、何人か出てくるかもしれませんね」



適度な陽気に包まれ、小腹も満たし、喧噪は遠くに聞こえるだけで、午後の予定は特に何もない。

昼寝の状況は揃いすぎ、ノエルはいつの間にか眠りこけてしまっていた。

ふとした拍子にはっと目を覚ます。

「…?」

自分の視界が四五度傾いていることにすぐに気付くことができない。

自分ではない誰かの静かな息遣いを頭の上で感じる。

ノエルは状況を瞬時に整理した。

どうやら本当に眠ってしまったらしい。

ただそればかりか、挙句の果てにライムに膝枕をさせてしまっているようだった。

側頭部に感じる暖かい太ももの感触が何よりの証だ。


「ご、ごめん!あたしがっつり寝てた?!」

ガバっと起き上がり、ノエルは慌てふためいた。

一気に顔が赤くなる。

逆ならまだしも、自分のような大女が少女のような先輩の膝枕で気持ちよく午睡とは。

良く見れば、顔を当てていたライムのスカートの裾の部分が少しだけ皺になっている。涎だったらと思うとゾッとする。


しかし当のライムに慌てた様子はなく、相変わらず綺麗に伸びた背筋で小さく微笑んだ。

「大丈夫ですよ。こんなに気持ちいいし、あたしもうつらうつらきてたから」

「うわー、ほんとごめんね!そこ、あたしにアイロン当てさせて」

「ううん、気にしないで。わたしの方こそ色々連れまわしてしまったので」

ライムは本に栞を挟み静かに閉じる。

ポケットに入れていた懐中時計を見ると、二時間が経過していた。

さすがにバツが悪い。


何かお詫びをと思い、再び口を開きかけようとしたその時、突如ノエルの耳に一際大きな歓声が届いた。

「なに?」

その歓声には熱が籠っており、数時間前のそれとは質が違った。

間髪置かず、ドラムを叩く音がリズミカルに耳朶を打ち、ギターサウンドが軽快なリフを繰り返す。

発信源は先ほど大道芸人がいた辺りからだった。

パフォーマンスは寝ていた間にも続いていたようだが、先ほどに比べると人垣がまた一段とぶ厚くなっているように見える。


「なんでしょうね。あ、でももしかして」

ライムがおもむろに腰を上げた。

「どうしたの?」

「え、まさか、本当に?」

ノエルの問いには答えない。というより、耳に届いていないようだ。

口に手を当て、信じられないと言った表情を浮かべるライムは次の瞬間ノエルに勢いよく向き直った。

「ノエル、ちょっと一緒に来てください!」

ノエルの返答を聞かず、ライムが脱兎のごとく音がする方に駆けて行く。

「え?ちょっ。どしたの、ライム?!」

遠ざかっていく背中に声を飛ばすが振り向く気配はない。

ここでメロディーが図っていたかのように鳴り止んだ。

誰かが演奏をしているのは間違いない。


ドラムにギター、ベースと三つの楽器が奏でる音色を耳が拾い始める。

聴衆のテンションが否応なしに高まる様をびしびしと肌に感じ、ノエルは走る速度を上げた。

と同時に、不意に懐かしさが込みあげてくる。


まだ地元にいるとき、兄代わりのライがひがな一日ギターを弾いていたのを覚えている。

彼は喜怒哀楽の喜と楽だけが我が人生とでも言うべき性格だったので、彼が作曲したメロディの多くは陽気で明るく前向きなものだった。

幼かったノエルがせがんでは嫌な顔一つせず、いつでも弾き語ってくれた優しい兄だ。

魔術と同じように、あいにくノエルに楽器を演奏する才能は宿っていなかったが、音楽を聴くのは好きになれた。

それもこれもライの影響だが、ロキと違って、イーギスに来てからまだ再会できていない。

現在出張中のようなので、顔を会わせるのはもうしばらく先になりそうだった。


そんなことを考えながらライムを追う。

後追いだったが、足に自信があるノエルが追いつくのはすぐだった。

「ライムライム!どうしたのよ一体」

大声を張り上げる。

でなければ、空気に裂け目を入れるようなドラムの打撃音に声がかき消されそうだったからだ。

五十人以上がこの場にいるだろう。

その中でライムもまた頬を上気させていた。


「あ、すみません!私ったら、また我を忘れて」

「いや、いいんだけどね。で、ほんとどうしたの?」

「これですこれ。このバンド、私の大好きなバンドなんです!」

ライムは感情を露に身体を揺らしている。

「もう最高ですよ!」

子どものように純真で無邪気な笑顔にノエルは驚いた。

普段は誰かの影に隠れているようでも、いざ好きなものや夢中なものを目にすると人格が豹変する。

実に振れ幅の大きい彼女の感情表現を二回も体感させられた身として、ライムという人間はノエルが知る誰とも同じではなかった。


「あの人たちのこと?」

「ええ、ルゼルという名前のバンドなんです。去年の夏に結成したばかりで知名度はまだあんまりですけど、わたしは絶対にこれからくるバンドだと思ってます。みんなが幼馴染でマーセル出身なんです。全員二十歳でわたしたちとそんなに変わらないですよね。あ、それに聴いてください、このエッジの効いたギターの鋭さと言ったら!でもなんといってもルゼルといえば、ボーカル!彼の歌声はすでに業界から注目されていると噂されていますね。あっ、でもわたしは全員すごいと思ってますけど!」

今回ばかりは打てば響くように披露してくれる豊富な知識よりも、小さな彼女の、大きな肺活量に、多大な拍手を送ってあげたい。

よくぞ息継ぎ一回でこれだけ言えたものだと感心する。


「そうなんだ。でも確かにいいバンドだね。あたしもこの声は好きだな」

「でしょ?ですよね!まさかルゼルが今日ここで演奏してたなんて、天にも昇るような思いです」

良かったねと言うノエルにライムは底抜けに満面の笑みを返す。

常に伏し目がちのおどおどしていた当初のライムではない。

こんなにも幸せそうな誰かの表情を見るのも久しぶりな気がした。

あまりの上機嫌ぶりにこちらまで心が浮きだってくる。


ノエルにとっては思いがけない出来事だったが、彼女の喜ぶ姿を見れば、自分だけ離れてどこかに行こうという気は湧いてこない。

それに実際のところ、ルゼルの音楽はノエル好みでもあった。

多分、昔どこかで耳にしたかもしれない。

それほどに馴染みが良い。

あくまでなんとなくな思いは、迫力ある音量の前に霞んで遠ざかっていく。

知らず知らずのうちに、ノエルの足は小さなリズムを刻んでいた。

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